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2015年05月04日 イイね!

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その5・エピローグ~

 「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その5・エピローグ~ <これまでのお話>
1 自動運転車が普及→人間に比べて事故が少ない
2 被害者遺族が「人間の運転禁止法を!」→国会「人間による運転を禁止する法律」
3 「運転禁止法」が、人権(「運転する自由」)を制約するとしても、ゆるされる制約として合憲



これまで4回にわたって、もし「運転禁止法」という法律が制定されたらそれが「違憲無効」だといって法律的に対抗できるのか、という観点から考察してきました。
先述のとおり、仮に未来に「運転禁止法」が成立すれは、違憲無効の主張はおそらく困難でしょう。

この事例を見ればわかるとおり、世の中は「多数派」によってある「制度」が作られます。
クルマに即して言えば「自分の手でクルマを運転したい、運転に喜びを感じる」という人は、免許保有者全体からみれば極めて少数でしょう。
その「運転したい自由」は「人の生命・安全」と秤の両方に乗せられた場合まちがいなく規制されてしまう、非常に脆弱な権利(利益)である、といえます。

したがって、技術の進歩とともに、自動運転車が普及し、自動運転車によって交通事故が起こらなくなったとき、「クルマを運転する自由」は、規制されて奪われてしまう可能性が非常に高い、と私は考えます。

私はこのような妄想を繰り返しながら、今、DS4を自らの手で運転できる喜びをかみしめて大事に大事に走っている毎日です。

(でも、ぶっちゃけ私が生きている間はまだそこまでいかないかな~、などと希望的観測)


おまけ

このような恐ろしい未来が到来するかしないかは、ひとえに「自動運転車」の「事故を起こさない技術」にかかっているでしょう。
「自動運転車」がある程度「人間が運転する車」と同様の事故を起こすのならば、この連載のような心配は必要ないと思います。
でも、「自動運転車」がほとんど事故を起こさない、死傷者を出さない、という領域に到達したとき、私たちの「運転する自由」はいよいよ崖っぷちに立たされることになるのかもしれません


※「人間が運転する自由」を制約・禁止する法律が定められた際、それに対抗することができるかどうかを、法的観点から考察するシリーズの5回目(最終回)です


Posted at 2015/05/04 19:21:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと法律 | 日記
2015年04月09日 イイね!

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その4・運転禁止法の違憲審査~

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その4・運転禁止法の違憲審査~<前回のお話>

・多数決で決まったルール(法律)が『人権』を侵害していたら無効
・あるルール(法律)が『人権』に許されない侵害をしているかどうか図る『ものさし』
=『違憲審査基準』
=目的・手段審査
→目的:正当なものか 
 手段:目的達成のため採られた手段が効果があるか、副作用が大きすぎないか等

※審査に当たってあらかじめ『違憲審査基準』の『厳しさ』を設定する(厳、緩、中)
※『厳しさ』を決める際には『制約されている人権』と『制約の方式』の2つの要素を考慮する





<今回のお話>

以下の法律が国会により制定されたとします(※実際には「道路交通法」が改正されることになるでしょうが、あえてわかりやすいように単独の法律として取り出しています。)

運転禁止法
  
第1条(目的) 
この法律は、人間が自動車を運転することを禁止することにより、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、および道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

第2条(定義)
一 道路・・
二 自動車・・
三 運転::::
四 自動運転車・・

第3条(人による運転の禁止)
何人も、道路において、特別に許可を得た場合を除き、自動車を運転してはならない。
ただし、自動運転車に運行の指示を出すことは除く。

第4条(罰則)
第3条に違反して特別の許可なく自動車を運転した者は、5年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する



<手順1>~制約されている不利益→どの『人権』?~
さっそく『運転禁止法』を違憲審査してみましょう。
まずは法律で制約されて発生した「不利益」が憲法の保障するどの『人権』の保障範囲に入っているかを考えます。
この法律によって、私たちは「自動運転車に指示を出すこと」以外の自動車の運転を禁止されるわけですから、制約されているのは「自ら自動車を運転操作する自由(権利)」です。

