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2009年07月27日 イイね!

⑫Joseph Gilles Henri Villeneuve 変化自在なドリフト

⑫Joseph Gilles Henri Villeneuve 変化自在なドリフトジャック・ラフィーの絶句(1981 スペインGP)

前回のモナコGPでは、ビルヌーブの常軌を逸した速さに加えて彼の大得意なコースだったこともあり、126Cでもなんとか優勝できた。

しかしピローニのほうは、スタート直後の多重クラッシュによって順位が自動的に上がったに過ぎず、ピローニは運に助けられたゆえの4位だったのだ。

つまり、マシン自体のシャシーグリップは相変わらずガラクタ同然だったのだ。

モナコGPで結果を得たとはいうものの、フェラーリチームのシャシー開発スタッフにしてみれば、126Cのシャシー改善は相変わらず見出せずに困っていた。

その状況を知っている外部のレース関係者たちに言わせれば、「もうフェラーリは、前回のモナコGPのようにはウマくはいかないだろう」というのが大方の意見だった。

126Cのシャシー性能は相変わらずダメなままで、レース関係者からまでもガラクタ呼ばわりされていた。

そんな、マシン的に希望の見えない状態で、スペインGPの予選が始まったのだが、やはりここでは前回のような奇跡は起きなかった。

どんなに頑張ってもビルヌーブは予選7位、ピローニは予選13位のグリッドしか得られなかったのだ。

ポールポジションを取ったのはリジェに乗るジャック・ラフィーだった。

その後のグリッドにアラン・ジョーンズ、カルロス・ロイテマン、ジョン・ワトソン、アラン・プロスト、ブルーノ・ジャコメリと並び、その次がビルヌーブだった。

しかしビルヌーブは決して諦めなかった。

決勝でフォーメーション・ラップを回り終えて再びグリッドについた時、「スタートダッシュでどこまで抜けるか、イチかバチかの賭けをしてやる」と、ビルヌーブはコクピットの中で静かに燃えていた。

そしてグリーンライトが点灯してスタート。

ポールのラフィーがスタートをミスり、ジョーンズとロイテマンに抜かれて、彼らウイリアムズの2台が先頭に踊り出た。各車そのままの順位で第一コーナーに突入かと思われたが、ビルヌーブだけは違っていた。

ビルヌーブは126Cのアクセルペダルを床に踏んづけたまま、シフトアップの時も決してアクセルを緩めることなく、エンジンを大幅にオーバーレブさせて、物凄い勢いで車線変更しながら、ジャコメリ、プロスト、ワトソン、ラフィーを第一コーナーの手前で抜いていった。

そしてビルヌーブは、先頭を走るウイリアムズの2台を猛追した。

ビルヌーブ得意のロケットスタートがほぼ100%発揮されたといってもいい、素晴らしいスタートダッシュだった。

ビルヌーブは、今まで実行したスタートダッシュの中でも取り分け危険度の高い、限界を超えたと言ってもいいスタートダッシュに賭けていたのだ。そしてその賭けは成功したのだ。

2週目、コーナーの突っ込みでビルヌーブはロイテマンを抜いて2位になった。

しかしトップのジョーンズはだいぶ先を行ってしまっている。

ウイリアムズのマシンの完成度は素晴らしく、126Cのようなシャシーグリップの大幅に劣るマシンで追いつくのは至難のワザだった。

ビルヌーブは諦めずに懸命に飛ばしたのだが、やはりマシンの大幅な性能の差はカバーできず、少しずつジョーンズとの距離が離れていってしまう。

しかし、スペインの高い気温がジョーンズを襲った。

ジョーンズはコクピット内のあまりの暑さに頭がぼやけて、一瞬反射神経が鈍り、コーナリングをミスってコースアウトしてしまった。

ジョーンズは何とかダートから飛び出したが、トップグループからは完全に脱落した。

ジョーンズにとって今回のスペインGPでの気温はあまりにも過酷だったのだ。

この時点でビルヌーブがトップとなったのだが、一瞬でも油断は許されない状態だ。

何しろ126Cは一周に付き、エンジンパワーの面では他のマシンよりも2秒以上は有利だったのだが、コーナリングスピードの面では4秒以上も不利だったからだ。

結果として一周につき2秒以上も不利ということになる。

126Cは極度に不安定なコーナリング性能のために、普通にコーナリングしていたのでは、たちまち後続車たちに抜かれてしまう。

トップに立ったとはいうものの、このままでは、お先真っ暗も同然だ。

ましてビルヌーブの真後ろには、4~5台の後続車が既に追いついていて、トップグループは団子状態になっていた。

126Cは一周につき2秒以上も不利なのだから、ビルヌーブがたちまち後続車に抜かれるのは目に見えている。

そこでビルヌーブは、今まで以上にマシンをハデに横に向けてドリフトし、ブロック走行を開始した。

もちろんブロックは正当なレーシングテクニックだ。

ただ、126Cという、明らかにコーナリング性能の数段劣るマシンでブロックを続けることは、いつコントロールを失ってコースアウトするか解らないことを意味する。

こんな極めて危険な状況でも、ビルヌーブは臆することなくブロック走行を続けた。

ここまでならば、まだ他のドライバーたちにもチャンスがあった。

なぜなら、ブロックをしているマシンというのは明らかにコーナリングスピードが遅く、よって若干レコードラインを外して突っ込めばコーナリングスピードで勝てる=抜けるからである。

しかしビルヌーブのブロック走行は普通ではなかった。

本来のレコードラインを縦横無尽に横切り、どこから攻められても126Cの車体の一部が障壁となってブロックできる、こういうテクニックをビルヌーブは駆使していた。

つまり、不安定なコーナリング性能の126Cでは到底考えられないことだが、ビルヌーブはブロック中のドリフト走行におけるラインを自由自在に操っていたのだ。

これが事実なのだから恐ろしい。

このテクニックには、ビルヌーブの後ろに張り付いているドライバーたち全員が驚いた。

「信じられない。126Cなんていう不安定なコーナリング性能のマシンでドリフト中のラインを自由自在に変えるなんて! しかもその時々のあらゆる攻めに応じた柔軟性のあるブロックだ。奴は一体どんな魔法を使っているんだ? こっちのほうが明らかに速いのに、どうしても抜けない。このブロックを打開できない。どうすればいいんだ!?」。

後続車のドライバーたちが焦りを感じている中、その後続車たちの中では順位が数回変わることがあった。

しかし、ビルヌーブがトップだという状況はいつまでも変わらなかった。

ちなみにスタートで出遅れたラフィーはジワジワと追い上げてきていて、トップグループの仲間入りをして、ビルヌーブに次ぐ2位のポジションにまで上がってきた。

ビルヌーブを攻め落とせそうなのは、勢いのあるラフィーしか居なかった。

ゴールまであと18周というところで、しびれを切らせたラフィーは、思いつく限りのあらゆる方法と走行ラインでビルヌーブを抜きにかかったが、もう少しのところで抜けなかった。

どう攻めても、126Cの車体のどこかが邪魔をしてブロックされてしまうのだった。

126Cというマシンでドリフト中のラインを自由自在に操るだけでも驚異的なのに、もっと信じられないことに、ビルヌーブが走るブロック走行のラインは、誰がどう見ても不当な部分や強引な部分が全く無く、極めて自然なラインで、100%純粋なレーシングテクニックだったことだ。

他のドライバーならば、ちょっと小ずるい、やや走路妨害とも思える方法でブロック走行のラインを変えることも時々あるのに、ビルヌーブに限っては走路妨害のカケラも感じさせなかった。

FISA、ドライバー、観客、テレビ視聴者の誰が見ても、ビルヌーブのブロック走行は、どこまでもフェアなものであり、かつ完璧のガードだったのだ。

ここまで正当で完璧なブロックをされているからには、後続車にとってはもうビルヌーブがミスをするのを待つしかなかった。

ビルヌーブが一瞬でもドリフト中のマシンの挙動を乱したり、一回でもシフトミスをすれば、後続車の誰か、特に一番気合の入っているラフィーに抜かれることはまず間違いない。

ラフィーはレースが残り少なくなっていくにつれ、果敢にリジェのノーズをねじ込ませて、ビルヌーブにプレッシャーを与え続けた。

だがビルヌーブは全く動じず、平然としてブロック走行を続けた。

いよいよ最終ラップがやってきた。

ラフィーは最後のアタックとばかりに、126Cのアウト側一杯のラインを取った限界ギリギリの追い抜きに挑戦したが、ビルヌーブの走りの限界のほうがもっと高かったためにラフィーの追い抜きは失敗し、そのままトップグループは団子状態でチェッカーを受けた。

トップはビルヌーブだ! 

ビルヌーブは、このスペインでも奇跡的な優勝を遂げた! 

モナコに続いて二連勝である!

トップグループであるビルヌーブ、ラフィー、ワトソン、ロイテマン、デ・アンジェリスの差は1.24秒差という、とんでもなく接近したゴールだった。

1.24秒の中にトップグループ集団が全て入っていたのだ。

レースを見ていた関係者、マスコミ、観客の全てが、ビルヌーブの人間離れしたテクニックを認めた。

観客も報道陣も、他のチームの関係者も、そこらじゅうで驚きの声を上げた。

「だって126Cだぞ!」
「あの出来損ないマシンだぞ!」
「ガラクタマシンだぞ!」
「コーナリング性能なんて一つ下のカテゴリーのマシン程度だぞ!」
「全く非の打ち所が無い、正当で完璧なブロックだ!」
「あんな極めて不安定なマシンで、よくもまぁ!」
「どうやったらあんなマシンコントロールができるんだ!?」
「人間業じゃない!」
「凄い!! 凄すぎる!!」

優勝したビルヌーブ、2位のラフィー、3位のワトソンは表彰台でシャンパンファイトを繰り広げた。

ビルヌーブのF1界での評価は、モナコの時よりも更に上がったのだった。

エンツオ・フェラーリは、「今日のビルヌーブの走りは、かつての天才ドライバー、ヌボラーリの再来と言っても過言ではない」と、極めて高く評価した。
ちなみにチームメイトのピローニは、自らのミスでノーズを壊してしまい、ノーズ交換のためにピットインをしてタイムロスをしてしまい、レース結果は15位だった。

