• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

hikobonのブログ一覧

2008年08月04日 イイね!

ホンダはなぜF1で勝てないのか

 南風が大量の湿気を含んで体にまとわり付いてくる。
早朝凄い雨音で目を覚ました。梅雨明け後、初めてのまとまった雨だ。
まるで熱帯に気候がシフトしたような感じだ。お盆明けに現れるクラゲが10日程前に周防灘の海水浴場に現れ、数人が入院する被害が出た。海水温も上がって来ているのだろう。

 ARRETさんから頂いたコメント、何故ホンダは勝てないのだろうって。
私はホンダ党だった。14歳で初めて乗ったバイクはスーパーカブ。その後曲折があってシティーターボ、シビック、シビックRSと乗り継いだ。セナやプロストを擁し常勝のエンジンサプライヤーだった頃だった。そしてメーカーとしてはトヨタの後を追い始めていた頃だ。シビックRSを買い換えるとき6年面倒を見てもらった営業さんに
「ごめん、次にほしい車がない」そう、ホンダの魂が無くなっていた。トヨタや日産でも同じじゃないかと。で選んだのはホンダXL、オフロードバイクだ。世はバイクブーム、レーシングレプリカが町に野に氾濫していた。バイクで空を飛びたかったのでオフロードバイクを購入した。トランスポーター兼用でトヨタライトエース4WDも購入。バイクを積み込み颯爽と、のつもりだった。

 颯爽どころ騒ぎではない。スロットルを雑に開けると、思わぬところでウイリーを始める、おまけに停止するとき足が地面に届かない。死に急ぐこともあるまい、2ヶ月で下取りに出した。次に購入したのがホンダGB250クラブマン。これなら足が届くが空を飛ぶにはちょっと不都合、タイミングよく中古のトライアルバイクTML50が見つかったのでこちらも購入。あまり颯爽ではないがTMLをライトエースに積み込み、お山へGO!
 と言うことで、ここいら辺りでホンダとは縁が切れてしまった。

 T360と言うトラックがあった。ホンダの初の四輪市販車だ。スバル360が全盛の時代だ。空冷2サイクル2気筒16馬力が標準だった時代に、DOHC水冷4気筒30馬力のエンジンを搭載したトラックだ。京浜CRキャブ4連装、見事に10000rpmは回ろうかと言うレーシングエンジンそのものだった。その後に発売されるS600,S800の原型となったエンジンだ。このエンジンをトラックに積む蛮勇こそがホンダ魂だったのだ。無論商売的には惨敗する。デリケートすぎて街のモーター屋さんで修理が出来なかったからだ。
   http://www.honda.co.jp/collection-hall/4r/358.html

 N360を発売、ミニの思想を真似たFFモデルだ、バイクエンジンそのものの空冷2気筒で31馬力、この車は値段の安さもあって売れに売れた。スバル360の牙城を突き崩し販売台数首位を確保した。本田宗一郎、中村良夫のコンビが持てる力を最大限発揮していた頃だろう。
 1969年ホンダはまた恐ろしいことをやってくれる。軽自動車量産メーカーとしては首位に立ったが、普通車でのシェアは微々たるものだった。そこで1967年イタリアグランプリで優勝したエンジンユニットをスケールダウンして搭載したH130型を発売する。
 さすがのF1エンジン、パワーは群を抜いていたが、乗用車としての仕上がりは到底、コロナやブルーバードには及ばず。またもや商売的に失敗してしまった。
 そして1972年の初代シビックの発売となる、N360で成功した手法を小型車でも踏襲した傑作車だった。この車の成功が、自動車メーカーホンダとしての始まりになったのだ。
 
 「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ。」
 「私が手がけた事業のうち99%は失敗だった。1%の成功のおかげで今の私がある。」
 「人には失敗する権利がある。だがしかし、それには成功と言う義務が付く。」

      本田宗一郎の言葉だ。

 この言葉の実践が無い限りホンダF1の低迷は続くのだろう。
Posted at 2008/08/06 17:11:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | F1 | クルマ
2008年07月04日 イイね!

久しぶりに見たF1

久しぶりに見たF1 今度の日曜日は、F1イギリスGP。最近のF1、カラーリングが複雑すぎて爺には理解できない。すぐにわかるのは、フェラーリ位のものだ。私の場合キャメルイエローのロータス辺りで思考がとまっている。
 懐古趣味じゃないけれど、イギリスの緑、ドイツの銀、フランスの水色、イタリアの赤、日本の白、わかりやすい時代だった。ナショナルカラーの時代が懐かしい。
 考えてみると、F1って枢軸国と連合国の戦いか?脱亜入欧、福沢諭吉の実践か。
43年ほど前、名神高速尼崎辺りをべレットで走行中、後ろからなにやらパッシングの嵐、みればフレンチレーシングブルーのルノーゴルディーニR8、まるで弁当箱2枚重ねたようなセダン。バトルが始まったのは言うまでもない。そのまま吹田SAまで丁々発止!SAに入ってみるとR8の主は俳優の故藤岡琢也さんだった。
 当時、ジムカーナに出ると、上岡竜太郎さんがブリティッシュレーシンググリーンのミニクーパーSで出場していた。格好は決まっていたけど.....。
 写真は、クーパーホンダF3。1965年鈴鹿サーキットにて。タイヤの細さにご注目。
Posted at 2008/07/04 21:43:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | クルマ

プロフィール

「謹賀新年 http://cvw.jp/b/182161/48179349/
何シテル?   01/01 14:48
 遂に後期高齢者に突入、痴呆試験はパスしたけれど、身体障碍者の手帳を貰ってしまった。  学生時代に出来たばかりの鈴鹿サーキットを走っておりました。車はべレ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

啓蟄 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/06/27 13:06:38

愛車一覧

スズキ アルトラパン スズキ アルトラパン
遂に終の車!恐らく私の寿命よりも長いであろう車を選択した。 他人様には迷惑を極力掛けない ...
日産 シルビア 日産 シルビア
 FFが溢れる中、FRハイパワーに乗ってみたくてKsを購入した。2年間楽しんだはずなのだ ...
トヨタ ライトエースワゴン トヨタ ライトエースワゴン
 この車は、バイクのトランスポーターとして買ったものだが、乗った期間は短かった。ジーゼル ...
トヨタ カローラ トヨタ カローラ
 全くのノーマルでファミリーカー。あまりの面白なさに2年で次車に。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation