92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」
【社会】 2013/07/07 13:19
(東京 7日 中央社)今年92歳になる台湾人元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さんは日本の人々に過去の歴史を忘れないでほしい、戦時中の慰安婦の存在を二度と否定しないでほしいとはるばる日本に赴き人々に訴えかけた。
今月6日から東京都新宿区の「戦争と平和女性博物館」で台湾慰安婦についての特別展が日本の団体と台湾のNPO、婦女救援基金会によって共催されるが、鄭陳さんはその高齢にもかかわらず、歴史の生き証人として名乗りを挙げ、同日午後都内で行われたオープニング・シンポジウムに出席、自身の悲しい過去について涙ながらに語った。
この特別展は「台湾人『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」と題されるもの。「阿媽」、台湾語の「阿[女へんに麼]」(アマー)は「おばあちゃん」の意。シンポジウムの会場には大学生など若者を含む日本人が100人以上集まり、まず先日亡くなった台湾人元慰安婦の冥福を祈って1分間の黙祷が行われた。
鄭陳さんは壇上に立つと日本語で自己紹介、当時、高校への通学途中、突然警察官にジープに乗るよう強要され、その後海外に連れて行かれたと語り始めたが、何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった。
19歳でインドの「慰安所」に送られた鄭陳さんはその後生きた心地のしない悲しい5年間を送る。自殺をはかり流産し、終戦後ようやく台湾に戻った時にはすでに妊娠できる体ではなかった。一生消えることのない心と体の傷を抱えながら鄭陳さんは、当時の被害者が今まだここにいる、歴史の否定や抹消は許されないのだということを日本の当局に知らせたいと今回の日本行きを自ら希望したという。
この20年来おばあさんたちに寄り添ってきた婦女基金会幹部の康淑華さんはシンポジウムの席上、アマーが自分について語るのは大変勇気の要ることで、日本側が不当な言論でアマーたちを苦しめ傷つけ、歴史の教科書では戦時中の慰安婦制度についての記述をなくして日本の若い世代に事実を知らせず過去の記憶を消そうとしていると指摘、人々の無関心に憂慮を示した。
同基金会ではアマーたちのドキュメンタリーを今年9月に公開することにしている。
軍用車両をジープと言うのまではまあ理解できる。
インドのアンダマン諸島を占領したという事実はあるものの、わざわざ台湾から日本軍が移送するような労力を払うだろうか?
鄭陳桃氏の場合 眉唾ものだが参考になる記事があった。
インド領アンダマン諸島にも韓国人の日本軍「慰安婦」
まあ、アンダマンを日本軍が占領したって言ってるけど、実際は「自由インド仮政府」を作らせ統治させ日本軍に協力させていたのが実状。
千人も殺すような大量虐殺なんて言ってるけど日本軍がそんな無駄で非効率なことする余力が当時あっただろうか?
もともと慰安婦制度は、地元住民の無駄な強姦や虐殺をさせないため軍の規律を守らせるための制度だったはず。
千人もの人を簡単に殺すようなレベルの低い軍規なら、慰安所を5ヶ所も作るような無駄なことしないでしょう。
日本軍が原爆開発に成功していたら、731部隊のバイオ兵器を引き合いに出して、原爆投下もありえる見たいな内容を平気で書いてるくらいですから、あまり当てにはなりませんが。
慰安所が存在していたのは事実のようです。
「海軍慰安所利用内規」なるものが見つかって、「この慰安所は軍が強力な影響力をもって管理、経営の責任者として業者に慰安所の経営を委託していたことが分かる。この資料によれば司令部傘下の慰安所は五カ所で、軍人だけではなく、軍属、司令部の許可を得た商社員も利用でき、階級、身分を基準に利用時間や料金を定めた。」と書いていたらしい。
強力な影響力って言う割には、慰安婦の名簿も実態を示す資料はないところを見ると、日本軍が業者に任せっ切りで、慰安所を作り利用者から料金を取って運営していた軍公認の買収宿って事実が出てきただけだと思う。
もしこの記事のとおりだったとしても過酷な人生には同情するが、親に売られて人身売買で回ってきた慰安婦たちに関して、日本軍に責任を問うのはやはり筋違いと思う。
悪いのは日本軍の慰安婦システムを悪用して荒稼ぎしていた同族の人身売買業者と売り渡した親たちと私は思います。
今の価値基準で考えたら、軍が売春婦を雇うのはどうかと思いますが、当時の日本は売春その物は違法では無かった時代。
それを今更、今の基準を適用して糾弾するのはやはりおかしいと思います。
Posted at 2013/07/13 02:59:27 | |
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