
ビルヌーブの暗示めいた冗談
1982年シーズンのGPが開始されるシーズンオフの最中に、ハーベイ・ポストレスウェイト博士は、ビルヌーブの運転するフェラーリ308GTSの助手席に乗ることが時々あった。
そしてハーベイ博士は、かつてジョディ・シェクターが味わった恐怖を何度も味わうことになる。
ビルヌーブとハーベイ博士は、ビルヌーブの運転する308GTSで、フェラーリの本部からかなり遠く離れた郊外のレストランまでドライブがてら出かけたことがある。
その時のエピソードを後日、ハーベイ博士はジャーナリストに話した。
ハーベイ博士
「ジルの運転する車の助手席に乗ったことがあるかって? 仕事上の付き合いで何度も乗ったことがあるさ。命がいくつあっても足りないと思えるような、それはそれは恐ろしいものだった」
ジャーナリスト
「どんな運転だったんですか?」
ハーベイ博士
「ジルと私はフェラーリの本部から、ジルの運転する308GTSで、郊外のレストランまで食事をしに行ったことがある。ジルは食事に時間をかけることは好まない人間だったが、その時はおそらく私に、自分の命知らずな運転を見せたかったんだろう。ジルにはそういう自己顕示欲のようなものがあるからね。食事に行くというのはただの口実だったのさ」
ジャーナリスト
「具体的に、どういう運転だったのかを聞かせてもらえますか?」
ハーベイ博士
「まずジルはフェラーリの本部の駐車場でハデにスピンターンを決めて、それから公道に出て、アクセルを床まで踏んづけたまま、どんどんシフトアップしていった。赤信号で停車する時以外は全てそうしていたんだ。つまりジルは公道でドラッグレースをやっているに等しかったんだ」
ジャーナリスト
「でも公道ですから他の一般車も多かったでしょうに。常時ドラッグレースのような走りはできなかったでしょう?」
ハーベイ博士
「ジルはそんなことはお構いなしだった。いくら道路が混雑していても、ジルは時速200キロ近いスピードで他の車たちの隙間を抜けていったんだ。それもミラーの両脇わずか10センチの状態でだ! 私は何度 ”ぶつかる!” と思ったか数え切れない。いくらシートベルトをしていたとはいえ、時速200キロ近いスピードで事故になったら、私は確実にジルと共に死んでいただろう。だがジルの運転はどこまでも冷静で確実なものだった。あれで安全マージンを充分に取っていたと言うんだから信じられないことだよ」
ジャーナリスト
「彼は、F1レースのスタートダッシュの練習をするために、よく公道でも練習していると聞きますが、まさにそのとおりなんですね」
ハーベイ博士
「それだけじゃない。ジルは危険回避能力もずば抜けていて、どんなパニック状態に陥った場合も取り乱さず、一瞬で判断をして回避してきたんだ。だからジルは事故を起こさなかった。これは今でも忘れられないんだが、その時の道路は片側二車線だった。道路はかなり混雑していたにも関わらず、ジルはアクセルを床から戻さずに、308GTSが出せる最高巡航速度、メーター読みでは時速205キロを出しながら車の流れをぬって走っていた。その時! 突然我々の目の前に、スクーターに乗った老人がヨロヨロと脇道から出てきた。私は ”もうダメだ!” と思って両手で目を塞ぎ、頭には ”ビルヌーブ、スクーターの老人をハネる” という翌日の新聞の見出しが浮かんだほどだった。しかしジルはそのスクーターをかわしたのだ。道路の外には飛び出さずに、流れるような、そう、流れるようなとしか言いようが無い素晴らしいブレーキングで、ブレーキングドリフトを誘発し、その勢いで360度ターンをして、スクーターの周りを囲むようなラインを描いて回避したのだ! あのスピードからの流れるようなブレーキングと360度ターンは、今でも忘れられない」
ジャーナリスト
「本当にそのとおりだったんですか?」
ハーベイ博士
「本当だとも! 誇張表現は一切入っていないさ。私はありのままを話しているんだ。ジルは自分の運転には絶対の自信を持っていたんだ。だからジルは ”今かわしたスクーターの老人、弾みで転んでいないかをミラーで確認したけど大丈夫だったね。何が起きたのか解らないみたいでポカーンとしていたよ” と笑ったりして、常に余裕の表情を浮かべていたんだ」