しかしこのピットインが無かったとしても、ピローニは上位でフィニッシュはできなかっただろう。

126Cの性能を考えれば、それが普通なのである。

同じマシンに乗るピローニと比べてみてもビルヌーブの異常なまでの速さとテクニックが解るというものだ。

惜しくも5位でフィニッシュしたエリオ・デ・アンジェリスは報道陣にコメントした。

「まいったよ。僕はわずか1.24秒差の中に居て、もしジルがミスをしようものなら、場合によっては僕が優勝していてもおかしくはなかった。だけどジルは要所要所をキッチリ完璧にブロックで押さえて、明らかに僕たちよりもラップタイムが遅いのに…僕たちは抜けなかった。ジルは本当に凄い奴だ。あんな過激でパーフェクトな走りを目の前で見ることができて、僕はある意味幸せかもしれない。だって、あのコーナリング・テクニックは既に芸術の域に達しているんだから」。 ワトソンとロイテマンも同じようなコメントをして、ビルヌーブのテクニックの凄さを語っていたのだが、ラフィーは終始無言だった。

無言だったというのは不正確かもしれない。ラフィーは、ビルヌーブのテクニックと冷静さとタフさを目の前で見せられて、絶句していて、どうコメントしたらいいか解らなかったらしい。

リジェのノーズを126Cの横に強引に突っ込んで果敢にアタックしていったにも関わらず、全く効果が無かったのだから無理も無い。

やがてラフィーは、これしか言えないという表情で言葉を漏らした。

「ジルには負けたよ………。あんな………あんなひどいマシンで勝つなんて………」

見とれてしまうカメラマン(1981 フランスGP)

フランスGPでは、ビルヌーブの予選走行が、カメラマンを虜にした。

とある特徴的なコーナーがあった。

そのコーナーはクリッピングポイントまでが上り坂、そしてクリッピングポイントから後は下り坂という、上昇と下降を織り交ぜたコーナーだった。

そのコーナーでビルヌーブは、例によってコーナー手前からマシンを真横にして、220キロ以上スピードが出ている状態で、クリッピングポイントをかすめてコーナー出口まで完全にマシンを横に向けたまま走りぬけた。

つまり彼の126Cは、真横になりながら上昇と下降のコーナーを駆け抜けたのだ。

それが予選の間中、延々と続いた。

もちろん彼の126Cはフルカウンター&フルスロットルのまんまだ。

これにはカメラマンたちも見とれてしまった。

カメラマンたちは何度シャッターを切ったか覚えていないというほどだった。

なにしろ100メートル以上も真横になったままコーナーを駆け抜けていく様は、カメラマンにとっては絶好のシャッターチャンスだったからだ。
(1989年のイタリアGPでゲルハルト・ベルガーが時速200キロでスピンした時、ベルガーは「今までで一番怖いスピンだった」と言ったことがあったが、ビルヌーブはそんな恐怖感はカケラも持っていなかったのだ)

そういう風にビルヌーブはがんばったのだが、なかなかセッティングが決まらず、予選結果は11位のグリッドしか得られなかった。

しかも決勝ではマシントラブルでリタイアしてしまった。

マシントラブルがなければ、上記の予選の走り方を決勝でも実行していたのだし、追い上げが得意なビルヌーブのことだから、だいぶ上の順位でフィニッシュしたであろうと思われる。

つづく・・
2009年07月27日 イイね!

⑪Joseph Gilles Henri Villeneuve スキッピング・ドリフト

⑪Joseph Gilles Henri Villeneuve スキッピング・ドリフトすり板のごとき花火大会(1981 アルゼンチンGP)

アルゼンチンGPでも、ビルヌーブは予選7位と、全くふるわなかった。それでも決して諦めることなく、決勝レースではビルヌーブは大胆なコーナリングラインを見せていた。

少しでもコーナリングスピードを稼ごうとして、ビルヌーブはコーナーの途中から出口に至るまで、片側のリアタイヤを芝生地帯に落としこんでドリフト走行をしていた。

これはコーナリングラインのRを少しでも大きくしてコーナリングスピードを稼ぐためだった。

アクセル全開の状態で芝生はけたたましく刈り取られて空中に激しく散乱し、観客にとっては見応え充分なショーになった。

それだけではなく、芝生地帯にリアタイヤを落とし込んでいるために、126Cの地上高が一瞬下がり、アンダーボディが縁石に激しく擦れて、マシンの底からハデに「ババババッ!!」と火花が飛んだ。

(1990年代に入る頃のF1で使われていた金属製の「すり板」による火花のようなもので、燃料を満タンにした状態での決勝レースで、序盤は車重が重いためにすり板と地面が擦れてあちこちのマシンの底から火花が飛んでいた、あれと同じような状態だった)

1981年当時はすり板のようなレギュレーションは無かったので、観客たちはビルヌーブの演出する花火大会も楽しむことができた。

珍しい光景をシャッターに収めようとしてカメラマンたちはあちこちのコーナー脇を行ったりきたりすることになる。

しかし、そんなムチャなコーナリングが災いしたのか、ビルヌーブの126Cはドライブシャフトが折れてしまい、リタイアとなった。

後日のレース雑誌で「ビルヌーブ、花火屋を開店」という冗談の見出しが載せられたのだが、それほどまでに彼のコーナリングラインは大胆だったのだ。


希望の兆し(1981 サンマリノGP)

次なるサンマリノGPはフェラーリの地元イタリアだ。

予選結果はティフォシたちにとって、まるで「待ってました」と言わんばかりの結果となった。

ピローニは地道に頑張って6位のグリッドを得たのだが、ビルヌーブはなんとポールポジションを取った。

ビルヌーブ本人が「ガラクタ」と名づけた126Cをサンマリノのコースで堂々のポールにつけることができたのは、かなりの幸運が重なったためだった。

たまたま126Cとサンマリノのコースとの相性がよく、更にビルヌーブの弾き出したセッティングデータがものを言った結果だったのだ。

ところがこのビルヌーブの出したセッティングデータは、ピローニのマシンには合っていなかった。

ピローニにはピローニなりの走り方があるからで、少なくともビルヌーブのドリフト走行に基づいて出されたセッティングデータは参考にならなかったのだ。

これはこれで仕方が無い。

決勝では、ビルヌーブは得意のスタートダッシュを見せて、レース序盤はトップを独走。

ティフォシたちは熱狂した。

だが、間もなく雨が降り出してきて、各車レインタイヤに交換するべくピットインをした。

ビルヌーブはピットインのタイミングがやや悪かったために順位を下げてしまったのだが、気を取り直して本来の過激極まるドリフト走行を駆使し、不安定な路面状況ながらもファーステスト・ラップを叩き出しながら全開走行を続けてトップグループを追った。

片やピローニはといえば、地道なドライビングが功を奏して、素晴らしいことにこの時点でトップに躍り出ることも幾度かあったのだ。

ピローニもようやく126Cに慣れてきたと見え、ターボエンジンのパワーをうまく引き出していた。

しかし終盤までタイヤがもたず、ジリジリと順位を下げてしまった。

トップグループの仲間入りを目指していたビルヌーブは、やがてその希望が叶えられそうになった途端に126Cのクラッチディスクがタレてきた。

レース終盤になるにつれ、どんどんクラッチディスクが加熱して滑り出していってしまい、やはりジリジリと順位を落としてしまう。

結果として、ピローニが5位、ビルヌーブは7位でフィニッシュとなったのだが、ビルヌーブのポールポジションや序盤でのトップ独走やファーステスト・ラップ、そして一時的にピローニがレースのトップを走ったことを考えれば、運に助けられたというものの、フェラーリチームにとって少しずつ希望が見えてきたようなGPだった。



ピローニの機転(1981 ベルギーGP)

ベルギーGPは、FISAとGPDAの対立が際立ったものだった。

出走台数の多すぎによるレースでの危険性を全く省みないFISA、そのFISAの権威主義的で高圧的な態度に対し、ドライバー側の団体であるGPDAは抗議の意思表示として、決勝のフォーメーションラップでストライキ運動を起こす計画を練っていた。

GPDAの委員長に立候補したのは、政治的なことに関心が深いピローニだった。

ピローニはビルヌーブに対して「ジル、君もストライキ運動に参加しなよ。

FISAのお偉方はレースの危険性を完全にナメてやがる。

あのバカなお偉方に痛い目を見せてやろうぜ」と誘ったのだが、レースそのもの(走りやバトル自体)にしか興味の無いビルヌーブは、最初はすごく嫌がっていたといわれる。

しかしピローニの熱意に負けて「しょうがないなぁ。付き合おうか」というかんじでビルヌーブもストライキ運動に参加することになった。

ストライキ運動とは、運動に参加しているドライバーたちはフォーメーションラップを回らないというものだった。

決勝グリッドにはビルヌーブが7位、ピローニは3位につけていたのだが、それだけでなく、他のストライキ参加マシンたちも、フォーメーションラップを回らなかった。

つまりグリーンフラッグが振られても発進しなかったのだ。

その結果、ストライキ運動に参加していないマシンだけが、停まっているマシンたちをすり抜けながらフォーメーションラップを回るという、非常に奇妙な光景が見られた。

まるでグリッドについた半分のマシンが同時にスターティング・マシントラブルを起こしたかのようだった。

これにはFISA側も困ってしまったのだが、「こんな挑戦をされてレースを一時中断するわけにはいかない」と意地になり、そのままレースをスタートすることに決めた。

しかし、意地になったこのFISAの判断がマズかった。

スタートの直前、リカルド・パトレーゼのアロウズのエンジンがストール。

本当にスターティング・マシントラブルが起きてしまった。

もっとマズいことにアロウズのメカニックがパトレーゼのマシンのエンジンをかけようとしてコースに入ってしまい、それとほぼ同時にレースはスタートとなって、アロウズのメカニックは後続車に軽くはねられてコース上に倒れ込んでしまった。

この光景をミラー越しに見て一瞬で判断したのは、パトレーゼの前のグリッドにつけていたピローニだった。

ピローニは「このまま全車がスタートするとアロウズのメカニックは轢き殺される!」と判断して、わざとコース上を大々的に横切る形で、ゆっくりとジグザグ走行し、後続車の動きを強引に止め、強制的にレースを一時中止に導いたのだった。

ピローニのこの機転は素晴らしいもので、ドライバー仲間からも観客からも「人間の安全を第一に考えた素晴らしい機転」と賞賛された。
(その後アロウズのメカニックは無事に助け出され、幸いにもケガは回復した)

FISA側は怒鳴りつけてきた。
「何が機転だ! もともとスターティング・マシントラブルを誘発させたのは、ストライキをしたドライバー本人たちじゃないか! 

