
すり板のごとき花火大会(1981 アルゼンチンGP)
アルゼンチンGPでも、ビルヌーブは予選7位と、全くふるわなかった。それでも決して諦めることなく、決勝レースではビルヌーブは大胆なコーナリングラインを見せていた。
少しでもコーナリングスピードを稼ごうとして、ビルヌーブはコーナーの途中から出口に至るまで、片側のリアタイヤを芝生地帯に落としこんでドリフト走行をしていた。
これはコーナリングラインのRを少しでも大きくしてコーナリングスピードを稼ぐためだった。
アクセル全開の状態で芝生はけたたましく刈り取られて空中に激しく散乱し、観客にとっては見応え充分なショーになった。
それだけではなく、芝生地帯にリアタイヤを落とし込んでいるために、126Cの地上高が一瞬下がり、アンダーボディが縁石に激しく擦れて、マシンの底からハデに「ババババッ!!」と火花が飛んだ。
(1990年代に入る頃のF1で使われていた金属製の「すり板」による火花のようなもので、燃料を満タンにした状態での決勝レースで、序盤は車重が重いためにすり板と地面が擦れてあちこちのマシンの底から火花が飛んでいた、あれと同じような状態だった)
1981年当時はすり板のようなレギュレーションは無かったので、観客たちはビルヌーブの演出する花火大会も楽しむことができた。
珍しい光景をシャッターに収めようとしてカメラマンたちはあちこちのコーナー脇を行ったりきたりすることになる。
しかし、そんなムチャなコーナリングが災いしたのか、ビルヌーブの126Cはドライブシャフトが折れてしまい、リタイアとなった。
後日のレース雑誌で「ビルヌーブ、花火屋を開店」という冗談の見出しが載せられたのだが、それほどまでに彼のコーナリングラインは大胆だったのだ。
希望の兆し(1981 サンマリノGP)
次なるサンマリノGPはフェラーリの地元イタリアだ。
予選結果はティフォシたちにとって、まるで「待ってました」と言わんばかりの結果となった。
ピローニは地道に頑張って6位のグリッドを得たのだが、ビルヌーブはなんとポールポジションを取った。
ビルヌーブ本人が「ガラクタ」と名づけた126Cをサンマリノのコースで堂々のポールにつけることができたのは、かなりの幸運が重なったためだった。
たまたま126Cとサンマリノのコースとの相性がよく、更にビルヌーブの弾き出したセッティングデータがものを言った結果だったのだ。
ところがこのビルヌーブの出したセッティングデータは、ピローニのマシンには合っていなかった。
ピローニにはピローニなりの走り方があるからで、少なくともビルヌーブのドリフト走行に基づいて出されたセッティングデータは参考にならなかったのだ。
これはこれで仕方が無い。
決勝では、ビルヌーブは得意のスタートダッシュを見せて、レース序盤はトップを独走。
ティフォシたちは熱狂した。
だが、間もなく雨が降り出してきて、各車レインタイヤに交換するべくピットインをした。
ビルヌーブはピットインのタイミングがやや悪かったために順位を下げてしまったのだが、気を取り直して本来の過激極まるドリフト走行を駆使し、不安定な路面状況ながらもファーステスト・ラップを叩き出しながら全開走行を続けてトップグループを追った。
片やピローニはといえば、地道なドライビングが功を奏して、素晴らしいことにこの時点でトップに躍り出ることも幾度かあったのだ。
ピローニもようやく126Cに慣れてきたと見え、ターボエンジンのパワーをうまく引き出していた。
しかし終盤までタイヤがもたず、ジリジリと順位を下げてしまった。
トップグループの仲間入りを目指していたビルヌーブは、やがてその希望が叶えられそうになった途端に126Cのクラッチディスクがタレてきた。
レース終盤になるにつれ、どんどんクラッチディスクが加熱して滑り出していってしまい、やはりジリジリと順位を落としてしまう。
結果として、ピローニが5位、ビルヌーブは7位でフィニッシュとなったのだが、ビルヌーブのポールポジションや序盤でのトップ独走やファーステスト・ラップ、そして一時的にピローニがレースのトップを走ったことを考えれば、運に助けられたというものの、フェラーリチームにとって少しずつ希望が見えてきたようなGPだった。
ピローニの機転(1981 ベルギーGP)