憲法はさまざまな「人権」のカタログを載せていますが、「自ら運転する自由(権利)」という人権は
明文ではのっていません。
憲法には、長い歴史の中で人類が勝ち取ってきた非常に重要な『人権』が優先的に搭載されています。しかし、時代が進む中で新たな領域を『人権』として保障する必要が出てくる場合もあります。
そんなときは13条『包括的自由権』の中で保障されているのだ!と主張することになるでしょう。
※13条『包括的自由権』:人は原則的に国家からの制約を受けない=自由ということを宣べた条文

しかし、『人権』としての重要度を考えると、民主主義の根幹を担う『表現の自由』『内心の自由』や資本主義経済の前提たる『財産権』などと比べると、どうしても低いと言わざるをえないでしょう。
どうしても「●●を楽しみたい」という「利益」のレベルの話になってしまうためです。

以上より、「自ら運転する自由(権利)」は、「包括的自由権(13条)」の保護範囲に入っているといえなくもないですが、保障の程度は、かなり低いとされるでしょう。

<手順2>~制約の態様・方法はどんなか?~
次に、制約の態様・方法はどうかを見ます。クルマを運転したい人側から見るとこの法律は、「道路で自ら運転することを禁止」「違反に罰則」という「広範」で「強力」な制約を課しています。
従って、制約の態様・方法はかなり「広く」「厳しい」ものであるといえるでしょう。

<手順3>~違憲審査基準の「厳しさ」を設定~
<手順1><手順2>より、基準の「厳しさ」を決めます。
制約されている人権の重要性→「かなり低い」
制約方法・態様→「広範かつ強力」
ということになりますが、やはり制約されている「人権」が「重要なものでない」という点から、採用される違憲審査基準は「緩やか」なものになる可能性が高いと思われます。

<手順4>~違憲審査基準のあてはめ~
(緩やか)
目的:正当なものか
手段:目的達成のため採られた手段が効果が0でないかどうか(効果が少しでもあれば合憲)

ではいよいよ運転禁止法を違憲審査して合憲か違憲無効かを判断します。

運転禁止法の目的
道路における危険防止、交通の安全と円滑を図り、道路交通に起因する障害防止という目的は、当然『正当』とされるでしょう。
※というか、法律の目的が「正当でない」とされることはほぼありえません。どんな法律でも必ず「それなりに納得できる(正当といわれる)目的」が記載されるからです。

運転禁止法の手段
→「道路の安全」という目的を達成するため「人間の運転を全面禁止」することが、効果が少しでもあるかどうか、です。
 ここでは前提となる「立法事実(法律の前提となる事実)」が重要となります。このシリーズの想定では以下の立法事実がありました(その1・エピローグ参照)。
 ・自動運転車の人身事故は0%に近い
 ・人間が運転する車は一定割合で人身事故を起こし、死傷者も出る
 
 これら立法事実(調査結果)を前提にすると、「人間の運転を全面禁止」という手段をとれば、「道路の安全」という目的達成に、効果があることになるでしょう(効果が少しでもあれば合憲)。なぜなら、人身事故が減ることが容易に想定されるためです。
 したがって、採られた手段も許容されるもの、ということになるでしょう。

<結論>
以上より、「運転禁止法」が制定された場合、これを「違憲無効」とすることは、極めて難しいと言わざるを得ない、というのが、私の結論です。
 


※参照
中間的な審査基準(少し厳しめの基準)を用いたとしたら?これもおそらく「合憲」になるでしょう。
(中間)
目的:重要なものか
手段:目的達成のため採られた手段が効果が十分にあるか(効果が十分になければ違憲)
    効果が十分にあるとして、副作用がないかどうか(強すぎる副作用があるなら違憲)