パトレーゼのマシンはエンジンのアイドリング状態が長かったためにオーバーヒートして、そのためにエンジンが止まったんだろう。

それに、スタート直前にコースに乱入するメカニックもメカニックだ。

轢いてくださいと言わんばかりじゃないか!全てがくだらない茶番劇だ!」。

それに対してピローニは言った。

「もともと? じゃぁきくが、もともとの出走台数の多さを省みないで、多すぎる台数でレースを開始させたあんたらはどうなんだ? あんたらお偉方が危険を省みないから、こういう結果になったんだろ。もともとはバカな判断をしたあんたらに落ち度があったんだよ。レースをしたことのないお偉方には解らないだろうけどね」。

双方ともに罵声を浴びせ合う、これではまるで泥試合である。

ビルヌーブはこの泥試合にうんざりして、早く決勝の再スタートがきられないか、ピットでいらついていた。

こういうところも、レース自体にしか興味の無いビルヌーブらしい部分である。

ビルヌーブはこんな泥試合など見たくも聞きたくもなかったのだ。

やがて決勝の再スタートがきられ、ビルヌーブは4位で、ピローニは8位でチェッカーを受けた。

ビルヌーブはガラクタ126Cで、今シーズン初のポイントを何とか獲得することができたのだ。

今の126Cの性能では、これがやっとなのだろう。

こんな状態ではまだまだフェラーリチームの先行きは暗く、まして優勝などは夢のまた夢に思えた。

しかし、次のGPでフェラーリチームは、ビルヌーブの成し得た神業のような快挙により、一気に明るい表情になるのだった。


スキッピング・ドリフトによる快挙(1981 モナコGP)

ビルヌーブは、他の数人のF1ドライバーがしていたのと同じように、モナコの街に自宅を構えて家族全員で住んでいた。

そういう意味ではモナコのコースは彼のホームサーキットとも言える。

モナコGPの話をする前に、ここでちょっとビルヌーブの普段の食事について話してみよう。

ビルヌーブは昔から、ステーキとポテトを主食にしていて、他の料理には興味を示さなかった。

モナコに住んでいながら高級なフランス料理にも全く関心が無く、どんなに高級な料理を出されてもステーキとポテトしか食べないことが大半だった。

ビルヌーブは特にステーキとポテトが大好物だったから食べていたのではなく、食事そのものに執着が全く無かったのだ。

ビルヌーブはよく、ジャーナリストからのインタビューで語ったものだった。

「僕は食事をするということには興味が無いんだ。とりあえずステーキとポテトが手軽で好きだから、いつもそれを選んでいるだけなんだ。

毎年F1サーカスで世界中を旅行しているようなものだけど、どこの国に行っても、その国の名物料理なんて興味が無いね。

妻のジョアンナに ”いつものヤツでいいよ” と言えば彼女はすぐに近くのスーパーに行ってステーキ用の肉とポテトを買ってきてくれる。

ジョアンナがどんなに名物料理を奨めても断ってきたよ」。

ジョアンナ夫人もジャーナリストに語ったことがあった。

「ジルはいつでもそうだわ。せっかく珍しい名物料理があるのに、他にもっと美味しい料理があるのに、彼は、私に近所の適当なスーパーでステーキ肉とポテトだけを買ってこさせるのよ。

私は珍しくて美味しい料理を食べたいから、世界各国を回っている時には彼をホテルに置き去りにして、子供たちを連れて名物料理を出すレストランに行くことも多いわね。

彼はそれでも全然不平を言わないわ。

なぜなら、彼にとって食事というのは、生きるために仕方なくやっている作業に過ぎないのよ。

彼は、食事を楽しむ時間があったらその分マシンに乗っていたい、という考え方なの。

別にわざとステーキとポテトだけを選んでストイックぶってカッコつけてるわけじゃなくて、本当に食事には興味が無いのよ。

でもあれじゃ栄養のバランスが悪すぎだわね」。

そんな調子でビルヌーブはモナコGPの前座であるパーティーに出席しても、相変わらず「ステーキとポテトだけを食べたら後はさっさと帰って、レースのことを考えたい」という具合だった。

しかし、各国の首相が参加するパーティーでそんなことを言うわけにもいかず、ビルヌーブは仕方なく、興味も無い高級料理を一緒に食べなければならなかった。

この食事は彼に言わせれば、味などどうでもよく、かなり退屈だったらしい。

しかし、ここモナコGPはドライバーの持久力が大切なネックとなることも確かだ。

ジョアンナ夫人はそれをよく知っていて、ビルヌーブにできるだけいろんな料理を食べてスタミナを付けるように奨めた。

ビルヌーブはただ料理を奨められるだけでは断っていたところだが、レースのためという理由が入れば、率先していろんな料理を食べた。

ジョアンナ夫人もなかなかに、彼の扱い方を心得ていた。

さて、そうこうしているうちにモナコGPの予選が始まった。

予選でビルヌーブは、ターボエンジン用のドリフト走行をこれでもかというくらいに爆発させた。

第1戦のロングビーチGPで披露したあの走行に更に磨きがかかったもので、マシンを真横にしてコーナーに入った際に、モナコのコースのバンピーな路面のせいで、ビルヌーブの126Cは真横になったまま一瞬空中に浮き、そして着地。

このアクションが繰り返された。

コーナーごとに彼の126Cは猛烈な勢いでスキップしながら空中に浮いては着地を繰り返すという、スキッピング・ドリフトとでも言うべきコーナリングを見せた。
(サーキットの狼のジャンピングターンフラッシュみたいな感じ)


というより、ビルヌーブの走り方でバンピーな路面のモナコを走ると、自然にマシンが激しくスキップするのだ。

直線など全く無いに等しいコースなのに、相変わらずアクセルを全開にしている時間が異常なまでに多く、そのフルパワーを伝えられたリアタイヤからはコンパウンドのカスが飛び散り続けた。

もちろんコース上の殆どにおいてビルヌーブのマシンは横を向きっぱなしである。

そして、昨シーズンの312T5で実行した、わざとリアタイヤをガードレールに「ドンッ!」とぶつけて、その反動でマシンの向きを変えて次のコーナーへの進入に備えるという、跳ね返りドリフトまで織り交ぜて見せた。
ガードレールキックターンね・・笑

観客たちはただただ呆然とするばかりで、ビルヌーブのこの激烈なパフォーマンスに見入った。

一般的には、「低中速コーナーが連続するモナコのコースほど、ターボエンジンのマシンにとって不利なコースはない」と言われていた。

「ターボラグによるコーナー出口での立ち上がりの悪さは、ドライバーのテクニックだけでは到底克服できず、よってターボエンジンのマシンはモナコでは遅い」とまで言われていた。

にも関わらず、ビルヌーブは先述の走り方でなんと予選2位のグリッドを獲得した。


ポールポジションはブラバムのネルソン・ピケだったが、そのすぐ隣のグリッドである。

この予選結果には誰もが驚かされた。

「ターボエンジンのマシンはモナコでは遅い」という常識に加えて、「どんなに頑なな常識にも例外はあるものだ」と誰もが認めざるを得なかったのだ。

とあるジャーナリストに至っては「ステーキとポテトを主食にしていれば不利なモナコでも速く走れるんだなぁ」と冗談で誤魔化し、ビルヌーブの神業な走りに対して、ただもう笑うしかないというほどだった。

チームメイトのピローニは、ビルヌーブの強烈な速さとクレイジーなコーナリングに圧倒されて焦ったのか、予選走行で3回もクラッシュしてしまった。

そのためにスペアカーのセッティングに手間取り、ピローニは予選17位のグリッドに沈んだ。

たとえピローニがクラッシュせずに順調に予選を走っていたとしても、ガラクタ126Cましてターボエンジンでは、せいぜいピローニは予選10番以内に入れるかどうかも怪しかっただろうし、それがモナコでの本来の妥当なグリッドというべきだろう。

それほどまでにビルヌーブの速さが異常なのである。

決勝のスタートでは、ビルヌーブはロケットスタートを決めることができず、ピケを抜いてトップに躍り出ることはできなかったが、ピケの真後ろにピッタリと張り付いて、トップを奪うべく何度もアタックを仕掛けた。

それとほぼ同じくして中団グループでは多重クラッシュが起き、数台がリタイアした。

アラン・ジョーンズとピローニはこのクラッシュに巻き込まれることなく、自動的に二人とも順位が上がった。

ビルヌーブは相変わらずトップのピケを猛追していたのだが、126Cのブレーキの利きがだんだん弱くなっていってしまった。

ブレーキのフェード現象である。

モナコはブレーキを酷使するサーキットでも有名だが、126Cのブレーキの耐久性や信頼性は低かったのだ。

これもシャシー設計でのミスの一つに入る。

ブレーキのフェード現象のためにビルヌーブは少しだけペースを落とさなくてはならず、そのために後ろに迫ってきていたジョーンズにブレーキング競争で抜かれてしまい、ビルヌーブは3位に落ちてしまった。

一度フェードを起こしたブレーキというものはなかなか制動力が回復しないどころか、レース終了までフェードが悪化していくものである。

ビルヌーブはこのままジリ貧になっていくだろう、と誰もが思った。

しかしこの時点でビルヌーブは、「スタートから今まではピケを突っついていたから、思ったようなレコードラインを取れなかったけど、これで予選と同じ走り方ができるじゃないか」と考え方を変えた。

彼得意の、予選さながらのギリギリのドリフト走行をレース終了までずっと続けるというレース運びに切り替えたのだ。

ここからのビルヌーブの走りは、予選で見せた激烈なスキッピング・ドリフトと跳ね返りドリフトを織り交ぜたものに変わっていった。

なんとなればこの走法は、ブレーキにそれほど負担をかけずにすむので、ブレーキがフェードしていてもタイムにはあまり影響は出なくなるのだ。

ビルヌーブはこれを生かした。観客からしてみれば、ビルヌーブの走りが予選走行と同様の過激なものに変わったことは、この上なくスリリングなショーだった。

一方、2位のジョーンズは(序盤でビルヌーブがやったように)トップのピケに張り付いてプレッシャーをかけ続けていた。

やがてピケは冷静さを失ってクラッシュという自滅の道をたどる。

この時点でトップはジョーンズ、2位がビルヌーブとなった。しかしジョーンズは30秒近くもビルヌーブを引き離していた。

先ほどから走り方を変えたビルヌーブは、過激でクレイジーなドリフト走行で追い上げ、少しずつジョーンズとの差を縮めていった。

フェードした126Cのブレーキを抱えながらの追い上げは、かなり危険な雰囲気が漂っていた。

やがて、ジョーンズのマシンにも不具合が出始めた。ジョーンズのウイリアムズは燃料がベーパーロックを起こし始めて、エンジンパワーが上がらない状態になっていったのだ。

これでビルヌーブのマシンもジョーンズのマシンも、共にトラブルを抱えたままトップ争いをすることになったのだが、ジョーンズのペースが僅かに落ちているので、今までのビルヌーブの追い上げが更に功を奏するものとなった。

