2006年04月18日
名人芸
以前バトンででも書きましたように、私はジャパネットたかたを深夜に見るのが大好きです(笑)。
私の住んでいる地域では、週に5日も見ることができます。
高田社長の、もはや芸術といっていい話芸に聞き惚れながら、ソファでゆったりビールを飲んでいると、そのままいい気分で夢の第一幕。
詳しくはまた次回に書くとして、私は昔から、こういう「話芸でモノを売る」というのが大好きでした。
今からもう何年前になるのでしょう。大阪の千日前に「マルエイ」というバッタ屋さん(?)がありました。大阪在住の方でも、もう若いかたはご存じないかもしれませんね。今のビッグカメラ、昔のプランタンなんばから道を挟んで南隣でした。
しゃがれ声でちょっとコワモテのおっさん(おじさんというより、おっさんのほうが大阪らしい)が、店先で何の変哲もないバッタ商品を、口上ひとつで売りさばくのです。一種の啖呵売ですね。いつも10人程度の人だかりができていました。
当時学生だった私は大阪に出るたびに、友達らとこの店の前の人だかりオッサン連中に混じってその口上を聞いていました。
「そこの、所得のない子ーら、もっと前で見てもええんやで。」
と言われたこともあったなァ。
どこで作ったかわからんよーなポーチを手にして、
「これブランドもんやで。ほら、よう見いな。ここにYKKて書いたある。」
(それ、チャックのブランドやん・・・。カバン関係あらへんがな。)
「すごいやろ。このチャックは、開け閉め自由!」
(・・・当たり前やん。チャックが開けへんでどーすんねん。)
と心のなかでのツッコミどころ満載。
当時、はやっていたウォークマンのパクリ品を持って、
「これはすごいで。ずっと聴いてて、飽きたら(カセットを)ひっくり返したらええんや。また違うんが聴けるんやで。」
(・・・・・。)
大阪らしい、とても楽しい場所でした。そういえばナンバグランド花月のすぐ近く。しかし、あのおっさんの芸は吉本の若手くらいでは全く歯が立たない程のものでしたね。
残念ながら、おっさんは50代半ばでお亡くなりになったそうです。
もうあの芸を見られないのかと思うと、浪速の文化の灯(ひ)がひとつ、消えてしまったようでホントに寂しいですね。
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Posted at
2006/04/18 23:53:54
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