ジャーナリスト
「そんな極めて無茶な走りをしても、”自分が事故死するかもしれない” という表情じゃなかったんですね」
ハーベイ博士
「そのとおり。ジルの頭の中には事故死などという考えは無いのさ」
どんなに危険に見える状態でもビルヌーブは冷静だったのだ。
しかしその一方で、ビルヌーブは今シーズンが始まる前に、こんな冗談を飛ばしたことがあった。
ビルヌーブ
「僕だって人間だから、やることは完璧じゃない。知ってのとおり今までいろんなドライビング・ミスをしてきたし、それに大きな事故もたくさん起こしている」
ジャーナリスト
「君は今まで実にクレイジーと呼べる走り方をしてきているよね。このままの走り方で大丈夫だと思う? 身の危険を考えたことは?」
ビルヌーブ
「1980年シーズンの初めに、”事故は僕に何の影響も与えない” と話したことがあったね。今もその気持ちは変わっていない。でも…まぁもしかしたら、いつか僕はピットまで帰ってこられないような大事故をやらかすかもしれない」
ジャーナリスト
「言いにくいことだけど、事故死してしまう、ということ?」
ビルヌーブ
「そういう可能性も少しはあるだろうね。でも仕方が無いよ。これが僕の走り方なんだし、ただでさえF1では事故死が多いだろ。そうだねぇ、もし、いつの日か大事故でいざ死ぬという瞬間になったら、僕は泣きべそをかいて ”ママー!” と叫ぶだろうね」
ビルヌーブが何の気なしに言ったこの冗談は、今シーズンに待ち受けている運命を暗示するかのようだった・・
問題だらけのレギュレーション(1982 南アフリカGP)
今シーズンの初戦は、南アフリカGPだ。
今シーズンから投入されたニューマシン126C2の完成度には、今年で89歳になるエンツオ・フェラーリもご満悦だった。
しかもタイヤは定評のあるグッドイヤーに変わっていたのだから尚更の喜びである。
エンツオ・フェラーリは、「チームの諸君、今シーズンは、あの最高のマシン312T4で戦った時のように、自信を持って堂々とワールドチャンピォンそしてコンストラクターズチャンピォンを狙うことができる。実に喜ばしいことだ」と満足げに言った。
しかし、フェラーリチームの喜びをよそに、今シーズンから変更されたF1レーシングのレギュレーションは問題だらけだった。
①マシンからはサスペンションが撤去され、ホイールを支えるアームのねじれを利用したものがサスペンションに取って代わった。
それにより乗り心地はレーシングカート並にひどく、超高速で走るF1マシンならば尚更のこと、ドライバーには肉体的な負担が大きくかかることになった。
②予選用タイヤを2セットしか使えないようになり、もっと悪いことにこの予選用タイヤは、たった1~2周しかもたないシロモノだった。
つまりたった1~2周のタイムアタックしか許されないことになる。
予選中のコース上でウォーミングアップあるいはクールダウンしている他の遅いマシンを抜きながら一発勝負のタイムアタックをするのだから、これほど危険なことはない。
③今シーズンのF1マシンたちはターボエンジンを積んだマシンと、ノンターボのエンジンを積んだマシンとが混在していた。
どちらかというとノンターボなマシンのほうが多かった。そしてそのノンターボのマシンには「水タンク・バラスト」というものがあったのだ。
この「水タンク・バラスト」は、名目上は「パワフルなターボ車に負けないように、水タンクの冷気によりブレーキを冷やし、ブレーキング性能を稼いで、ノンターボ車のハンデをカバーする」というもっともらしい理由だったのだが、実際の目的は「レース出走の時には水タンクの水を全部抜いて車重を軽くして加速と最高速を稼ぐ」という、不当な方法だった。
そしてレース終了後の車検の時に水タンクに水を満タンに入れて重くして、最低限の車重を確保し、車検に引っかからないようにする、という、実に卑怯な方法だったのだ。
そしてこのインチキ作戦ともいえる「水タンク・バラスト」の方法は、ノンターボ勢のチームの殆どがやっていた。
