
Kさんは数々のチャンピオンカーのエアロのデザインをして新技術の開発をしてきましたが、チャンピオンカーを幾らつくってもKさんの会社としては行き詰まり始めます。
当時某エアロパーツ屋との取引は約七割
レースの世界でカーボン製の物って童夢や東京R&D等のレースオンリーの業界とエアロパーツ業界の間の様な会社は由○さんのムー○クラフトや杉○さんのマットハウスやKさんの会社位しかありませんでした。
エアロパーツ業界とレース業界は似ているように見えて実は全く違う世界。
この当時、東レによると、カーボン繊維の使用量は、エアロパーツ業界でKさんは一番だったようです。
それでも、童夢と比較すると、1/10なんですけどね。
その分製品の金額も随分違うんですけどね・・
童夢や東京R&Dの様な会社とは・・・・
例えばGT500クラスになるとオートクレーブ製品になります。
NISMOから図面(CADデータ)を受け取りエポキシ樹脂のかたまりをNCマシニングセンターで金型を作るのと同じ要領で削り出し、その型でカーボンプリプレグをオートクレーブにかけるマシーンで作られます。
型を削るマシーンは3m×6mの巨大な常盤がフニフニ動く「家がいくつ買えるんだろう」レベル
これをだけ設備と人材を整えて同じレベルのモノを作れるようになろうとしたら、初期費用だけで二桁億以上
これだとレースオンリーの世界
それこそウイング一つで百万単位の商売ですよね。
それで成り立つ世界もありますが・・
故ブ○ッテンの死や親友のOさんの病気で中断した日本のブリッテンを作るという目標・・
日本でやる事に意味があるとはメーカーを立ち上げると言う目標でした。
二輪業界から四輪業界への転進も二輪業界は難しいという判断からでしたが現実問題四輪の世界も先が見えない。
だんだんKさんは何の為に仕事をしているのか解らなくなる状況になっていきます・・
画像のS2000はご存知の方も居られるかと思います。
ノーマルエンジン(ブローしてノーマルエンジンになった)で岡山国際を四十秒前半で走るデモカー
Kさんはエアロパーツメーカーカーボンのシェアナンバー1と言うのならレース屋にレーシングカーを作ってもらって市販カーボンパーツを付けるのではなく、ここでしか出来ないパーツ構成例えばロールバーは最低限でカーボンコンポジットの塊の様な車を作るべきで、コレなら何処のFRP屋でもやる気になれば出来るような車だと言う認識がありました。
この頃、Kさんはエアロパーツ屋と離れるのかどうか?の決断を迫られていました。
論議の結果
交渉は決裂・・と言うか保留
現実問題どんなに良いものを作っても商売して成り立たないのなら・・
Kさんは儲かるだけの中身の無い物は作る事が出来ない人、それで会社経営が成り立たないのならやっている意味が無い
実際、FD3SのエアロもZ33のエアロも海外では賞を総なめ(ラスベガスで現地スタッフが表彰されたらしい)にしてもデザイナーKさんの名は広まりませんからね。
仕事も影に徹した結果
結局、由○さんのムー○クラフトや杉○さんのマットハウスと違いKさんは表に出なかった事がマイナスになっていったんですよね・・
エアロパーツの世界とは、口の悪い言い方をすれば「どうせパクられる」を大前提に考えるしかないウルトラ低レベル業界。
由○さんのムー○クラフトや杉○さんのマットハウス位メジャーになるとそこまで影響が出なくてもC-○EST位のメーカーでは・・そういう悲しい現象が起きるんですよ。
何百万もかけて何ヶ月もかけて真剣に作って、コピー商品を作られまくって開発費を回収もできないまま「ただ、終わる。」
意外と本人が知らないだけ贋物を本物と思って使っている人って世界中にいます。
中には奈良のS耐にも参加しているエアロパーツ屋(何とか+1)のようにKさんの会社の発表前のGTウイングを見に来て某会社に情報を売ってカーボーイ誌とかに○ー○の新型GTウイング発表とか広告を出されて裁判寸前になったこともね・・
↑設計図がKさんの所にあるので○ー○が販売を中止しました。
ようは馬鹿の集まりなんですよね。
Kさんは社員に会社を任せ自分探しの旅にパソコンも携帯も持たずに行きます。
↑中田英寿風
そして音信不通に・・
Posted at 2009/11/14 07:25:55 | |
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日本が世界に誇れるデザイナー | 日記