ベルギーGPは、FISAとGPDAの対立が際立ったものだった。
出走台数の多すぎによるレースでの危険性を全く省みないFISA、そのFISAの権威主義的で高圧的な態度に対し、ドライバー側の団体であるGPDAは抗議の意思表示として、決勝のフォーメーションラップでストライキ運動を起こす計画を練っていた。
GPDAの委員長に立候補したのは、政治的なことに関心が深いピローニだった。
ピローニはビルヌーブに対して「ジル、君もストライキ運動に参加しなよ。
FISAのお偉方はレースの危険性を完全にナメてやがる。
あのバカなお偉方に痛い目を見せてやろうぜ」と誘ったのだが、レースそのもの(走りやバトル自体)にしか興味の無いビルヌーブは、最初はすごく嫌がっていたといわれる。
しかしピローニの熱意に負けて「しょうがないなぁ。付き合おうか」というかんじでビルヌーブもストライキ運動に参加することになった。
ストライキ運動とは、運動に参加しているドライバーたちはフォーメーションラップを回らないというものだった。
決勝グリッドにはビルヌーブが7位、ピローニは3位につけていたのだが、それだけでなく、他のストライキ参加マシンたちも、フォーメーションラップを回らなかった。
つまりグリーンフラッグが振られても発進しなかったのだ。
その結果、ストライキ運動に参加していないマシンだけが、停まっているマシンたちをすり抜けながらフォーメーションラップを回るという、非常に奇妙な光景が見られた。
まるでグリッドについた半分のマシンが同時にスターティング・マシントラブルを起こしたかのようだった。
これにはFISA側も困ってしまったのだが、「こんな挑戦をされてレースを一時中断するわけにはいかない」と意地になり、そのままレースをスタートすることに決めた。
しかし、意地になったこのFISAの判断がマズかった。
スタートの直前、リカルド・パトレーゼのアロウズのエンジンがストール。
本当にスターティング・マシントラブルが起きてしまった。
もっとマズいことにアロウズのメカニックがパトレーゼのマシンのエンジンをかけようとしてコースに入ってしまい、それとほぼ同時にレースはスタートとなって、アロウズのメカニックは後続車に軽くはねられてコース上に倒れ込んでしまった。
この光景をミラー越しに見て一瞬で判断したのは、パトレーゼの前のグリッドにつけていたピローニだった。
ピローニは「このまま全車がスタートするとアロウズのメカニックは轢き殺される!」と判断して、わざとコース上を大々的に横切る形で、ゆっくりとジグザグ走行し、後続車の動きを強引に止め、強制的にレースを一時中止に導いたのだった。
ピローニのこの機転は素晴らしいもので、ドライバー仲間からも観客からも「人間の安全を第一に考えた素晴らしい機転」と賞賛された。
(その後アロウズのメカニックは無事に助け出され、幸いにもケガは回復した)
FISA側は怒鳴りつけてきた。
「何が機転だ! もともとスターティング・マシントラブルを誘発させたのは、ストライキをしたドライバー本人たちじゃないか!
パトレーゼのマシンはエンジンのアイドリング状態が長かったためにオーバーヒートして、そのためにエンジンが止まったんだろう。
それに、スタート直前にコースに乱入するメカニックもメカニックだ。
轢いてくださいと言わんばかりじゃないか!全てがくだらない茶番劇だ!」。
それに対してピローニは言った。
「もともと? じゃぁきくが、もともとの出走台数の多さを省みないで、多すぎる台数でレースを開始させたあんたらはどうなんだ? あんたらお偉方が危険を省みないから、こういう結果になったんだろ。もともとはバカな判断をしたあんたらに落ち度があったんだよ。レースをしたことのないお偉方には解らないだろうけどね」。
双方ともに罵声を浴びせ合う、これではまるで泥試合である。
ビルヌーブはこの泥試合にうんざりして、早く決勝の再スタートがきられないか、ピットでいらついていた。
こういうところも、レース自体にしか興味の無いビルヌーブらしい部分である。
ビルヌーブはこんな泥試合など見たくも聞きたくもなかったのだ。
やがて決勝の再スタートがきられ、ビルヌーブは4位で、ピローニは8位でチェッカーを受けた。
ビルヌーブはガラクタ126Cで、今シーズン初のポイントを何とか獲得することができたのだ。
