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2014年10月09日 イイね!

映り込む景色を支配する。

映り込む景色を支配する。C63AMGのテノライトグレー。
巷で走るC63AMGのほとんどが、白か黒かという中で希少な塗色です。
そもそも、グレーは「灰色高官」とか、「グレーゾーン」とか、あまり良い意味で使われることがないのですが、クルマの塗装色としてはかなり魅力的な色だと思っています。
しかし、地味で目立たないうえに、リセールバリューが少ないと思われているようで、不人気色の一つになっているのは残念なことです。
白か黒かで悩んだら、、、迷わずグレーを選ぶことをお薦めします。(゚Д゚)
世の中にはコアなグレーファンが居りますし、選んで後悔することはない無難な色だと思います。
テノライトグレーの実際の色は、明るい日の光の下では赤紫っぽくみえたり、緑の林の中では青緑っぽく見えたりし、周囲の光の加減で色々変化して見えるので、どれが本当の色なのかオーナーでもよく分かりません(笑)

暗い色のクルマの写真を撮る場合、周囲の風景が映りこみます。
夢中で撮影している時には気が付かないのですが、出来上がりの写真を見た時に変な映り込みがあって、「残念な写真」になってしまうことは少なからず経験いたします。


この写真は、何だかザワザワした感じで落ち着きがありません。
何故なのか考えてみると、どうも、ボディとガラスに風景が映り込んでいるのが原因のような気がします。



映り込みが強い場合は、もはや車の写真ではなくクルマに映った景色の写真になってしまいます。
クルマにではなく、映り込んだ木に焦点が合っていることもあります。



真横からの写真の場合は、撮影者本人の撮影姿が映り込んでしまうことがあり、立つ位置に気を使います。このぐらい離れて鏡面反射が出にくい光の方向で撮影すれば、自分の姿が写ることはありません。



しかし、立つ位置まで考えて撮影するほど時間をかけるわけにはいきません。
自分クルマの写真を撮る姿を、他人に見られるのは何となく恥ずかしいので、ちゃっちゃと撮って、さっさと撤収汁ヽ(`Д´)ノ
そういうわけで、撮影アングルは自分が映り込むことが少ない、斜めからということが多くなります。



斜めから撮影ということになると、ボディがさらに鏡のようになり、周囲の風景が映りこみます。



夜間撮影でもそれは同様で、もうこうなったらその短所を、長所と考えるとどうなるだろうという話です。



軽井沢のコンビニでは青い空が映しだされました。



小さな神社では社務所が映り込み、



この写真に至っては、クルマをとっているのか風景を撮っているのかわからない状態です。( ̄▽ ̄;)



目を凝らしてみると、クルマが変形して写り込んでいます。
ボディの形状によって、映り込む風景が歪むのも味というものでしょう。



車庫の中では、隣のD5がぼんやりと映り込んでいます。



峯が岡神社のボツ写真でも、鏡面反射写真としてみると、、素晴らしい(笑)



背景が白飛びした下手くそ写真でも、社殿の赤い柵が綺麗に映り込んでいます。



ここまでくると、ブログを見ている方々は車を見るのではなく、どこに風景が映っているかに関心が向いていることでしょう(笑)



そういう視点で見ると、何と素晴らしい写真でしょう。
赤い柵と木の鳥居が綺麗に映し出されています。



車のフォルムの美しさと、鏡面反射の美しさの両方がみられる写真で、私のお気に入りの一枚です(^O^)
映り込む風景まで考えて写真を撮ることは、普通の写真を取るときに考えることのさらに先を考える必要があり、面倒といえば面倒です。
しかし、偶然の産物であった映り込みを意図的に操作すれば、さらに奥深い写真の世界が広がるような気がします。



ということで、青い車で「狙って」撮ってみました。
映り込んだC63のボディに、更に風景が写り込んでいます(゚д゚)!
車同士で合わせ鏡ができるかもしれません。

夜間に暗色のクルマを映し出すのは困難ですが、ボディに映り込む夜景を撮る事ならば、鏡に写った風景を撮るようなもので、比較的容易かもしれません。
綺麗に写らなくても、歪んでいても、映り込んだ景色には独特の美しさがあります。
景色をより美しく車体に映り込む事ができるのは、暗色系の塗色が持つ特権でしょう。
しかし、そういう写真を撮るためには、クルマをピカピカに磨いておかなければならないのが厄介です(笑)
Posted at 2014/10/09 19:55:44 | コメント(15) | トラックバック(0) | C63AMG | 日記
2014年09月11日 イイね!