まるで、必死になって逃げるジョーンズ、地の果てまでも追いかけるビルヌーブというかんじで、観客たちはビルヌーブの追い上げに熱狂的になった。

こういう時の観客の心理は決まっている。

ビルヌーブがトップ争いに関わると、レースは他の誰よりもスリリングなものになるということだ。

実際ビルヌーブの走りはスリリングそのものだった。

ビルヌーブの126Cはコーナーごとに真横になり、空中に浮いては着地して狂ったようにスキップし、リアタイヤがガードレールにぶつかり、その反動で全く逆の方向にマシンが向いて次のコーナーに突入、この情景が際限なく繰り返された。

こんな極めてクレイジーな走り方でトップを追うというのは、観客にとっては熱狂的以外の何物でもない。

そして、その時は訪れた。

残りわずか4周というところの第一コーナーで、とうとうビルヌーブはジョーンズを抜いた。

そのままジョーンズの追従を許さず、ビルヌーブはトップでチェッカーを受けた! 本当に久しぶりの優勝である。

ターボラグという致命的な宿命を抱えたエンジン、そのエンジンには全く不利なモナコのコース、シャシーグリップの貧弱さ、そしてブレーキのフェード。

126Cが抱えたこれら全ての逆境とデメリットを、ビルヌーブはずば抜けたテクニックと集中力で見事に克服したのだ。

序盤でジョーンズに抜かれた後、走り方を変えたことが優勝のカギとなったのだった。

他のチームどころか、フェラーリチームのスタッフでさえも、「126Cなどという絶望的なマシンで優勝とは、信じられない!! 神業だ!!」と驚愕していた。

126Cのとことん不利な性能をいちばんよく知っているエンツオ・フェラーリは、この奇跡的な優勝に感涙を禁じえなかったという。

記者会見でエンツオ・フェラーリはジャーナリストたちのインタビューに答えた。

「諸君、今シーズンの初めに私はビルヌーブから ”126Cはガラクタだ” と言われたのだ。とてもF1マシンとは思えないほどの、ひどい出来だということだ。しかし我々には殆どなす術がなかった。何しろシャシーの改善は思ったようには進まなかったからだ。だがビルヌーブは絶対に諦めることなく、ガラクタのひどいマシンで、しかも極めて不利なこのモナコで優勝を遂げた。これは、神業、奇跡、快挙、どんな言葉でも表現しきれない」。
エンツオ・フェラーリまでもが認めた126Cの出来損ないぶりは、ビルヌーブがモナコで優勝したことの凄さを証明するのに充分すぎるほどだった。

ビルヌーブも記者会見で優勝の喜びを表していたが、一言、「やっぱりステーキとポテトばっかり食べてたんじゃダメだね。ジョアンナに奨められて他の料理を食べたことも勝因の一つだよ」と冗談を言って報道席を笑いに包んだ。

こういうユーモラスな一面も、彼の人間的な印象を良くすることに一役買っていた。

こうしてビルヌーブは、今までよりも更にF1界での評価が上がったのである。

彼のテクニックと速さを否定する者は、もはや一人も居なくなった。

また、チームメイトのピローニは、スタート直後の多重クラッシュのおかげで労せずして順位を稼いだとはいうものの、地道に頑張って4位入賞を果たした。

これでフェラーリチームはコンストラクターズ・ポイントを大幅に獲得することができたのだった。

つづく・・
2009年07月27日 イイね!

⑩Joseph Gilles Henri Villeneuve クズ鉄から126Cガラクタへ・・そして直ドリ

⑩Joseph Gilles Henri Villeneuve クズ鉄から126Cガラクタへ・・そして直ドリシェクターの屈辱(1980 カナダGP)

ビルヌーブの母国カナダ。

このGPだが、なぜフェラーリチームはさっさと312T5を博物館行きにして126Cをレースに投入しなかったのか、不思議でならない。

信じられないことだが、昨年のワールドチャンピォンでもあり長いキャリアを持つシェクターが予選落ちをしてしまったのだ。

シェクターの長いレース人生における、初めての屈辱の予選落ちである。

一方のビルヌーブは、予選でどんなに頑張っても22位というグリッドしか得られなかった。

カナダの観客や報道陣は「なぜ未だにクズ鉄312T5なんかで参戦するんだ? 126Cを投入すれば遥か上のグリッドを獲得できただろうに」と首をひねった。

ビルヌーブもシェクターも同じ意見だったが、チームの方針なのだから仕方が無い。

こうして、決勝レースを走るのはビルヌーブだけとなってしまった。

22位という、ほとんどテールエンダーとも言えるグリッドにマシンをつけたビルヌーブに対して、カナダの観客は、「よくやったぞ。チームメイトが予選落ちする傍ら、そのクズ鉄をよく決勝レースにまで持ってこられたな」と、痛々しいまでの悲壮感を漂わせるビルヌーブに声援を送った。

観客の思いはただ一つだった。

ビルヌーブが22位というどん底からどこまで順位を上げられるか、である。

ビルヌーブもそれはよく解っていて、優勝に向けて走るという観念は捨てていた。

というより、捨てるしかなかったのである。

いくら地元カナダとはいえ、クズ鉄312T5で優勝まで期待するのはあまりにも酷である。

それは観客のみならず報道陣の誰もが解っていたのだ。

ワールドチャンピォンシップ争いは、アラン・ジョーンズとネルソン・ピケが競っていたのだが、決勝レースのスタートでは二人は互いに接近し過ぎて後続車に影響を及ぼし、後続車は多重衝突を起こしてコースを塞いだために、レースは一時中断となった。

再スタートではジャン・ピエール・ジャブイーユのルノーがコースアウトして壁に激突し、ジャブイーユは足にひどいケガをしてしまった。
(これが原因でジャブイーユは以後レースから引退するハメになった)

ビルヌーブはそんな混乱を首尾よく避けて、可能な限りのペースで、スタートからゴールまで一瞬も休むことなく、限界ギリギリのドリフト走行を駆使していた。

予選のタイムアタックと同じ状況が実に70周にも及んだ。

二年前のロングビーチGPで第一コーナーから早々にトップに立ったはいいが、中盤のレガゾーニとの接触でリタイアした時、ビルヌーブは陰口を叩かれたものだった。

「ビルヌーブはきゃしゃな体つきだから体力が無いんだ。だから序盤は飛ばせても中盤になるとバテて集中力もペースも落ちてしまうんだ」などという陰口だった。

しかし今は、そんなことを言う者は誰も居ない。

ビルヌーブの、レースの最初から最後まで全開ドリフト走行をしている様を見た観客は、「あんな陰口を言ったのは誰だ!? 見当違いも甚だしい!」という思いにかられていた。

事実、当時の陰口は見当違いだったのだ。

ビルヌーブは体力のなさが原因でリタイアするのではなく、あまりにも飛ばしすぎたためにマシントラブルや事故に見舞われたからだ。

そんな昔のことを思い出しながら観客はビルヌーブの順位上昇に見入った。

そしてフィニッシュした時はなんと5位入賞である。

312T5という絶望的なマシンに乗りながら、22位から5位でゴールするなどとは、誰が見ても信じられない結果だ。

「この5位という順位は優勝にも等しい! 素晴らしいぞビルヌーブ!」と観客は感激の拍手を送った。

カナダ国民のひいきが多少入っているとはいえ、ビルヌーブのとんでもない速さは誰もが認めざるを得なかった。

このレースで優勝したアラン・ジョーンズは、今シーズンのワールドチャンピォンを決めた。

しかし、観客の拍手と視線はビルヌーブの速さに釘付けとなっていた。

そんな光景を見てジョーンズは言った。

「ビルヌーブの速さは充分解るけど、僕はワールドチャンピォンなんだよ。お願いだから僕にも拍手を送ってくれ」。



気持ちは来シーズンへと(1980 東アメリカGP)

東アメリカGPでは、ビルヌーブは18位のグリッドからスタートして少しずつ順位を上げていたが、例によって無理をし過ぎてレース後半でスピンアウト&クラッシュし、リタイアとなった。

このレースでF1から引退するシェクターは地道に仕事をこなし、11位でフィニッシュした。

少なくとも前回のカナダGPでの屈辱を晴らして、前ワールドチャンピォンの面目を保った。

キャリアの最後まで確実に堅実に走りきるという姿勢を変えなかったシェクターは、ビルヌーブに言った。

「ジル、お前も俺やジョーンズみたいにワールドチャンピォンになりたかったら、マシンやタイヤをいたわって走ることを覚えろよ。それにペース配分も考えないと結果は出せないぞ。お前みたいに常にギリギリの全開走行をやっていたらマシンがもたない。それは解っているだろう?」。

ビルヌーブは答えた。

「もちろん解っているよ、ジョディ。だけどね、僕は自分の走り方を変える気はさらさら無いよ。何かこう、うまく言えないけど、ジョディのような確実で堅実な走り方をすることは僕にもできるだろうけど、僕の気持ちの中で僕自身に対してそれを許さない何かがあるんだ。全開走行をしない自分が許せない、みたいな気持ちがね。きっとそれが僕の生き方なんだろうね」。

シェクターは

「相変わらずだな」

とでも言うようにビルヌーブに握手を求め、快く別れを告げようとした。

しかし最後にビルヌーブは言った。

「来シーズンはターボマシンになるし、ピーキーなエンジン特性を生かして、更にマシンをうまく滑らせる練習をするよ。そういう走りしかしたくないんだ。イタリアGPではひどい事故を起こしたけど、僕は今までの走り方を安全な方向に変える気は全く無いね」。

シェクターはヤレヤレという風に肩をすくめて笑いながら、パドックの奥へと消えていった。

シーズン初頭から持っていた、「このクズ鉄312T5でどこまで速く走れるか、それだけに心血を注げよう」という気持ちと、「事故は僕に何の影響も与えない」という信念は、シーズンを通して全く揺るがなかったのである。