つまり「水タンク・バラスト」の実際の目的=不当な目的を知っているFISAは、こんな方法をも認めてしまった。「ターボ勢とノンターボ勢の性能差が縮まるのなら面白い」という適当な理由を付けて、「水タンク・バラスト」を正式なレギュレーションとして認めてしまったのだ。どうして認めたのか、それは、「水タンク・バラスト」を採用しているノンターボのブラバム、そのブラバムチームのボスであるバーニー・エクレストンがFISAの権威だったからである。
要するにバーニー・エクレストンは、自分が所有しているチームが有利になるからという腹づもりで「水タンク・バラスト」を認めたわけなのである。
F1界は政治的な陰謀の臭いがプンプンし始めていた・・。
ノンターボ勢の「水タンク・バラスト」の効果はかなりあって、水をカラにした状態では、ターボ勢のマシンよりもラップタイムが速くなってしまった。
結果として、フェラーリやルノーなどのターボ勢は不利な状況に置かれることになる。
フェラーリチームにとっては、せっかく126C2という素晴らしいマシンが登場したのに、こんな極めてつまらない政治的な陰謀のレギュレーションのせいで、今シーズンの戦いはラクなものにはならない、むしろ不利になってしまう、ということは容易に予想できた。
このバーニー・エクレストンの「水タンク・バラスト」の陰謀には、ターボ勢のチームから相当な反感を買ったのは当然である。
「こんなレギュレーションはバカげている! 策略家バーニーめ!」とターボ勢のチームの誰もが思った。
最後に、F1マシンの運転を許可されるスーパーライセンスについての束縛もキツくなった。
所属しているチームへのライセンス制限に加えて、「少しでもFISAを非難したドライバーはスーパーライセンスを剥奪される」という、とんでもないレギュレーションまで出来上がってしまったのだ。
FISAの汚くて醜い、チカラで押さえつける権威主義ぶりは相変わらずだったのである。 このFISAの権威主義ぶりにはターボ勢のチームの面々も怒り狂い、遂にストライキを起こすドライバーが出てきた。
当然真っ先にストライキの提案をしたのは政治的な運動が得意なGPDA会長のピローニで、ピローニはストライキ運動声明とレギュレーションへの反対声明を書いた文書をFISAに突きつけて「バカなお偉方よ、これを読め!」と言って挑戦した。
そしてターボ勢のドライバーたちだけでなく、ノンターボ勢のごく一部のドライバーまでもが「他人事ながらFISAを許せない」という理由からストライキに参加した。
ピローニに続きストライキ運動に参加したのは、ビルヌーブ、ジャック・ラフィー、エリオ・デ・アンジェリス、ブルーノ・ジャコメリ、パトリック・タンベイ、リカルド・パトレーゼ、そしてあのニキ・ラウダだった。
ラウダは数年ぶりに今度はマクラーレンのドライバーとして今シーズンからF1界に帰ってきたのだった。
(余談だが、復帰してきたラウダはこのストライキ運動に参加してビルヌーブとよく親交を深め、そしてその後もラウダはビルヌーブのことを「走りはクレイジーだが、そこがジルのいいところだし強烈で魅力的な個性だ。ジルは人間的にも素晴らしく、敬愛している」とまで言うほどになったのだ。1977年の日本GPでのビルヌーブの事故を見た当時からは考えられないくらいに、ラウダはビルヌーブに対する評価が変わっていた。ラウダが言うには、ビルヌーブとストライキ運動に参加したことは実に楽しくて有意義だったらしい)
これではレースを開催することさえできない、と困り果てたFISAは、後日ドライバーたちとミーティングを開いて相談しよう、という提案をして、なんとかストライキ運動をヤメさせ、レースを開催する準備ができた。
こういうゴタゴタがあって、やっと今シーズンの初戦である南アフリカGPの予選は始まった。
ビルヌーブは予選3位、ピローニは予選6位で、126C2のデビュー戦としては、まずまずの出来だった。
それに、車重の軽い「水タンク・バラスト」のノンターボ勢を相手に競ったことを考えれば上出来だろう。
そして決勝レースのスタート。
FISAとのゴタゴタを後方に蹴飛ばし! 今まさにスタートをきったF1マシンの一群!