アルピナD5で駆け抜けた伊勢志摩。

アルピナD5で駆け抜けた伊勢志摩。
暑い夏も終わり、日が暮れるのが早くなってきた今日このごろです。
8月5日の夜、パソコンの画面に向かっていた所、突然左目の視界下方が一部剥がれるように欠損したり治ったりする症状が出現しました。また、急激に左目外側に飛蚊症が出現。暗いところで目を動かすと、稲光が光るように感じる症状も認められます。。
網膜剥離だとマズイので、念のため眼科を受診しましたが、硝子体後部剥離でした。。原因は、要するに年のせいです(;´д`)トホホ…
実は、右目は3年前に起こっており、飛蚊症が煩わしかったのですが、今度は左にも蚊が飛ぶようになってしまいました。
視力、視野に問題はないのですが、蚊を退治しようとするときに難儀します。(笑)
デング熱が問題になっているこの時期に、実に忌々しいことですヽ(`Д´)ノ
何だか眼が疲れやすくなったようで、夜になると頭痛、肩こりが酷く、みんカラもお休みするような日々を過ごしておりましたが、最近なんとか復活いたしました。

眼の調子が悪かったのですが、せっかく休みをとったので、今年の夏もD5で長距離旅行に出かけました。
新東名が出来てから走ったことがなかったので、今年は西の方へ行ってまいりました。


大橋JCTの渋滞を抜けたと思ったら、、事故渋滞にハマってしまい、東名を快走するという夢は早くも横浜付近で打ち砕かれます(笑)
せっかく早起きしたのに、自宅から海老名SAまで3時間以上かかってしまいました。


途中、浜松舘山寺付近に立ち寄ったので、宿のある南知多温泉には夕刻に到着。
伊勢湾の夕暮れは綺麗でした。

2日目は、フェリーなんかに乗ったら吐くヽ(`Д´)ノと娘共が騒ぐので、仕方なく高速を乗り継いで陸路伊勢へ。。

外宮です。
参道に打ち水をしていますが、湿度が高くなって余計暑く感じました。

三石という、手をかざすと温もりを感じる有名なパワースポットだそうですが、社域全体が蒸し風呂状態でそこいらじゅうでぬくもりを感じます(笑)
暖かいなんて言っている人もおりましたが、こんな時は冷気でも出してくれるとありがたいんですけど。。

内宮の方が混んでいました。
式年遷宮が終わったためなのか、いつもなのか、夏休みだからなのかわかりませんが、かなりの人出がありました。
パワースポットとしての人気のためなのか、結構若い人たちが多かったです。

      
干物屋さんには、エイリアンの干物が( ̄□ ̄;)!!

走っている時間が長いので、背伸びをしたくなります。

ぐだぐだしています。。
クルマの中では熟睡、宿でもこの有り様で、寝たきりお嬢様になっています。

宿の屋上から。なかなかキレイな風景です。
宿は格式がありますが、さすがに古く昭和の薫りがプンプンしております。
夕食のフレンチは、料理の写真を撮る雰囲気ではありませんでした(汗)

一度は宿泊してみたかった宿です。
昭和天皇が3回もご宿泊されたほか、芳名録には山下清、三島由紀夫など著名人の名前があります。

何もすることがないので、クルマでの長時間の移動は同乗者には不評です。
景色をながめるとか、そんな気もないらしい。
移動の時間は退屈で無駄な時間のようなので、乗っている時間をなるべく短くすることに努めます(;´д`)
      
