
こちらも、缶コーヒーのおまけ。
零戦ではないのですが、戦争当時の戦闘機を再現したものですね。
九九式艦上爆撃機
「永遠の0」と言う映画に合わせて企画されたようです。
この「永遠の0」は読んだことないのですが、
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。
終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。
天才だが臆病者。
想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる。
記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
こういう見出しらしい。
で、模型についてきた資料には、
特攻隊には十七、八の少年兵もいた。
綺麗な目をした奴らばかりだった。
「喜んで死にます」と勇ましいことを言っていたが、
心の底で恐怖と懸命に戦っているのがわかった。
朝にはたいていの奴が目をはらしていた。
本人も気が付かないうちに布団の中で泣いていたんだろうよ。
しかしそんな弱さを誰にも見せなかった。
くそっ。
なんて奴らだ!
日本の零戦は、空戦能力は高かったようですが、アメリカの大型爆撃機を中々落とすことが出来ず、零戦乗りが自らの判断で特攻していたようです。
次第に戦力差から「特攻」の必要性を訴える人が増え、最後には作戦として組織的に片道の燃料しか積まない本当の「特攻」をさせたようだ。
戦争も特攻も美化するつもりは毛頭ない。
無能な上層部の蛮行以外のなにものでもないから。
日本の前線では重い米を持って行軍している中、アメリカは携帯性はもちろん栄養や保存性にも優れた様々なレーションを活用していたというのは良く聞く話。
そんな無能な上層部では、勝てる戦も負けるし、勝てない戦もやらかすわけだ。
そして、無能な上層部によって、実際に実行され多くの命が失われたのは事実。
その事実の上に、今の自分や家族・平和な生活が築かれていることを思うと命を賭した彼らに感謝の気持ちが込み上げる。
誰もが、間違いなく「生きたい」と思っていたと思います。
そう思うと、戦死した方々に顔向けできないような情けない生き方はしたくないと思う。
戦争は「悪」です。
でも、あらゆる可能性を考えて準備するのは当たり前のこと。
戦争をしない為の力という矛盾があっても。
日本は右翼化していると良く言われているようですが、いろいろな想定を踏まえた準備が必要と思う。
自衛はもちろん、先進国として国際社会で果たす義務はよくよく考えなければいけないと思う。
Posted at 2013/10/12 15:44:08 | |
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