新型フェラーリ126Cの武器と弱点について・・

当時のF1界のエンジニアに、ハーベイ・ポストレスウェイト博士という人物が居た。

この人物は後にフェラーリのシャシー開発部門を担当することになるのであるが、フェラーリ126Cが設計・開発された頃はまだフェラーリチームには入っていない部外者だった。

そのポストレスウェイト博士が部外者ながらも、今シーズンからF1GPに出走することとなったフェラーリ126Cを見た感想は、「いかにも! そう! いかにもダウンフォースの少なさそうなシャシーだ。フェラーリのシャシー開発陣営はあの程度のレベルなのであろうか? ドライバーの立場を考えたら気の毒としか言いようがない。ターボエンジンの完成度は素晴らしいが、シャシーのほうはお粗末に過ぎる」だった。

また、ロータスチームを運営するコーリン・チャップマンは、やはり部外者ながらもフェラーリ126Cを見てこう言った。

「なんというか、有り余るターボエンジンのパワーに対してシャシーが完全に負けているように見えるな。例えて言うならば一般公道を走る乗用車に1000馬力のパワーボートのエンジンを載せたようなもので、結果としてコーナーでは駆動輪が空転してどこに横っ飛びするか解らないジャジャ馬マシンとでも言おうか。シャシーグリップがエンジンパワーに全く追いついていないマシンだ。フェラーリもずいぶんとアンバランスなマシンを作ったものだ。そうだな………ウイリアムズのマシンのように、当たり前すぎて参考点が全く無いつまらないマシンのほうが、トータルバランスという面ではよっぽどマシだろう」。

このように、今シーズンから投入されたフェラーリ126Cは、パワーに満ち満ちているターボエンジンであるにもかかわらず、そのパワーを100%は生かせないような貧弱なシャシーだったのだ。

もっと悪いことにこのターボエンジンは極めてピーキーな、いわゆるドッカンターボだったため、シャシーはますます負けてしまい、結果としてトータルバランスの極端に悪いマシンとなっていた。

126Cの武器は、その完成度の高いターボエンジンのパワーにある。

サーキットを一周する際に、エンジンパワーによって2秒は有利になりそうなほどの素晴らしいエンジンだった。

片や弱点は、シャシーグリップの貧弱さからコーナリングスピードがなかなか上がらず、サーキットを一周する際に、シャシーの貧弱さゆえに4秒は不利になり、結果として一周につき2秒も不利になってしまうというデータが出された。

このデータを出したのはビルヌーブだった。

彼はシーズンオフの間フェラーリのテストコースで走り込み、126Cのアンバランスさを痛感したのだった。

であるから、ポストレスウェイト博士やチャップマンの言葉を聞いても「まったくもって妥当なコメントだね」と苦笑せざるを得なかった。

今シーズンから新しいチームメイトとなったディディエ・ピローニも、アンバランスな126Cには失望させられたという。

ピローニは昨シーズンはリジェに在籍していたのだが、「名門と言われるチームに入りたい」という気持ちが強くあり、昨シーズンの半ばからフェラーリチームと交渉をし、契約にこぎ付けたのだった。

もちろんピローニも超一流の速さを持ったドライバーだ。

そうでなければエンツオ・フェラーリが契約に応じるハズはない。

ピローニはフェラーリチームに入ったばかりの頃、正直言ってかなりオドオドしていたらしい。

なぜなら、チームの中では完全にビルヌーブがムードメーカーでチームの輪を作っていたからだ。

だからピローニは「この輪に溶け込んでいけるのだろうか?」と不安になったという。

しかし、誰にでも同じように接するビルヌーブは「ディディエ(ピローニのこと)、126Cはサーキットで2秒も不利な出来損ないのジャジャ馬マシンだけど、どうやったら速く走らせることができるか、一緒に考えてがんばっていこう」という風に、ピローニがチームの輪に溶け込めるように、いつもながらの分け隔てしないオープンな態度で接した。

これにはピローニも大いに喜んでリラックスできたようだった。

ちなみに今シーズンでのカーナンバーは、コンストラクターズ・ポイントの関係で、昨シーズンにアラン・ジョーンズの付けていたカーナンバー27番がビルヌーブに回ってきた。

そして28番をピローニが付けることになった。

そう、ビルヌーブのカーナンバーは27番なのである。

ビルヌーブはこのシーズンになって初めて、フェラーリでのナンバー1ドライバーとして正式に扱われることになったのだ。


ターボエンジン用のドリフト走行(1981 ロングビーチGP)

今シーズン最初のGPはロングビーチだ。

ビルヌーブの得意とする公道サーキットである。

ビルヌーブは相変わらず「公道サーキットは性に合っていて大好きだ」と公言してはばからない。

今シーズンからはグッドイヤーが一時的にF1から撤退したために、タイヤメーカーは全チームともミシュラン一色になり、タイヤに関する条件は全チームとも同じになった。

今までミシュランの理不尽なまでの不利さに悩まされていたフェラーリチームは、これで悩みのタネが一つ減ったというところだ。

それでもフェラーリ126Cには深刻な問題が二つほど残っている。

シャシーグリップの無さと、ピーキーなターボエンジンが持つターボラグである。

この二つの問題を可能な限り解決させようとして、ビルヌーブはシーズンオフの最中に新しいテクニックを身に付けていた。

そのテクニックとは、まず、コーナーの遥か手前からマシンを真横に向けて直ドリ状態に入り…と、ここまでは今までのビルヌーブのやり方だが、その次にはブレーキングを殆どせずに、つまりヒール・アンド・トゥでのブレーキング踏力をほんの僅かにして、更に次の瞬間にはなんとアクセルを全開にしてコーナーに入っていくというものだ。観客の立場から見た場合、コーナー手前でビルヌーブの126Cがロクに減速されないまま、アクセル全開のまま直ドリ状態になり、どう見てもそのままコースアウトするとしか見えないようなスピードでコーナーに入っていく。つまりコーナーへの進入スピードが異常なまでに高いのだ。

その状態で今度は左足ブレーキのテクニックを使い、ドリフトコーナリング中に「ポン! ポン! ポン!」と断続的に左足でブレーキペダルを踏んで減速しながら、同時にドリフト中のマシンの向きも微調整する。

結果的にコーナーのクリッピング・ポイント辺りになる頃にはマシンは首尾よく減速されていて、なおかつアクセルは全開のままなのだからエンジンの回転数も落ちておらず、ターボラグも発生せず、コーナーからの立ち上がりでモタつくことは無くなる。

コーナー手前でしっかり減速するのではなく、直ドリでのタイヤの摩擦とドリフトコーナリングによる摩擦そしてコーナリング中での左足ブレーキの補助的な僅かな減速、これらが全て重なり合ってやっとマトモな減速になるというものだ。

コーナーへの進入スピードも高い、コーナリングは今まで以上のハイスピードなドリフト走行、そしてターボラグが発生しないのだから立ち上がり加速にもロスがない、こういうテクニックをビルヌーブは身に付けていた。


ラリーのテクニックを応用したものだったのだ。

ビルヌーブの126Cのエンジン音を傍から聞いていれば、コーナーが連続しているにも関わらず、アクセルを全開にしている状態が異常なまでに多いということだ。

126Cを速く走らせるためにビルヌーブが編み出した「ターボエンジン用のドリフト走行」と言ってもいいだろう。

ロングビーチのコーナーというコーナー、というよりもコース全体において、ビルヌーブはその走行を実行しており、マシンが真横を向いている状態のほうが遥かに多かったのだ。

今回のGPのフリー走行でビルヌーブのこの走り「ターボエンジン用のドリフト走行」を初めて見た観客たちは、126Cのブレーキが壊れただのアクセルが戻らなくなっただのと悲鳴を上げることもしばしばで、観客たちはコンクリートウォールの奥の安全地帯に居るにも関わらず、ビルヌーブの126Cがコーナーに迫ってくると「こっちに突っ込んでくる!」と怯えて逃げ出す始末だった。

それほどまでにビルヌーブの「ターボエンジン用のドリフト走行」は過激でクレイジーそのものだった。

今年でF1キャリア5年目になるビルヌーブだが、デビュー当初の過激さやクレイジーぶりは少しも衰えていない。

むしろ更に増してきていた。

もちろんこんなワザができるのはビルヌーブだけである。

チームメイトのピローニは愕然として「僕にはあんなクレイジーな走り方は到底できない。ジルには恐怖心が無いんだろうか?」とコメントした。

それでもピローニには地味ながらも潜在的な速さがあり、かなりの実力を持っている。

予選ではビルヌーブが5位、そしてピローニは奮闘して6位に付けた。

ビルヌーブのクレイジーなドリフト走行の速さも、ピローニのオーソドックスなグリップ走行の速さも、タイプこそ違えど共にチーム内での良きライバルと言っていいだろう。

ビルヌーブとピローニの速さをもってしても、予選グリッドが5位と6位しか得られなかった原因は、ひとえに126Cのアンバランスさに尽きる。

少ないシャシーグリップの126Cを考えたら、彼らのグリッドはできすぎと言ってもいいだろう。

126Cは少なくとも昨シーズンの「クズ鉄312T5」に比べれば、だいぶ期待できそうなマシンだ。

決勝では、ビルヌーブはスタート早々から得意のロケットスタートを見せて第一コーナーでトップに躍り出たが、レースの前半でドライブシャフトが折れてしまいリタイア。

ピローニもほどなくして燃料系のトラブルでリタイアとなった。

126Cには、ニューマシンに付き物である耐久性の問題も残されていたのだった。


126Cの愛称「ガラクタ」(1981 ブラジルGP)

ブラジルGPが始まる少し前の話である。

フェラーリのテストコースで、ビルヌーブは126Cのシャシーグリップの貧弱さを少しでも改善すべく、テスト走行を延々とやっていた。

前回のロングビーチGPで、実戦でのシャシーグリップの無さがどれほど深刻な事態なのか、ビルヌーブにはよく解ったからなのであった。

何せ、あれだけ過激なターボエンジン用のドリフト走行を駆使してもタイムは思ったほどには上がらなかったのだから。

ビルヌーブは、テストコースで周回を重ねてはピットインし、メカニックや設計者にシャシー性能改善のアドバイスを伝えることを続けていた。

それが何日も何日も続いた。

しかし、決定的な改善策は見出せなかった。

せいぜい、ほんのちょっとだけシャシーグリップが良くなったという程度で、少なくともレースで上位を狙える可能性は殆どゼロに等しかった。

そんなテスト走行の最中に、ビルヌーブはピットインして、マシンからは降りずに、ヘルメットだけを脱いで、メカニックや設計者に向かってこう言った。「このマシンはガラクタだよ」。