御在所山ロープウェーです。
NHKの昼時の番組で紹介されていたので、帰り道に立ち寄ってみましたが、、高さが半端ないです(゚д゚)!
一番高いところで、地上からゴンドラまで200m以上あるという話ですが、高所恐怖症の人でなくても、下を見るとおしりがムズムズします。( ̄▽ ̄;)
駐車場近くの道で、カモシカに遭遇しました。(写真なし)
   
出発時間は、私としては頑張った方です(笑)
2泊3日で1236km..。
燃費は優秀な方だと思いますが、さすがに無給油とはいかず旅先で1回給油しました。
新東名のような、だらだら上りが続くような道では、大トルクのD5は快適に飛ばせます。
ギアを2~3段落としてアクセルを踏み込むと、上り坂にもかかわらず怒涛の加速を見せ、他車の追走を許さないような走りを見せてくれました。
グイグイ登っていくという表現がぴったりで、追いすがるクルマがあってもバックミラーの中で、あっという間にケシ粒のように・・・(汗)
このクルマの気持ちよさは、長く続く上り坂を走る時に感じられるのだなぁと再認識させられました。
私の場合、疾走なのか暴走なのかわかりませんが、帰路は気持よく走れた、いわゆる「快走」ができたので満足です。
眼の問題もあり、長時間の運転には不安もありましたが、乗り心地が良いので意外に疲労感も少なく、まさに駆け抜けたという感じがする走り甲斐のある旅でした。
平均速度は、高速道路ばかりだったのでということで、触れんといて下さい(;´д`)…。。

         
大きくなりました(^_^)/
Posted at 2014/09/12 13:21:53 | コメント(17) | トラックバック(0) | Alpina D5 turbo | 日記
2014年07月01日 イイね!

遠い日の事故のキヲク。

遠い日の事故のキヲク。車に乗っていると、否応なしに事故に遭う確率が高くなります。
私は、一週間に1~2回しか車に乗りませんから、毎日乗る人に比べると事故遭遇率は格段に低いものと思われます。しかし、「運不運でしか説明ができない事故」というものは、確率に関係なく起こっているような気がしてなりません。
自分がいくら注意して運転していても、どうしても避けきれない事故というものがそれに当たると思います。


そんな一例として、冬の高速道路を走行中、反対車線から大きな氷塊が飛んできてフロントガラスにぶち当たったことがありました。

私の出発時間の問題、走行速度の問題、氷塊を落とした相手の車の様々な問題等、数えきれない偶然が重ならない限り、高速道路上でピンポイントでこんなことは起こりえない話です。
当たったまでは不幸としか言いようが無いのですが、ルームミラー付近の上の方に当たったのが幸いして、ガラスが割れることもなくスベリ跳ねるように左後方へ飛んで行ってしまい車も私も無傷でした。

このようなことは事故とまでは言わないかもしれませんが、一歩間違えれば重大な結果を招いていたかもしれません。
避けきれない事故は、自分ではどうしようもないことで、不幸を嘆いても仕方がありません。それが己の運命と諦めて、現実を素直に受け入れることにしております。

人と車、車と車の事故は加害者、被害者の人生を狂わす悲惨な結果を招きかねませんので、ふだんは慎重な上にも慎重を重ねて、自分が加害者とならないような運転をする事を心がけております。。。と言っておきましょう(汗)

私は、運がいいとか悪いとか、どこで何が起こるかは、生まれた時からすでに決められていることだろうと思う運命論者です。

そう思うようになったのは、かつて交通事故で「死にかけた経験」があることに関係しております。
半世紀以上も生きていれば、色々な経験をしますけど、これはまぁ、出来ればしたくない経験ですね(汗)

「一度死んだかもしれないのに死ななかった」というのは、この世に生きなければならないと運命づけられていると考えるようになりました。
そういう意味では、私の人生観を変えてしまった事故ということも出来ます。

私の心の中だけにある、半世紀以上前の事故の記憶を検証することは、「自分の人生に及ぼした影響と今後の生き方」を考えるために必要な、心の整理の一環なのですが、現在に至るまで詳細に行ったことはありませんでした。

