
Kさんの幼馴染で親友にOさんと言う元国際A級ライダーが居ます。
鈴鹿サーキットの近くにある某コンストラクター所属のライダーでした。
そのコンストラクターからイギリス遠征をして、イギリス国内選手権(SOS選手権)のビッグシングルレースを1年間走り、「1戦以外全て優勝」という快挙を成し遂げ、イギリスで英雄扱いを受けたライダーだそうです。
その彼が「一回だけ負けた」レースはその年の最終戦で、誰もが「全勝チャンピオン」の誕生を期待していたんですが、6m差の2位に終わりました。
この時、彼を負かせたのが、ブ○ッテンさん。
ジョン・ケントン・ブリッテン (John Kenton Britten, 1950年8月1日 – 1995年9月5日) は、ニュージーランド出身の機械エンジニア、オートバイ設計者である。同世代の設計に先んじた革新的な特徴を持ち世界記録を保持した。
Wikipediaより
なんでも・・前半戦を全て優勝し続けた時点で、「レースが国技」であるイギリスはものすごい盛り上がりになったそうです。
「日本から突然来た知らないライダーが、イギリスの全てのライダーを圧巻!」という新聞一面記事にもなっていました。
遠く離れてはいるけど、イギリス領であるニュージーランドでも、このニュースは大きく報道されていて、ブりッテンさんは居ても立ってもいられなくなり、「よし、コイツに挑戦してやる!」と、そこからマシンを作り始めたそうです。
やっとの思いで何とか最終戦にだけは間に合わせ、はるばるイギリスまで遠征に飛び、シェイクダウンとも言える状態でOさんを負かせたんです。
Kさんは、ブ○ッテンさんという人の存在を知ったのがこの頃でした。
昔、CS放送でブ○ッテンを始めて知った僕の質問に対するKさんが語った記憶
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良い番組を見ましたね
ブ○ッテンさんは、正確に言うと親子2人なんですが、ニュージーランドの片田舎に住んでいたヘンな親父と息子なんですよ。
イギリスやニュージーランドには、普通の街中に、普通の家のガレージで手作りの自動車やオートバイなどを作っている「小さなメーカー」が多数存在します。
ブ○ッテン親子もその内の一軒なんですが、彼らは飛び抜けていました。
いろんなオートバイを作っただろうと思いますが、親父さんが亡くなってから息子さんが作ったマシンは、僕も体が震えるくらいにインパクトを受けました。
僕らはこの息子さんの方を「ブ○ッテンさん」と呼んで尊敬し、親しんでいました。
彼は自らもオートバイに乗ってレースにも出る人物で、「マシンがどういう構造をしていれば速く走れるのか」を、追求しまくっていた人でもあります。
世界中のレーシングマシンが、速さを追求するあまりみんな同じような構造になって来ている昨今に、それらに全く囚われない独創的なアイデアで、何もかも作ってしまったんです。
フロントフォークもホイールもブレーキも、なんとエンジンまで。
自分の家のガレージ(というよりあれはどう見ても「納戸」ですね)で、一人でエンジンを設計し、自分で旋盤やフライスを回してクランクシャフトもバルブもカムシャフトも削り出し、自分で木型を作ってクランクケースの鋳物まで葺いてしまうんです。
Vツインエンジンの外観はなんとなくハーレーのエンジンに似ていますが、よく見ると全く違い、各部に改良の跡がたくさん見られる「シビレル~っ!」くらいにメカニカルなエンジンでした。
フロントフォークは現在の常識のテレスコピックフォークではなく、構造的には昔の「松葉フォーク」に近い1本サスのダブルウィッシュボーン形式でした。
シュワちゃんさんが見たマシンは、ブルーメタリックでマフラーまでピンク色に塗ってある変わったオートバイじゃなかったでしょうか?
あのマシンは本当に凄かったです。
何が凄かったのか?
アメリカの国内選手権で、いろんなライダーがあのマシンに乗りました。
いろんなライダーが乗っているのに、みんな勝つんです。
僕は自分も「乗り手」として、レースはライダーの力量が90%だと思っていました。
しかしこのマシンは明らかに「マシンが」勝っていたんです。
それを証明するために、ブ○ッテンさんは「速いライダー」ばかりを探すんではなく、どこかの開発ライダーや、レースにも出るジャーナリストや評論家などをたくさん集めて、「出るたびにライダーがころころ入れ替わる」レースを展開し、日本車やドゥカティなどがひしめく中で「誰が乗っても速く走れる」マシンであることを証明していったんです。
一人だけ独創的な考えで、一人だけ正しい」ようなことをやってのけた人です。 巨大メーカーが、小さく見えました。
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話は戻って・・
Kさんは幼馴染のOさんが大変なことをイギリスでやってることは知っていましたが、まさか最終戦にブ○ッテンさんがエントリーするなんて思わないのでイギリスに行こうとまでは思わなかったんですが、知っていたら是が非でも行きたかったみたいですね。
Oさんとブ○ッテンさんはそこで会った事で親友となりました。
Oさんもまさか打倒自分の為にブ○ッテンさんがバイクを作ってくるとは思わなかったようで非常に感動したそうです。
翌々年、Oさんはコンストラクターを辞めて自分で会社を作り、「日本のブ○ッテン」を目指し動きはじめます。
しばらく会ってなかったKさんのところにOさんが来て・・
「ブ○ッテンさんに『やられた!』って言わせるようなことをしたいけど、僕一人じゃ無理です。いっしょにやりませんか」
と言ったそうです。
Kさんは即答で
「乗った!」
と答えたそうです。
続く