既に二日も過ぎてしまったが、3.11、東日本大震災について、私の体験を書かせて頂きます。
おとといは特にだろうが、あの日が近付くにつれ、私が参加させて頂いている宮城のグループの方も、震災について書き始める方が多数いました。
「忘れたくない、風化させたくない」と。
私なりに以前、プロフの「好きなもの」に書いてある、相棒ブラックパールへのクサい思いをブチ撒けたブログにて、簡単に書いたことはあった。
そのときもそうだったが、震災について思い出す度、犠牲者やそのご遺族の方の気持ちを思っては、やはり涙が浮かんできては複雑な気持ちになる。
ニュースでもさんざん放送された。私以外にも沢山の方が体験を書いているし、私はあまり詳しく書かないでおこうと思っていた。
私は津波も見てなければ、家族や親戚等は皆無事だった、まだ恵まれている者。
家族が無事だった私なんかがブログを書けば、家族や親しい友人等が犠牲になってしまった方からすれば…と感じていたのが理由です。
が、先日。参加させて頂いている宮城のグループの、私がよくブログにお邪魔している方が、ブログにて「皆様のあの日の体験を聞かせて欲しいです。
『娘に伝えたいのです』」と。
沿岸育ちの私は、ばあちゃんや地域のお年寄りの方から、津波の体験を聞かされていた。
そんな地域の小学校だからだろう、道徳の時間等に、津波についての教育などもされてきた。
だからその言葉にて、私の体験を書くことを決めました。
誰かがそれぞれの何かを感じて、命の大切さを感じてくれれば、と。
被災者の方や、そうでない方まで多数「風化させたくない、忘れない」としてくれているのに、私が何もしないのは、アイラブ東北野郎として…そして、私に伝えてくれたばあちゃんや先生にも顔がたたない。
今、生ある者として、こんなアホ野郎一匹、私なりの体験・あの日の感情を書かせて頂きます。
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プロフには、津波にて宮城人になったと書いてあるが、少し正確ではない。3.11のほんの1ヶ月前くらいに、他県から気仙沼に夫婦で引っ越した。
正確には、津波にて宮城の内陸人になった、だろうか。
海も近く、その海に注ぐ川からもすぐ近い。チャリなら1分くらいで川、チャリで10分もすれば海なアパート。
海風が寒く、しかし夏は過ごしやすいかなぁなんて思っていた。
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家業を継いで半年くらい、いつもは気仙沼で荷を下ろすが、少し前からその工場が大規模な工事に入った。
よって、同じような工場がある石巻の水産団地が、少し前からの目的地になっていた。
フカヒレ以外の食えない部分、鮫の産廃がその日の積荷。我が相棒ブラックパールは、午前・午後2発で終わるよう、目一杯積まれる…。
3.11の午前、1発目として石巻へ。戻ってきて昼飯食って、またフル積載して石巻へ…。
ガスが空になりそうだったので、GS寄って満タンに。
・・・この偶然のガス満タンが、あんなに助かるなんて思いもしなかったし、誰も予想できなかったろう。
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いつものようにメタリカ聞きながら、気分よく走った。が、金曜だったことを思い出し、ラジオをエアジャムフライデーに。
岩手南部~宮城~福島北部の大型野郎はみんなそうだろう、金曜午後はDATE・FMの本間ちゃんと決まっている。(?)
45号を南下しながら南三陸・志津川・歌津エリアを過ぎ、内陸側の市に入って道の駅でトイレへ。
ダンプから降り、トイレへ向かっているまだ駐車場の途中、経験したことのない、あの揺れ…!
「なっ…んだコレ!?マジか…!」
凄まじかった、そして長かった。しゃがみたかったが、車に乗ってた人の視線もあり、「お、おう…」って顔してバランス取ってたが、実は必死だった。
食事処のガラスが割れ、女性等は悲鳴をあげながら飛び出してきた。
地面と建家の境目が、ガクッとなり、凄い段差ができた。
いつまで揺れるんだろう…。フル積載した相棒が左右に振られ軋んでるし、車体と荷物が心配になり、相棒に駆け寄りハシゴに上り、振り落とされないようハシゴをガッチリ握り締め、荷台を見ていた…が!!
・・・「津波…!」
頭をよぎったが、実際に経験していない私は半信半疑だった。
運転席に戻りエンジンをかけ、ラジオを聞く。
「大津波…6m…8m…10m…」
予想高さがどんどん高くなる。半信半疑だった私も青ざめる…。
「嫁…!親父・おかん…!みんな・・・」
私が生きてきた中の今までは、「最大2mの…」とか放送されても、結局何もなかったりがほぼ毎回だった。が、今回は何かはある!