運転禁止法の目的:「交通の安全と円滑~」は当然『重要』なものといえます
運転禁止法の手段
先に確認したとおり、人の運転を禁止して自動運転車だけになれば、交通事故がそれなりの割合で減る、ということであれば、「運転全面禁止」という手段は、「交通安全」という目的達成のために「十分に効果がある」ことになるでしょう。
また、「禁止によって得られる利益」は「交通の安全」という重要なものであるのに対し、「禁止によって失われる利益(副作用)」は、「(公道で)運転を楽しむことができなくなる」というものであり、均衡を失っている、ということもないとされます。
→いずれにしても、「運転禁止法」は「合憲」とされることになるでしょう。 



※「人間が運転する自由」を制約・禁止する法律が定められた際、それに対抗することができるかどうかを、法的観点から考察するシリーズの4回目です
Posted at 2015/04/09 11:51:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと法律 | 日記
2015年04月01日 イイね!

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その3・「法律」を「審査」する「ものさし」~

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その3・「法律」を「審査」する「ものさし」~仮定:20XX年、日本で「人間が車を運転すること」を禁止する法律が衆参両院の賛成多数で可決・施行された。
これ以降「人間が運転する機構を持つ車を運転」した場合には、刑罰が適用されることになった。





<前回のお話>
現代日本において
・ものごと(ルール≒法律)の決め方
 →間接民主政(多数決)
・多数決で決まったもの、ルール(法律)の扱い
 →原則:国民は順守義務
  例外:人権(色々な種類がある)に対して
     許されない侵害をしているルール(法律)
     は無効
  ※憲法=法律の上位に位置し、人権のカタログなどを定めている。
   人権=「多数決を以ても侵害できない最低領域」のこと
       いろいろな種類がある。


<今回のお話>
1 多数決によって、新たなルール(法律)が定められ、これまではなかった新たな
 「制約」≒これまでできたのにできなくなったこと
 「義務」≒これまでする必要がなかったのにしなければならなくなったこと
を課せられることがあります。

2 私たち国民は
①原則的には多数決の結果(出来上がった法律)に従わねばなりません

②しかしそのルール(法律)が、「人権に対して許されない制約」をしている際には、そのルール(法律)の無効を主張することができる、ということを、先ほど確認しました。

3 違憲審査基準
①裁判になった際に、「ある法律が憲法に適合しているか」を審査するものさしがあります。これは「違憲審査基準」と呼ばれています。

②「法律」の作り方(構造)
 「違憲審査基準」を考えるに当たって、「法律の作り方」を簡単に知っておく必要があります。
 「法律(ルール)」というのは、必ずある「目的」を達成するために作られています。
 そして、その「目的」を達成するためのいろいろな「手段」の中から、一つ(いくつか)を選んで
 「制約」したり「義務」を課したりしています。

   EX)●●県青少年保護健全育成条例
     目的:青少年の健全な育成を図ることを目的とする
     手段:「青少年」を「18歳未満の者」と定義
        「青少年」と「みだらな性行為、わいせつな行為」をすることを全面禁止→違反に刑罰

※注)「青少年の健全な育成を図る」という目的を達成するためには、「青少年に教育する」「回りの大人に教育する」「健全な育成に資する環境を作る企業に補助金を出す」など色々な方法があり得るところです。それらいろいろな方法の中で、この条例は「青少年と性行為、わいせつ行為をすることを全面禁止する(刑罰を科す)」という手段を選び取ることで、「青少年の健全な育成」という目的を達成しようとしていることになります。 

③「違憲審査基準」の内容
   「法律」を審査する「違憲審査基準」も、この「目的」と「手段」に着目します。具体的にいうと
   
   「目的」←正当なものか?
   「手段」←目的達成のためにその手段が
    ⅰ:効果があるのかないのか(効果がゼロの手段を採っていたら×)
    ⅱ:効果があるとして、十分な効果があると言えるか(効果が十分にないならその手段は×)
    ⅲ:その手段を採ったとして得られる利益と失われる利益のバランスが取れているのか(効果があったとしても副作用が大きすぎるなら×)
    
