2016年04月30日
タブー (taboo) とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという決まり事で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。
ホンマでっか!?TVを見ていて・・澤口 俊之先生が「新幹線なんかで外の景色なんか見たら駄目です。脳がそれを当たり前と思ってスピード感覚が狂ってしまう」と言っていました。
コレって本当
○00k近いスピードでマメに走っている人と精々100k以下でマメに走っている人が同じ条件で勝負(俗にいうレースね)しようなんて僕に言わせれば論外だと思う。
普段と同じ事をすれば良い人と普段やったことのない人が競争するようなモノ
大昔ワークスがメーカー系であった頃のワークスドライバーが速い理由の一つだと思う。
毎日サーキットを何時間も走れますからね
大昔の世界チャンピオンなんて言われた人が精々100k以下でマメに走っていると思う人は誰も居ない。
良くも悪くもそのスピード域で走ったことのない人には絶対に分からない世界がある。
大昔でなくても現在のWRCドライバーが普段は公道を精々100k以下でマメに走っているなんて事は絶対に無い
矛盾しているかもしれないが・・現実はそうだ
車の運転をしていて危険と戦うような世界と言う人が居るがそもそも恐怖とは・・
恐怖(きょうふ、英: fear)とは、現実もしくは想像上の危険、喜ばしくないリスクに対する強い生物学的な感覚。
つまり想像上の危険に対する強い生物学的な感覚。
と言う意味
知らないから怖いのである
知っていれば怖くは無い
これはスピードに対してと言うよりはどんな操作をしたらどうなると言う類のモノで少なくとも正しい操作をしていれば安易に想像できる類のものである
○00kで曲がれと言われてどれ位の舵角が可能なのか?なんてやっている人には解っても解らない人には恐怖だろう
限界域のコーナーリング(空力デバイスが無い場合)で車の向きが変わる角度は恐ろしく浅い
浅い角度しか曲がらなくて失敗と考え恐怖し固まる者も居れば、浅い角度の積み重ねと理解して冷静に対処できる人も居る
脱線するが雪道ではコレが凄く解り易い
何も見えない真っ暗闇の恐怖に耐えて運転する事が楽しいとは全然思わないがモータースポーツにおいて見える範囲の個人差はどうしてもある
あの人凄いなと思える運転もその人には見えている世界があるから出来る訳であって見えない闇の中を走っている訳では無い
今の自分に対処できない闇があるからに対処できるようにする努力する環境が無いと車の運転なんて全然楽しくないと思うし、変に車の限界を決めてしまうそこから遅くなってしまう
何の世界でも極めたなんて思った時点で終わりと僕は思っています。
おそらくそれら限界とは
走る環境
車の現状
個人的な限界
で、
正確には
「限界では無く諦めた妥協点」
何時でも走れる環境があれば誰でも個人差(時間的な問題とやる気)はあるとは思うが絶対にスキルは上がる
そして楽しい
現在日本で「何時でも走れる環境」なんてそんなに無い
お隣の県の某所は某所自治体に入って清掃活動を行い地元民の理解を得て今でも走れる立派な峠だし僕の通う林道も山に囲まれ音は民家に飛ばないし清掃活動も皆が自発的にしている。
昔、不法投棄がされた事があって僕が一人で清掃していたら若い子が団体でやってきて一緒に清掃を手伝ってくれた事がありました。
一般車が走っても飛ばしてるな位の話でセンターライン割りなんて誰もやっても居ない
漫画イニシャルDの一番嫌いな所ですね
対向車とすれ違う前に戻ればいいなんて発想自体間違っている。
対向車からすれば「対向車は何処を走っているんだ」位しか見えませんし結構怖いですよ
全国の有名な峠がキャッツアイだらけになったのは一般人が見て危険・危ないと思えるような事をしているからであって僕に言わせれば自業自得だと思う
地元民からしたら五月蠅い・ごみ投棄・危ないが他所からやって来たら困りますからね
居なくなった方が良いのは当然の話
大昔の一本のラインでしか速く走れない時代では無く今はスリーワイドだって出来る時代なんだからセンターラインを割らないと速く走れないなんて言っている連中は淘汰されて当然
