
優勝の誘惑に「負けた」ピローニ(1982 サンマリノGP)
前回のロングビーチGPでは、政治的なドロドロした陰謀が渦巻いていたが、その雰囲気はフェラーリの地元イタリアのサンマリノGPでも変わらなかった。
先述のFISAによる後付け失格に腹を立てたノンターボ勢のチームは、GP自体をボイコットしてしまう、という事件が起きて、サンマリノGPでの出走車は僅か14台だけという、奇妙なGPとなった。相変わらずのドロドロした雰囲気である。
ビルヌーブとピローニは共に好調で、予選ではポールポジションがルノーのルネ・アルヌー、そして2位が同じくルノーのアラン・プロスト、そしてビルヌーブは3位、ピローニは4位につけるという、グリッドの一列目と二列目に、綺麗に同じマシンが並んだ。
決勝のスタートではトップグループの順位は変わらなかったが、一周目の終わりには順位が入れ替わっていた。
トップはアルヌー、そしてビルヌーブ、ピローニ、プロストと続いた。
やがてプロストのマシンはエンジントラブルのためにリタイアし、トップグループはアルヌーとビルヌーブとピローニになった。
この3台は周回を重ねるごとに順位が入れ替わっていたが、やがてアルヌーはターボトラブルで戦列を去った。
こうして、フェラーリの1-2体制となった。
ティフォシたちにはこれ以上ないほどの最高のシチュエーションだ。
とはいえ、フェラーリの2台ともあまり調子が良くなかったので、ピットからは「ややペースを落とすように」との支持が出され、ビルヌーブとピローニはそれに従った。
そのままの状態でしばらくレースは続いた。
ところがレース後半になって、どういうわけかピローニが急にペースを上げてビルヌーブを抜いた。
これにはビルヌーブも意表を突かれた。
なぜならば、今まで両車ともマシンをいたわって若干ペースダウンしながら走って、そのままペースは上げずにマシンをいたわって走り、順位を入れ替えないで、確実に1-2フィニッシュを狙うように予定されていたからだ。
事実、フェラーリのピットからはそういうサインが出ていた。
フェラーリチームのマルコ・ピッチーニが「我々にはチームオーダーは無い。速いほうが前に出ればいいんだ」とは言ったが、実際には「ビルヌーブが前でピローニは後ろ」というチームオーダーが出ていたのだ。
このチームオーダーが出ていたことについては、たくさんの証人も居た。
ビルヌーブは「ディディエの奴、どういうつもりだ?」と思いながらも一緒にペースを上げ、ピローニを抜き返そうとした。
ところがピローニは、いつか見せた走路妨害同様のブロックで、強引にビルヌーブを押さえ込んだ。
ピローニは例の自己中心的な性格がまた出てしまい、「僕がトップだ」と言わんばかりの態度を走りで見せた。
それでもビルヌーブは再びピローニを抜き、しばらくその状態が続いた。
そしてビルヌーブは燃費の厳しいサンマリノのサーキットのことを考えて、また僅かにペースダウンをしながら走った。
そのうちに、またピローニがペースをメいっぱい上げて強引にビルヌーブを抜いた。
今まではティフォシへのサービスだったんじゃなかろうか? と思っていた観客も、次第に「何かおかしい。ピローニは何か企んでいるんじゃないか?」とささやき始めた。
ビルヌーブもピローニの行動には困惑していた。
遂に最終ラップ。
ここでピローニは、またペースを落とし、ビルヌーブを先に行かせた。
ビルヌーブは「そうか! やっぱりティフォシたちへのサービスなんだな。僕が以前ジョディ(シェクター)に対してやったように。あの時の僕は決してジョディを抜かなかったけど、これはディディエ流のティフォシたちへのサービス、つまりちょっとしたショーを見せているんだ。最後には僕を先頭に行かせてくれたし、間違いない。ディディエも、なかなかイキなことをやるな」と確信した。
最終ラップでトップに立って安心しきったビルヌーブは、再度ペースダウンし、このままの状態で1-2フィニッシュできると確信しながら、最終コーナーを回りきった。
あとはゆっくりストレートを走ればチェッカーだ。
しかし! なんと! ここでピローニが猛烈な加速をしてビルヌーブを一気に追い抜いた。
つまり最後の最後で、ビルヌーブに抜かせるスキを与えずに、本当のゴール寸前にピローニはトップに踊り出たのだ!