以下、結構長いですので、適当にお読みいただければ幸いです。

   —— ◇ —— ◇ —— ◇ —— ◇ —— ◇ —— ◇ ——

その事故は、私が4歳の時におこりました。
オニヤンマをとりに兄弟達と出かけた夏の夕方、家に帰るため先に道路を横断した兄を追いかけて道路に飛び出した私は、走って来たオートバイに跳ねられました。

この細い坂を兄を追いかけて走って行き、先の✕印の地点で事故に遭った。

道の手前で親の言いつけ通り、一旦立ち止まりました。
オートバイがこちらに走ってきていることは認識しておりましたが、オートバイが来る前に走って道を渡り切れると、自分の走力を過信して飛び出してしまいました。
駄菓子菓子、思いのほかオートバイは速かった(汗)
はっと、左を向いた時、間近に迫って来るオートバイが見え、運転手の顔がひきつっていたのを鮮明に覚えております。
当時の運転手は、ほとんどヘルメットを被っていませんでしたので、その表情まではっきりと見えました。

「あっ、ヤバイかも」って一瞬思いました。

ぶつかった瞬間から意識はないのですが、オートバイのどこかに引っかかったらしく、20メートルほど引くずられオートバイは右側に転倒、私はオートバイの反対側に投げ出されたということらしいです。

運転していたのは、近所のガソリンスタンドに勤めるあんちゃんで、ちょうど都会で流行っていたらしい「カミナリ族」のように、スピードを出して走る奴だと言われていた人だったようです。

道の向こう側にちょうど父親がいて、要は、父親の目の前で事故に遭ったわけなのですが、父が駆け寄って抱き上げた時、私の頭からは血がだらだらと流れており、呼びかけても揺すっても反応せずグニャリとしていたという事で、てっきり死んでしまったものだと思ったそうです。
即死とは、痛みも苦しみもなく、一瞬で終わってしまう出来事なんだろうなぁと容易に想像できます。

オートバイは手前から奥の方に走っていった。奥の青い看板付近が事故現場で、私は右側から飛び出した。
当時は、舗装されておらず、砂利道だった。(ネット上の写真を拝借しました)


父は私を抱えて、40mほど坂を登っていったところにある自宅に駆け上がりました。下駄履きだったとのことですが、家に着いた時は裸足になっていたらしいです。
騒ぎを聞いて外に出てきた母親に、父は私を差し出して見せて「こんなになってしまった」とひとことだけ言ったそうで、血だらけのボロ雑巾のように変わり果てた我が子の姿を見て、母は腰が抜ける程驚いたそうです。

しかし私の肉体は、生きるのにのに支障がなかったようで、抜けていた魂が戻りました。
その時戻った霊魂は、以前からのこの肉体の持ち主なのか、すきを狙って入り込んだズルイ奴なのか、それはわかりません。( ̄ー ̄)ニヤリ

家に運ばれて数分後、意識が戻って泣き始めたとのことでした。
泣き声を聞いて、はじめて父は、「あぁ、生きている、大丈夫かもしれない」と思ったそうです。
って、死んでないし。。(汗)

事故現場の空撮。私は左上の角の方向から走ってきて、道路の上方向から来たオートバイと✕付近でぶつかり、黒い屋根のある家の付近(当時は空き地)まで引きずられた。右上の荒れ地は、当時国鉄の官舎が立ち並んでいた。
(Google Mapから借用)


田舎では交通事故など珍しく、窓から野次馬が大勢覗きこんでいるのが見え、何だか妙に恥ずかしかったです。
そう、道を歩いている時に、大衆の面前で滑ってコケた時の気恥ずかしさに似ておりました。
要は、道路を横断するのに失敗したドジな野郎と見られてるのではないか?と恥ずかしかったのです。

頭に怪我をしていることは自分で分かりましたが、不思議に痛みは感じませんでした。β-エンドルフィン、ガンガン出ていたのでしょうね。
子供心に、脳みそが出てたら困るなぁなんて思いました(^^ゞ
怪我の程度を知りたくて、「頭、割れてる?」って聞きたかったですけど、泣いている最中ですので、いきなり泣き止んで聞くのも変だと思い、とうとう聞けませんでした。( ̄▽ ̄;)
「ちょと泣いていないと格好がつかない」という気持ちがありましたので、泣き続けました。
子供の頃を思い起こせば、泣いている時に冷静に周りを観察したり、人の反応を窺ったりしていた事があります。(笑)

