
2003年の初飛行時は、実用化、商用化は考えていなかったそうです。
それが開発責任者、藤野さんの努力で、いまは羽ばたいています。
HONDA JET、本田宗一郎、そしてホンダのノンフィクション作品です。
宗一郎が父親から言われた三ヶ条のひとつ。のちにホンダ社長となってから、若い社員に説いた言葉。
「人の人生には不公平はつきものだが、少なくとも死ぬまでの間、等しく1日24時間を割り当てられた時間だけは公平だから、これを大事にして生きるか無駄にするかで人生が変わってくる」
「どんな良い技術でも買うことはできます。しかし買ったものはあくまで買ったものなんです。どんなに苦労してもよろしい。みんなで本当に、自分で考え出したものこそ、尊いんだ」
自論でエンジニアをねじ伏せていた宗一郎が、一緒に会社を立ち上げた信頼する仲間、藤沢さんのひと言で、自らの立場を再考し若手エンジニアの気持ちをくみ取ったところ。
「社長には、むしろ欠点が必要。欠点があるから魅力的。自分の方が勝ちだと思った時、相手に親近感を持つ。理詰めのものではだめなんですね」
ホンダの伝統を壊した当時の社長、川本さんに宗一郎が声をかけ、非難することなく「おめえがホンダの芯棒なんだからな。絶対にぶれんじゃねえぞ」
自動車メーカー再編に対し、「二人三脚よりひとりで走る方が速いに決まってるでしょ」「それぞれの話を聞くとバリュー・チェーンがとか、極めて経営的な話ばかり。そこで働く人たちひとりひとりの生き方が、ひとつの企業のあり方を決めるという考えが希薄だなと思えた。結論的に言えば、やはりホンダは自主自立で行く方がいい」
上層部からは「実用化はない」と言われていたが、休暇中のカリブのレストランで隣に座った紳士との会話で、
「私、ホンダでジェット機の開発しとったんですよ」
「知っとるぞ。ニュースでやっとったぞ。あんたかい。ぜひ買いたいぞ。売り出したら絶対に教えてくれよ。約束だぞ。」
こう言ってくれる人がいるんだ。「やってみる価値はあるのではないか」
HONDA JETの開発終了はいつでもできたが、ここまで来たんだから、もう少しがんばったら、もっと良くなるんじゃないか。
そして何年もあとの商談開始の展示会での盛況ぶりと、カリブの紳士との再会。
「約束を守って買いに来たんだよ!」
航空機ビジネスは参入の壁が高く、実績が重要。
圧倒的不利な状況からのHONDA JET事業化。
ひたすらシビれました。
言い尽くされているけど、「あきらめなければ…」
Posted at 2020/04/05 20:31:40 | |
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