先週の木曜日、12月4日をもって、インテグラ納車より丸1年が経ちました。
思い起こせば色々なことがありました。
今回はその思いを綴りたいと思います。
まずスポーツカーとの最初の出会いは中1の夏のこと、野球部の同期とゲーセンの頭文字D3のアーケードをプレイした時でした。
その時は赤のランエボIVを使っていました。
しかし数回プレイした後暫く離れ、再びプレイするようになったのは中3の夏です。
その時新たに選んだ車がインテグラTYPER DC2でした。一目惚れでした。理由なんてありません、魅かれたんです。
そして決定的だったのが大学での出会い
車好きの友達とグランツーリスモ5というゲームに出会ってからというもの、使う車は頭文字D時代から愛着のあるインテグラをはじめシビック、S2000、NSXと、完全にホンダに染まっていました。VTEC、NA、高回転型エンジン、最高です。
そして主にプレイしていたレギュレーション上、DC5の使用率は異常でした。
更にホットバージョンなどの動画でインテグラが走っているのを見てうっとりする毎日を送っていました。
3回生の頃には卒業したら絶対にインテを買うぞ!という気持ちが固まっていました。
しかし自体は風雲急を告げ、内定ももらった4回生の冬、姉が車を買うこととなり、親にお前もどうだと言われる。
当然希望はインテグラTYPER、長く乗りたいということでDC5後期でした。
そこで今まで、車はお前の好きにしろ、と言っていた親が掌を返し、普通車なんぞやめとけ!軽にしろ!と猛反対し始めました。
親にあまり反抗したことのない自分の心はポッキリと折れてしまい、諦めかけていたその時、友人から一つの知らせが…
お前の探してた状態のいいDC5後期の黒が鈴鹿(高速乗って1時間)にあるぞ!
これを逃したら多分次はない…そこから決心がつき、自分一人でもなんとかしようとディーラーに電話を入れ、来店の予定を入れる。
当然まだ学生の身分、加えて2回生まで野球をやっていたためバイトの期間も2年弱、ローンを組める可能性は薄く、現金も20万ほどしか用意できない、まさに八方塞がりでした。
バイトから家に帰ると親に週末の予定を聞かれ、誤魔化すも即バレし、説教開始。
そこで自分は人生最大の勇気を振り絞り、反論、抵抗、挙げ句の果てには恥も憤慨もかなぐり捨てて涙を流して黙りこくる始末、二十歳すぎたいい大人がだだをこねるこねる、なんとも情けないw
そして遂に自分の本気さ()がわかった親は、鈴鹿まで連れていってくれました。
そしてやっと出会えた運命のこの子
店の人に頼んでエンジンをかけてもらい、その時初めて生でインテの声を聴いた。
低回転ではエキゾースト音も小さく、クーペなので車体もそれほど大きくない。
親も、これなら、と納得して、ローンの支払いは自分、姉に保証人になってもらいました。現在支払いは滞りなく進んでいます。
それからの生活は一変し、就職する4月頃までは毎日インテに乗っていました。
友達の車と一緒に走ったり
氷漬けになったり
早朝からドライブしたり
かっこよく写真を撮ろうとしたり
近くの観光スポットに行ったり
念願の5ナンバーに変えたり
一生懸命洗車したり
オイル交換したり
走行会見学やみんカラOPMで遠くの地、サーキットに行ったり
帰りにサービスエリアの観覧車をインテの中から眺めたり
会社に乗っていき、帰りに見ると隣にお仲間がいたり
車高調入れたり
最近だと高雄山で初めてみんカラユーザーの方とオフったり
他にもたくさんの思い出ができました
大好きなインテ
愛してると言ってもいいです
絶対に手放さない
事故っても
凹んでも
フレームが曲がっても
走らなくなっても手元に置く
大事な大事な初めてのマイカー
これからもっともっと、思い出を作っていけたらな、と思います
これからもよろしく、インテグラ
余談ですが、姉の車を見に行った所にはこの子がいました
因みに購入一歩手前までいきました
が、寸でのところで思いとどまり、結果今の子と出会えました
いいオーナーが見つかっていればいいな
最後に

完全に一tしてないですアクアじゃないです!
みなさんもご自分の車を大事にしてあげて下さいね
それでは!
Posted at 2014/12/09 20:29:57 | |
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