名前は、"Jiang Benjamin Alto of Mountfield"ことアルトに決定しました。モーツァルトが好きなようなので、Wolfgang or Wolf→マッチョすぎる、Amadeus→呼びづらい、Mozart→長すぎる、というわけでアルトです。イタリア語での意味も悪くないようですし。ちなみに、SUZUKIのクルマと直接の関係はありません。なお、Jiangは嫁方から、Benjaminは最高の息子たれと、さらにMountfieldはブリーダーさんの名前を無理矢理に直訳してます。
うちに来て二週間後の健康診断時に4.5kgだった体重は、その一週間後に6.4kgまで増えました。その他特段問題ないどころか、うちに馴染みすぎているんじゃないかというくらい、よく食べ、よく眠り、よく遊んでいます。
今のところ、一番のお気に入りおもちゃは、なぜかというかやはりというか、ペットボトルです。
お散歩デビューまで二週間。早く外で思いっきり遊びたい。
家族が増えました。といってもヒトではなくて、犬。ボーダー・コリーのロッキー(仮。以下略)です。
普段通っているショッピングセンターの総合ペットショップエリアをなんともなしにちょっとだけと覗いてみると、よくある透明ケースのなかに、頼りないくらいに小さく、とても固有の脳を具備し、その心臓がほかのなにものからも独立して動いているとは思えないような、白黒のロッキーがよたよたとしながら、その真っ黒で揺るぎなく淀みない瞳をこちらに向けていたのでした。まだ時期尚早かなと思い、◯◯が××になるまでに他所の子にならずにいてくれたら、うちに連れて帰ろうね、などと家内と冗談を言っておりました。
しかし、犬を飼うのに時期尚早というのは、一体どういうことでしょうか。物質的精神的な制約があり、将来解消される可能性を有した状況下である、とでもいうことでしょうが、絶対大丈夫などという保証のないこの世の中において、そのような線引きにどれほどの意味があるのでしょう。また、挑戦のないところに成長はないという箴言もあります。 結果として、ロッキーはその有史以来の美しさを有するにもかかわらず、私ども夫婦を一ヶ月以上も待ち続けていてくれたのです。
その場でとりあえずの飼育(まさに食を司り育むわけですが)に必要な諸々を購入し、トランクに入らないものは人間が我慢だ、と両方のシートを思い切り前に出してスペースを確保し(ツーシーターの悲哀ですね)、ルームミラーが機能しない状態になりながらも、ロッキーは助手席の家内に抱かれ、自分が望んだか否かによらず、ある種の理不尽な強制によって置かれた状況に戸惑いながら、今まで見たこともないであろう街やヘッドライトの灯りに慄き、不安げな表情を浮かべ、それでも暴れることなく、無事に我が家へとやってきました。
まずは様子見期間ということで(車の慣らし運転のようなものですね)、食事と下の世話以外には構わず、決してケージから出さないように、これを一週間から二週間続けなさいと。嗚呼、こんな残酷な指示を出す権利が一体誰にあるというのでしょうか。今まさに目の前で、産まれてまだ3ヶ月にも満たない小さな生命が、その存在意義を確認するかのように、ほとんど本能的な欲求を私に向けているというのに。 しかしこれから先長い年月を共にする新しい家族との、大事な滑り出しであり、ここは断固たる決意で我慢しようと、二人で励まし合ったのでした。
しかしそれにしてもどうにも落ち着かない。今まで二人しかいなかった部屋に、もう一つ別の生命が確かに呼吸している、あるいは「俺の犬」がいる、という状況に私自身未だ馴染めていないのです。そこで本棚から、敬愛してやまない江藤淳先生の『犬と私』を取り出して、将来ああしようこうしようなどと妄想に耽るわけです。せっかくなのでここで少し引用しておきます。