今の126Cの性能では、これがやっとなのだろう。
こんな状態ではまだまだフェラーリチームの先行きは暗く、まして優勝などは夢のまた夢に思えた。
しかし、次のGPでフェラーリチームは、ビルヌーブの成し得た神業のような快挙により、一気に明るい表情になるのだった。
スキッピング・ドリフトによる快挙(1981 モナコGP)
ビルヌーブは、他の数人のF1ドライバーがしていたのと同じように、モナコの街に自宅を構えて家族全員で住んでいた。
そういう意味ではモナコのコースは彼のホームサーキットとも言える。
モナコGPの話をする前に、ここでちょっとビルヌーブの普段の食事について話してみよう。
ビルヌーブは昔から、ステーキとポテトを主食にしていて、他の料理には興味を示さなかった。
モナコに住んでいながら高級なフランス料理にも全く関心が無く、どんなに高級な料理を出されてもステーキとポテトしか食べないことが大半だった。
ビルヌーブは特にステーキとポテトが大好物だったから食べていたのではなく、食事そのものに執着が全く無かったのだ。
ビルヌーブはよく、ジャーナリストからのインタビューで語ったものだった。
「僕は食事をするということには興味が無いんだ。とりあえずステーキとポテトが手軽で好きだから、いつもそれを選んでいるだけなんだ。
毎年F1サーカスで世界中を旅行しているようなものだけど、どこの国に行っても、その国の名物料理なんて興味が無いね。
妻のジョアンナに ”いつものヤツでいいよ” と言えば彼女はすぐに近くのスーパーに行ってステーキ用の肉とポテトを買ってきてくれる。
ジョアンナがどんなに名物料理を奨めても断ってきたよ」。
ジョアンナ夫人もジャーナリストに語ったことがあった。
「ジルはいつでもそうだわ。せっかく珍しい名物料理があるのに、他にもっと美味しい料理があるのに、彼は、私に近所の適当なスーパーでステーキ肉とポテトだけを買ってこさせるのよ。
私は珍しくて美味しい料理を食べたいから、世界各国を回っている時には彼をホテルに置き去りにして、子供たちを連れて名物料理を出すレストランに行くことも多いわね。
彼はそれでも全然不平を言わないわ。
なぜなら、彼にとって食事というのは、生きるために仕方なくやっている作業に過ぎないのよ。
彼は、食事を楽しむ時間があったらその分マシンに乗っていたい、という考え方なの。
別にわざとステーキとポテトだけを選んでストイックぶってカッコつけてるわけじゃなくて、本当に食事には興味が無いのよ。
でもあれじゃ栄養のバランスが悪すぎだわね」。
そんな調子でビルヌーブはモナコGPの前座であるパーティーに出席しても、相変わらず「ステーキとポテトだけを食べたら後はさっさと帰って、レースのことを考えたい」という具合だった。
しかし、各国の首相が参加するパーティーでそんなことを言うわけにもいかず、ビルヌーブは仕方なく、興味も無い高級料理を一緒に食べなければならなかった。
この食事は彼に言わせれば、味などどうでもよく、かなり退屈だったらしい。
しかし、ここモナコGPはドライバーの持久力が大切なネックとなることも確かだ。
ジョアンナ夫人はそれをよく知っていて、ビルヌーブにできるだけいろんな料理を食べてスタミナを付けるように奨めた。
ビルヌーブはただ料理を奨められるだけでは断っていたところだが、レースのためという理由が入れば、率先していろんな料理を食べた。
ジョアンナ夫人もなかなかに、彼の扱い方を心得ていた。
さて、そうこうしているうちにモナコGPの予選が始まった。
予選でビルヌーブは、ターボエンジン用のドリフト走行をこれでもかというくらいに爆発させた。
第1戦のロングビーチGPで披露したあの走行に更に磨きがかかったもので、マシンを真横にしてコーナーに入った際に、モナコのコースのバンピーな路面のせいで、ビルヌーブの126Cは真横になったまま一瞬空中に浮き、そして着地。
このアクションが繰り返された。
コーナーごとに彼の126Cは猛烈な勢いでスキップしながら空中に浮いては着地を繰り返すという、スキッピング・ドリフトとでも言うべきコーナリングを見せた。
(サーキットの狼のジャンピングターンフラッシュみたいな感じ)
というより、ビルヌーブの走り方でバンピーな路面のモナコを走ると、自然にマシンが激しくスキップするのだ。