もうビルヌーブがアクセルを全開にしても抜き返すチャンスは無かった。
ビルヌーブもティフォシたちも「なんだって!? ウソだろ!!」と思うのが早いか、ピローニはそのままトップでチェッカーを受けてしまった!!
ビルヌーブもティフォシたちもピローニの行動に呆然として、言葉が出なかった。
思考の鋭い報道陣は、「ピローニの行動は、もしかしたらビルヌーブを油断させて、最後の最後で不意を付いて、極めて不当な手段でトップを奪い取ったのではないか? どう見てもそうとしか思えない」と語った。
まさに、その通りだったのである。
「ビルヌーブが前でピローニは後ろ」というチームオーダーが出ていたにも関わらず、ピローニはチームオーダーを無視して、容易に手に入りそうな、目の前にちらつく優勝の誘惑に「負けて」ビルヌーブを騙してしまったのだった。
昨シーズンの終わりに「自己中心的な行動は控えよう。ナンバー2ドライバーとして謙虚に走ろう」と心に決めたにも関わらず、ピローニはまた誘惑に負けた。自己中心的な行動をとって、悪質な方法でビルヌーブを騙し、優勝を奪ったのだ。
もちろん二人がペースダウンせずに走っていればこんなことは起きなかったし、ビルヌーブはピローニを引き離していただろうことは容易に想像がつく。
つまりピローニは、速さではビルヌーブに敵わないから、ペースダウンを利用して、分不相応な優勝を奪ったのだ。
表彰台では嬉しそうにシャンペンを振りまくピローニ。
そして離れたところで終始無言のままブ然とするビルヌーブ。
二人の対照的な表情があった。
ビルヌーブは完全に「ディディエに裏切られた。騙された。今までずっと信頼していたのに、こんな汚い奴だったなんて…」と怒りに燃えていた。
どこまでもフェアプレイをするビルヌーブだからこそ、ピローニの裏切り行為には怒り心頭に達したのだ。
そしてビルヌーブは表彰台から降りると、何も言わずに自家用ヘリコプターに乗ってモナコの自宅に帰ってしまった。
ものすごいショックを受けたビルヌーブは、早く家に帰りたいという気持ちで一杯だったのだ。
二人がペースダウンせずに普通の正当なバトルをして、ビルヌーブがピローニに負けたのならば、ビルヌーブの態度は全く違っていたはずである。
純粋に「ディディエ、おめでとう」と言っただろう。
ビルヌーブはそういうスポーツマンシップにのっとった純粋な人間だからだ。
だが今回は事情が全く違う。
ビルヌーブは純粋だからこそ、尚更ピローニのあくどい手口にショックを受けたのだった。
このピローニの裏切り行為については、表彰式が終わってビルヌーブが自宅に帰るやいなや、観客や報道陣からのバッシングの嵐になった。
ピローニは、観客から、
「なぜビルヌーブの優勝を奪ったんだ!?」
「このあくどい策略家めが! ビルヌーブがどれだけプライドを傷つけられたか解っているのか!?」
「あんな巧妙な手口で純粋な心のチームメイトを騙すなんて、お前の人間性が疑われる! 血は通っているのか!?」
「ピローニ、お前は優勝したんじゃない。ただ、ずる賢い方法で優勝を奪っただけだ。つまり盗みを働いたのだ! この泥棒め!!」
「ナンバー2ドライバーとしての自覚はどこへ行った!?」
「いくらフェラーリが1-2フィニッシュしたからといって、こんな内容では地元イタリアの我々だって不愉快だ!!」
「ビルヌーブよりも実力は劣っているくせに、そこまでして優勝の二文字が欲しいのか!? ふざけるな!!」
「この裏切り者め! 今すぐにフェラーリチームを出て行け!!」
と、かなり感情的なバッシングを浴びた。
そしてジャーナリストからは、
「ピローニ、あんたねぇ、雑誌の見出しを汚すようなマネはしないでくれよ。ティフォシたちにどう説明すればいいんだ?」
「ピローニ、忘れたとは言わせないぞ。1979年シーズンの、ジョディ・シェクターがワールドチャンピォンになった時のイタリアGPのことを。あの時のビルヌーブは目の前にちらつく優勝の誘惑に決して負けることなく、ナンバー2ドライバーとしての自覚をしっかり持ち、シェクターを援護するという仕事をビルヌーブは謙虚にキッチリこなしたのだ。今ではナンバー1、ナンバー2ドライバーの立場が入れ替わって、今度は当然ビルヌーブが勝つ番だったんだよ。それをあんな卑怯な方法で奪った。君は軽蔑にも値しない男だ」