犬を飼うということが、これほど大きな変革を私の家庭にあたえるものとは思ってもみなかった。私に子供がない故かも知れない。とにかく彼女は私の外側に存在する一個の動物にとどまってはいない。私の内部にはいりこみ、愛情を要求し、自分を主張する。<中略>寝室にいたるまで、彼女は私を去らない。無視しておくためには、彼女はあまりに怜悧で、可憐である。
<中略>私は奇妙な感動を感じた。いわば、これがおれの犬だな、これがおれの仔犬だ、といった、妙にそわそわした感じである。
『仔犬と私』
それに、精神などというものが、いったい人間のなかにあるのだろうか。子犬を一匹飼ったぐらいでどうにかなる精神などは、いっそないほうがましではあるまいか。少くとも、犬とか馬とかいうもののよさは、どんな状態におかれても「精神」がどうしたというようなことをいわないところにあるのである。
『本と犬と引っ越しと』
たしかに私はダーキイを子供のように可愛がってはいる。家内が彼女に「ほらパパのお帰りよ」というようなことをいうのも事実である。しかし、私は決して子供がいないという代償をダーキイに求めているわけではない。あるいははじめのうちはそんな甘ったれた気持ちもあったかも知れないが、飼い出して七年たった今となってはそうでないことが私にはよくわかっている。つまり、私は彼女が決して人間ではないからこれだけ可愛いのである。
たとえばある瞬間に私が犬になっていることがあり、他の瞬間にダーキイが人間になっていることがある。それは可能だが、犬を一方的に子供の代償にするなどという大それたことができるわけはない。こっちがそう思っても犬のほうでそれを許してくれない。犬が可愛いということは、むしろこちらが犬になってみたいということに近いのだ。
『犬の本が出来るまで』
本当は、新聞にちょっとやそっと批判されたくらいで、たじろいだり、犬を飼うのをやめたりする人間は、最初から犬を飼う資格がないのである。犬というものは、犬好きにとっては、決して社会学的な考察の対象になどはならず、大げさにいえば実存的な関心の対象にしかならないものである。ましてや、似合う、似合わないは大きなお世話で、犬は飼っていればいつの間にか飼主に似て来るにきまっている。犬が自分に似るのか、自分が犬に似るのか、いずれにせよ、おたがいに一目瞭然に似ないようなら、そういう飼主もまた犬を飼う資格がないのである。
『犬さまざま』
要するにそれは、犬への愛情なのか、自己愛なのか、そこのところはまだ結論がでていない。
『ツルリとしたもの』
私の口からそういうのもなんですが、いままで三代の犬のうちでは、こんどのパティがいちばん器量よしではないかと思います。どうしてああうまい具合に白地に金茶のブチが出るのかと思うくらいに、色の配合がほどよく出来上っている。両耳は金茶で、鼻の両側にソバカスのようなブチが散らばっているのがなんともいえない。
眼は女の子らしい優しい眼ですが、睫がとてもながい。あれを少しカールさせてやったら、凄い美人(?)になるぞと、ひとりでニヤニヤしている。
<中略>
仔犬というものは、こちらの事情には斟酌なくどこへでもはいり込んで来て甘ったれます。たちまち距離がなくなってしまう。老犬が大儀そうにしていると、それを見ているのが大変に辛い。見ているという距離感が辛いんですね。これに反して仔犬のほうは、文字通りの生命の固りで、なにかというと飛びついてきてはしがみつく。零距離でこっちをなめまわす。
『フグ取りの話』
それは、私の口からいうのも妙な話だが、いわば泰西名画にでも出て来そうな仔犬だった。頭部の雪のように白い毛と、金茶に房々と波打っている長い両耳との対照が美しく、すっきりと通った鼻筋に、ソバカスのような金茶のブチが散在しているのが可愛らしい。そして、少し垂れ下がった両眼と、濡れて輝いている形のよい鼻だけが黒かった。
『仔犬のいる部屋』