ビルヌーブはいつものように勢いよくスタートダッシュを決めたが、たった6周しか走っていないのに、もうターボチャージャーが壊れてしまった。
モウモウと白煙を上げながら戦列を去ろうとするビルヌーブに、南アフリカのファンたちは、ため息をついた。
ピローニの126C2は、タイヤを痛めてしまってピットストップしてタイムロスをしてしまい、完走こそしたものの、ポイントは得られなかった。
ニューマシンのデビュー戦では、こういうトラブルも付き物である。
次のレースに賭けるしかない。
「優勝か無か」の極限的な意思表示(1982 ブラジルGP)
続くブラジルGPでは、ポールを獲得したのはアラン・プロストだったのだが、ビルヌーブは2位のグリッドを獲得した。
堂々のフロントローである。
今シーズン2戦目にして126C2とビルヌーブの真骨頂が発揮されたと言っていい。
「水タンク・バラスト勢」とでも言うべき車重の軽いノンターボ勢を押しやって2位のグリッドにつけたのも素晴らしかった。
だが、ビルヌーブの気持ちは決して楽観的ではなかった。
グリッド二列目以降には水タンク・バラスト勢のマシンたちが控えていて、決勝レースではターボエンジン搭載の重い126C2は不利になるからだ。
フォーメーション・ラップを終えてシグナルを睨みつけながら、ビルヌーブは、「車重の軽い水タンク・バラスト勢と、真っ正面から戦ってみせる」と燃えていた。
打算めいたこざかしい作戦などはビルヌーブの頭の中には無いのだ。
彼のスタンスはどこまでもレーサーであり、ただ速く走ることだけに心血を注いでいるからだ。
シグナルがグリーンに変わった。
ビルヌーブは得意のスタートダッシュでたやすくプロストを抜き、プロストも「やっぱりどう頑張ってもスタートダッシュだけはジルには敵わなかったか」と妙に納得しながら走っていた。
しばらくはビルヌーブがトップを独走していたのだが、やがて思ったとおり、水タンク・バラスト勢のマシンたちが迫ってきた。
ネルソン・ピケと、ケケ・ロズベルグである。
いくら126C2がパワフルなターボエンジンを積んでいるといっても、車重の重さだけはどうにもならない。ビルヌーブがピケとロズベルグに抜かれるのは目に見えていた。
だがそんなことで諦めるビルヌーブではない。
彼は作シーズンのスペインGPで実行したような、あの完璧なブロック走行を織り交ぜながら、各コーナーでマシンを真横に向けて走っていた。
特にこのブロック走行で見ものだったのは、ドリフトしているビルヌーブの126C2のタイヤからは、例年に無いほどのハデな白煙が上がっていたことである。
サスペンションが無くなりダウンフォースが大幅に増えたため、タイヤは当然ながら今まで以上に強く路面に押さえつけられることになる。
その状態でドリフトしまくっているのだから、そのためにまるでタイヤのコンパウンドをドリフトで燃焼しているかのような白煙が上がったのだ。
この白煙出しまくりのドリフトには、観客たちにとってうってつけのショーにもなった。
このレースの主役は、ビルヌーブ、ピケ、ロズベルグである。ビルヌーブがどうやってトップを死守するか、ピケとロズベルグがどうやってビルヌーブを抜くか、観客たちは見入った。
そして観客たちは、もう決まり文句のように「ビルヌーブがトップを走っていると、絶対に目を離せないスリリングなショーになるぞ!」と、そこかしこで言い合っていた。
「あんなハデな白煙を上げて、クレイジー! 凄いぞ!」と狂喜するファンも居た。
しかし、こんなタイヤに負担をかけまくる走りを続けていては、タイヤがレースの最後までもつワケがない。
ビルヌーブのマシンは、このドリフト走行によるタイヤの急激な磨耗のために、タイヤ交換のピットインをしなければならない状態になっていた。
だがビルヌーブは「タイヤがレースの最後までバーストせずにもつかどうか、極限の賭けだ。何が何でもトップを守ってみせる」と固く心に決めていた。
「優勝か無か」の、まさに極限的な意思表示である。
トップの3台は、いつまでも接近戦を演じていたが、ピケとロズベルグは、ビルヌーブの性格をよく解っていて、「ああ、これがジルなんだよな。どんなに不利で危険な状況になっても絶対にトップを守ろうとする。相変わらずだ。あんなにタイヤをすり減らせて、やがてジルはイヤでもタイヤ交換のピットインをしなければならなくなる。その時が僕たちの勝機だ」と思いながら、根気強く後ろを走っていた。
そして、その時はやってきた。
ズタズタにすり減った126C2のタイヤは遂にグリップを完全に失い、ヘアピンでテールが大きく振られてしまい、ビルヌーブはコントロール不能に陥った。