嫁が心配でたまらない…。
実家も海に近いが、あのおかんのことだし、半信半疑ながらもとりあえず避難しているだろう。
親父のトラックも今頃は陸前高田~気仙沼辺りか…。だが、あの生粋の沿岸野郎、絶対に無事なハズ。
でも嫁は内陸育ち…。いつも何事も「まぁ大丈夫」なんて言っては、あまり気にしない性格。
バイト先のファミレスも、アパートから徒歩5分、海からも川からも近い…。
とにかく嫁が心配になるが、「この揺れじゃあ、今すぐ沿岸を戻っても危ない。内陸ルートだって、どこか崩れていてもおかしくない。今はここに留まって状況を…」
そうこうしているうち、ホントに高い津波が沿岸を襲ったと聞こえる。
「嫁…!」
そんな中、宮城の内陸、嫁の実家に住む嫁の妹から奇跡的に着信が入る!
「無事?!良かった!こっちはみんな大丈夫。今どこ?!」
『内陸側の道の駅。…嫁は?!!』
「地震のすぐあと【とりあえず無事】ってメール入った」
『地震のすぐあと…。津波のあとは…?』
「繋がらない。連絡取れない…。」
この電話以来もう二度と、誰とも繋がらなかった。
とにかく、携帯が繋がらないイライラと心配で、冷静でいられなかった。
――――――――――――――――――――
ラジオを聞いているうち、とにかく物凄い高さの津波がきて、沿岸は大変なことになったことが分かった。
名取沿岸には数百人の死体が…。
「沿岸通っては戻れない」そう悟った。雪まで降ってきたころ、警察が道を塞ぎ始めた。警察に駆け寄った。
『どういう状況か?気仙沼まで北上できるか?』
「この先の町の橋が津波で落ちていると聞いた。この先は行き止まりだ」
『橋が落ち…!内陸は?気仙沼に帰りたいのだが』
「内陸の状況も分からないが、気仙沼も海沿いの市街地には近付けない。今行っても無駄だし、まだ津波警報が解除されていない。近付くな。我慢してここにいなさい」
やり場のない複雑な感情が込み上げ、それが嫁と親との心配と混じり合い、寒さ以外でもタバコを持つ手が震える。
ここまでくると、親の無事にもまったく自信がなくなる。
「本間ちゃん…ウソだべ…」ラジオを聞きながら呟いたような記憶がある。
――――――――――――――――――――
夜にもなれば、ラジオは更に残酷な状況を繰り返す。
「気仙沼は流れた石油で大規模な火災発生」
このニュースに、私は目をつぶって上を向いたのち、ため息とともに下を向いた。夜中になっても何回も繰り返されるその台詞…自分の太ももを殴りつけることしかできない…。
「あの嫁が奇跡で避難するか、バイト先の人に連れられて避難したとして、そこが火事になってたら…」
あの台詞を聞いたときの感情、嫁への心配は、未だ忘れられない。
「もうやんた!聞きたくね!暫く移動できねぇのは分かった!」
ラジオを切るが、やっぱ心配でまたつける…また切るを繰り返した。
――――――――――――――――――――
一睡もしない夜を明かした。長距離ドライバーではないため、寝台に布団など置いてない。防寒ジャンパーにカッパと、着れる物は全部着たが、あの夜は寒かった。
ガス満タンとは言え、ずっと暖気もしていられない。耐えきれず少し回してはすぐ切ってを繰り返していた。
例え暖かくても、寝れなかっただろう。まったく眠くならなかった。
場所が運良く、道の駅の食事処の方々が炊き出しをしてくれた。
さらに運良く、観光ホテルの、首都圏からの客を乗せた送迎バスが同じ所で足止めをされていた為、そのホテルから従業員がそのお客さんの為にお握りとか持ってきてくれたが、駐車場にいる全員の車を回り、配ってくださった。
『客じゃねーよ、オレ…。いいんですか?』
「あだりめだ!どーぞ。」
ありがたかった。本当にありがとうございました。
さらに、地下水利用ということで、水も使えた。トイレは普通に流れてくれた。
食事処はガスも使えたので、暖かい味噌汁も…。
後にニュースを見たとき、なんて恵まれていたんだと思った。
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道の駅で3日過ごした。
あの日以降、夜はホント寒かったが、昼は暖かかった。よって、荷台の鮫が腐ってくる。
3日目には、駐車場の周りの方達に迷惑をかけるくらい、臭ってきてしまった。
その観光ホテルの運ちゃんにも
「あんちゃん、何積んでんだ?」と。
『ほぼ鮫です。魚の産廃フル積載』
「あぁ、どうりでちょっと臭うと…」
【ここにはもう居られない】と考えた。昼以外の暖気だけでも、ガスが減ってきていたし、このままここにずっといても、気仙沼に帰れなくなる…。
思い切って、どこが通行止めになってるかも考えず、内陸経由で気仙沼に向かった。
…が、1時間もせず、例のGSの大渋滞に捕まった。とにかく進まない。それでもトロトロ何件かGSをやり過ごしたが、少し進んだ先の渋滞で、ついに30分経っても動けなくなった。
「こんなんじゃ何時間しても無理だ。ガソリンが持たない。夜にしよう」
とも思ったが、とにかくどこも段差が酷い。
「こんなん繰り返したら、相棒の足がブッ壊れる。こいつが走れなくなったら、帰る術がない…」
食事処の方に事情を話すと「とりあえず役所に行って相談してみたら?」と言われた。
道を教えてもらい役所へ。地域の消防団の若い人達が集まっていたが、私がそのダンプを停めると
「何積んでんだコレ!?死体か?」と…。ヘラヘラ笑顔だった。
【冗談のつもりだろうが、今は通じねぇだろうがよ】
頭にきた…。オレぁ嫁も家族も心配でたまんねぇのに、このクソッタレ内陸野郎が!!