他にも犬好きと鳥好きのメンタリティーの違いに関する面白い考察がありますが、あまり評価していなかった村上春樹が大の猫好き、というのもまた面白い対比ですね。まさかそんな理由でということはないでしょうけど 。余談ですが、自分の中にある確固たる絶対的ななにものかの存在を出発点とした江藤先生と、みんな相対的で不安定でとめどなくうつろっているんだよ、な村上春樹の対照的なスタンスの違いも想起されます。その芯がブレないという意味で共通した両者の愛読者としては、どちらもそれぞれに好きなんですけれども。
もともと江藤淳のエッセイのうちでも『妻と私』に次ぐ再読回数の本ですが、こうして自分自身、犬と一緒になってみると、一つ一つのフレーズが余計に染み込んできますね。所謂「わかります」というやつです。気難しいといわれた評論家の、家族としての犬に対する、あまりにも素直で慈愛に満ちた優しい筆致があることはもちろんですが、今際の際に立ち会った描写には涙すら覚えます。「私情を語ることが文学である」と言い切った江藤淳のまぎれもない文学作品でしょうか。
先生は私が大学入学した年に、ちょうどその学校を退官されたので、直接ご高説に触れる機会が得られなかったことが、今更ながらつくづく残念です。
閑話休題。
それはともかく、こんなにも浮ついた心持ちですので、言い訳を探しながら、なんとかロッキーと触れ合えないかな、などと邪な考えを持っていたりして、結果としてはじめの2日間は家内がケージを掃除する間にたっぷりと遊んでしまいました。しかしそれにしても、食欲旺盛でお腹を下したりもせず、まるでここに私たちと一緒に生活することが当然であるかのように、環境の変化に対しては超然としているロッキーを見ていると(遊んでアピールがすごいのと噛癖があるのでおとなしいとは全くいえません)、浮世の疲れも癒されます。私は別に熱心な運命論者ではありませんが、家内と出会ったことといい、これはきっとあらかじめ定められていたことなんだなと思わずにはいられません。
ところで、その家内にもやはり変化がありました。そこに「母」の姿を垣間見たことは、言うまでもありません。
これから旅行などに行く際は、「ママ」の膝にロッキーを乗せて、という風になるわけですが、果たしてうちのロドはそれに耐えられるのでしょうか。物理的に。一方で、これでソロドライブに行く口実ができるな、などという実に浅はかな考えもあったりしますが、仕事中いつの間にかニヤニヤしてしまっている自分を発見すると、本当に迂闊といえば迂闊だなあとも思います。
というわけで、これからはロードスターとボーダー・コリーのいる生活、を細々と書き綴っていきたいと思います。まずは名前を決めないとな。ケージから出すまで、まあお七夜みたいなものですね。
家内がトチオトメを腹いっぱい喰らいたいと宣うので、今年既に何回目かになるイチゴ狩りへ。普通にスーパーで買えばいいじゃんと思う一方、まあこういうのもありかなとも思いますね。
千葉の朝8時。車はほぼ完全に凍結状態でした。
30分くらいのところにある石橋いちご園。いわゆる成東ストロベリーロードとも称されるR126沿いのファームです。周辺には、「かわつら苺園」、「順子の苺園」など。石橋いちご園は10時開園ということで、40分前に着くようにロドを走らせたんですが、先着既に2組。開園を待つ間に駐車場はもういっぱいに。。。周りのいちご園もだいたいそんな塩梅でした。国道から少し入ったところにあるようなファームは、もう少し時間的余裕がありそうですが、いやはや大変な人気ですね。。。
イチゴはとちおとめを初め、〜12種あり、本日は8種賞味可能。そして肝心のとちおとめは直売用にもいじゃったとかで、食べられず。。。
帰るときにはもう終了。しかし朝から食い過ぎました。。。それでも腹は減るもんで、道の駅「オライはすぬま」で野菜を買っているうちに、お昼にしようと、道すがら気になった(390円のマルゲリータ)の店に行ってきました。
これがなかなかにして大衆食堂的な大衆食堂味。自分が作るのに似た味で、そういう意味では家庭的。まあとにかく、値段よし味よしな「大福」でした。
そして帰りがけに、、、
43000km達成。スピードメーターが0を指していないように見えるのは特殊効果です。。。