直後に居たピケとロズベルグはニアミス回避に必死でフルブレーキング。
そしてビルヌーブの126C2は後ろ向きになってタイヤバリアーに激しくクラッシュした。
相当のところまで磨り減ったタイヤという危険、その危険を抱えた上でのビルヌーブのドリフト走行、これはスリリングというよりも殺気立っていたと言っていい。
ブラジルGPでのビルヌーブの素晴らしいドリフト走行は終わった。
もう後はリオのカーニバル状態である。
地元のピケを相手にロズベルグが挑んでいく。
一方のビルヌーブはクラッシュした直後に両手を上げて、ヘルメットの中では静かに笑っていた。「これでよかったんだ…」と。
ビルヌーブの「優勝か無か」、「中途半端な順位でレースを終えるくらいなら、どんな危険を冒してでもトップを死守する」というポリシーが、これでもかというほど伝わってきたレースだった。
やはりビルヌーブはドライバーではなく、紛れもないレーサーなのである。
「絶妙」と呼ばれたドリフト走行(1982 ロングビーチGP)
水タンク・バラストのレギュレーションは前回のブラジルGPが終わった時点で早々に姿を消した。
やはりあまりにも不当なレギュレーションのために、FISA側も「このレギュレーションを続けていると対面上マズイことになる」と判断して、禁止せざるを得なかったのだろう。
こうして、ターボエンジンを乗せたフェラーリやルノーは有利な立場になったのだ。
一件落着である。
しかし、フェラーリチームのスタッフは、2レース分の不利な戦いを強いられたことによる腹の虫が収まらなかったようで、このロングビーチGPで、奇抜な作りの126C2を登場させて、周囲を驚かせた。
それは「二枚ウイング」というもので、リアウイング取り付け用のステーから、左右に伸びている二枚のリアウイングだった。
これはフェラーリチームからの、水タンクバラストへの痛烈な皮肉回答だったのだ。
二枚ウイングにすることで特にこれといったメリットは無いのだが、FISAに見せ付けてやらねば気が済まないという気持ちだったのだろう。
「ウイングの幅は制限されているが、一枚じゃなければいけない、というルールはない」という部分を突付いたのだった。
ルール違反かギリギリセーフか、というところだったが、FISAは何も言ってこなかったので、このまま予選が開始された。
二枚ウイングを付けているために却ってダウンフォースがアンバランスになったのか、ビルヌーブは得意の公道サーキットにも関わらず予選7位、ピローニは予選9位に終わった。
しかし決勝のフタを開けてみると、ビルヌーブは勇猛果敢に追い上げ、3位争いをするまでに順位を上げていた。
追い上げていた時のビルヌーブの走りは、公道サーキットでは必ずといっていいほど見られる、ハデで壮絶なドリフト走行だ。
特に126C2となってからは初の公道サーキット。
ビルヌーブが本領を発揮しないワケがない。
前回のブラジルGPで見せたのと同じく、タイヤからかなりの白煙を上げてドリフト走行をするビルヌーブの126C2を見て、観客は「絶妙! 絶妙! ドリフト走行!」と叫んだ。
それほどまでに観客にとっては過激でクレイジーなドリフト走行に見えたのだろうし、実際そのとおりだったのだ。
ビルヌーブは、ケケ・ロズベルグと熱いドッグファイトを繰り広げ、途中ブレーキングミスをしてエスケープゾーンに入ってしまうが、すぐにコースに復帰。
そしてビルヌーブは3位でフィニッシュした。
126C2での初の表彰台&ポイントゲットである。
と思われたが、レースが終わってから、ティレルのボスであるケン・ティレルが「フェラーリの二枚ウイングは違反じゃないか?」と抗議をしてきた。
FISAも判断に迷っていたようだが、二枚ウイングの126C2は失格となり、ビルヌーブの3位は無効になった。
昨シーズンのラスベガスGPで受けた失格はビルヌーブ自身のミスによるものだったが、今回の失格はビルヌーブにとっては、いい迷惑である。チームが勝手にやったことなのだから。
それだけでは対面上マズイと思ったのか、FISAはこの時点になって、前回のブラジルGPでのピケとロズベルグの順位も、彼らのチーム(ブラバムとウイリアムズ)も失格という扱いにした。
どうにも1980年代に入ってからのF1は、政治的なドロドロした印象が強くなっていった。
それだけでなく、今回の立て続けの後付け失格騒動により、更にドロドロしていってしまったことも事実だ。
二枚ウイングを作ったフェラーリチームのスタッフも同じようなものである。
こういうドロドロした陰謀というのは、ドライバーにも感染しやすいものだ。
そして次のサンマリノGPでは、ビルヌーブがその陰謀の被害者となってしまうのである・・・
つづく・・