直線など全く無いに等しいコースなのに、相変わらずアクセルを全開にしている時間が異常なまでに多く、そのフルパワーを伝えられたリアタイヤからはコンパウンドのカスが飛び散り続けた。
もちろんコース上の殆どにおいてビルヌーブのマシンは横を向きっぱなしである。
そして、昨シーズンの312T5で実行した、わざとリアタイヤをガードレールに「ドンッ!」とぶつけて、その反動でマシンの向きを変えて次のコーナーへの進入に備えるという、跳ね返りドリフトまで織り交ぜて見せた。
ガードレールキックターンね・・笑
観客たちはただただ呆然とするばかりで、ビルヌーブのこの激烈なパフォーマンスに見入った。
一般的には、「低中速コーナーが連続するモナコのコースほど、ターボエンジンのマシンにとって不利なコースはない」と言われていた。
「ターボラグによるコーナー出口での立ち上がりの悪さは、ドライバーのテクニックだけでは到底克服できず、よってターボエンジンのマシンはモナコでは遅い」とまで言われていた。
にも関わらず、ビルヌーブは先述の走り方でなんと予選2位のグリッドを獲得した。
ポールポジションはブラバムのネルソン・ピケだったが、そのすぐ隣のグリッドである。
この予選結果には誰もが驚かされた。
「ターボエンジンのマシンはモナコでは遅い」という常識に加えて、「どんなに頑なな常識にも例外はあるものだ」と誰もが認めざるを得なかったのだ。
とあるジャーナリストに至っては「ステーキとポテトを主食にしていれば不利なモナコでも速く走れるんだなぁ」と冗談で誤魔化し、ビルヌーブの神業な走りに対して、ただもう笑うしかないというほどだった。
チームメイトのピローニは、ビルヌーブの強烈な速さとクレイジーなコーナリングに圧倒されて焦ったのか、予選走行で3回もクラッシュしてしまった。
そのためにスペアカーのセッティングに手間取り、ピローニは予選17位のグリッドに沈んだ。
たとえピローニがクラッシュせずに順調に予選を走っていたとしても、ガラクタ126Cましてターボエンジンでは、せいぜいピローニは予選10番以内に入れるかどうかも怪しかっただろうし、それがモナコでの本来の妥当なグリッドというべきだろう。
それほどまでにビルヌーブの速さが異常なのである。
決勝のスタートでは、ビルヌーブはロケットスタートを決めることができず、ピケを抜いてトップに躍り出ることはできなかったが、ピケの真後ろにピッタリと張り付いて、トップを奪うべく何度もアタックを仕掛けた。
それとほぼ同じくして中団グループでは多重クラッシュが起き、数台がリタイアした。
アラン・ジョーンズとピローニはこのクラッシュに巻き込まれることなく、自動的に二人とも順位が上がった。
ビルヌーブは相変わらずトップのピケを猛追していたのだが、126Cのブレーキの利きがだんだん弱くなっていってしまった。
ブレーキのフェード現象である。
モナコはブレーキを酷使するサーキットでも有名だが、126Cのブレーキの耐久性や信頼性は低かったのだ。
これもシャシー設計でのミスの一つに入る。
ブレーキのフェード現象のためにビルヌーブは少しだけペースを落とさなくてはならず、そのために後ろに迫ってきていたジョーンズにブレーキング競争で抜かれてしまい、ビルヌーブは3位に落ちてしまった。
一度フェードを起こしたブレーキというものはなかなか制動力が回復しないどころか、レース終了までフェードが悪化していくものである。
ビルヌーブはこのままジリ貧になっていくだろう、と誰もが思った。
しかしこの時点でビルヌーブは、「スタートから今まではピケを突っついていたから、思ったようなレコードラインを取れなかったけど、これで予選と同じ走り方ができるじゃないか」と考え方を変えた。
彼得意の、予選さながらのギリギリのドリフト走行をレース終了までずっと続けるというレース運びに切り替えたのだ。
ここからのビルヌーブの走りは、予選で見せた激烈なスキッピング・ドリフトと跳ね返りドリフトを織り交ぜたものに変わっていった。
なんとなればこの走法は、ブレーキにそれほど負担をかけずにすむので、ブレーキがフェードしていてもタイムにはあまり影響は出なくなるのだ。
ビルヌーブはこれを生かした。観客からしてみれば、ビルヌーブの走りが予選走行と同様の過激なものに変わったことは、この上なくスリリングなショーだった。