異臭と、会社の名前のペイントが沿岸の市だったからだろうが、こっちの心配をよそに、その台詞…。沿岸族がどんだけの思いで過ごしているか…。
その人は家族や親戚にも、沿岸住みで連絡取れない人もいなかったからのその台詞だろうが、オレは降りてブン殴りたい感情を抑えつつ、言った。
『テメーも積んでやっかよクソが…』
そのクソ野郎は何かを悟り、一気に気まずい顔になる。
「あ…すいません。えと、何積んでんですか?」
『…死体だよ』
「!? え…」
『鮫のな』
「…あ、鮫の、アハハ」
『…。もう1回ヘラヘラしたら、テメーも積んでやっぞ。ざけんなよ…。オレ含め沿岸住みの人間がどんな思いでいると思ってんだ。オレぁ嫁とも親とも連絡とれてねぇ。家も実家も沿岸だ』
「ぁ…」
気まずくなりすぎて言葉がなかったんだろう。周りの方々が対応を変わった。
「何の用で?」
『道の駅に3日いたが、積荷が腐ってきて、これ以上は周りに迷惑がかかると思って移動した。石巻の処理工場は海の真ん前、というか、こういう産廃の処理工場はみな海沿いにある。どこも駄目だろう。どうにか処理したく、相談しにきた』
「そうですか…。消防団では対応できないので、あちらに停めて、役所の中へ」
役所に入り、事情を話す。
『あそこに3日いるうちに積荷が腐ってきた。ダンプを停めておく場所に困っている。処理工場は東北沿岸は無理だろう。
さらにだが、少し周りを走ってみたが、段差が凄い。橋との繋ぎ目なんか20cmくれーある。どこの道もこんな状況だろう、フル積載したままじゃ帰れない。ここでなんとか処理して欲しいです』
「どうやって…」
『穴掘って欲しい。自然に帰らない物ではない。少々多い生ゴミです。ただ、そもそも産廃扱いですが…』
「なんキロくらいで?」
『キロ…。12トン弱です』
「12…トン!そもそも産廃扱いだし…う~ん」
『だから困っている。さっきも言ったが、処理工場はどこもダメだろう。このまま道の駅で腐らせる訳にもいかない。だからこうして相談にきた。
関東や日本海側の工場を探してくれれば行きたいが、どこもガソリン入れられないだろう。
というか、あいつが全部完全に腐ったら、とてもじゃないが運転などできない。鼻を塞ぎながらでも無理だ。フツーの人間なら意識はない』
「…。こちらもまったく電話も通じず、遠くの工場も探せない、ガソリンも無理だろう。分かった。市長に相談します」
『頼みます。すいません』
相棒は、少し遠くの周りに民家がない河川敷に停めておくよう指示された。地域のホール的な所がその辺の方達の避難所になっており、そこで過ごすようにも言われた。
知り合いなど一人もおらず、嫁と家族の心配で、いい歳こいてずっと体育座りしていた。
3日も経って、知らない顔がポツンと端に現れたからだろう。周りのおばちゃん達が話し掛けてくれた。
「あんちゃんどっからきた」
『気仙沼です。運転の途中でした』
「気仙沼…帰れないねぇ。道もダメだし」
『積荷も実はこうで困っています。今、市に相談していますが…』
「んなもん河川敷に穴掘って捨てて塞げ!自然に帰らないモンでもねぇし。私達は臭いは我慢する。困った時はお互い様だ!」
周りの住民の皆様も
「んだんだ。私達は我慢する。それよりあんちゃんを早く気仙沼に向かわせてあげたい」と…。
担当者から、「河川敷とか公園とかは、塞いでも後々臭いが出ると住民に迷惑だから、そこには穴は掘れない」と言われていた私は、涙をこらえ、ただただ小刻みに頷き、ありがとうございますと小さく連呼するのがやっとだった。
――――――――――――――――――――
担当者も市長も困っていた。
「ゴミの焼却場に行って、【市から言われてきた】と言って相談してくれ。悪いが忙しいし、電話も通じない。直接行ってみてくれるか」
と案を出され行ったが、停電もしていたし家庭ゴミの収集もまだしていない時だし、誰もいなかった。
迷惑な相談だと思いながらも、だからこそイチ一般人の判断ではどうしようもない問題だった。
『頼みます。なんとか解決して下さい』
「保健所と県の許可が…。今日保健所の担当者に会いに行ったが、【県の許可がいる】と言われた。電話も通じない」
あー出た。○○の許可が○○のお許しが…前例がないから・・・。
こういうお役所はしょうがないと思いつつも、お互いイライラが積もってきていた。担当者や市長も「めんどくせーのがたまたまうちの市で足止め喰らったばっかりに…」思っていただろう。向こうも不満が積もり、一回だけ衝突した。
「何回頼まれたって、困ってんのはあんただけじゃねぇ!」
…プチン!