しかしその後は意識が途絶えては戻り、また途絶えては戻りを繰り返しておりました。
きっと、あの世とこの世を行きつ戻りつしていたのでしょうね。
しかし、お花畑や三途の川、死んだじいちゃんなどは、見た記憶はありません。
それまでの人生が走馬灯のように見えたかというと、まだ4歳ですから走馬灯が回るほど生きておりませんし、そもそも走馬灯などというものの存在を知ったのはだいぶ後のことです。

事故現場を反対側から望む。左に黒い屋根の家が見えます。
周囲はというと、こんなに山深いところです。。(ネットから、写真を借用しました。)


田舎だったため救急車などなく、自宅で応急処置をした後、父の運転するクルマで、となり町の病院に運ばれました。
家を出た時にはまた意識がなくなっており、次の場面はこの車の中のほんの数分間だけです。
誰かが呼んでいる。うるさいし、煙草臭いし。。気がついてみるとクルマの中でした。
私を抱いていたのは、母ではなくガソリンスタンドの社長で、しきりに「ごめんよ、ごめんよ」と言っておりましたが、その時は「なぜこの人に抱かれているのか」の事情が飲み込めず非常に不快で、少し暴れました。(汗)

車の中で意識を取り戻した時、ちょうどこの薬師神社の鳥居の前を走っていました。
薬師様ですから、偶然ではないのかもしれません(^^ゞ
この道は、昔の主要県道なのですが、まるで農道並みの道幅です。


はっきり意識が戻ったのは、病院に着き処置台に乗せられた時でした。
事故後、どれだけ時間が経っていたのかわかりませんが、すでに日が暮れて外は真っ暗になっておりました。
「服を切っていいですか?」と看護婦さんが父に聞いていました。
白のランニングに、水色のオーバーオールの半ズボンをはいていましたが、ジョキジョキと服も下着も切られ、裸にされたのでちょっと恥ずかしかったです。
不安も恐怖も安堵もなく、ただおとなしく、なされるがままにアチラコチラ処置されましたが痛みは感じませんでした。その後、頭の傷を縫合する持針器のカチャいう音が部屋の中に響いている以外ものすごく静かで、無影灯が眩しかったのを覚えております。

病室に移されてしばらくした時に、若い看護婦さんが、「今日、外に落ちていたの、可愛いでしょう」と言ってツバメのヒナを見せに来てくれました。
哀れな4歳児を慰めに来てくれたものと思いますが、事故のショックが強すぎて感情鈍麻となっていたのか、可愛いとも何とも思いませんでした(^^ゞ

頭部挫傷、頭蓋骨は頭頂部左右2箇所で骨折しており、全身に擦過傷多数。
頭部は十数針縫合。出血多量で、輸血されたということは後から聞きました。
一番ひどかった右膝の傷は瘢痕として残っており、頭頂部の骨折部位は今でも触ると陥没があるのがわかります。(;´д`)
その後、何日入院していたのかよくわかりませんが、非常に長く感じました。薬が苦く一回吐いたこと、傷の消毒が痛かった事を覚えております。
CTなど無い時代ですし、頭蓋内がどうなっていたのかわかりませんが、幸い神経障害もなく治りました。

運ばれた病院の跡地。現在は県立病院となり新築移転している。

4歳の時の出来事ですが、今でも事故前後の情景が、あたかも映画を見るが如くに鮮明に思い出されます。
オートバイの前に飛び出した私が悪いのは明らかですが、オートバイの運転手がその後どうなったのか、全く知らされないまま今に至っております。

現在で言うPTSDですが、暫くの間外で遊んでいる時にオートバイの音がすると、血相を変えて家に逃げ帰っていたそうです。その辺の記憶は、、そう言われれば、そうだったかもしれない程度の4歳児の記憶で定かではありません。

