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hikobonのブログ一覧

2011年10月16日 イイね!

大牟田へ行った

大牟田へ行った 昨日の休日は、健康診断やらなんやらかんやらで・・・潰れた。
今日は朝から、曇り空で時折日が差す事もある。天気予報は快晴だったのに。

 お昼前、大牟田にひまわりを見物に行く。わざと植え付け時期を遅らせ、この時期に咲くようにしたらしい。本日がその公開最終日。広大な埋立地、お隣はモビリティおおむたジムカーナ、ダートラのサーキットだ。



 さすが最終日、日曜日にもかかわらず、来場者は少なく、ひまわりを堪能できたのは良いのだけれど、盛が過ぎていて少々元気がなかった。

 そこから、すぐの所に旧三井港倶楽部がある。三池港開港の明治41年に外国高級船員のためのクラブとしてオープンした洋館だ。

 そこで遅めの昼食

 相方が頼んだオムライス

 こちらはカレーライス

 お値段は共に1570円。スープと珈琲がセットになっている。明るい芝生の庭園を眺めながらの食事、静かに流れるバロックの調べ、至福のひとときを過ごした。

 食後、館内の見学を。2階に昭和天皇がこの地を訪れた時にお休みになったと言うテーブルセットが・・・。

 その折に、炭鉱の坑道まで入られた時のお写真などが。

 そして、今日はまだ出番のなかったコヤツが今年の秋の紅葉時には活躍できるようにと。
Posted at 2011/10/16 21:22:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2011年10月15日 イイね!

10月も半分過ぎた

10月も半分過ぎた 早いもので、ついこの間まで暑いのなんのとほざいていたのに、今度は寒いと言わなければならなくなる。
 本当に時間が経つのは早いものだ。

 そんな土曜日の休日なのだけれど、朝から曇天で・・。おでかけ日和とはならない。
それどころか、お昼過ぎに出社して健康診断なるものを受け、昨年より聴力が落ちているとの指摘、確かに高音域が聞き取れなくなってきている。12000Hzより上は聞こえない。

 ともかくそんなこんなで一日が暮れるはずだったのだけれど。

 物欲抑えがたく、健康診断の帰り道。さる大型家電量販店Y電気についふらふらと・・・。大売出し本日限り大特売!のPOPの下、なんと目当てのNEX-3が・・・。ネットの最低価格より少しだけ高いお値段の表示。にこやかな笑顔を振りまきながら近づいてくる、ちょっとだけカワイイ系のお姉さん。「この値段まだ何とかなりますか」と。
そのお姉さん「今決めて頂けるなら・・・」とネットの最低価格よりもお得なお値段を提示。ただし、現金値引きではなくポイント値引きなのだけれど・・・。

 結局、禁煙一周年のご褒美だと自身を納得させながらお持ち帰りに・・・。

 それから、Yオクで、マウントコンバーターやらステップアップリングやらを物色。
で、面白い事に気がついた。古い一眼レフのレンズを探す場合。最近ではレンズ単体では結構いいお値段が付いている。
 ここで必殺、ボディー共で探すと意外とお安い値段で出ていたりする。この手で暫く古いレンズを漁って見ることにしよう。

 写真は秋の風物詩。すすきとあわだち草。あわだち草がはびこりだしたのは田中角栄が列島改造を始める頃からだ。自然破壊の象徴とも言われた。咲いているときはそれなりに黄色に染め上がり、秋の風物の様に見えるのだけれど、枯れ始めるとその醜い姿が結構長い期間続く。古来土着種のすすきの様に優雅に枯れては行かないところが外来種の宿命なのかも知れない。
Posted at 2011/10/15 22:37:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日々の事 | 日記
2011年10月14日 イイね!