『んじゃあここのオレ以外は何で困ってんだよ!言っちゃあ悪いがせいぜい電気と水道が復旧しねーで困ってるだけだろ!
んーならオレの問題はあんたらを通さず独断で処理していーですか?!あーそーですか!んーなら今から川にブチ撒けてきてやるクソッタレ!!』
「あ、それは困る…」
『許可が許可がってばっか言いやがって。こんな非常事態、あんたらでビシッと判断して、これを前例としやがれ!
内陸のあんたらには分かんねーだろーが、沿岸の腐ってきた大量の魚なんか、ゼッテーそのうち海に棄てっかんな。穴も掘る。処理工場がダメな今、ゼッテーそうなる!』
「じゃあ、今すぐ気仙沼に帰ってくれ!」
『だから道がダメだろアホ!明日にでもテメーらが片付けてくれんのか!橋架けてくれんのかよ!
沿岸は勿論だが、内陸の道だって、どこが崩れて通行止めになってっかもわからねぇ!!
最初にも言ったが、フル積載してあるあいつで、こんなスゲー段差だらけの道なんか走れねぇ。
途中でぶっ壊れても知らねぇってか?あーそーですか!さっすがお役所様だゼ!!』
「とにかく許可がなくちゃ動けない」
『んーなら電話通じて許可出るまで待ってやるわアホんだら!その変わりオレは運転しねーぞ!鮫12トン腐ったら運転なんてしてらんねー!!あんたら運転してな!!』
・・・。
お互い感情的になった。思ってもいない、いや、多少は思いつつも、普通なら口にしない事まで、数十秒だが言い合った。
結局は周りの気まずさにお互いクールダウンしたが、何も解決しなかった。
――――――――――――――――――――
肩を落とし、トボトボ河川敷の相棒の所へ。途中、お兄さんが話し掛けてきた。
「もしかしてあそこのダンプの運ちゃん?」
『あ、そうですが…』
「オレも消防団だ。困ってんのちょっと聞いた。どうなってる?」
『何も…。保健所だ県の許可だって、それも分かるんですが、いつ解決するか…。嫁と親が心配でたまらないです』
「そぉかぁ。大変だなぁ。・・・川にブチ撒けちまえ!オレが言っとくから!この辺の奴等もみんないい人だ!困ったときはお互い様だ!!何トンだ?」
『12トン…』
「12…!?いや、いい!やっちまえ!我慢すっから!ワハハ」
イチ・トラック野郎、まして親父の家業…。臭いと言われながらもプライド持ってやってた。不法投棄みたいなことはゼッテーしないと、誓うまでもなく当たり前に思っていて、担当と喧嘩になったときに思わず言っちまったことを、住人が言ってくれた。
また、涙が出た。苦笑いで誤魔化すのが精一杯だった。
そんなこと、さすがにまだ法が許してないし、まして良心との狭間でやれるワケない…。しかし嫁の所に早く帰りたい…。
ここの皆様のお気持ちだけ、ありがたく受けとるたび、さらに嫁への心配が膨らむ…。
でも、住民の皆様。ありがたいお言葉、本当にありがとうございました。
――――――――――――――――――――
家に届いた新聞を、避難所に持ってきてくれる方がいた。話し掛けて、読ませてもらっていた。
とにかく写真を見るたび泣きたくなった。犠牲者の名前を毎日指でなぞり、嫁と家族が載っていないか探した。
こちらが心配な中、近くの沿岸に住む人が、この避難所にいるご家族に会いにきた。
抱き合っていた。そりゃあそうだろう。だが、周りも祝福していた中、私の感情は複雑だった。
もちろん祝福の気持ち、「ホント良かったですねぇ」と思いながらも、嫁と親の安否がまだ自分は分かっていない…。
この辺まできて新聞の情報も入ってくると、津波の高さがホントに異常だったことを知る。
「海からは近いが、かなり高いから大丈夫」と思っていた、ばあちゃん家も心配になる。
実際にばあちゃん家は、家の目の前の細い道まで波がきたらしい…。ホント恐ろしい。
――――――――――――――――――――
4日目、市の担当が話し掛けてきた。
「少し遠くだったが、県の担当者が来ていた市に行ってきた。これだって、個人の案件の為だけの話、こちらもガソリンがない中、特別だ。
正式に許可が下りた!やはり災害時の、特例措置だ。穴掘って埋めてやる!」
『え…!?ホントですか!?あ、ありがとうございます!』
「ただし、塞ぐとは言え臭いが心配だ。地下水を利用している民家もある。【水源に支障がない山】の、さらに奥まで登ってもらう。あのダンプが通れる保証はない。
今から行く。ついて来てくれ」
ついて登った。道も細いが、物凄い傾斜。フル積載の相棒がひっくり返りそうな恐怖に耐えながら、みるみるガソリンが減っていく。
どこまで登るんだ…というくれー登った。
「ここに一晩停めといてくれ。明日、土建屋に掘ってもらう」
『なっ!?ここに一晩…!分かりました…』
スゲー傾斜。四ヶ所に石を噛ませ、相棒のエアーパーキングを信じ、市の車にて下りて帰った。