その後の少年時代は、右膝の傷跡が恥ずかしくて、半ズボンをはくのが苦痛でした。
こんな傷物になってしまい、何と不幸な事故に遭ったんだろうと、己の運命を呪ったこともあります(笑)
それから、「頭を打ってバカになったのか、頭を打ったのが幸いして少し利口になったのか、果たしてどっちなんだろうか?」と、真剣に悩んだ時もありました(笑)
知能に対する頭を打った影響は、、、多分無いと思います( ̄▽ ̄;)
これ以上強く頭を打ったら、死ぬだろうという限界は見たような気がします(笑)

それ以来、あの事故の時に死ななかったのだから、不慮の事故で死ぬような事があるはずがないという、確信にも似た妙な自信がありました。

科学では説明できない不思議なことは、この世に存在します。
私の守護霊は、かなり強いかも。。。。(^^ゞ
危険な目には何度となく遭遇するので、運は悪いのかもしれませんが、不思議な事に大きな怪我をすることもなく現在に至っております。

この世は修業の場で、修行を終えたものがあの世に呼ばれていくという話をどこかで読んだことがあります。
命あるもの、いつかは死ぬ運命にあり、生物学的には自身のDNAを子孫に残したら、もはや生きている役割を終えた事になります。
鮭ならば、死んで流され、カマキリならばメスに食われている頃でしょう。
それでも私は生きています。
この世には、まだ生きていなければならない「それなりの理由」があるのでしょう。
その役割を終えたなら、定められた運命のままに別れを告げる時が来るものと思っております。

〜縦の糸はあなた、横の糸は私、逢うべき糸に出逢える事を、人は仕合わせと呼びます。
中島みゆきの「糸」は、運命的な出会いを歌った名曲だと思いますが、ここで言う出逢いは、男女の出会いだけではないなぁと私は感じています。
私がみんカラをはじめたのも、たくさんのみん友さんに巡り会えたのも、偶然ではなく必然の事と思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。
Posted at 2014/07/01 01:49:06 | コメント(15) | トラックバック(0) | 日記
2014年06月13日 イイね!

上がりのクルマを考える頃。

上がりのクルマを考える頃。何事も将来のためと思って、前ばかり向いて走ってきましたが、ふと我に返ると「将来って、いつのこと?」と考えてしまいました。
私には将来が残っているのか?(笑)
男性の平均寿命から考えると、あと20年そこそこで寿命が尽きることになるかもしれない身で、周りを見回すと、同級生の老いぼれ具合に愕然とします。
もうすでに墓に入っている奴もいるとなると、今後の人生をいかに過ごすか、真剣に考える時期にいるのだということを改めて認識しました。

私事で恐縮ですが、私の母はもうすでに、女性の平均寿命を遠に過ぎておりますが、元々が長寿家系故に、おかげさまでボケもせず元気にしております。
その母が数年前、一時の病を得て入院したことがありました。
急なことだったので、特別室しか空きベットがない状況が何日か続きました。
昔の人なので、質素倹約を旨とする生き方を今でも続けております。
特別室には差額ベッド代金がかかりますが、その時彼女は、「こんなにいい部屋なんて必要がない。イザという時のためにお金はとっておくものだよ」と言ったので、自分の親ながら驚きました。
「入院が必要な今をイザと言わずに、いつをイザというのだ?」と、私は疑問を投げかけましたが、彼女にとって、イザという時とはまだまだ先の事だったようです。(汗)

その息子である私は、将来という時が何時のことなのか、考えもせず生きてきましたが、年齢にふさわしいクルマはどんな車種かということを考えた時、将来はいつ?という疑問点に、自分なりの答えを見出す必要性を感じました。
身近な人の死を経験したり、大災害で不慮の死を遂げたりする人を見ると、50年以上生きてきた人間にとっては、今、現在が、いわゆる昔から考えていた将来であるというふうに考え始めております。
要するに、人生は儚いものなのです。。

みんとも様方の年齢は40歳あたりをピークに正規分布していると思いますが、40歳は現実的に人生の折り返し点で、そこを過ぎた方は、、あとは坂道を転がるように年老いていきますことをご覚悟されてください(笑)
老け方には、かなり個人差があります。
肉体的な老い方は、精神的な老化で更に加速するような気が致します。



