2010年12月11日
今日は子守で暇なので日記の続きを書くことにする。
RS購入におけるさまざまな壁を一つ一つ乗り越え(嫁に離婚宣言までされた)
念願のRSを手にした私、気になるところをメンテしようやく迎えたロドでの初サーキット
朝6時さっそうと車に乗り込みお気に入りのツインサーキットへと向かったのであった。
このツインサーキット、ドリフトコースとグリップコースからなるのだが、これら2つのコースをつなぐと1周約1.8キロのなかなか走り応えのあるコースとなりサーキットデビュー以来のお気にいりなのだ。
ここでは、月に3回ほどフルコースを開放したプロジェクト1なる走行会をやっており平日は30分×2で7000円と非常にリーズナブルなことにくわえ、平日であれば1枠に多くても5~6台くらいと初心者の私でも他車とあまりからむことなく走れて私的にはそのへんが大変気に入っている。
その日も全体で10台くらいの参加ではっきりいってガラガラだった。
早速受付を済ませ、計測器を借りやる気満々で自分の走行枠を待っていた。NA初走行にかなりドキドキしながら。
1本目これは、無理せずまず車に慣れようとゆっくり走るつもりでコースイン!
したもののなかなかペースをつかめずシフトミス連発、オーバーレブさせまくり、ヒールトーにいたってはパンッーならぬパッヲーン的な情けない音を立て回転がまったく合っていない始末。あげく2回まわって他の車に迷惑をかける始末。
走行を終えピットにてモニターを確認するも次の走行枠に切り替わっておりタイムの確認できず。
2本目
気を取り直して冷静に丁寧に走るよう心掛けコースイン!
2本目よりは若干ましな感じ。それでも相変わらずシフトミスを連発、2速から5速に入れることが多く、攻めるとかそれ以前の問題である。
2本目を終えた後すっかり頭に血が上っていた私は、そのまま受付に直行し、1枠延長をお願いしすぐさまこーすいん!
もうこうなると頭に血が上ってパチンコ屋と銀行を往復するがごとく結果など良くなるわけもなく、グッダグッダのヘッコヘコな走りである。
あげくにホームストレートで激しく指をさされながらオレンジボールを受ける始末。
あろうことかボンネットを閉め忘れていたのだ。(最悪)
さらにまたスピン。
さらには、Zコーナー手前のポストでイエローフラッグ。
前にスピンした車でもいるのかな~と思って減速するもそのような車はおらずあれは何だったのか?
ひょっとしてイエローカード?
サーキットにイエローカードってあるの?
ほどなく3本目の走行を終え本日のすべての行程を終えた。この時点でまだ自分のタイムは全く分かっていない。(チンタラしていてピットのモニターを見ていなかった)
自分予想では、ベストで15秒くらいで走れているのでは?位思っていた。まったくおめでたいおっさんである。
片づけを終え計測器と引き換えにタイムが印刷された紙をもらった私は目を疑った。
思わず喉まで「これ間違ってますよ僕の番号は8番・・・」まで出かかって紙に印刷された8番の文字を確認した私はそのままその言葉を飲み込み平静を装いお礼の言葉をのべて足早にその場を立ち去ったのだ。
その日のベストタイムは、18秒08 じゅうはちびょうぜろはち
あまりのイメージとのギャップにただただ呆然とする私。同期のたかちゃんの言葉を思い出す。「FRは、うまい下手がはっきりとでますから」。
わたしが日記を書くにいたったのは現実から目をそらさず正面から向きあうことで現状を打破するためである。
そう、これは、ビギナーのおっさんが一つ一つステップを踏みながらそれなりに走れるようになるまでを赤裸々につづっていく日記なのである。
ここに決意を表明する。俺はそれなりに走れるようになってやる。ものごとがうまくいかないということは、考えようによっては大変楽しいことである。
なぜならば、あとはうまくいくしかないのである。
車に関していえば、ある一定のレベルに達しているならばともかくへたくそは練習すればするほど伸びるはずだ!(たぶん)
一つ気がかりなのは、進歩と加齢による衰えのどちらが勝つかということ。
差し引きマイナスは悲しすぎる。
もうすぐ41歳。私には時間がないのだ。自分がヘタクソであるということに気がついてよかった。
やっとスタートラインに立った。
俺はやる。
とりあえず、ツインサーキットでの目標タイムを「15秒切り」としこれからそのために何をしなければならないか考え、一つ一つクリアしていくのだ。
たのしいな~
つづく
Posted at 2010/12/11 12:07:22 | |
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2010年12月10日
日記を書いてみることにした。
日記を書くなど何年振りだろうか?
今まで何度も日記には挑戦してみたが、元来の筆不精でまったく長続きしたためしがない。
そんな私が再び筆をとるきっかけとなったのは、去る12月6日(月)の出来事がきっかけなのだ。
それは、鈴鹿ツインサーキット プロジェクト1走行会での忌まわしいラップタイムのおかげである。
ツインフルコースを走るのはおよそ1年半ぶりのことであり、相棒ハンサム号で走るのは初めてだ。
走行を終え意気消沈し帰宅した私の異変に妻はすぐに気がついたらしい。
「今日はどうやったん?」
「う~ん」「もひとつ・・・」
私は今まで運転をなめていた。スポーツでこんな挫折感を味わったのは初めてといっても過言ではない。
そもそも、私がはじめてサーキットを走ったのは5年前、今では家族の車となり下がったレガシィツーリングワゴンでのことである。
レガシィを手にした私は、すっかりその速さに魅了されその性能を遺憾なく発揮できる場所を求めていた
そのときネットで発見したのができて間もない鈴鹿ツインサーキットである。ちょうどタイミング良く「どきどき」とかいう名前の初心者向けフルコース走行会が行われており迷わず腕試しに行ったのだ。
それまでサーキットはおろかおよそ走り屋らしいことは全くしたことがなかったくせに特に何も考えていなかった。
すっかりサーキットに魅了された私はその後も何回かツインに通いそのたびにタイムはあがっていった。
タイヤをAD07に履き替えるとタイムはさらに縮まった。
そんなおり、会社の同期であるであるタカちゃん(ドリフト好きらしい。腕は不明)にそのことを報告すると「四駆なんか誰が乗ってもそれなりに走れるんっすよ。FRに乗らないとだっめっすよ」と罵られ多少イラッとしながらも素直な私は「そうかな?」と思うとともに、ちょうどそのころツインサーキットのZコーナーでスピンし激しくおけつからタイヤバリアに激突し逆ウィリーのような態勢になったR32(やったと思う)の姿が目に浮かび家族の車でサーキットを走ることに一抹の不安を覚えたのであった。
そんなときふと目に留まったのがロードスターである。私はロードスターが猛烈に気になりだし、「ロードスター購入計画」なるものを立てテーブルの上にロードスター専門誌を置くなど嫁に対してそれとなく消極的なアピールを開始したのであった。
突然ですが、疲れたので今日の執筆活動はこの辺で勘弁しておく。
つづく
Posted at 2010/12/10 22:19:45 | |
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