しかしビルヌーブは、それ以上の文句は言わず、マシンから降りて憤まんやるかたなくホイールを蹴飛ばしたりは決してしなかった。

彼はボスのエンツオ・フェラーリにも面と向かって言った。

「このマシンはガラクタだ。でも僕は一日中テスト走行をするよ。無理な運転をしてスピンもするだろうし、キャッチフェンスに突っ込むこともあるだろう。それでも少しでも改善策が見出せれば嬉しいし、それにこれは僕の仕事で、僕は仕事が好きだからね。だけどこのガラクタマシンではレースには勝てないってことを言いたかったんだ。ボス、これだけは解ってほしい」。

エンツオ・フェラーリはビルヌーブのこの言葉を潔く、そして深刻に受け止めた。

ビルヌーブが嫌味を込めて発した言葉ではなく「少しでも速く走りたい」という意思が、エンツオ・フェラーリにもひしひしと伝わってきたからだ。

しかしやはりこれ以上の改善策は見つからず、結局、僅かな改良を加えただけの状態でフェラーリチームはブラジルGPに挑まなければならなかった。

ビルヌーブは昨シーズンの312T5の愛称を「クズ鉄」と名づけたが、126Cの愛称は「ガラクタ」と名づけたのである。
(別名赤いキャデラック)

マシンの問題点こそ違えど、どっちのマシンも似たり寄ったりの愛称&妥当な評価である。

こんな希望の無い状態で、ブラジルGPの予選は始まった。

ビルヌーブはなんとか予選7位につけ、決勝では得意のスタートダッシュを決めて、前を行くアラン・プロストのテールギリギリにくっ付いていた。

しかし、ビルヌーブよりもプロストのほうがブレーキングのタイミングが早かったために、ビルヌーブはプロストに追突してスピンしてしまった。

その結果、後続車は大混乱となり、後続車の内の数台がクラッシュした。

ビルヌーブのスピンのあおりを食らってクラッシュした後続車のドライバーたちは、「ジルの奴め! 少しはプロストとの車間距離を開けておけ! 相変わらず危ない走りをする奴だ!」と怒っていたが、反面、彼らは「でもまぁ、あれがジルのドライビング・スタイルなんだから仕方が無いか…はぁ~…」と諦めていた。

一方、後続車の多重クラッシュの原因を作った張本人のビルヌーブは、フロントウイングが曲がってしまい、極度なアンダーステアのまま苦しみながら走行を続けていたが、奮闘むなしく、ターボトラブルのために白煙をモウモウと上げながらリタイアするハメになった。

プロストのマシンだが、ビルヌーブに追突された時のダメージを負っていなかったのはプロストにとっては救いだった。

しかし、ビルヌーブと同じ126Cに乗るピローニが、プロストに周回遅れにされそうになった時、ピローニは焦りからによる自らのスピンをしてしまった。

周回遅れにされそうだったピローニは、本来ならばプロストに素直に道を譲って然るべきなのに、どこをどう焦ったのか、プロストに抜かれまいとして無理をしてしまい、その結果スピンして、あろうことかプロストまでをも巻き込んでクラッシュしてしまった。

当然両者ともリタイアである。

ピローニはあまりにもプライドが強すぎると思われる。

周回遅れにされそうな時には、素直にラインを変えるか減速するかして抜かせるのが、F1だけでなくレースの世界の常識である。

ビルヌーブはピローニの行いについては何も言わなかった。

というより、先のテスト走行でガラクタ126Cに失望し、ガラクタはガラクタなりにどこまで速く走れるかだけを考えていたために、ピローニの些細な行動まで考える余裕が無かったのかもしれない。

こうして126Cは、デビュー2戦目にして、早々にビルヌーブから「ガラクタ」という愛称を付けられてしまったのだった。

これも仕方の無いことである。

つづく・・
2009年07月27日 イイね!

⑨Joseph Gilles Henri Villeneuve 頑丈さ「だけ」が売り

⑨Joseph Gilles Henri Villeneuve 頑丈さ「だけ」が売り126Cの開発開始(1980 フランスGP)

本当はこの間にスペインGPが行われたのだが、FISAとFOCAとの対立でゴタゴタがあったため、スペインGPはノンタイトル扱いになってしまった。

優勝したアラン・ジョーンズには気の毒なレースだったが、このフランスGPでがんばってもらうしかない。

この時期あたりから、早々と312T5の戦闘力に見切りをつけたフェラーリチームの開発スタッフは、ニューマシン126Cの開発に取り掛かっていた。

126Cはフェラーリ初のターボエンジン搭載でパワーの面ではかなり期待ができそうだったが、完成&デビューまでにはまだまだ時間がかかる見込みだったので、今回のレースも312T5のままである。

ビルヌーブ

「来シーズン、いやもしかしたら今シーズンにニューマシンの126Cのデビューが間に合うかもしれないし、先は明るいはずだよ。僕はフェラーリチームが気に入っているから今後もずっとここに在籍したい。312T5を開発した時のような、あんな設計ミスをやらかさないためにも、126Cのテスト走行は慎重にやっているよ。さて、それはともかく、いつまでクズ鉄312T5に乗らなきゃならないんだろうねぇ。早くポンコツ屋に売り飛ばしたいんだけど」

と笑いながら冗談を言った。

そんなわけで、すっかり312T5の愛称が「クズ鉄」に定着してしまった。

今回のレースでは、ビルヌーブは17番手のグリッドから得意のロケットスタートを決めた。

第一コーナーの手前で既になんと10台近くも抜き去っていた。

とにかく全くいいところのない312T5においてはスタートダッシュだけが頼りだったのだ。結果は6位入賞で、できすぎと言ってもいい。


結果だけが全てではない(1980 イギリスGP)

イギリスGPの前に、徹底的な312T5の改良テストが繰り返されていたのだが、失敗に次ぐ失敗で、結局シェクターとビルヌーブは、今までの仕様のままの312T5でレースに臨まなければならなかった。

このレースでビルヌーブはエンジンの回しすぎによるエンジンブローのためリタイア。

片やシェクターは地道に10位で完走した。

今まで言われてきたことではあるものの、ここまでビルヌーブの不振=レース結果が出ないことが続くと、さすがのエンツオ・フェラーリもビルヌーブの走り方に対して色々言うようになっていった。

チーム全体の人間関係が少しギクシャクし始めていたのだ。

そのためビルヌーブとエンツオ・フェラーリが直に連絡をし合うということも少なくなった。

これがよくなかったのだ。

ビルヌーブはスクラップ寸前のガタガタのマシンで限界ギリギリの走りをしていたということ、そしてマシンを叩きのめすように走らせないといけないこと、当然エンジンブローなどのマシントラブルも常に背中にしょっていること、その感覚がエンツオ・フェラーリに伝わっていなかったのだ。

これにはビルヌーブもだいぶ焦ったようで、無理を言ってエンツオ・フェラーリと直に、頻繁に連絡を取り合うようにして、ようやく解ってもらうことができた。

つまり、ドライバーが悪いのではなくマシンが悪いという単純な事実をだ。

この単純な事実は案外、見かけからでは解らないもので、ただ「ビルヌーブのウデが落ちた」「走りが荒くなっただけ」という風にしか見てもらえない。

だが事実は全く逆で、昨シーズンよりももっと頑張って走っているのに、マシンのほうが貧弱すぎてネをあげて故障するのである。

ビルヌーブはエンツオ・フェラーリにまでドライビング・テクニックを疑われて、よっぽど「結果だけが全てじゃない。大事なのは過程だ」と言いたかったことだろう。

なんとかエンツオ・フェラーリにも事情が解ってもらえたおかげで、チーム全体に「また一緒に頑張ろう」という団結心が戻ってきたのである。

と同時に、ビルヌーブは1981年もフェラーリチームに在籍するという意を表明して、記者会見でも正式に発表された。

チームの雰囲気が元に戻ったおかげで、本来のアットホームな「ビルヌーブ&フェラーリ」の楽しさも戻ったのだ。

一件落着である。


パトリック・デパイエの事故死(1980 ドイツGP)

ビルヌーブの安心感を叩き壊すように、ドイツGPの予選前のフリー走行でパトリック・デパイエが事故死するというショッキングな出来事があった。

デパイエは昨年のハンググライダーでの大怪我から見事にF1へと復帰したドライバーだった。

それだけに彼の死には皆ショックを受けた。

それとほぼ同時期に、チームメイトのシェクターが「今シーズン限りでF1から引退する」という声明をした。

シェクター

「僕のF1キャリアもだいぶ長くなって年をとってしまったし、昨年ワールドチャンピォンを獲得したし、もういいんじゃないかなと思うんだ」

と言ったのだが、312T5の不調ぶりが彼の引退に拍車をかけたことも充分考えられる。

そんな出来事が続いても、ビルヌーブのレースにかける闘争心は揺るがなかった。

もう既にパターン化された・・というよりパターン化するしかないレース戦略すなわちスタートでの一発勝負にビルヌーブは賭けていた。

ビルヌーブは16番手のグリッドから猛烈なスタートを見せて、5位にまで順位を上げてチェッカーを受けた。

デパイエの事故死があったために、3位までのドライバーたちが力なくウイニングポーズをしていた。

それを横目で見ていたビルヌーブは、一言報道陣に漏らした言葉がある。

「今のような走り方をしていたら、いつか僕は取り返しの付かない大事故をやらかすかもしれないし、最悪の場合はデパイエのようになるかもしれない。だけどそんなことを考えていたらF1ドライバーが務まると思うかい? 僕は今までと同じ走り方を続けるよ」。

シーズンの初頭で豪語した「事故は僕に何の影響も与えない」というビルヌーブの信念は、どんな出来事が起きようとも変わらなかった。


余儀ないタイヤ交換(1980 オーストリアGP)

オーストリアGPでもミシュランタイヤの貧弱さは変わらず、ビルヌーブにとってはミシュランタイヤは、もはやスタートダッシュのためだけに使われていたと言ってもおかしくはない。

毎レース毎レースで必要の無いタイヤ交換を余儀なくされていたためだ。

そのために、せっかくスタートダッシュで稼いだ順位も、レースが終わる頃には水の泡となってしまっていた。

そんな経験をイヤというほど味わわされた今シーズンのビルヌーブは、決勝レースで予選用タイヤに近いコンパウンドのタイヤを履いた。

どうせタイヤがタレてピットインを余儀なくされるのならば、開き直って、周回のもたない柔らかいコンパウンドのタイヤを履いてピットインしても大して変わらないと思ったようだ。