何となく文学爺気取りで五足の靴などを

何となく文学爺気取りで五足の靴などを いまから100年と少々昔、明治40年の夏に与謝野鉄幹が大学生だった文学青年4人を引き連れて九州旅行をした時の探訪記が東京二六新聞に掲載された。
 この紀行文を読んでいると、当時の天草がどんな所だったのかがよくわかる。


 段落を付け、理解しやすいように原文を今風に少しだけ書き換えた。

蛇と蟇 (八月二十日)

 富岡より32kmの道を大江に向ふ。難道だと聞いた。天草島の西海岸を北より南へ、外海の波が噛みつくがりがりの石多き径に足を悩ましつつ行くのである。

 土痩せたる天草の島は稲を作るのに適せぬ、山の半腹の余裕なき余裕を求めて甘藷(かんしょ)を植えている。島民は三食とも甘藷を食ふ。

 或る処は川が路である、点々たる石を伝ふて辛うじて進む。その多くは塁々として砂礫(されき)尽くるなり荒礫左に聳(そばだ)つ嶮山(けんざん)の裾(すそ)を伝ふて行く。

 歩くのが早い与謝野鉄幹、木下杢太郎はずんずん先へ行く、目的はパアテルさんを訪問することにある。足の遅い吉井勇、北原白秋、平野万里は休み休みゆっくり後から来る、目的はそうなのだけれど、道中で自然の風景や人々の暮らしぶりなどを見聞するにある。
 大岩にひびが入り象形文字の様に見える断崖の下をを廻る処ではぐれてしまった。振り返れば淡く霞んで富岡半島がまだ見えた。16km程は来ているのではないだろうか。

 茶屋の婆様に「婆さんの言葉はちっとも分らぬ」と言ふと、「あんたがたの云はっしゃる事も分かりまっせんと言った」。「婆さん子供があるかい」。「ありますとも」。「幾つだい」。「幾つだって大勢居るさあ」。「爺さんは居るのかね」、「爺さん居らつさんば、ちっとん楽しみも無かとで御座いますたい」。と言ったので皆吹出してしまった。この歯抜け婆さんは愛嬌がある。

 暫く行くと先に立った北原白秋がぴたりと止まった。1.5m余りの大かがち(蛇)、紅き地に黒き斑(まだら)を物凄く染め出した縞蛇(しまへび)が犬の頭ほどの蟇(がま)を呑みかけている。岸を打つ波の音は白い、山を吹く風は青い、その間を縫う径の中央で蛇が蟇を飲む。
 三人は呆れて眼を見張って突立った。人が居ると知るや知らずや、蛇は長き体をうねうねとうねらせて草の中へ引きずり込もうとする、蛙は弱いが重い、前足の一つを噛まれて硬くなって動かない、或は既に死んだのか知れん。
 強者弱者を食ふ、比ぶるものなき残忍なる行為だ。自然の一部には眦(まなじり)をさいて呪ふべきものがある。「許せん」と路傍の大石を空高く振り翳(かざ)したる吉井勇は近(ちかづ)いた。「やっ」と言ふと蛇は砕けた、と思ひの外どうも無い、打たれて痛かったのか暫くは動かぬ、今度は赤い舌をぺろぺろ吐いた、吐いた舌を従順なる蟇の背に向け食ひついた、「くわ」っと怒った吉井勇は此(この)時他の石を拾った、今度はと思ったが失策(しくじ)った、中(あた)つたが死なぬ、するすると伸びて叢(くさむら)へ逃げ込んだ、そら来たと言って吉井勇は海の方へ逃げ出した、平野万里もあわてて逃げ出した、北原白秋は後の始末を見届けて、何れも波打際に転がって居る石を渡って行く事にした。

 途中に小さい炭鉱があった、古ぼけたボイラーが破れた家根の下で燻(いぶ)って居る。山を腹に穴を明けて石炭をえぐり出す、奥を見ると真暗な穴の入り口に裸の男が暑さうに寝ていた。

 暫く行くと道は山へ登る、羊歯(しだ)が青々と一面に繁って暖き南の国の香を送る。脚下の白い波をたどると水平線が大分高まって居る。杉の木立が黒ずんで山麓を飾る、その間から紺碧の海が見え、涼しい風が吹く。汗は背、腹を洗ひ、頭から流れるものは眉を溢れて頬に伝ふ。水あれば水を飲み、茶あれば茶を呼ぶ、今朝から平均一人五升も飲んだか、腹がだぶだぶする、胃はもう沢山だといふ。喉はもっと欲しいと促す、勝は常に喉に帰した。