その夜は相棒がずり落ちてないか、また心配で寝れない。
5日目を迎えようとしていたが、この5日で意識がなくなるほど深く寝たのは、数時間だっただろう。
――――――――――――――――――――
朝一、役所に行った。担当から
「土建屋さんだって、自分の家の少し壊れた所を直したいと言ってる所を、無理言って引き受けて貰った。感謝してね」
と言われた。
『この辺の人が困ってんのは、せいぜい電気と水道が復旧しねーくれーだろ』と言った自分をぶん殴りたくなった。
本心じゃないにせよ、どこかで「まだまし」と思ってしまっていた。
津波が来なくても、少しでも被害があれば被災地・被災者である。肝に命じた。詫びの気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
土建屋さんが来るまで外で待った。対面したときは
『私一人の為に申し訳ないです。本当にありがとうございます』と言った。
「軽油と、混ぜる灯油も分けてもらったし、大丈夫だ。気にすんな!市にも世話になってる。お互い様だ」と。
深く頭を下げ
『すいません、どうかよろしくお願いします』と言った。
――――――――――――――――――――
平に小型ショベルを積み、目的地へ。相棒は無事に留まってくれていた。が、かなりの異臭…。この辺がやはり限界だったのだろう。
「んじゃやるか」
と、堀り始めるが、数十センチも掘った所で、その下が石と岩が多い地層と気付いた。
「こいづぁ時間かかるぞ、あんちゃん…。どんくれー掘ればいい?」
『荷台にタプタプ入ってます。荷台の大きさくれー…』
「…。・・・。 うっしゃ!」
その道のプロの魂に火が点いた瞬間を見た。
作業前に一服して以来、タバコも吸わずひたすら掘ってくれた。
寡黙だが、昼飯食うときは私の心配もしてくれた。飯の後に一服し、午後もまた黙々と掘ってくれた。
素人の私でも、下が固く苦戦しているのが分かるが、午後もまた一服もせず、黙々と…。
さすがのヘビースモーカーだった私も、一服もせず、近くで見守るしかできなかった。
日も落ちかけた頃、やっと埋まりそうなくらい掘りあげてくれた。
「おっさ来い。誘導する。ッラーイ、ッラーイ。オケぃ。いーぞー!」
『離れてて下さーい』
ドババババ…
あの寡黙なおっちゃんが叫ぶ。
「うほーーーッ!!」
既にポコポコ発酵していた。プロが数時間かかった穴が、10秒足らずで埋まる。
すぐに埋める作業に取り掛かってくれた。
日も落ち、暗くなった頃、全ての作業を終えてくれた。
『本当にありがとうございました。ありがとうございました…』
「何回も言うな。分かったから。いいんだよ」
――――――――――――――――――――
役所へ戻り、担当者に無事に埋め終えた事を伝えた。
『終わりました。いろいろありがとうございました。迷惑も掛けました。すいません』
「いや、いいんだ。良かったな。こちらも安心した。それと…」
『…?』
「今日、気仙沼から内陸ルートでこっちに来た人がきた。その人のルートを逆行すれば、気仙沼に帰れる」
『え!』
道を教えて貰った。今すぐ向かいたいが、もう夜になる。
明日まで待とうと思い、避難所に戻った。
周りの人に、「あんちゃん、積荷も道も分かって良かったなぁ」と言われる。気遣いがとてもありがたかった。
――――――――――――――――――――
もうすぐ夜ご飯を出してくれる時間になったとき、大事な事を思い出した。
『明るくなったら、またGS渋滞に捕まる…!』
もう出発する旨を伝えると、お握りや飲み物を持たせてくれた。周りの方に貸して頂いていたジャージを返そうと、作業着に着替えようとすれば、
「そんくれー持ってけ。気ぃ使うな」と。
避難所を出るときは、近くだった方数人が、労いの言葉と共に送り出してくれた。
軽くなった相棒へ向かう途中、また消防団のお兄さんがたまたま家の前にいて、話した。
『積荷もなんとかしてくれた。気仙沼まで帰れる道も分かった。今から向かいます』
「今から…!無理すんなよ。電灯持ってんのか?」
『…いいえ』
「これ持ってけ。奥さん、無事だといいな」
と、電灯をくれた。
今度は恥ずかしげもなく泣いた。【きっと大丈夫だ!】という思いが詰まった手の平で、バンバンと叩かれた。
『あの…名前、教えて下さい』
「バァカ!こんなときはお互い様!別にそんなん言わねぇよ!!」
数歩歩いては後ろを向き、泣きながらペコリペコリしながら相棒へ乗り、気仙沼へ向かった。
お兄さん、ありがとう。
――――――――――――――――――――
地図を見ても迷ったが、すれ違った車に手を振って停めては尋ね、なんとか向かった。
