2016年05月24日
悲しいお知らせ申し訳ありません。
先週の木曜日、17時37分頃、祖父(母の父)が99歳で永眠しました。
死因は肺炎、しかし実質的な寿命だと思います。
21日と22日に、通夜と葬式を終えました。
さて、祖父は1917年(大正6年)5月10日の生まれです。
この日は、1936年ベルリンオリンピック日本代表、水泳男子メドレー800m金メダリスト、杉浦重雄(すぎうら しげお)さんと同じ誕生日です。
またロシア革命があり、今はなくなったソヴィエト連邦が建国された年でもあります。
僕は小さい頃から祖父によく世話になりました。
たまたま祖父母の家が自宅から約1kmほどしか離れておらず、幼少期母は家で仕事をしていたので、忙しい時には祖父母の家によく預けられ、第二の自宅みたいなものでした。
その為、祖父のやることはよく見ていました。
僕がここで車をいじるのは、恐らく祖父の影響が大きいと思います。
祖父の愛車はとても古い車で、いすゞのベレットという車でした。
1500ccの4MT車でした。
今と違ってコンピュータなどは搭載されておらず、エンジンスタート時にはチョークを引く必要のある車でした。
古い車だったので、故障も多く錆も出やすかったので、常日頃の整備とペンキの塗り替えが必要でした。
祖父がよく、車中に新聞紙を貼り付け、エアブラシでペンキを塗り替えているのをよく見ました。
また、古い車なので規制基準が今とは異なり、リアブレーキランプとウインカーランプが兼用でした。
今でも一部のアメリカ車などにはありますが、日本では現在の基準だと車検に通りません。
とはいえ、この車は旧型の車種なので、なんらかの緩和はあるかも知れませんが、ブレーキランプが分かりにくく危険な可能性があるのは否めません。
そのため、祖父がハイマウントストップランプを取り付けるのに苦労していたのを思い出しました。
元々ブレーキランプとウインカーが兼用なので、そこから線を取り出すことは不適当です。
その為、エンジンルームに遡って、ブレーキシリンダの装置から、直接線を取り出して配線をしたそうです。
きちんと機能して、びっくりしました。
また、一度家に遊びに行った時、祖父がブレーキランプやウインカーランプの動作が問題ないかチェックしたいと言われ、当時まだ子供で免許を持ってないのにウインカーやブレーキを運転席で操作させて貰ったことがあります(笑)
そういうのが、今僕が車をいじったり、ハンダ付けで物を作ったりするのに繋がっていると思います。
ハンダゴテの使い方も、主に祖父がやっているのを見て覚えた気がします。
そんな訳で、僕に色々な知識をくれた祖父にとても感謝しています。
晩年はアルツハイマー性認知症になり、更には家で転倒したことで骨折して、全介助による介護が必要な身体になってしまいましたが、懸命な介護により、それから更に長生きすることができました。
二年前に肺炎を発症、闘病生活の末、天国へ旅立ちました。
本当にありがとうございました。
そして長い人生お疲れさまでした。
Posted at 2016/05/24 04:39:27 | |
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