アイルトン・セナ・ダ・シウバ(シルバ)
レースを知らない方でも一度は耳にした事がある名前ではないでしょうか。
ブラジルが生んだ、伝説とも呼べるF1ドライバーです。
彼がレース中の事故で亡くなってからちょうど20年なんですね。
個人的な話なのですが、セナの異次元の走りに衝撃を受けて、当時小学生だった私はF1に夢中になりました。
(F1を録画していたビデオテープに、父親にクイ○ダービーを上書きされ、大泣きした記憶があります・笑)
セナが亡くなった時のことは今でもハッキリと覚えています。
(セナの追悼曲”
A Latchkey”は今でもよく聴いています。)
身内を亡くすという経験はその当時はまだありませんでしたが、今思えばそれに匹敵する程のショックを受け、しばらく立ち直れませんでした。
セナに憧れて”
レーサーになりたい!”と思うようになり、セナの死を経験してからは一層その思いが強くなりました。
(それまでは仮面ライダーV3になりたかったんですけど、、、特にいらない情報です・笑)
その夢をずっと持ちつつ高校を卒業し、周りの友人達が大学へ進学していく中、どうしてもレーサーという道を捨てきれず”
やらずに後悔はしたくない!”という思いから父親の反対を押し切り、私はレースチームのオーディションを受けました。
オーディション参加には普通自動車免許が必要だった為、高校卒業と同時に教習所に通い始めましたが、本免は間に合わず、仮免でオーディションに臨みました。
一般道すらほとんど走ったことのない若造が、いきなりフォーミュラマシンでサーキット走行・・・・・若さって怖いです(笑)
オーディションに落ちれば諦めもつき、大学進学へ本腰が入れられる!という気持ちもあって臨んだのですが・・・
なんと
狭き門をかろうじて突破!(補欠合格でした・笑)
(ただ、後に聞いた話では、オーディション時の運転技術が完全に認められた訳ではなく、無茶してきた若造がどこまで伸びるか、という一種の怖いもの見たさのような所もあったようです。ガックリ・・・)
ただ、やはりレースという名の通り、そこは壮絶な競争社会で、単に速さだけではなく資金確保や周りとの繋がり(コネ)なんかも重要で、次第にそういう面でのストレスとの葛藤になり、いつしかレースに対する憧れや情熱は薄らいで行きました。
そんな中、レース資金を確保するために働いていたアルバイト先で知り合ったお客さん。
偶然にもセナと同じブラジル人で、ブラジル関連会社を経営されている方でした。
仲良くさせてもらっているうちに私の固定客のような形になり、ある日、
”うちで働かない?”
というお誘いを受け、
”レースのスポンサーをしていただけるのなら・・・”
という交換条件でレース資金を手にでき、ステップアップして再びレースをすることができました。
残念ながらその時には更に本格的に上のカテゴリを目指すには年齢的にも厳しくなってきていて、その後長くレースを続けることにはなりませんでしたが、ブラジル人に憧れ、そしてブラジル人に助けられて再びレースに対する情熱を持つことが出来たことについては、何だかとても不思議な感じがします。
私がレースをやめてからちょうど10年。
その時の恩返しという意味も込めて、今もそのブラジルの会社で働いています。
ところで、私のみんカラのハンドルネーム”
madrugada”はブラジルの母国語(ポルトガル語)で”
夜明け”を意味します。
セナが亡くなった直後、その話題の中のどこかで言葉と意味を知り、何故かずっとおまじないように覚えている言葉です。
セナがいなければ、私は今頃まったく別の道を歩んでいたかもしれません。
(アテンザにも乗れていなかったかもしれません・笑)
セナに直接会う夢は叶いませんでしたが、ブラジルに行ってセナのお墓参りをすることが今の私の夢です。
・・・
そしてGW休み突入したばかりの今!
夜更かししてボサノバを聞きながらアテンザの内装パーツにカーボンシールを貼ってます!
(サンバを聴きながらだと、たぶん貼り方が雑になるので・笑)

詳細は後ほど・・・
あと、こういうの↓もブラジルの魅力ですよねぇ♪o(*^▽^*)o

何年か前の会社のイベントです(^^;)
何だこのオチは。。。
Posted at 2014/05/03 02:42:00 | |
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