傍目から見ても危険極まりないし一般道なんだから
世間一般的にタブー (taboo)と呼ばれる事ではあってもやる気があれば何十年でも続けられる土壌は日本にもあると思う。
Posted at 2016/04/30 13:56:38 | |
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2016年04月27日
僕が若い頃(1980年代)は峠のバイク小僧でした。
最初は原付ミッション車で通い始めましたが原付ミッション車で走っていると当時は同じようなバイクが追いかけてくるシチュエーションは頻繁に起きていて毎日がバトルの様な感じで結構楽しかったです。
そんな中いまだに忘れられない敗北があります。
コースの熟知度の差から生まれたんでしょうけど三つの複合コーナーで詰め切れない差を付けられました。
簡単に言えば減速をして向きを変えて加速すると言うリズムがありますが相手がノーブレーキで複合コーナーをクリアした為出来た差でしたが追いつき切れませんでした。
そんな事件?があってから僕個人的な永久のテーマは・・
「アクセル全開で左右の加重移動だけでコーナーを曲がる」
でした。
例えば一瞬のアクセルオフだけ曲がるコーナーリングとアクセル全開で曲がるコーナーリングはタイムにしたらコンマ数秒の差しか生まれません
が・・
コレを三回やられるともう届かなくなる差になってしまう
FFやFRやRRやMRで全開加速をしながら複数のコーナーを曲がれるのは空力や特殊バランス(現代のF1はMRでありながらフロントの方が重い)やコースレイアウトを無視(下りのコーナーの場合にはフロントエンジンで無くても出来る?)すればフロントが重く駆動力がフロントに無いFRしか無い
加速していてもある程度ハンドリングが効くにはフロントが重くなければ難しい
自分が走って知っているサーキット見てきたレースで言えばT&Iサーキット英田(現・岡山国際サーキット)のアイルトンセナとミハエルシューマッハのポールポジション争い
ポールのセナはウイリアムズコーナーをノーブレーキアクセル全開で曲がった。
対してシューマッハは一瞬アクセルを戻した。
セナのコースレコードはこうして生まれた。
最近で言えばGT選手権第一戦岡山
予選でGTRを破った二台のレクサス(一位二位)の差はマイクナイトコーナーと最終コーナーを全開で走った差だった。
(インカービデオを見るとマイクナイト進入前では大島選手の方が前だったが二つのコーナー全開で逆転。大島選手は最終コーナー一瞬のアクセルオフで逆転をされてしまう)
一位1’18.126を叩きだした平川亮の36号車
二位0.142秒差の1’18.268で大嶋和也の6号車
これもコースレコードですね
正直な所車以前にメンタルの部分が大きい全開コーナーリングですが市販乗用車の場合慣性ドリフトにどうしてもなってしまいますね。
多分僕の理想が全開コーナーリングだからバランススロットルが好きになれないのかもしれない。(笑)
そう言えば例のバランススロットルの天才君がシビックRのセダン(FD2型?)を買うらしい
楽しみだな♪
Posted at 2016/04/29 01:21:15 | |
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2016年04月12日
昔は、「イタリアの車の最高速はドライバーがやる気なら出るかもしれない最高速、ドイツの車の最高速は実際に出せる最高速で巡航出来る最高速もメーカーが提示している。イタリアの言う馬力は出ているモノがあるかもしれないと言う馬力でドイツの言う馬力はどれに乗っても保証している馬力」と言われていた。
今でもなんだろうか?
4リットルフラット6から500馬力を叩き出す 991 GT3 RS と、4.5リットルV8から600馬力を叩き出す458 スペチアーレの加速競争
非力な筈の 991 GT3 RSの方が速いね
Posted at 2016/04/12 16:52:27 | |
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