そのためにレースの序盤の数周でビルヌーブは6台ものマシンを抜いた。

スタートダッシュ以外で抜くという芸当は、本来の312T5の性能では無理な注文だった。

それならばタイヤの貧弱さを逆手にとった戦法でいこうとビルヌーブは思ったのだ。

その結果、7位でフィニッシュ。

さて、どちらの戦法が312T5に向いているのであろうか。

元々がクズ鉄なだけに、あらゆる戦法を使ってもあまり効果は望めそうもなかった。


ミシュランの首の皮(1980 オランダGP)

ミシュランが新しいコンパウンドを開発して、ハイグリップの予選用タイヤをオランダGPまでに間に合わせてきた。

新しいミシュランタイヤのおかげでビルヌーブは予選で7番手のグリッドを得ることができた。

決勝レース用のタイヤの性能もまぁまぁで、ビルヌーブはレース中3番手にまで上がった。

ミシュランよ、やっとF1用のマトモなタイヤを開発したか、という感じだった。

それでも312T5のシャシー性能の低さをカバーしようとして限界ギリギリのドリフトコーナリングを続けていたビルヌーブ。

さすがに新しいミシュランタイヤも悲鳴をあげて、やはりタイヤ交換のピットストップをしなければならなかった。

それも二度もである・・。

この結果ビルヌーブは予選と同じ7位でゴールした。

ミシュランタイヤの復活ぶりは素晴らしかった。

今まで散々な目に遭わされてきたフェラーリチーム。

もはやこれ以上我慢ならじ、と判断して来シーズンからはグッドイヤーと契約するつもりでいたらしい。

しかし今回の新しいタイヤによって、ミシュランとしてはフェラーリチームの怒りを抑えることが出来、辛うじて首の皮が繋がった感じである。

今シーズン最大のクラッシュ(1980 イタリアGP)

フェラーリの地元イタリアGPのイモラサーキットでは、タイミングよくというべきか、遂にターボエンジン搭載のフェラーリ126Cが登場した。

ルノーの後を追ってフェラーリも本格的にターボ時代への参入を果たしたのだ。

126Cは予選前のフリー走行で、ビルヌーブによって初走行となった。

今シーズンの裏方でテストにテストを重ねてきた126C、思ったとおり今までの312T5よりはラップタイムは上だった。

というより、312T5がクズ鉄扱いだったのだから、126Cは普通の性能とも言うべきだろうか。

しかし、出来立てホヤホヤの126Cでさえも、手放しでニューマシンと喜べるほどの性能ではなかった。

当然エンジンパワーは格段に上がっていたのだが、312T5の頃のシャシー開発スタッフと同じスタッフだったために、シャシーグリップが今ひとつだったのだ。

名門フェラーリの期待に添うだけのシャシー設計・開発技術スタッフが居なかったのである。

それに、126Cはニューマシンなだけにどうしてもセッティングに手間がかかるし、予想し得ないマシントラブルの危険性も含んでいる。

こういった理由から、ビルヌーブとシェクターは312T5で予選と決勝レースに挑むことにした。

結果論ではあるが、もし126Cのほうに乗って出走していたら、ビルヌーブもシェクターもあんな事態にはならなかったかもしれない・・

予選が始まってから間もなく、シェクターのマシンはトサの超高速コーナーでいきなり後ろ向きになり、そのままの勢いでコンクリートウォールに叩きつけられた。

タイヤが充分に温まっていない状態でトサ・コーナーに進入したために起きたクラッシュだった。

シャシーグリップの足りない312T5の泣き所がモロに出てしまったのだ。

シェクターはしばらく首の痛みを訴えていた。

それでもシェクターは首を医療用具で固定して決勝レースに挑んだ。

そして決勝レース5周目、今度はビルヌーブに災難が降りかかった。

しかも同じトサ・コーナーだ。

ビルヌーブの312T5はトサ・コーナーを時速300km近いスピードで駆け抜けようとした。

その時、突然右リアのタイヤがバーストし、ノーズの浮いた312T5はダウンフォースを失い、宙に舞い上がってそのままの勢いで左側からコンクリートウォールにクラッシュ。

言わば揚力の無くなった飛行機が地面に叩きつけられるのと同じで、ビルヌーブの312T5の左側のボディワークは完全に千切れ飛んで無くなってしまった。

モノコックまでもが激しく歪み、スクラップとなった312T5はコースを完全に塞いでしまい、後続車は障害物回避に必死だった。

ビルヌーブはしばらくマシンから降りることができなかった。

このクラッシュで外れた左フロントタイヤが、ビルヌーブのヘルメットを強打したために、ビルヌーブはほんの数十秒間だが視力を失ってしまったのだ。

しばし放心状態だったビルヌーブは、そのうちに我に返り、「どうやら助かったようだけど、目が見えない! このままヘタにマシンを降りたらかえって危ない! 

仕方が無いから両手をできるだけハデに振り上げて後続車にアピールしよう」と、できるだけのことはした。

しかし、体中に激痛が走り、ようやく視力が回復してマシンを降りようとした時も足を引きずるような格好でコース脇まで走っていった。
(この打撲の痛みが完治するまで三日かかったという)

今シーズン最大のクラッシュだったにもかかわらず、ビルヌーブがなんとか動けたのは、312T5のモノコックの頑丈さにあった。

頑丈さ「だけ」が売りの312T5は、思わぬところで二人のドライバーを守ってくれたのだ。

シェクターは地道に走り、8位でレースを終えることができた。

しかしシェクターもビルヌーブも同じコーナーで同じような事故を起こすとなると、イモラサーキットは312T5で走るにはかなり無理があったと言えるだろう。

終わったことを言っても仕方が無いが、二人ともニューマシンの126Cで出走していたら、ここまでひどい事故になることは免れたのではないだろうか?!

フェラーリチームの考え方として、ニューマシン126Cをこのレースで登場させたのはファンへのサービスであって、実際には126Cは来シーズンから投入する、というものがあった。

つまり後の2レースは312T5でいく、というものだ。

しかしこの考え方は、次のカナダGPの予選結果を見てみれば、相当後悔せざるを得ないものとなる。

つづく・・
2009年07月27日 イイね!

⑧Joseph Gilles Henri Villeneuve クズ鉄312T5と本物のドリフト走行を極めた男

⑧Joseph Gilles Henri Villeneuve クズ鉄312T5と本物のドリフト走行を極めた男試練の始まり(1980 アルゼンチンGP)

アルゼンチンGPが開催される前から、ビルヌーブとシェクターは、今シーズンのニューマシン312T5に対して失望していた。

ビルヌーブとシェクターがフェラーリの自前のテストコースでテスト走行をやってみた結果、ダウンフォースは得られない、ハンドリングはめちゃくちゃ反応が悪い、エンジンパワーだけはなんとか旧マシンの312T4のままというひどい性能だったからだ。

旧マシンの312T4よりも遥かに性能が劣っていたのだ。

これではもはや312T5はニューマシンとは言えない。

この原因は、フェラーリのマシン開発スタッフが、性能のよかった旧マシン312T4に、数字上の計算だけで出したデータを元に手を加えたからに他ならない。

間抜けなことにその肝心の計算が合っておらず、結果的にかなりの改悪状態になってしまったのだ。

手を加えている途中で慎重にテスト走行を重ねて開発を続けていれば、これほどまでにひどい改悪にはならなかったはずなのに、である。

結局、開発スタッフの自信過剰と怠慢さが招いた最悪の結果が、312T5だったのだ。

こんな状態のため、アルゼンチンGPの予選結果は望めそうも無い。

シェクターは辛うじて15~20番手あたりのグリッドを得られそうな有様だった。

しかしビルヌーブは死にもの狂いで走り、8番手のグリッドを得た。

この時点でビルヌーブの走りが尋常でないことがイヤというほど解る。

スタート直後の第一コーナーで早くも312T5の不安定さが出て、ビルヌーブはダートに飛び出して順位を落としてしまう。

しかし彼得意の限界ギリギリのドリフト走行を駆使してじわじわと順位を上げ、終盤ではなんと2位にまで浮上した。

だが、やがてビルヌーブの激しい走りに悲鳴をあげたのか、312T5のサスペンションが突然壊れてしまった。

恐ろしいことに最高速の出るストレートエンドでサスペンションが壊れてしまったのだ。

第一コーナーでビルヌーブの312T5は、完全にグリップとコントロールを失った超高速状態のまま横に吹っ飛び、バリアーに激しく叩きつけられた。

大クラッシュだったが、ビルヌーブは無傷だった。

ピットに戻ってきたビルヌーブは言った。

「312T5はマシンと呼べるほどの性能を持っていない、ただのクズ鉄さ。だけどクズ鉄なだけに頑丈でドライバーを守ってくれるんだね。おかげで僕は無傷なんだから。これで安心して事故を起こせるよ」と。

もちろん開発スタッフに対する皮肉を込めた冗談である。

ビルヌーブもシェクターも、今後少しでも早く312T5の改良を進めてほしいとスタッフに願い出たが、基本的なシャシーからして設計ミスなのだからということで、今後の改良はあまり期待できそうもなかった。

ビルヌーブは「今シーズンは極めて厳しい試練のシーズンになる。優勝なんてまず望めないだろう。それならばレース結果を完全に犠牲にしてもいいから、このクズ鉄312T5でどこまで速く走れるか、それだけに心血を注げよう」と思い、今まで以上の限界走行に挑戦する覚悟を決めたのだった。

本物のドリフト走行を極めた者(1980 ブラジルGP)

ブラジルGPが行われたインテルラゴス・サーキットは、タイトなコーナーが連続するサーキットで、ダウンフォースの少ないマシンにはそれほど不利にはならない特性を持っている。

言い換えれば312T5のようなマシンでも少しは有利になるのだ。

ビルヌーブはこのコース特性を最大限に生かした走りをして、予選では3位につけた。

もちろんコース特性を生かしただけでなく、彼の本物のドリフト走行が物を言った結果だった。

今でも時折いろんなレースで話題に上がることだが、「グリップ走行よりも、本物のドリフト走行のほうが速い。ただしその本物のドリフト走行を極めることができるのはごく一握りのドライバーだけだ」ということである。