などという観点から、その法律を審査するのです。
 
 さらに、これまでの判例によると「目的・手段審査」の「厳しさ」を変化させるという運用がされています。以下のとおりです。

「厳しい目的・手段審査」→法律が違憲になりやすい・・「制約される権利」が超重要&「制約方法」が厳しい
「緩やかな目的・手段審査」→法律が合憲になりやすい・・「制約される権利」が強くない&「制約方法」緩やか
「中間的な目的・手段審査」→その中間          ・・ア、イの中間

という風に、基準の厳しさ自体を変えた運用をするのです。

4 まとめ
 あるルール(法律)が「ゆるされる制約」か「ゆるされない制約」かを審査する手順は、3で見た違憲審査基準を用います。具体的に、考える順序としては、以下のようなものになるでしょう。
 
①「制約されている不利益」が、憲法のいう「人権」の中のどれによって保障されているか
→重要な「人権」の核心部分であるのか、あんまり重要でない「権利」なのか、「権利」とも呼べない弱い「利益」か
 
②そのルールで採られている「制約手段」が「強い・広い」か「弱い・狭い」かを考える

③ ①&②をもとに、「厳しい目的・手段審査」「緩やかな目的・手段審査」「中間的な目的・手段審査」のどの基準を使うのかを決める。
 
④ 問題となっている「ルール(法律)」の目的や手段を審査して、合憲か違憲かを決定する

以上、今回は「違憲審査基準」の中身を見てきました。
この基準だけ見てもなんのことやら、意味わかんないと思いますので、次回はいよいよ
「自ら運転する自由」を制約・禁止する法律ができた際に、それが「許されない制約(違憲)」と言えるのか、言えないのか、について、見ていきたいと思います。


 ※「人間が運転する自由」を制約・禁止する法律が定められた際、それに対抗することができるかどうかを、法的観点から考察するシリーズの3回目です(4月1日ですが真面目)。
Posted at 2015/04/01 22:25:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと法律 | 暮らし/家族
2015年03月29日 イイね!

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その2・立憲民主主義の仕組み~

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その2・立憲民主主義の仕組み~仮定:20XX年、日本で「人間が車を運転すること」を禁止する法律が衆参両院の賛成多数で可決・施行された。これ以降「人間が運転する機構を持つ車を運転した場合、罰則が適用(逮捕→起訴→有罪)」されることになった。

今日は、日本における
・「多数決による決定と決定出来ない領域(立憲民主主義)」
について確認したいと思います。

<多数決による決定と決定出来ない領域=人権>

1 ものごとを「決定する方法」=間接民主制 
 何かを「決定」するときに、「どうやって決めるか」についてはいろいろなやり方があります。
日本では「間接民主制」を採っています。多数決によって代表者を選び、その代表者が多数決によって「ものごとを決め」るのです。一人一人が多数決に「関わっている」からこそ、最終的に決定された「決定事項」に正当性があるということになります。そして、代表者によって決定された事項が「法律(条例)」という形で私たち国民に適用され、私たち国民はそれを遵守する義務を負うことになります。

2 「多数決」は万能か? 
では「多数決」で決まった「決定事項=法律(条例)」は、どんなものでも従わねばならないのでしょうか。以下の例を見てみましょう。
 
 〔血液型国のお話〕
 ・血液型国という国があります。この国の人口割合は以下のとおり。
  A型:52%
  O型:25%
  B型:10%
 AB型:5%
 その他:8%
  
  血液型国では多数決で物事が決定されますが、議会で「O型がお金を儲けすぎている」という批 判がよくされるようになりました。そして以下のような法案がA型党から提出されました。
  議決を採った結果A型党議員がすべて賛成し、いずれも賛成多数で可決、施行されることになりました。

