2009年08月27日
かれこれ12・3年前の話。
21世紀を目前にして、日本は物理的戦争という意味では平和であった。
汚職だどうだと言う話くらいしかジャーナリストの出番はなくて、某宗教団体ネタで一山当てた某評論家が「講師料が割に合わないから講師をやめて…」などと周囲でウワサされていた気がする。
どう見渡しても政治や政界に興味がある人間なんているわけもなく、誰が総理大臣なのか知らないのはアタリマエ。これでも専門学校かよ…
昔の学生は政治や世の中を変えられると思ってマジで学園紛争なんてやっていたんだとみんなは思っていたらしいが、自分的には大半は「そういうことをやるのが流行っているから」=「モテるから」だと解釈していて、ホンキでヤバいヤツらは今でも金属弾とか発射していると思っていた。
いつも厚意してくれる講師の先生が食事をおごってくれるというので話しながら駅への道を歩いていた。そのうち別の講師の先生と出会って食事を同行することになった。
まぁ山手線某駅のロータリーが見える居酒屋で食事(酒か?)をしながら3人で色々と話をしていたわけだが、こういう学校の講師というのはやはり派閥があるようで大概そういう話になる。
この2人の先生は、どちらかといえば中道保守。
だが、別の派閥は極左革新系。
つまるところ自分が「ホンキでヤバいヤツら」と思っていた連中。そいつらがいるわけだ。
「アレはアカですよ」
自分が講義を受けない講師の1人のことを話す中でこういう言葉がでた。
あかアカ赤AKA…
そんな言葉は旧ソ連と共に死に絶えたと思っていた。
だがその言葉は厳然としてそこに生きていた。
赤そのものだと思っていた共産党はすでにアカ的な共産主義を否定していたし、朝鮮労働党日本支部こと旧社会党は事実上解体。ボクの中では日本でアカなんて前述の金属弾の人たちみたいな時代錯誤の連中しかいないと思っていた。
違うのだ。
つまり連中は身を潜めてじっと世の中の流れを見ながら着実に生き続け活動し続けていたのだ。
いつかの機会には必ず自分たちの思想で日本を変えると。
刻は過ぎて今現在。
某政党のバックについている集団を見て思うことは、あの時「アカ」と呼ばれていた人の年代が10年たって社会的に組織の一番高いところについているということ。
それだけではなく自分がいた専門学校とも繋がる報道や出版の世界のなかでも一番高い位置にいる。
きっとこの時を作り出すためにずっと準備していたのだろう。そして動き出したのだ。しかも都合よく「不況」が起こりその風も利用して…
日本人じゃない人たちの組織とはお互いに利することがあるのでずっと協力体制をとってきたのだろう。どちらも都合よく相手を利用しながら。
組織力と資金力を日本人じゃない人たちが提供し、地位と権威を使って来るべき時の準備をしてきたのだろう。
しかし、気づくのが遅かったというのが実際のところだろうか。日本人では無い連中は理解できてもなぜ同じ日本人が反国家的なことをしているのか理解できなかった。
それも年末の派遣村騒動でおおよそ正体は見えていたが、最近になり「中国の侵略」という話から連中の本音がでたのでそれがはっきりした。
「中国の侵略も属国もなにもすでに日本はアメリカの属国ではないか。アメリカより中国の方がマシ」
ああ、そうか反米親中(社会主義妄信)。連中は「アカ」の生き残りだったんだ…
うまいこと流れを掴んだのでおもわずホンネが出てしまったのかしらないが、いままでおよそ思想的なことは言わずに捏造偏向した情報で政府批判・愚民誘導してきたのに、ホンネが出たことで完全に正体を明かしたと言ってもいいだろう。
「アカ」と「キムチ」が各々の利に合致するところで利用し合いながら某政党のバックについているということ。もしくはそれ自体が某政党なのかもしれない。そしてさらに後ろに中国がいるのではなかろうか。
だがまだ自分にはわからないところがあって、某政党の党首のブレブレなヤツとそれを後ろで操ってる都内に不動産山ほど持ってる前党首、それにジャスコとお遍路。この連中は社会主義やキムチがデカいツラすることや、中国の日本への影響拡大で何の得になることがあるのか。
そこがまだ判らない。
どうも落としどころをどこにしようとしているのか判らないし、彼ら自身がどういうポジションにいてどういう権限と権利、そして利益を上げたいのであろうか。「アカ」的な体制の中では真っ先に粛清の対象になりそうな気がするのだが…
まだ続くかも…
Posted at 2009/08/28 23:27:29 | |
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2009年08月27日
最近の選挙で流行のマニフェスト(公約)。
これというのは内容に対して実現の義務があるわけでも法的義務があるわけでもない。
それ以前に必ずしも作る必要があるわけでもない。
一番の問題は、実現しようとしている政策の中で多くの人に知られては不都合なことは当然書かないのに目障りのいいことだけは実現できそうもなくても大きく書かれていること。
マニフェストを平読みしたり、テレビやネットや新聞を見聞きかじる程度ではよろしくない。
大切なのはその本質はどこにあるのかということをより良く知ろうとすること。
本日、期日前投票をしてきました。
どこに投票したかを書くのは今の時点ではマズいので書かないが、まぁ察しがつくと思う。
もし結果が悪い方向に行ったとしても諦めずに戦い続ける意志を強く持たなければならない。
場合によっては覚悟を決めねばならぬかもしれない。
Posted at 2009/08/27 23:28:38 | |
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