「汚い手段でチームメイトを騙して優勝を奪い取るのではなく、一つくらい自力で勝ってみてはどうかね? ええ? ピローニ君」
と、やはりかなりキツイ言葉を受けた。
今回の件について、記者会見でのエンツオ・フェラーリの言葉は、みんなの意見を総括するものだった。
エンツオ・フェラーリ
「観客たちやジャーナリストの諸君も言っているとおり、今回のピローニの行為は、極めて不当なものだ。一応、記録上ではピローニが優勝したことにはなったが、事実上の優勝者はビルヌーブなのだ。なぜかといえば、ピロ-ニがチームメイトを騙す・チームオーダーを無視するという不当な方法を使って走らなければ、純粋にF1レーシングのバトルとして戦っていたとすれば、ピローニはビルヌーブに追いつけもしなかったことは間違いないからだ。ビルヌーブがとてつもないショックを受けたのも無理は無い。1979年のイタリアGPでシェクターを援護した時のビルヌーブの謙虚な行動は素晴らしかった。ああいう謙虚な行動こそがスポーツマンシップであり、我がフェラーリチームにふさわしい行動であり、F1レーシングのバトルをクリーンなものにする重要な要素なのだ。その意味で1979年のイタリアGPでのビルヌーブは完璧な仕事をこなしたと言える。ビルヌーブは、そういう謙虚でフェアな人間だ。だからこそ受けたショックも大きく、無言で自宅に帰ってしまい、家に閉じこもりたくなった気持ちもよく解る。ビルヌーブは2位という順位自体については何も思っていないだろう。ただ、諸君そして我々フェラーリチームが彼に与えた”最も速いドライバー” という名誉ある肩書きを汚されたことにショックを受け、激しくプライドを傷つけられたことは間違いない。ビルヌーブには私から直に電話などをして慰めてみるつもりだ。必用ならば彼と何時間でも話そう。それによってビルヌーブが精神的に立ち直ってくれることを祈るばかりだ。最後に言うが、速さの面でもフェアプレー精神の面でもビルヌーブがナンバー1ドライバーであることは確実であり、ピローニはナンバー2、いやナンバー3ドライバー程度のものだろう。今回のレースでのピローニはあくまでも2位に過ぎない。いや2位以下と言ってもいいだろう。今回の裏切り行為により、ピローニは自分の株を大幅に落としたのだ。これも自業自得というものだ。ピローニの扱いについては、今後改めてよく考え直してみるつもりだ」
このエンツオ・フェラーリの言葉を否定する者は、一人も居なかった。
F1界のゴッド・ファーザーだから恐ろしくて反論できなかったのではない。
誰もがエンツオ・フェラーリと同じ意見だったからだ。
ビルヌーブは自宅に閉じこもってショックで頭を抱えて塞ぎこんでいたので、報道陣がやってきてもコメント不能だった。
ビルヌーブの頭の中は屈辱感と絶望感で一杯だったのだ。
報道陣も「無理も無い。気持ちが落ち着くまで、そっとしておいてやろう」と言い、ビルヌーブの自宅にはそれ以上は押しかけなかった。
一方の、今回の話題の張本人であるピローニは驚いて、報道陣に向けて
「まさかこれほどまでに非難を受けるとは思わなかった…」とチカラ無く言ったが、報道陣は「それは君がビルヌーブの速さを認めていないからだよ。ビルヌーブの速さを知らないのは、君だけなんだよ」と、冷たい言葉を返した。
ジャーナリストたちの中には、「ビルヌーブとピローニの仲がこじれることは間違いない。今後良からぬことが起きなければいいのだが…。なんだかイヤな予感がする…」と言う者も居た。
そして、不幸にも、その予感は当たってしまうのだった・・
悲しみのフェラーリ(1982 ベルギーGP 予選)
前回のサンマリノGPで味わった屈辱感と絶望感は、ビルヌーブにとって耐え難いものだった。彼は精神的にひどくまいっていた。
そんなビルヌーブの救いとなったのは、ファンからの慰めの手紙やファックス、妻のジョアンナ夫人の励まし、かつてのチームメイトだったジョディ・シェクターの幾多の訪問による応援、そしてエンツオ・フェラーリからの改めての高い評価だった。
これらのことがベルギーGPの前の二週間に渡って続けられたために、ビルヌーブは幸い、少しずつ精神的に安定してきた。
しかし、一番大事な、張本人のピローニからの謝罪は一切なかったのである。
もしここでピローニがビルヌーブに心からの謝罪をしていれば、ピローニが自分の精神的にまだまだ未熟だった部分を素直にビルヌーブに告白して謝っていれば、ビルヌーブの気持ちはもっと明るくなっていただろう。しかしそれは無かったのだ。
ピローニは「時間が経てばジルも許してくれるだろう。マスコミも怒りが収まるだろう」と、甘い考えでいた。
それどころかピローニは「僕とジルの、どちらか速いほうがナンバー1ドライバーだ」とマスコミに向けて強がってみせた。
これが極めて悪い結果を引き起こしてしまうことも知らずに・・
反省しないピローニに対してビルヌーブは、
「どういうことか、よく解った。これからはディディエをチームメイトだとは思わずに、他のチームのドライバーと同じように接することにする。フェラーリで走っているのは僕一人だけだと思うことにしよう」
と心に決めた。
ビルヌーブは完全に心を閉ざしてしまっていたのだ。
同時に屈辱感と絶望感がまた湧き上がってきて、また怒りもこみ上げてきて、ビルヌーブは冷静さをも失っていた。
モーターレーシングのような限界ギリギリの危険を冒すスポーツでは、冷静さを失って走ることほど、これほど危険なものはない。
怒りに燃えて走ることほど危険なものはない。
こんな極めて危険な状態で、ビルヌーブはベルギーGPの予選に挑むことになった。
これが結果的に取り返しの付かない事態になってしまう。
ベルギーGPの予選では、ビルヌーブはピローニとは一切口をきかなかった。
「ディディエのほうから誠心誠意を込めた謝罪がなければ、彼とは口をきかない」とビルヌーブは決めて、心を閉ざして、塞ぎこんでしまうことも多かった。
そんな暗くてやりきれない気持ちを抱えていて、ピットで考え込んでいたビルヌーブのところに、マクラーレンのピットからニキ・ラウダが歩いてきた。
ビルヌーブとラウダはとても仲がよく、特にラウダはビルヌーブのことを敬愛していたほどだった。彼らは気さくに会話をした。
ラウダ
「よぉ、ジル。調子はどうだい?」
ビルヌーブ
「やぁ、ニキ。マシンのほうは今ひとつセッティングが決まらないね。精神的なセッティングも決まらないけど」
ラウダ
「精神的なセッティングか。ははは、お前も面白い表現をするなぁ。例のことはもう忘れろ。お前はとにかく1レース1レースを速く走ることだけ考えればいいのさ」
ビルヌーブ
「そう心がけるよ。ディディエの奴が本当に心から謝罪してくれれば、僕はまたディディエと仲直りするつもりだ。ディディエもマスコミから総叩きにあったようだし、心を入れ替えてくれればいいな、と僕は思っているよ」
ラウダ
「お前もお人よしだな。そこがお前のいいところなんだが。アイツのことはとりあえず忘れろ。それより、マシンのセッティングのデータの参考になればと思って、ちょっとアドバイスに来たんだ」
ビルヌーブ
「へぇ、それはありがたいね。でもニキの走り方で出したセッティングデータは、僕の走り方には合わないと思うけど。走行スタイルが全然違うからね」
ラウダ
「まぁそう言わずに聞けって。いいか? まずリアウイングの角度だが…」
ラウダはセッティングデータを教えるという口実で、ビルヌーブを励ましに来たのだった。
なんでもいいからビルヌーブを元気にさせて、明るい気持ちにさせてやりたい、とラウダは思ったからだ。二人の仲のよさが解るというものだ。
(このピットでの二人の会話のスナップショットは、今でもモータースポーツ雑誌で紹介されることがある)
ラウダのセッティングデータは、思ったとおりビルヌーブの参考にはならなかった。