一方、2位のジョーンズは(序盤でビルヌーブがやったように)トップのピケに張り付いてプレッシャーをかけ続けていた。
やがてピケは冷静さを失ってクラッシュという自滅の道をたどる。
この時点でトップはジョーンズ、2位がビルヌーブとなった。しかしジョーンズは30秒近くもビルヌーブを引き離していた。
先ほどから走り方を変えたビルヌーブは、過激でクレイジーなドリフト走行で追い上げ、少しずつジョーンズとの差を縮めていった。
フェードした126Cのブレーキを抱えながらの追い上げは、かなり危険な雰囲気が漂っていた。
やがて、ジョーンズのマシンにも不具合が出始めた。ジョーンズのウイリアムズは燃料がベーパーロックを起こし始めて、エンジンパワーが上がらない状態になっていったのだ。
これでビルヌーブのマシンもジョーンズのマシンも、共にトラブルを抱えたままトップ争いをすることになったのだが、ジョーンズのペースが僅かに落ちているので、今までのビルヌーブの追い上げが更に功を奏するものとなった。
まるで、必死になって逃げるジョーンズ、地の果てまでも追いかけるビルヌーブというかんじで、観客たちはビルヌーブの追い上げに熱狂的になった。
こういう時の観客の心理は決まっている。
ビルヌーブがトップ争いに関わると、レースは他の誰よりもスリリングなものになるということだ。
実際ビルヌーブの走りはスリリングそのものだった。
ビルヌーブの126Cはコーナーごとに真横になり、空中に浮いては着地して狂ったようにスキップし、リアタイヤがガードレールにぶつかり、その反動で全く逆の方向にマシンが向いて次のコーナーに突入、この情景が際限なく繰り返された。
こんな極めてクレイジーな走り方でトップを追うというのは、観客にとっては熱狂的以外の何物でもない。
そして、その時は訪れた。
残りわずか4周というところの第一コーナーで、とうとうビルヌーブはジョーンズを抜いた。
そのままジョーンズの追従を許さず、ビルヌーブはトップでチェッカーを受けた! 本当に久しぶりの優勝である。
ターボラグという致命的な宿命を抱えたエンジン、そのエンジンには全く不利なモナコのコース、シャシーグリップの貧弱さ、そしてブレーキのフェード。
126Cが抱えたこれら全ての逆境とデメリットを、ビルヌーブはずば抜けたテクニックと集中力で見事に克服したのだ。
序盤でジョーンズに抜かれた後、走り方を変えたことが優勝のカギとなったのだった。
他のチームどころか、フェラーリチームのスタッフでさえも、「126Cなどという絶望的なマシンで優勝とは、信じられない!! 神業だ!!」と驚愕していた。
126Cのとことん不利な性能をいちばんよく知っているエンツオ・フェラーリは、この奇跡的な優勝に感涙を禁じえなかったという。
記者会見でエンツオ・フェラーリはジャーナリストたちのインタビューに答えた。
「諸君、今シーズンの初めに私はビルヌーブから ”126Cはガラクタだ” と言われたのだ。とてもF1マシンとは思えないほどの、ひどい出来だということだ。しかし我々には殆どなす術がなかった。何しろシャシーの改善は思ったようには進まなかったからだ。だがビルヌーブは絶対に諦めることなく、ガラクタのひどいマシンで、しかも極めて不利なこのモナコで優勝を遂げた。これは、神業、奇跡、快挙、どんな言葉でも表現しきれない」。
エンツオ・フェラーリまでもが認めた126Cの出来損ないぶりは、ビルヌーブがモナコで優勝したことの凄さを証明するのに充分すぎるほどだった。
ビルヌーブも記者会見で優勝の喜びを表していたが、一言、「やっぱりステーキとポテトばっかり食べてたんじゃダメだね。ジョアンナに奨められて他の料理を食べたことも勝因の一つだよ」と冗談を言って報道席を笑いに包んだ。
こういうユーモラスな一面も、彼の人間的な印象を良くすることに一役買っていた。
こうしてビルヌーブは、今までよりも更にF1界での評価が上がったのである。
彼のテクニックと速さを否定する者は、もはや一人も居なくなった。
また、チームメイトのピローニは、スタート直後の多重クラッシュのおかげで労せずして順位を稼いだとはいうものの、地道に頑張って4位入賞を果たした。
これでフェラーリチームはコンストラクターズ・ポイントを大幅に獲得することができたのだった。
つづく・・