ものスゲー細い山道。クネクネし、段差も凄い。やはり相棒が軽くて良かったと思った。
気仙沼市街地の数キロ手前の駐車スペースまで、やっと来た。重機やダンプ、緊急車両、自衛隊の車両が多数停まっており、
『この先はどうなってんだ…』思いながらも、
『ここまでは来た。アパートがある市街地には、明るくなったらにしよう』と思い、路肩のスペースに相棒を停め、目を瞑ろうとした。
が、やはり心配でたまらない!1時間もしないうち、市街地へ走り出した。
――――――――――――――――――――
坂を下っていくと、路肩に瓦礫が見え始める。ほんの数分してアパート近くの、少し広い道路に出る頃には、路肩は大量の瓦礫で溢れていた。
道路沿いの店舗はことごとくガラスが割れ、車も家もあちこちに流れ着いていた。
街灯もまったくなく、面影を探すだけで精一杯…。
ラジオで聞き、新聞でも見ていた。津波が襲ったのは現実だと理解していたが、この目で見るその光景は、すぐに信じる事などできない。
【・・・。は? はぁッ…? なにこれ…。マジ…か…?】と心で呟くのみ。絶句した。
【嫁…。嫁!!】それしか考えられない。
とりあえずこの辺の道路の瓦礫はよけてある。アパートか、嫁のバイト先かと考えたが、この道をそのまま進めばバイト先。そっちへ向かった。
――――――――――――――――――――
嫁のバイト先は、グシャグシャだった。すぐ向かいにはタンクローリーも一軒家も突っ込んでいた。
【・・・。ここにいたら無事な訳ねぇ】
アパートに向かった。バイト先からアパート方向への、川沿いの細い道、瓦礫がよけられていた。
相棒の横幅だし、両脇30cmずつくれーしか隙間無かったが、突っ込んだ。
が、この道の瓦礫処理はまだ途中だった。今進んできた100mにも満たない道を、20分くれーかけてバックした。
【こいつは家業の宝、傷付ける訳にはいかねぇ】
真っ暗だし、降りてカーブを頭に焼き付けては、1~2mくらいずつバックを繰り返し、やっと戻った。
【次は…指定避難場所だ】
アパートの近くの小学校が、その地域の指定避難場所だった。
向かうと、ちょうどその小学校までは、瓦礫が路肩によけてあった。
小学校もグシャグシャだが、2階より上は無事な気がする。ガラスも割れていない。が、誰かがいる形跡もない。
近くを通った消防車に手を振って停める。
『あの小学校に避難した人は、あそこにいるか?』
「東京から来ているのであまり詳しくないが、津波で孤立したあそこは、自衛隊等によって、もう生存者は移動しているハズ。○○に、各避難所毎の名簿がある。今から行くが、後ろを着いてくるか?」
『そうします。ありがとうございます』
――――――――――――――――――――
名簿を片っ端から探す。日付変わってすぐの夜中だが、私と同じように、なんとも言えない表情で名簿を見る方も数人いた。
とある夫婦らしき方々は「いねぇ…」と首を振り、ため息と落胆の表情…。
とあるおじさんは、もう何度も見たが、念のためもう一回…という感じを漂わせ、目的の避難所の名簿だけパラパラと捲り、表情を変えず「パサッ」と置いて立ち去る…。
沿岸のこの5日間、連絡が取れない人がいる方は、これが日常になっていたのだろう。
私は初めてだったので、読み落とさないように食い入るように見た。「さすがにここにはいない」という地区の名簿まで見たが、嫁の名前はなかった。
今度は貼り紙を片っ端から見た。
「○○無事ですか?私は△△にいます。□□より」
嫁が私を捜す貼り紙は見つけられなかったが、気仙沼の取引先の社長を、ご家族が捜している貼り紙を見つけた。
『社長…』
私達夫婦の結婚式にも出席して頂いた、親父と長い付き合いの、とても人のいい社長さん。私が継いだときは喜んでくれた。
この社長さんは結局、亡くなられてしまった。遺体が見つかったのは、ひと月位してからだったろうか…。
従業員を避難させた後、
飼い猫が心配だからと海に近い家に帰り、犠牲になった…。
最期まで心優しい人。
墓参りに行けたの、遅くなってすいませんでした。心よりご冥福を。
――――――――――――――――――――
【とりあえずアパートに。生きてたら、メモでも残ってるかも…】
指定避難場所だった小学校の前に相棒を停め、それより先の、瓦礫がまだ手付かずの道をアパートへ向かう。
貰った電灯を点け、乗り上げて掻き分けて進む。
1階はグシャグシャだが、この辺は2階は無事だ。民家やアパートも、建家自体はほぼ残っている。
うちの部屋は2階だったし、少し期待した。
何度もふらつきながら、やっとの思いでアパートまで辿り着いた。
1階はガラスも割れて悲惨だが、2階の私達の部屋のガラスは割れていない。
火災の跡もない。
階段を上るとき、波の跡を照らす。…1階の天井のすこし下くらいだ。