当時のF1ドライバーに限って言えば、本物のドリフト走行を極めていたのは他界したロニー・ピーターソン、そしてビルヌーブくらいだった。


更にビルヌーブにはもっと強い、ロケットスタートという武器がある。これをスタートで生かさないテはない。

決勝でビルヌーブは、ジャン・ピエール・ジャブイーユとディディエ・ピローニの後ろから猛烈なロケットスタートを決めて、ジャブイーユとピローニのマシンの真ん中、しかもホイールとホイールが接触せんばかりのギリギリの隙間を見事にすり抜けてトップに立った。

スタートでのドラッグレースが得意なビルヌーブの、おなじみの光景である。

しかし、観客の間からは「今のビルヌーブのスタートはあまりにも速すぎないか? フライングスタートじゃないのか?」との声もあり、競技委員の間でも同じことがささやかれた。

にも関らずスタート時のビデオカメラに写ったビルヌーブのスタートの映像は、グリーンライトが点いた瞬間にスタートラインを超えていることが解り、本当にフライングギリギリというスタートだったのだ。

つまりビルヌーブは、シグナルが変わる瞬間を誰よりも正確に見極めるワザを身に付けるべく、なんと普段の私生活での公道走行で練習をしていたのだった。

彼の自家用車308GTSで公道を走行していて、交差点の赤信号で一旦止まり、信号が青になる瞬間を一瞬のうちに読み取ってスタートしていたのだった。

それをレースに応用したわけだ。

というか、レースのスタートのテクニックを更に磨くために公道で練習をしていたのだ。

そんな努力を重ねた結果の、今回のスタートダッシュだったが、312T5のシャシーとミシュランタイヤの性能の悪さから余儀なくピットインをせねばならず、せっかくスタートでトップに立った努力もムダになってしまう。

それどころか、ピットアウト後の追い上げで果敢に先行車にアタックしていた最中、ビルヌーブのアクセル操作とは関係なく、突然リアタイヤが「ギャギャギャギャーーー!!」とホイールスピンをして、ビルヌーブのマシンは自動的にスピンをする状態になった。

原因はコーナリング途中でスロットル・リンケージが開きっぱなしになってしまったためだった。

これはメカニックの整備ミスもあるだろうが、ビルヌーブの過激な走りにスロットル・リンケージが負けて壊れたという見方もある。


タイヤ交換の義務化は有利だが…(1980 南アフリカGP)

今回の南アフリカGPからは、レース中でのタイヤ交換が義務化された。他の(ミシュランタイヤを履いていない)ドライバーたちにとっては不利なルール変更だったが、ビルヌーブにとっては少しは有利になるルール変更だった。

なにしろ、ただでさえレース中にミシュランタイヤがどんどんタレてきてイヤでもタイヤ交換をしなければならなかったのだから。

だからタイヤ交換が正式に義務付けられれば、他のドライバーたちとあまり落差はなくなるだろう、とビルヌーブは思ったからだ。

しかし悲しいかな、シャシー性能の劣る312T5で限界ギリギリの走行を続けた結果、ギアボックスが壊れてしまい、ビルヌーブはピットインしてそのままリタイアしてしまう。

この原因は、タイヤ交換の面でややマージンができたとはいえ、それ以上に312T5の性能がひどかったからに他ならない。

その大きなハンデを走りでカバーしようとしたビルヌーブのマシンのギアボックスが悲鳴をあげてしまったのである。

ビルヌーブが言っていたとおり、正に312T5は使いものにならないクズ鉄と言っても過言ではない。


信念と決心は少しも変わらない(1980 ロングビーチGP)

ロングビーチGPでは、ビルヌーブは10位のグリッドにつけてスタートから猛烈に飛ばし、ありとあらゆるコーナーでドリフト走行を披露したが、またしてもビルヌーブの過激な走りに今度はドライブシャフトが折れてしまい、リタイアとなった。

かつてエンツオ・フェラーリが「ビルヌーブは頑丈なマシン作りに欠かせない、良い意味での破壊の王子である」と言ったことがあったし、開発スタッフやメカニックはその言葉に応えてマシンのシャシーを強化し続けていたが、さすがにドライブシャフトの強化までには手が回らなかったようで、それにより折れてしまったのだった。

一方、クレイ・レガゾーニが、ブレーキの故障からノーブレーキのままで、時速300キロ近い速度のままコンクリートウォールに激突するという大事故があった。

レガゾーニは病院に運ばれて、結局両足を切断するはめになり、レースからは引退せざるをえなくなったのだ。幸いにも下半身不随だけで済み、それ以後はコメンテーターとしてF1レースの関係者となっている。
(昔、ホンダのCMで車椅子の人用のNSXでサーキットを攻めていたお爺ちゃん)

そんなレガゾーニの顛末を見ても、ビルヌーブは全く事故を恐れることはなかった。

これは彼がシーズン前のインタビューで答えたとおりである。

彼の「事故は僕に何の影響も与えない」という信念は変わっていなかった。

それは自分だけでなく、レガゾーニのような他人の大事故を見た時も決して変わることはなかった。

ビルヌーブは事故を全く恐れないどころか、開幕戦のアルゼンチンGPで思った「このクズ鉄312T5でどこまで速く走れるか、それだけに心血を注げよう」という決心さえも少しも揺らぐことはなかったのである。


やっとの思いで1ポイント(1980 ベルギーGP)

ベルギーGPの予選ではビルヌーブは12位のグリッドにつけて、例によって果敢な走りを見せ、決勝では6位に入った。

ポイントは1ポイントだが、クズ鉄312T5のことを考えれば相当上の順位である。

なにしろチームメイトのシェクターは常にテールエンダーに近いような位置をいつもうろちょろしていたからだ。

もちろんビルヌーブのウデがケタ外れだったことに尽きる。

こうなっては、本来ならばビルヌーブにナンバー1ドライバーの称号が与えられるべきなのだが、彼は相変わらずそんな称号には全く興味が無く、「ただ速く走れればいい」という考えでいた。

一方、優勝を飾ったのはリジェのディディエ・ピローニだったが、ピローニは地位欲と名誉欲に駆られてF1の世界に入ったようなものだった。

もちろんピローニも速さではトップクラスのドライバーだったし、そういうドライバーは他にも居るのだが、今シーズンのピローニは速いマシンに恵まれていたことも、かなり優勝の助けとなったのだった。


跳ね返りドリフトコーナリング(1980 モナコGP)

モナコGPでもピローニの快調ぶりは見られて、ピローニはリジェをポールポジションにつけた。

一方のビルヌーブは、このモナコこそが彼にとって最高のパフォーマンスを見せる場所であり、昨年までのモナコで見せた走りよりも更に過激さを増していた。

なにしろ昨年までは、ドリフト中のマシンのリアタイヤをガードレール数センチのところでコントロールしていたのが、今度はなんと、わざとガードレールにリアタイヤを「ドンッ!!」とぶつけて、その反動でテールを跳ね返らせて、次に迫る逆向きのコーナーに突入していくのだ。

つまり前のコーナーでのリアタイヤの跳ね返りを利用して、次の逆向きのコーナーのドリフト走行に備えるという、とんでもない荒業を平然とやっていたのだから恐ろしい。
(バリバリ伝説のガードレールキックターンのような感じ)


もちろんこんなワザができるのはビルヌーブしか居ない。

こんな走りをガードレール越しに見ていたカメラマンは、昨年よりももっと恐れをなし、ビルヌーブがコーナーに入ってくるはるか前から逃げ出す始末だった。

おそらく余程の勇気のあるカメラマンでなければ、ビルヌーブの「跳ね返りドリフトコーナリング」を撮影できなかっただろう。

なんといっても、コーナーというコーナーで、ビルヌーブの312T5のリアタイヤが「ドンッ!! ドンッ!!」とぶつかる音がしていたのだから。

それでも予選の順位はあまり上がらないビルヌーブ。

マシンの性能上で仕方が無いこととはいえ彼は焦ってしまい、あるコーナーでスピンをしてエスケープゾーンにはみ出た時に、うかつにも自動消火装置のボタンを押してしまい、燃えてもいない312T5を消化剤がくるんでしまった。

ごくたまに見せるこういうドジなところにも、彼の人間臭さが感じられる。

それでも彼は気を取り直し、得意のモナコのコースで6番目のグリッドを得た。

決勝では、スタート直後にトップグループで多重クラッシュが起きて、デレック・ダリーのマシンに至ってはハデに宙を舞い、コース上は大混乱だった。

ポールからスタートしたピローニも結局、クラッシュでリタイアしてしまう。

ビルヌーブはぶつけられこそしなかったものの、多重クラッシュをしたマシンにほとんど道を塞がれてしまった。

だが僅かな隙間から猛烈な勢いで飛び出してコースに復帰した。

やがて雨が降り出したのだが、雨になるとビルヌーブは特に速い。

他のマシンたちが無難にペースダウンして走る中、ビルヌーブだけは例によってウエットの路面を華麗に滑りながらコーナーを攻めて、スタート直後の多重クラッシュでかなり順位が下がった分を取り戻して、5位でチェッカーを受けた。

もしスタート直後でのタイムロスをしなければ、もっと順位は上がっていただろう。

チームメイトのシェクターが中団グループから下位グループに甘んじてフィニッシュしたことを考えれば、改めてビルヌーブの異常な速さが浮き彫りにされるというものだろう。

ビルヌーブが昨年以上の過激な限界ギリギリの走りに燃えている証拠である。

更に、この時期辺りになって、ビルヌーブへの評価が昨年よりも変わってきたのだった。

報道陣やF1ファンの目から見て、ビルヌーブが過去最悪のマシンであるクズ鉄312T5でこれだけ速く走るのを見て「昨年のワールドチャンピォンのシェクターがあんなに下方に沈んでいるのに、ビルヌーブはものすごく限界ギリギリの、いや既に限界を超えたドライビングをしている。見ているほうにもそれがひしひしと伝わってくるし、あの出来そこないの312T5であの順位はとんでもなく信じがたいことだ。もし他のマトモな性能のマシンに乗らせたらどれだけ速く走れるのか、考えただけでも恐ろしい。きっと誰もヤツには追いつけないだろう」という言葉を発した。

これは当然、昨年までのビルヌーブに対する評価が更に上がったことを意味するのは言うまでも無い。

つづく・・

プロフィール

「二回目のノーマルエキマニクラック。対策品は新品しか無いのかね?ヤフオクの方が安いが入りすぎ(((((((・・;)」
何シテル?   05/02 19:36
速く走る事に繋がらないテクニックは曲芸にしかならないと常々思っている走る事が好きな親父です。 基本は慣性ドリフトゼロカウンター ゼロヨンでも最高速で...
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