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2009年09月09日 イイね!

裂田溝(さくたのうなで) と裂田神社

裂田溝(さくたのうなで) と裂田神社 今日は古代史ネタ。この記事にちょっと刺激をされて裂田溝を尋ねてみた。何たる変わりようか見事に整備され、なんと遊歩道まで完備されている。10年一昔と言うけれど、暫く行かないと変わるものだ。

 この用水路は、弥生時代に開削されたと発掘調査資料に書いて有る。今から1700年程度遡るわけだ。ほぼ卑弥呼の時代になる。立地的には奴国と吉野ヶ里を最短で結ぶ要路にある。
 1700年もの長い間、地区の田畑を潤し続けてきたこの用水路は、その建設のいきさつを日本書紀にかなり詳しく書いて有る。神功皇后の項に裂田溝として出てくる。日本最初の官製史書として編纂された「日本書紀」や「古事記」は、100歳以上の天皇や人物が続出する事や、荒唐無稽な記事があるなど、さらに戦後、皇国史観に繋がると言う理由からまったく教えられることが無くなった。しかしこの用水路の様に、現実に現存する施設が書かれている。
 史料価値は充分である。未だ学校では教えられていないが、一部学者の中にも神話中の記事も再検討が必要であるとの声も上がっているようだ。

 写真の裂田神社、祭神は無論のこと神功皇后である。この神社の創建は1918年に1650年祭が行われたとあるから、268年に創建された事になる。この年の前年に神功皇后は没したと、日本書紀の記事からは推定されている。日本書紀や古事記には固有名詞としての卑弥呼は登場しないが、卑弥呼の没年も若干前と推定されている。

 日本書紀と古事記、この二書は確かに読みにくいけれど必読の書であると思う。
Posted at 2009/09/09 17:13:14 | コメント(4) | トラックバック(0) | 古代史 | 趣味
2008年11月26日 イイね!

臼杵もう一匹の鬼さん。

臼杵もう一匹の鬼さん。 どうやら両手を足に当て、肩だけで支えているポーズのようです。
龍原寺三重塔で見ることが出来る。
Posted at 2008/11/26 21:36:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 古代史 | 旅行/地域
2008年11月25日 イイね!

臼杵石仏を見て思ったこと。

臼杵石仏を見て思ったこと。 凄い迫力で、迫ってくる。以前国東半島で見た熊野磨崖仏の様な自然の一部と同化している物ではない。あくまで造形である。中でも古園十三仏と呼ばれる、像高3m近い金剛界大日如来を中心にして左右に各六体の如来・菩薩・明王・天部像の計十三体を、厚肉彫りしたものは圧巻である。
 大日如来は簡単に言えば太陽の様な存在でエライ。弟子の菩薩を引き連れているのは分かるのだが、SPとも云える金剛力士や四天王のうちの多聞天と増長天が居る。

 大日如来ですら、「武」で自衛しなければならないとは・・・。人間界に争いが絶えない訳だ。
Posted at 2008/11/25 20:50:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 古代史 | 旅行/地域
2008年11月16日 イイね!

黄色から赤へ。

黄色から赤へ。この記事は、TypeⅠ について書いています。
 かなり漢字ばかりが続出するので、興味の無い方は読み飛ばしてください。

 黄色から赤色に変わったのは平安時代だと考えています。黄色の時代、奈良、明日香時代なのですが、東アジアにおける覇権国家は隋であり唐、すなわち現在の中国でした。
 当時の中国では、黄色は皇帝占有の色で、龍を表し高貴な色彩だったのです。仏教においても黄色は重要視されています。現在でも東南アジアの仏教国での僧侶の僧服を見れば分かります。
 仏教を受容した、奈良時代の政府は、同時に隋や唐の諸制度や国家体制を導入し近代化を図ったのです。遣隋使、遣唐使などがそれです。当然、黄色も貴色として受け入れられたのです。観梅の宴などのように、梅を見る風習も中国のものです。
 平安時代になり、国力を蓄えてきた日本は、唐の衰退もあり、独立国家として自立してきます。和風の芽生えです。平安時代は平氏の時代でも有り、平氏のシンボルカラーは赤です。都の社寺には、かえでが沢山植栽されます。より赤く、より姿の美しいかえでが品種改良されていきました。京都は昼夜の温度差が激しく、かえでの発色には適していたのでしょう。見事な紅葉が都人の嗜好を変えて行ったのではないかと考えます。そしてその文化は、現在でも各地に存在する小京都と呼ばれる地域にまで波及して行ったのです。
 日本の国旗、赤丸の発想はこの辺りから始まるのではないかな、などと妄想しているのです。ちなみに平氏の後を襲った源氏のシンボルカラーは白です。

 万葉集では
  妹がりと 馬に鞍置きて生駒山 うち越えくれば 紅葉散りつつ   
  妹許跡 馬鞍置而 射駒山 撃越来者 紅葉散筒  (原文)

 百人一首では
  千早振る 神代もきかず 龍田川 から紅に 水くくるとは  在原業平
  奥山に 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき 猿丸太夫
  このたびは 幣も取りあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに  菅家
  小倉山 峰のもみじ葉心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ 貞信公
  山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり 春道列樹
  嵐吹 く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり 能因法師

 現在の中国では、黄色は我が国におけるピンクに相当するイメージです。時代によって色彩に対する感じ方は大いに変わるようですね。
 昭和40年頃は男が赤色の服を着ると不良と呼ばれていました。私も不良少年だったのかもしれない。

 もみじについて久しぶりに考えさせられました。Blue Art様ありがとうございました。 紅葉の天ぷらと紅葉饅頭を食べたくなった。 
Posted at 2008/11/16 16:44:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 古代史 | 趣味
2008年10月16日 イイね!

糸島にも筑紫富士と呼ばれる山がある。

糸島にも筑紫富士と呼ばれる山がある。 ご当地富士だ。可也山と言う。高さは365m、天下の富士山の約1/10模型だが独立峰である。朝鮮半島南部にも同じ名の山がある。古代、倭人は壱岐、対馬を中継として玄界灘を行き来していた。北部九州と半島南部は間違いなく同一文化圏だった。
 この山は彼ら航海民にとっては格好の目印となっただろう。いわゆる山たてだ。
遣唐使達もこの山の麓を経由して旅立って行った。
Posted at 2008/10/16 20:29:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 古代史 | 旅行/地域

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