2024年04月30日
今日、深夜3時半頃、病院から連絡があり嘔吐してから危険な状態だと。
4時過ぎに病院に着いて、父親を見ると目を見開いて息が苦しそうに懸命に口呼吸をしていた。酸素マスクをしていたが。
その光景を見た時ショックを受けた。
そして父親もバイタルの低下によるショック状態にあったかと思われた。
家族の呼び掛けに顔を向けたりと反応はしていた。
血圧が低すぎて機械で測れない状態、サチュレーションが徐々に低下、脈拍も安定しない。
2度、機械が血圧を読んでいき収縮期が70台、40台くらいになっていった。
機械の数値はサチュレーションを含め、ずって赤く表示されていた。
自分や家族の声掛けや手のひらや足先をさすりながら、頑張れ!息を吸って!と励まし続けた。
しかし、バイタルの数字はもう絶望的なくらいな数値に下がり、一瞬苦しそうな表情をして、静かに目を閉じた…。
バイタルの数字や波形は反応をしなくなった…。
…ほとんど苦しまずに眠る様に息を引き取ったのと間際に父親が家族を認識していたこと、家族が看取れたこと…それらが唯一の救いでした。
自分が確認した時点では5:20、医師の診断では5:26に亡くなった。
昨日、見舞いに行った時は手を動かして運動したり眼球を動かして目の運動もして、帰りには手を振ってくれていたのに…。
息を引き取ったあと、よく頑張ったな。ゆっくり休みな。と声を掛けてあげた。
覚悟はしていたけど、やはり「死」は受け入れ難いものですね。
忘れない様に、このブログを書いていたら今朝の事を思い出して涙が出てしまいました…。
この日のブログは辛くて今後もう見られないかも…。
有名人だって亡くなっている方は多くいるのだから人の死は平等にある。
誰もが最期は来るのだと自分に言い聞かせていたが、やはり悲しいものは悲しい。
その後から葬儀屋に連絡したり帰宅して葬儀屋や家族と打ち合わせしたり各自であちこち連絡したりで忙しく悲しむ暇は無かったが、今は一時落ち着いたので横になって休みながら、このブログを書いています。
親父、辛い入院期間、大変だったな。
最期も頑張ったな。
あとはゆっくりと休みなよ。
今まで、ありがとう。
Posted at 2024/04/30 14:11:57 | |
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2024年04月28日

4月30日で愛車と出会って1年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!
■この1年でこんなパーツを付けました!
車内の小物とかLEDバルブ交換くらいです。
■この1年でこんな整備をしました!
クラッチマスターシリンダー交換
クラッチラインのショート化
レリーズシリンダー交換
クラッチフルード交換(エア抜き)
■愛車のイイね!数(2024年04月28日時点)
72イイね!
■これからいじりたいところは・・・
ナビ
バックカメラ
ドラレコ
ホイール&タイヤ交換
ヘッドライト交換
シフト周りの整備
サイドシルの錆び修理
Lei04付けたいw
■愛車に一言
ボチボチといきましょ。
>>
愛車プロフィールはこちら
Posted at 2024/04/28 21:55:13 | |
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2024年04月07日
昨日、仕事から帰ってきたら家族から父親の現状を知らされました。
家族が急遽、医師から呼び出され説明を受けたのこと。
検査の結果は(胃)大腸癌、前立腺がん、リンパにも転移。
癌はステージ4。
手術するとしても胃を全摘しなければならないとの事だが、その体力は無い状態。
今は痛みを抑える治療をしており、余命は10日から1ヶ月。
最期自宅で看とる…と考えていたが点滴などの管理が難しいし、飲食すると癌の部分から大出血して危険との事。
そこまでとは想像していなかったので、かなりショックを受けました。
今日は遠くに住んでいる家族が、面会に行った。
自分は明日行くつもり。
来週には、また遠くに住んでいる家族が面会に行く予定。
他人の死を幾つも見てきたが、自分の家族となると、やはり違う。
当たり前の日常に慣れ過ぎて初めて分かる大切さ。
先週よりも覚悟はしているつもりだし日常を乱してはいけないと時分に言い聞かせているつもりだが…やはり気持ちには嘘はつけない。
正直、また父親に会いに行くとまたショックや悲しみを受けるのが怖い。
そうやって今まで逃げているばかりの人生だった。