【これなら避難せずに部屋にいても助かっているかもしれない…。なら、必ずメモくらいある】
期待と不安を胸に、鍵を開けた。電気も点かないので電灯で照らす。
外の悲惨な状況から一変、少し物が落ちている位で、あの日の朝に私を送り出してくれた光景とほぼ変わりない。
メモを置くならこの辺だろうと、テーブルの上や玄関を見るが・・・痕跡は何もない。
『クソ…ちくしょうッ!どこに居やがる…!生きてんのかよ・・・。あ"ーーーッ!!!』
――――――――――――――――――――
不思議と、気仙沼に戻って以来、あまり泣きたくなくなっていた。いや、もちろん泣きたいくらい心配なのだが、
【見つからなくても、泣いたら諦めたことになる】
と思っていたのだろう。泣き顔になりたい表情筋を、その思いが必死に抑えていた。
【クソ…。今度は市役所に…】
――――――――――――――――――――
市役所までの道も、瓦礫はよけてあった。
名簿もあったが、さっき見たやつの写しだろう。それより、やはり情報が集約される市役所、貼り紙のボードがさっきの所より多い。
そのボードを端からしらみ潰しに見た。
凄い枚数だったが、片っ端から見た。
ない…。いない…。
いっぱいあった貼り紙も、残りボード2枚…。
右上から一つ一つ捜し、ついにラスイチのボードが迫ってきた左下に、嫁がオレを捜している紙を見つけた。
バイト先の店長さんの家に、バイト仲間と避難しているらしい。
その紙の上には、
「○○(嫁)へ。○○を捜しに気仙沼に来たが、書いてある住所に辿り着けなかった。また来る。
△△(オレ)は、石巻に向かった。連絡取れていない」
という旨の内容で、親父が嫁を捜している貼り紙。
名前は親父だったが、字はおかんの筆跡…。
【ぁ…。みんな生き…。 ぅ、うぅ…】
膝から崩れ、その紙を両手で握り締めて泣いた。
声は必死で我慢した。
さすがにもう未明、ボードや名簿を見る方はいなかったが、寝れないのだろう、トイレ等に歩く人もちらほらいた。
【この人の家族は、まだ見つかっていないかも…】と考えると、そこで声をあげて泣くなんて出来なかったが、しばらくは泣き止む事も、立ち上がる事も出来なかった。
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嫁がいるはずの店長さんちの住所だが、大雑把な部落名と、店長さんの苗字しか書いてなかった。後で分かったが、部落名は少々正確ではなかったらしい。
それじゃあ親父も辿り着けない。こんな時くれーしっかりして、○○町○○番地○○まで書けよバカ嫁…。
オレも店長さんの家までは知らなかったが、
「毎日バイト先で待機している」
とも書いてあったので、またバイト先に相棒を向かわせた。
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日も昇り少しした頃、おばちゃんが話し掛けてきた。
「あんちゃん、この先はどこまで行ける?」
夜に相棒で突っ込んで、必死にバックしたあの道だ。
『途中までしか行けない』
「そうかぁ…。この先に知り合いの家があるのに。ところであんちゃんは、こんな朝からここで何してる?」
『カクカクシカジカで、嫁を来るのを待っている』
「早く会いたいだろうに。うちに住宅地図ある。送ってあげるからおいで」
『え…?でも…』
「遠慮すんな。早く会いに行ってあげろ」
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家にお邪魔すると、暖かいコーヒーまで頂いた後、息子さんに乗せられて向かった。
店長さんの苗字があまり多いものではなく、住宅地図にて目星をつけた。
それらしき家に着くと、息子さんはツカツカと庭の方へ。
道の反対が入口だった為、声しか聞こえないが、玄関まで行くまでもなく、庭に誰かいたのだろう。
息子さんが何か話しているのが見えるが、その先の誰かは家の陰になって見えない。
店長さんにはオレも何度か会ったことがあり、顔は覚えている。
【ここで合ってっかな…。もしここなら、嫁に会える…】
店長さんかどうか確認しに行こうとオレも歩き出した時、息子さんが手招いた。
と同時に、車の方に引き返してきた。
やたら早い。どうやら「名前と、○○(店名)の店長さんか?」だけ確認したらしい。
なぜここに来たかは言ってなかったのだろう。店長さんのリアクションを見てそう分かった。
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私が庭に行くと、見覚えのある女性の顔が。店長さんだ。
『ぁ…。・・・いますか…?』
「…!? え?えぇッ!? …ゥン、うん!いる!」