法案1:O型は1年以内に血液型国から出て行かねばならない
法案2:O型は国会に参加することが出来ず、選挙に投票することはできない
法案3:O型はA型党党首を崇めなければならない
法案4:O型は、A型党の政策を批判してはならない。A型党議員の情報を秘密指定し、漏らしたら刑罰を課す。
法案5:O型は100万円以上財産を有することができず、それ以上の財産は国庫に没収する

 これらの法案、「多数決で決まったものだから従わねばならない」のでしょうか。
 答えは、日本においては、少なくとも「ノー」です。
 その理由はなんでしょうか。それは、日本が「立憲民主主義」を採っているからです。

 
3 「多数決で決まったもの」でも侵害できない領域=人権 
 「立憲民主主義」とは
   ①物事の決定は原則として多数決により行う
   ②多数決により決めることができない最低ラインを定めて、それを『人権』として保障する(多数決で決められたことが『人権』を侵害している場合、無効とされる)
 
という2つの側面を車の両輪として備える制度のことです。

 これを定めているのが最高法規である「憲法」です。「憲法」は、これら「侵害できない最低ライン=人権」を定めるだけで、いつもは眠っています。物事を決めるのは、選挙によって選ばれた「多数派の代表者」であり、「多数派の代表者が決めるルール」が法律になって、国民皆が守らねばならないことになります。しかし、できあがった法律が「人権」に対して許されない侵害している場合、「憲法」によって無効とされる、ということになっているのです。

では先の血液型国の法案1~5はどのような点で人権侵害=無効とされるのでしょうか。

法案1:O型は1年以内に血液型国から出て行かねばならない
     →「人格的生存権」
法案2:O型は国会に参加することが出来ず、選挙に投票することはできない
     →選挙権、被選挙権
法案3:O型はA型党党首を崇めなければならない
     →内心の自由
法案4:O型は、A型党の政策を批判してはならない。A型党議員の情報を秘密指定し、漏らしたら刑罰を課す。
     →思想・良心の自由、表現の自由
法案5:O型は100万円以上財産を有することができず、それ以上の財産は国庫に没収する
     →財産権、経済的自由
法案1~5に共通 →平等権

これら法案は、いずれも、現在の日本で法案提出すれば、憲法で保障されたこれら「人権」を侵害している「違憲無効」なものとされるでしょう。


<まとめ>
1 日本では「多数決」によってルール(法律)を作っていますが、「多数決によって侵害できない部分」が憲法によって定められ、それに反するようなルール(法律)ができた場合には、違憲無効とされる可能性がある、ということになっています。

2 できあがったルールは

○人権侵害でないもの        →合憲
?どっちかわからない曖昧なもの  ??
×人権侵害が明らかなもの     →違憲

の3種に分類できます。×人権侵害・違憲無効が明らかなものの例は、血液型国の例であげたようなものです。
では、?人権侵害かどうか曖昧なルールについてはどうでしょうか?一見すると人権侵害ではないが、中身をよく考えると「人権侵害→違憲無効」とされるかもしれないルールです。

3 できあがったルール(法律)が人権侵害をしているか、していないかを計るための「ものさし」があります。「違憲審査基準」と呼ばれるものです。「違憲の疑いのあるルール」に対して、裁判所は、この「違憲審査基準」という「ものさし」を使って、法律を審査します。

次回は、この「違憲審査基準」について考えてみます。



※「人間が運転する自由」を制約・禁止する法律が定められた際、それに対抗することができるかどうかを、法的観点から考察するシリーズの2回目です。




 
Posted at 2015/03/29 20:24:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと法律 | 日記
2015年03月28日 イイね!