そんな私に、子供が出来ました\(^o^)/ 
って、そんなはずありません。。まぁ、不可能ではありませんが(汗)
嫁に行った長女に子供が出来ました。
いわゆる孫が生まれました。
と、言うと何だかえらく年をとってしまった気がして悔しいのですが、子孫繁栄の慶事なので、ジジイだ何だと言われようが我慢しましょう。(笑)




あれは4月の初旬。
桜まつりが開催されている墨堤に、夜桜とスカイツリーを見に行って、若いカップルが写真をとっている姿が微笑ましくてイイなと思い、思わずカメラを向けました。

この時歩きまわったのが良くなかったのか、一緒に行った長女が翌日出血して緊急入院、帝王切開となりました。

そして、、ビリケン様が我が家に降臨しました。(゚д゚)!
幸いなことに、母子共々無事でした。

端午の節句には、女しかいなかった我が家に、48年ぶりぐらいに鯉のぼりが上がりました。
これ、近隣住民に男の子が生まれたことを暗に知らせる効果がありますね。

我が家の新しいおもちゃ状態で、

お嬢様2号は、こわごわ抱いて、

お嬢様3号にはツンツンされ、

数時間ごとにウグウグとミルクを飲み、

暇があると寝る。(笑)

5月末に新居に戻りましたが、クルマで1時間、電車でも1時間のところに住んでおりますので、すぐ顔を見に行くことは出来ます。

新居に行ったことがなかったので、行ってみましたが、、空の上に住んでいるのか、、、、。(゚д゚)!

何だか、羨ましいです。私もこんなところに住んでみたい(^^ゞ

これは、夜景を撮らねばと思い、夜まで居座って夜景を撮影。

羽田に着陸する飛行機の着陸灯が、点々と連なって見えます。


帰りに辰巳に寄ってみましたが、閑散としていて、知っている方は誰もおりませんでした。

D5は、乗っていますよ。証拠写真です。

上がりのクルマは、考えております。

自分の子供が出来た時、嬉しいという感情よりも、ちゃんと育てなければいけないという義務感のほうが強くて、素直に可愛いと可愛がることが出来なかったことがあります。
父親というものを、意識的に演じることも必要だと思っておりました。
それが正解だったのか、もっと親バカになって可愛がるべきだったのか、今となってはどうしようもないことなのですが、違った子育てを妄想することがあります。
今現在、子育て中のみん友さんが多数おられますが、今日という日は二度と無いことを意識して頂いて、後悔のない人生を送ってほしいと願っております。

しかし、自分が育てる義務はあまりない孫という存在は、出来てみないとわからない感情が湧いてくるものですね。
人のうちの赤ん坊は、可愛いなんてなかなか思わないものですが、自分のDNAを受け継いでいる孫という存在は、、カワイイ(笑)
Posted at 2014/06/13 02:44:46 | コメント(19) | トラックバック(0) | 出来事 | 日記
2014年03月19日 イイね!

ボケを考える。

ボケを考える。言葉狩りって、個人が言葉に持つイメージを侵害することであり、日本語文化の破壊行為でもあると思います。
「ぼけ」は差別用語だと言って、痴呆症を認知症などと誰が考えたのか、どこから持ってきたのかもわからないような言葉にされましたが、ボケはボケなんじゃ!(`o´)

めっかち、つんぼ、おし、びっこ、めくら、いざり、ちんば。。
このような言葉を使って他人を卑下する事は、当然許される事ではありませんが、差別用語と決めつけて使用まで禁ずるのは如何なものかとも思います。。
大体、びっこをひいて歩いている様を、ほかに何と表現しろというのだろう??
跛行している?
これでは、まったくイメージ湧きません(` 'メ)

まあ、言葉は生きておりますので、すでに死語となってしまい知らない人もいるでしょう。

ボケという言葉に釈然としない思いがありますが、ボケはボケでも、差別用語らしいボケではなく、カメラのボケのお話です。

みん友の皆様が写真部活動に勤しんでおられるので、私も梅を愛でながら写真を撮ってみました。
1型センサーのコンデジで、どの程度のボケが得られるのだろうか?。。
DSC-RX100M2でぼけテストです。