開いていた窓のレースのカーテンを開ける。
「○○ちゃん!旦那さん!!」
オレも部屋の中を見た。 店長さんのお子さんと遊んでいた嫁と目が合った…。
「…ぇ?…!!??ッ」
『ぁ…』
そんな、ほんの一瞬の確認の後、嫁はオレの名前を叫び、靴下のまま外に飛び出し、オレに抱き付いてきた。
「あ"ーッ!!ぅ"あ"ーーーッッ!!!」
嫁は、片手でオレの背中のジャンパーを力の限り握り、もう片手でオレの胸を力の限り叩き続けた。
「どこにいたの!?どこにいたのーーーッ!!!」
それのみ繰り返しながら泣きじゃくり、オレを叩き続けた。
『ごめん…ごめんな…。よかった…。よくやったな…』
「石巻…ぅ"あ"ーん!石巻にいたのぉ…!?ぅ"あ"ーーーッ!!ダメだと思ったーーー!あ"ぁ"ーーーどこにいたのーーーッ・・・!」
オレも泣きじゃくり、『ごめん』しか出てこなかった。《どこにいた。何をしてた。積荷で手こずった…。通じる道も…》なんて説明は後だ。
嫁の「どこにいたの」は、5日もほったらかされた寂しさと、石巻に向かっていたこんなオレへの心配だろう。実際、覚悟していたらしい。
「どこにいたのー!」『ごめん…。よかった…』
すれ違う叫びとつぶやきを繰り返しながら、お互い抱き合い、泣き合った。
少し落ち着いた頃、息子さんは庭の端に顔を出し、
「良かったな!じゃ」
と言い、帰ろうとした。
『紙に書いてあったからバイト先の前で待ってたら~で~で、あの人が調べて送ってくれたんだ』
制止して急いで嫁に説明し、二人で感謝した。
「いいよ。いんだって」という風に手をちょいちょい上げ、息子さんは早々と帰って行った。
息子さん、本当にありがとうございました。
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落ち着いた後に嫁の体験を聞くと、こちらは九死に一生だった。
バイト先では揺れの後も、「客全員の会計を済ませた後、やっと解散」したらしい。
店長さんも反省していたが、あの時どれ程の人間が「津波がくる」と信じただろうか。
防災無線が必死に呼び掛ける中を、嫁はテクテク川沿いを歩いてアパートに向かっていたらしい。
その時、下流を見ていた消防団のおじさんが、バイクで叫びながら近付いてきたと。
「津波きたぞー!あんだ何歩いてんだ!!後ろさ乗れ!!小学校さ逃げっつぉ!!!」
嫁はそれでも半信半疑ながら、バイクに乗せられて小学校へ。
途中で女性二人組にすれ違い、消防団のおじさんは必死に呼び掛けるも、「本当かしらねぇ…」と言いながら、呑気に逆方向へ歩いていったらしい。
小学校まではバイクなら1~2分。校庭に着いた頃には、既に後方に津波を確認できたが、ご老人の夫婦が校庭をトボトボと歩き、校舎に向かっていた。
どうやらお爺さんの足が少し不自由らしい。
「ほっとけない!」と、おじさんと嫁のバイクは駆け寄り、おじさんはお爺さんを、嫁はお婆さんをおんぶし、必死に走ったらしい。
校舎に入り、階段を駆け上がったその時、津波が校舎のガラスを割る…。
火事場のばか力と嫁が言ったが、嫁はとにかく必死にお婆さんと共に上り、助かった。
その夜は孤立し動けず、仕事着だった嫁は凍えるほど寒く、模造紙一枚を足にくるんで耐えた。
その後、救助され避難所にいたところに、バイトの皆を捜して避難所を廻っていた店長さんが、嫁を見つけてくれた。
あの消防団のおじさんが嫁を見つけなかったら…。
嫁より前に、誰かを乗せていたら…。
逆に、嫁が乗っていたから、途中ですれ違った人を無理矢理乗せる事も出来なかった…。
そこを考えてしまうと、複雑な心境だ・・・。
でも…こんな嫁を偶然救ってくれた消防団のおじさん、ありがとうございました。
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今後に伝えたいです。
半信半疑でも逃げて下さい!と。
なによりも命を第一に。
家族の車は全滅でした。実家も天上まで津波来ました。
家業は廃業し会社を畳み、相棒も手放しましたが、大事な人達と共に、今生きていられています。
皆様の大事な人達を悲しませないよう、何かあったらとにかく逃げて下さい。
逃げて何も無かったら、それでいい、それが幸せ。
でも、大丈夫と思って逃げないで、何かあったら…。
命には替えがありません…。どうか、なんとしてでも助かって欲しい。
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私の体験、想いです。
多くの方にお世話になりました。全国の皆様の暖かいご支援にも支えられました。
本当にありがとうございました。
犠牲になられた方々の御冥福を、心より祈ります。