 山の方が道は楽である。峠を越す事二つ三つにして下津深江といふ湯の出る港へ着いた。午後二時。先着の与謝野鉄幹、木下杢太郎が待って居た。農事講習会の災する処となって茶屋も宿屋も断られ、大いに困って此処(ここ)へ頼んだといふ、瀟洒(しょうしゃ)なる物売る家の二階に通る。老主人来る、頗(すこぶ)る慇懃(いんぎん)である。一体この辺の言葉はとんと素人には分らぬ、それかあらぬか、老人は気を利かして一切土語(どご)を語らぬ。「君達は」と口を開いた、これは最上の敬称代名詞の積りと見える。「いづ方へ参られまするか。」又言ふ「道は甚(はなは)だ険道(けんどう)でありまするとは雖(いえど)も。」又言ふ「必ず似て参られまする、は、は。」その代わりよく分った。梅干しも奈良漬も皆甘かった。

 一休みして、大江迄もう四里、訳はないと、三時を過ぐる幾分に出かけた。


与謝野鉄幹の詩 島原

今宵の客は唐津から
酒を積み来た船乗衆。
港を埋むたけ高き
無花果(いちじく)、木原色街の
海に臨める欄干(てすり)には、
ふんどし一つ、黒々と
裸のそろひ、さかなには
大皿に盛る瓜、西瓜。

むし暑き夜や、なまぬるき
海の風ふく たはれ女(め)も
胸乳(むなぢ)あらはに衣(きぬ)ぬぎて
紅木綿なるゆもじのみ
わづかに掩ひ、上目して
客衆の膝によりかかり、
はた、肱をつき、腹ばひて
醗子漿(ほほづき)ならすしだらなさ。

ほろ酔(ゑひ)きげん、船乗は
胡坐(あぐら)をゆすり、手をば打ち
さっさ歌へと猥らなる
唄のかずかず。芸妓衆は
汁しづくして三味を弾く。
中に、しら髪(が)の爺(ぢぢ)一人、
しやがれし声に追分の
その一節ぞあわれなる。

下を通るは、かあちかち、
辻占を売る引板(ひだ)の音。
「よき運ひらくか、ひらかぬか、
待人きたるか、きたらぬか。」
奴子すがたに肩ぬぎし
声よき艶女(やしよめ)、ちりめんの
襦袢の袖の緋の色に
島原の夜はなまめきぬ。

 九州人は原という字が下に来る地名を凡て「ばる」と云ふ。島原も「シマバル」だ。風俗の淫靡なことは有名なものだ。良家の処女と雖(いえど)も他国から来た旅客が所望すれば欣々として枕席(ちんせき)に待する、両親が進んで之を奨励する。他国人と一度関係を結ばぬ女は縁附が遅いと云ふ程だ。

 恐らくこの半島や島では狭い地域での近親婚を避けるために、外者歓待の思想いわゆる沖縄など黒潮文化圏のまれびと信仰の名残がまだ残っていたのではないかと思われる。
Posted at 2011/10/14 20:30:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 近代史 | 日記
2011年10月13日 イイね!

物欲が・・・ますます。

物欲が・・・ますます。 この歳になると、そろそろ引き算の生活をしなければならないのに。
久しぶりに、物欲が湧き出している。

 写真のレンズを活かしたい。と言うか、ミラーレスのAPS-CサイズのSONYのNEX-3ならフランジバックが短くて、レンズマウントアダプターが各種あり、例えば、ニッコールでもキャノンのFDでも、ペンタックスのタクマーでも、フジノンでも、コンタッックスでも、ライカでも、ハッセルでも・・・・マウントさえ調達すればどれでも使える。

 夢のようなボディーではないか。ただ35mmフルサイズ用のレンズだと、APS-Cサイズでは1.6倍程の焦点距離になってしまうのが難点といえば難点だけれど、逆に考えれば望遠には有利なのだ。

 おまけにレンズ中心部を使うので収差も少ないだろうし・・・。良いことだらけ。

 そして肝心のお値段も、広角パンケーキと標準ズームの二本のレンズ付きで5万円ほどとこなれて来ている。

 絶対に買いだと思うけれど、その5万が・・・・・。
Posted at 2011/10/13 21:33:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日々の事 | 日記
2011年10月12日 イイね!

知らなかった事が色々と

知らなかった事が色々と この写真のナンバーは何だ?昔の記憶では7ナンバーは三輪車。でもでもこの車セドリックだよね。

 で、調べてみると5を使い切った普通車が7になるとかで・・・。

 >知らなかった!!

 どうせ福岡なんぞ田舎ですよ・・・だ。
Posted at 2011/10/12 20:29:52 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日々の事 | 日記

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