だがビルヌーブはラウダの本当の目的(ビルヌーブを励ましにきたこと)を感じ取って、「ニキ、本当にありがとう。参考になったよ」とお礼を言い、その表情はほころんでいた。
しかし実際にはビルヌーブのマシンはセッティングがなかなか決まらず、タイムが思ったように伸びなかった。
ピローニが先日「僕とジルの、どちらか速いほうがナンバー1ドライバーだ」とマスコミに向けて言ってしまったことにより、巷では「ビルヌーブ対ピローニ、どっちがナンバー1か?」などという、調子に乗った無責任なマスコミの噂が持ち上がってしまっていた。
予選ではその時点で、トップタイムをルノーのプロストとアルヌーが競っていた。
そしてその次にフェラーリの二台、ビルヌーブとピローニが続いていた。
ルノーの二人の競い合いなど比較にならないほど、フェラーリの二人の予選タイムの争いはすさまじいものだった。
ビルヌーブとピローニの対決がイヤでも注目されていたからだ。
ピローニのマシンはセッティングがそこそこ決まっていて、ルノーの2台に告ぐ3番手のタイムを出した。
それよりも僅かに遅れてビルヌーブは4番手のタイムだった。
まだ、もう少し予選の時間は残っている。ビルヌーブはなんとしてでもピローニのタイムだけは破りたかった。
ビルヌーブは先日のショックがまだ抜け切らずに冷静さを失っていた。
先にも書いたが、予選走行などという極限状態の走行を、冷静さを失って走ることほど危険なことはない。
ビルヌーブの予選走行は、そういう意味で危険極まりなかったのだ。
彼がいつものように冷静に予選走行をしていれば、あんな最悪の事態にはならなかっただろう・・・
ビルヌーブは、2セット目の予選用タイヤすなわち最後の予選用タイヤをすり減るまで使い切って走っていた。
ビルヌーブは、「絶対にディディエよりも速いタイムを叩き出してやる」と思い詰めて、冷静さを欠いて走っていた。
そして、予選終了の直前、高速シケインを抜けた後の左コーナーで大惨事は起きてしまった。
高速シケインを抜けた所で、目の前にはタイムアタックを終えてクールダウンしてスロー走行している、マーチに乗るヨッヘン・マスが居た。
ビルヌーブは瞬時にマスのアウト側から抜こうと判断してアウト側にステアリングを切った。
しかしミラーを見ていたマスは「ジルがすごいスピードで来る。アウト側に寄って道を譲ろう」と思い、やはりアウト側にふくらんだ…。
その結果、マスのマーチの右後輪とビルヌーブの126C2の左前輪が接触し、126C2はマーチに乗り上げた反動で空に舞い上がった!
時速230キロ以上出ている状態で全く減速されずに飛んだ126C2は、100メートル以上もの距離を飛び続けて、そのままノーズから地面に叩きつけられ、更に150メートル以上に渡ってコース脇で暴れ狂ったようにメチャクチャにトンボ返りをうち、マスの目前に着地した。
126C2はコクピットの前半分が無くなり、リアのタイヤ一つだけを残して、車体は全く原型をとどめないほどに損傷していて、コナゴナといってもいい状態だった。だが126C2のコクピットには、ビルヌーブの姿は無かった。
126C2が狂ったようなトンボ返りをうっている最中に、あまりの衝撃でarexonsの強固なシートベルトが切れ、更にシートまで外れ、ビルヌーブはシートごとマシンから放り出されて、20メートル以上も空中を振り飛ばされ、キャッチフェンスのポールに後頭部から落下する形で叩きつけられたのだった。
その反動で彼のGPAヘルメットが外れ、ヘルメットはコース脇に転がっていた。ビルヌーブは意識不明の状態だった。
ポールに叩きつけられたビルヌーブの側にはマーシャルが居て、即座にドクターを呼んで人工呼吸や心臓マッサージを施したのだが、ビルヌーブは意識不明のままだった。
ひどい衝撃のために、ビルヌーブの首と背中の骨は・・折れていたのだ。
ビルヌーブはすぐに救急ヘリコプターで、近くのセント・ラファエル病院に運ばれて、病院で必死の救命治療が行われたのだが・・・夜の9時12分に、絶命が確認された。