ところで、先週はお台場MEGA WEBで86、ランドクルーザー70’s、センチュリーを試乗してきました。センチュリーなんてなかなか乗る機会無いですからね。10分ちょっとしか乗れませんが、1台あたり300円です。最近は一週間くらい前なら予約できるみたいですね。数年前は数ヶ月後まで埋まっていたような気がします。
ハチロク→なかなか楽しくていい音させる。以前乗っていたRX-8とキャラ被り。
ランドクルーザー→うーん。。。
センチュリー→静か、コップの水もこぼれなさそうなギャップ吸収力(実際、カメラをダッシュボードに置いて撮ったら結構見られる画に!)。
んで、結局やっぱりロドですね、というお決まりの結論に予定調和的に落ち着くのでした。
Nikon Dfを持って午後からお台場を散歩。レンズはNikkor 50mm f1.4/G。
お台場といえばコレ。
プロジェクション・マッピングでライトアップしてます。なんとなく、動いているように見えるようなそうでもないような。そのうち本当に動かそうとしているようですね。
あちこちまわってMEGA WEBへ。History Garageでシブいクルマたちを観てまわります。早速のお迎えはボンドカーとして採用されたことでも有名なToyota 2000GT。
Citroen。
インパネ周り。転がしてみたいですね。
初代ですかね。
これも転がしてみたい。Mazda Cosmo Sport。
Allan McNishが乗ったバージョンのF1マシン。
700万円の水素エンジン車、Miraiのコンセプトモデル。
色が独特でなかなかカッコイイ。市販車モデルはRIDE ONEで試乗できるようです。週末は予約でいっぱいですが。。。
手持ち撮影で±3EVのHDR合成。
日の出を見に行くべく、朝5時に起きようと思ったはずが、目覚めてみれば5時40分。もうあきらめようぜと宣う家内を余所に、一瞬間で準備して出発。6時40分過ぎの日の出ということで、外にでるともう既にうっすらと明るくなっておりました。
着いた場所はここ、白子海岸。
砂浜まで車を突っ込むことができます。行き過ぎるとスタックしますが。。。
雲の上に太陽が顔を出しました。しかし寒い。気温は推定0℃。
そのまま外房を南下して、館山で朝食。
9時半開店のところ少し早めに到着。先客なし。
しばらく待って入店。
たてやま丼をチョイス。
家内はこれら。貝刺し身盛り合わせにあわびのお造りとつぶ貝のお造り。盛り合わせは、法螺貝と赤貝とホタテ、とメニューにありましたが、実際には赤貝でなくつぶ貝。メニューを見ながら、赤貝もつぶ貝も食いたいってことで、わざわざ盛り合わせにお造りを追加したわけですが、どうも赤貝が入荷していなかったから替わりにつぶ貝、だそうで。図らずもつぶ貝づくしになった次第。
どれも新鮮でコリコリでした。
お次は増間林道へ。久しぶりに手応えの有りそうな林道です。
入り口にある看板。通行止を脳内変換して通行注意と認識していたので、余計なお世話だと思ってそのまま進んだわけですが、家内は書いてあるそのままを読み取ったようで、しばらくして撤退命令が出されました。限界まで行ってみたかったんですが。。。
林道の様子。しばらく行くと舗装がなくなります。それほど酷い有様ではないですが、看板が正しいとすれば、奥に行くとやばいようです。
記念撮影だけして撤退。
お次は昼に勝浦タンタン麺というやつを食ってみようと勝浦まで。
嶺岡中央林道経由。
熊取林道に入り。
ラジコン飛行機を飛ばしている集団がありましたが、総じて交通量少なめ。
朝飯ががっつりだったので時間調整。
んで、お昼ごはん。
宴会場(カラオケ)のまっただ中に放り込まれました。。。
うん、ラー油とニンニクのお味です。
さらに飽きずに昨日も立ち寄った富津海岸へ。
晴れ、ときどきオープンな一日でした。
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