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その1・プロローグ~

「自ら運転する自由」は保護されるのか?~その1・プロローグ~20XX年、日本の自動車に関する現状(20XX年●●新聞記事)

①自動車メーカー各社は、販売する自動車のうち「自動運転車」の占める割合を順次拡大。
20XX年現在、ついに販売ラインナップの大半を「自動運転車」が占めることとなりました。

②「自動運転車」は、販売当初、プログラムの不備などから路上で動かなくなったたり人を認識できずにぶつかったりする事故などをそれなりに起こしていましたが、自動車販売各社熾烈な技術開発を行った結果、各種センサーなどの機能を飛躍的に進化させ、事故が起きる確率は、きわめて0に近い割合となりました。
「自動運転車」は、道路標識などから常時発信される各種データを読み取りながら、人工知能を用いて自ら考え、完全自走します。そもそも法定速度で自動的に走るようになっており、スピード違反もありません。青信号を関知しないと動き出さないため信号違反もありませんし、常に同じ車間距離を取り、どの車も同じスピードで動くために、渋滞も起きにくくなっています。
   

③なお、「人間が運転する車」は、現在登録されている自動車全体からするとわずかな数ですが、現在も存在し、公道を走っています。「人間が運転する車」は、販売台数の低下から高級化し、一部の限られた(物好きな?)人間が乗っています。さらに、その中では「人間が運転する車」が大半であったころさえほぼ見られなかった「MT車」の割合が非常に大きいのが特徴です。

④「自動運転車」の交通事故の割合は0%に近いため、自動車保険に加入するのは、自動車を販売するメーカーです。事故が起きた際には、メーカーが加入している保険から保険金が支払われます。なお、「人間が運転する車」は、昔から変わらない割合で人身事故を起こすため、運転者に自動車保険加入が義務づけられています。

⑤「自動運転車」が大半になったため、自動車事故は激減しました。「人間が運転する車」は数を減らしましたが、変わらない割合で人身事故は起きるため、相対的に「人間が運転する車」の事故の割合が目立つようになりました。マスコミにおいては『また自動車事故による悲劇!「人が運転する車」にはねられて死亡』などと一つ一つの事故がクローズアップされて報じられます。

⑥「人が運転する車」の起こした事故によって亡くなった被害者遺族は、団体を作り「人がクルマを運転をすることは危険。私たち遺族のような被害者を出さないためには、全面的に人の運転を禁止すべき!」と各種マスコミに訴え、国会に請願書を提出したりします。

⑦このような状況の中、ついに超党派の議員から「人の運転を禁止する法律(案)」が提案されます。一部業界から根強い反対意見が出ましたが、「人の安全には替えられない」との世論に後押しされ、同法律案は、衆参両院において賛成多数で可決されました。1年間の経過期間をおいたうえで施行されました。
法律施行の1年後からは、特別に許可を得た場合を除き、「人間が運転する機構を備えたクルマ」を「販売する、譲り受ける、運転する」ことが禁じられ、違反した場合には、罰則をもって対応する(逮捕する)ことになったのです。

                                                           以上

・・・・・と、ここまで、「恐怖の未来日記」をつらつらと書いてみました。私は「自動運転車」が発売されようとどれだけ普及しようと「人間が運転する車」を乗り続けたいと思っています。
この日記のような未来が来ることはありえない、と思いつつ、でもありえるのかもしれない・・・などと不安になったりもします。

皆さんは「自動運転車」について、どのようにお考えですか。
また、この「未来日記」のように「人がクルマを運転することを禁止する法」が制定される可能性についてはどう思われますか。

私は日頃法律を扱うことを仕事にしています。
仮に、「人がクルマを運転することを禁止する法律」ができた場合に、それに抗うことができるのか、できないのかについて、恐ろしい未来が到来したときに備え(笑)、数回シリーズで考察してみたいと思います。
Posted at 2015/03/29 00:50:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと法律 | 暮らし/家族

プロフィール

「実家にクルマ停めてたら、鳥の糞の絨毯爆撃を喰らう。近くに停めてた親のクルマは2台とも無傷でDS4を狙い打ちしたとしか思われない。イナカの鳥たちはよそ者に敏感なのかもしれない‥」
何シテル?   11/13 13:58
じゃばおです。車にあまり詳しくなく、思い入れもあまりなかったのですが ひょんなことから仏車DS4(MT)を所有することになり、みんカラを始めました。 よろし...
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