写した花がボケの花だったら余計面白いかと思って、ボケを探しましたが残念ながら発見できませんでした(^^ゞ


川口市にある峯ケ岡八幡神社のしだれ梅を撮影しました。
うん、なかなか( ・∀・)イイ!!ね。。

「呼んだ?」
別に呼んでませんが、、(^^ゞ。
狛犬の「あうん」の「うん」像です。
うん、なかなか味があります。。
背景は適当にボケていますが、これ以上はボケないようです。

たまに参拝する人が居りますが、駐車場は私のクルマだけです。ボケてますが、D5です。
  
春の陽が射して、暖かな午後でした。
薄い花びらは、後ろが透けて見えます。
透明感を写し出すのは、難しい。。
SONY DSC-RX100M2は5cmの近接に対応しており、接写にも強いようですが、本職のマクロレンズに敵うべくもありません。
枝が揺れるのか、手が震えるのか、ピントが甘いです(汗)
テレ端はF4.9と少し暗めですが、光学3.6倍のズームが使えるところは、このクラスの他のカメラにはないメリットです。
開放F1.8の明るいレンズに、2020万画素の優秀なセンサーを備えていますが、センサーサイズが1インチしかないのでボケにくいらしいです。
しかし、条件によっては、玉ボケもできる(゚∀゚)


参道の両側には石灯籠が並んでおり、こぢんまりとしていますが、なかなかの風情です。  

長年の風雪に耐えた、欅の木。。
樹齢数百年。。威厳さえ感じる佇まいです。
  
リュウキンカの黄色い花と、ヒアシンスの紫の花が植えられていました。
私は断っておきますが、草花を撮る趣味はまったくありません(汗)
箱根の湿生花園に群れていた、高級カメラ+レンズを持ったジジイとババア眉雪の方々が思い出されます。(゚∀゚)アヒャ---

山野草を撮ったら負けだと思っている・・・(笑)

埼玉県って、あまり観光する場所もないのですが、安行台地にこんな素敵な三重塔があるんです。
横浜の三渓園の三重塔のように、ズルして何処かからか持ってきたものではありません。
三代将軍家光の長女、千代姫が奉建した西福寺の三重塔で、元禄6年(1693)3月27日に建立された、由緒正しき県指定文化財です。
ここへ来る道は、クルマ一台やっと通れるような坂道で、地元民しかこの塔の存在を知らないのではないでしょうか?

無駄に広い駐車場もあり、周囲に桜の木が植えられておりますので、桜の季節にまた来てみようと思います。


アルピナD5は、本日一年点検に出しました。
消費税が上る前にと、少し早いですが勧められました。
11ヶ月で7993kmの走行距離ですが、C63も結構乗っておりますので、頑張って走った方ではないでしょうか。
キリ番の7777kmを記録しそこねたので、8000kmはどうでも良いような気なっています(´・ω・`)
峯ケ岡八幡でのフォトギャラリーも、よろしければご覧になって下さい。

このカメラは、適当な感じで夜景が撮れるので、夜景撮影は三脚だのなんだのと敷居が高いような気になっている方にはオススメです。
Posted at 2014/03/19 15:31:36 | コメント(12) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「C63箱替えしました。 http://cvw.jp/b/1769161/44374577/
何シテル?   09/11 01:44
clevelar@(クリブラー)です。 ハンドルネームは、ゴルフでクリーブランドのクラブを使っていることからつけました。 みん友さんから、お義父さんと呼...
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写真修業 ~ 「24 -TWENTY FOUR-」 魂の修業(*^^)v ALPINA D5 編  
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2014/10/15 01:42:50
本日はエンジンオイルの交換時期について議論します( ゚д゚ )クワッ!!、その2。 
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2014/01/24 03:03:13
いまさらPCMCIAカード 
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2014/01/18 17:54:17

愛車一覧

メルセデスAMG Cクラス セダン メルセデスAMG Cクラス セダン
C63の箱替えです。
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