でも覚悟はしなくてはいけない。向き合わなければいけない。
せめて苦しまず、この事を悟られないようにしたいと思います。
Posted at 2024/04/07 02:32:47 | |
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2024年04月01日
こんばんは。
今年はどうにも不幸続き。
特にここ最近は特に酷い。
仕事で嫌な事があったり、一人だけ遅くまで残業だったり、忙しかったり、婚期を逃したり…まぁその他諸々と本当に連続して災難続き。
そして一番の厄災が父親の入院。
最近、胃の調子が悪く飲まず食わずで歩行もかなり不安定になり、ついに25日に地元の病院に連れていく事になった。
そして、そのまま検査入院になった。
翌日、家族が見舞いに行くと拘束帯をされて点滴をされていた。
点滴の針を抜いてしまうとの事だった。
更に翌日、家族が医師に呼ばれて胃にポリープがあるとの事。
それは悪性新生物…つまり癌の可能性が高いとの事だった。
そして点滴の針を抜いてしまうので「CVポート」という物を皮下に埋め込むとの事だった。
ネットで調べてみるとコインくらいの大きさの物を埋め込み静脈に管を入れる。
そして鎖骨辺りからCVポートから出ている管を出して、その管から栄養剤を入れる(点滴と同じ)「中心静脈栄養」というもの。
針を何度も抜き差しする痛みを無くし自分で針を抜かないようにする効果があるそうだ。
そして昨日、お見舞いに行った。
車イスに乗せられCVポートをして点滴をされている姿が痛々しくかった。
元々、痩せていたのであまり酷く痩せた印象は無かったが家族が言うには痩せ細ったと。
最初に対応した新人らしき看護師に訊くと最初、「せん妄」症状が出現し点滴の針を抜いてしまったそうだ。
急な環境の変化で精神状態が悪くなり、せん妄が現れたのだろう。
車イスには股の間から左右の腰に掛かる様な拘束帯が付けられていた。
精神状態が安定しておらず立ち上がってしまうのを防ぐためであろう。
しかし、コレは「虐待」にあたる。
基本、身体を拘束する事は虐待の一部に入る。
それがこういう点滴を抜いてしまうとか、車イスから立ち上がってしまうとかでも。
切迫性・非代替性・一時性の原則が揃わなければダメ…なのだが、医療現場ではそうも言ってられないのが現実らしい。
なので、そこは大目にみる。
しかし、この地元の病院、看護師の態度が悪い。
初めて見舞いに行ったにも関わらず「ダメだな、ココは」と思わせる程。
父親も「(看護師が)つっけんどんな態度をとる。人間的な扱いじゃない。いかに家族に世話になるのがありがたいか分かった。(毎日見舞いに来る家族に対して、その負担を)早く解放してやりたい。」と話していた事からも分かる。
介護現場では虐待なんて通報案件なんだが、病院の場合は黙認されている。
家族に看護師がいるのだが、まだココはマシな方だと言う。(ただ見舞いに来た家族に対しての態度がナースステーション全員がガン無視と最悪だった)
同じ看護師の立場から見てそう言うのだから仕方ないのか…と悔しい気持ちでいっぱいだが自分を抑えるように言い聞かせた。
現在は胃のポリープが良性なのか悪性なのかの検査結果待ちで、あと1、2日で結果が出るだろう。
この一週間は検査の結果が出るまで父親の栄養状態を保つ期間。
良性であって欲しいし仮に悪性であったとしてもステージ1や2の初めくらいなら内視鏡での手術が可能なので、そうであって欲しいと願うばかりだ。
自分もあんな看護師どもに父親を任せたくないので、早く退院して帰宅させたい気持ちでいっぱい。
父親と会話している時でもボーっとしていたので認知症の方も心配だ。
なるべく父親の見舞いには行くようにしたいと思う。
そんな心配事を抱えながら本当にここ数週間は鬱状態だった。
昨日今日と休日でも何も手につかない鬱な状態は続いている。
そして仕事をしていても笑顔で客に接する事が難しく辛くもあった。
更にいつにも増して記憶障害が起きている。
つい最近の事を覚えていない・記憶が欠落しているのだ。
短期記憶の保持と想起が出来ない、自分でも驚くほどだった。
仕事に少し支障をきたしているのも辛い。
今日からまた仕事だが、父親の検査の結果が出るし心配で仕方ない。
ここ数週間は嫌なこと・苦しいこと・辛いこと・悲しいことなどが一気に、そして連続して押し寄せてきて本当に辛い。
Posted at 2024/04/01 01:44:59 | |
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