2014年01月16日
私、家は栃木の那須塩原、勤務先は東京の新橋なのです。
そこで、何時も思うのですが、東京と栃木の道路工事に対する配慮の差がひどいんです。
東京の場合、人も車も多いという点はありますが、とにかく事故が起きないよう、通行を妨げないようにする配慮が、きめ細かいのです。
例えば、アスファルト路面を削った場合に、コンクリートの側溝部分と段差を生じるのですが、東京ならその部分にアスファルトを盛って、段差をなくす配慮をします。
特に歩道や横切る車道部分は、必ず盛ります。
ところが、那須塩原だと、ひどいと5センチぐらいの段差があっても、放置です。
私、目の前でその段差で転んだ自転車が車にぶつかったのを見たことがあります。
幸い、車が予測して止まったため、自転車がドアーにぶつかっただけで済みましたが、これ、東京なら絶対起きない事故だと思いました。
それから、今、自宅前の県道で下水工事か何かをしているのですが、これが10メートルぐらいの区間を断続的に4つもつらねて工事しているのです。
その区間は、1車線しかありませんから、交互に通行するしかありません。
昼間は、作業員が交通整理をしてくれるからいいのですが、夜間と昼休み時間は、何と両側赤点滅の信号だけで、放置状態なのです。
自主的に譲り合って通行していますが、その中間に横断歩道があり、小学校の通学路なのですが、そこで車が一時停止したら、下手すると工事区間いっぱいに車があふれ、逆方向の車が大分手前で止まってあげないとにっちもさっちもいかなくなる、交通を妨げるような工事をしているのです。
我が家の前の道路から県道に出る位置もT字路になるわけですが、昨日から工事区間のど真ん中状態なのです。
幸い側道でも2車線分あって広いため、対向車線部分にはみ出して車体を斜めに向けて、両方向の交通を確認してからそろそろと出て行きますが、そこに道があると知らずに凄いスピードで突っ込んでくる車も居ますから、危険なのです。
しかも、地元の車、この場合の優先がどちらかなんて考えないドライバーが多いのです。
当然、工事でふさがれていない方向が優先なのですが、自分の車線がふさがっていてもかまわずに突っ込んできますから、こちらが優先だなどと考えず、とにかく危険回避を心がけるしかありません。
予算の関係もあるのかもしれませんが、道路工事にもう少し配慮があってもよいのではないかと思いました。
Posted at 2014/01/16 14:44:59 | |
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車全般 | クルマ
2013年12月19日
愛車をぶつけられてふと気づいたのですが、現場のスーパーの駐車場、このひと月だけで、私と同じような接触事故をなんと3回も目撃しました。
いずれも警察が事故届の調査で来ているところに出くわしてわかったのですが、事故の形態も似ていて、駐車場から出ようとした車がバックして、勢い余って?反対側に駐車している車にぶつけるようなケースでした。
不注意としか言いようがないのですが、雨の夜に私の車にぶつけたホンダCR-Zはともかく、他は晴れた昼間で、車もトヨタ・ヴィッツやBMW740等で、決して後方視界が悪い車ではなかったのです。
しかも、その駐車場、駐車枠も広く、通路は他のスーパーの倍ぐらい広く、普通に考えると事故につながる要因はむしろ少ないのですから、不思議です。
十数年前にも、同じ駐車場で、出入り口から入ってきた軽自動車のおばちゃんが、そのまま止まっていたBMWにぶつけたという、普通なら考えられないようなケースもありました。
強いて言うと、そのケースは、入り口が登り勾配となっているため、入ってくる時に勢いつけすぎてぶつけてしまったことが考えられますが、前を良く見てりゃわかることですから、どうにも不可解でした。
その駐車場、霊感のある私が何も感じませんから、関係はないと思うのですが、20年ぐらい前に、殺人事件がありました。
姉の不倫相手に、やめてくれと交渉しに行った人が、相手に何が悪いと開き直られて殴られたためつい刺してしまったという可哀想な事件だったのですが、私、加害者となった人とは一緒にソフトボールをしたこともありましたし、人のいいおっちゃんでしたから、信じられませんでした。
殺人現場と事故多発地点は同じ駐車場と言っても30メートルぐらい離れていますから、更に微妙なところです。
明らかに悪霊がかかわっているケースとして、我が家から十数キロ離れた黒磯の国道4号バイパスには、死亡事故が多発するいわくつきの交差点がありました。
ここは、私が初めて通った時にぞくっとしてはっきりわかったぐらい、地縛霊つきまくりの恐ろしい場所でしたが、道路が拡幅整備され、信号も整って近年は死亡事故は起こっていないようです。
大学生の時、滋賀県の大津市を通りかかった時に、「ここ、地縛霊がいっぱいいるけど、何か起きてないか。」と、たまたま同乗していた地元出身の後輩に聞いた交差点がありました。
すると彼、「先輩、霊感があるとは聞いていましたが、本当にわかるんですね。ここ、およそ事故が起こりそうにない場所ですが、何人も死んでるんですよ。僕、高校の時に、大型トレーラーと軽自動車が衝突した現場を見てしまいました。ぺちゃんこにつぶれた軽自動車に親子3人が乗っていたらしいんですけど、窓から手だけが飛び出していて、恐怖でした。」と教えてくれました。
なんでこんなところで事故が起こるんだろう、という地点には、結構高確率で地縛霊さんが居るもので、私、供えられた花束を見つける名人でもあるんです。
そんな場所は、異常に死亡事故が多い地点でもあり、警察署によっては、地図に表示していることもあります。
そんな地点は注意してください。
でも、可哀想にと同情しないようにもしてください。
下手すると、こっちにおいでと憑かれて事故に巻き込まれますから。
何か感じた時は、「早く成仏しなさい。」とはねつけてください。
Posted at 2013/12/19 17:08:43 | |
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車全般 | クルマ
2013年11月18日
先日は、人馬一体のお話をしましたが、今日は人車一体です。
これ、人馬一体よりははるかに楽だと思います。
何故なら、馬には感情も体調もありますが、車は管理さえしっかりすれば、どちらも無視できるからです。
でも、そんなに度々経験できることではありません。
私は、奇しくも最初に経験したのは、大学4年ですから、免許とって2年目でした。
当時乗っていたスカイラインの特別仕様車、2000GTXE-Sでのできごとで、きっかけは、妹がRX7で事故って重傷だから、できるだけ早く家に帰ってこいというものでした。
今と違って携帯電話など無いころのお話ですから、京都の大学内の公衆電話から電話をして、その事実を知ったのが午後6時半ごろでした。
起点は京都市左京区北白川で、終点は当時の船井郡和知町なのですが、まだ京都縦貫道など無い時代で、まともに国道9号線、27号線を経由して行っては、老ノ坂峠から亀岡にかけての渋滞に巻き込まれますから、迷わず嵯峨野から京北に抜ける国道162号線、通称周山街道経由を選択したのです。
行程75キロの道程を、めっちゃくちゃに飛ばして、和知町の実家に着いたのは、何と7時20分、50分で着いたわけです。
公道を平均時速90キロで走った経験は、後にも先にもこの1回限りです。
しかも、北白川から嵯峨野までの京都市内はそれなりに交通量が多くて無茶できませんから、いくら飛ばしても15分はかかったはずで、それから後の山間部が如何に速かったかがわかります。
この時の私は、人馬一体の時同様、異常に鋭敏でした。
ステアリングの感覚で路面状況をつかみつつ、通学コースにもしていましたから、ほとんどのカーブは頭に入っていて、そのカーブの限界ぎりぎりの速度を維持したわけです。
周山街道のカーブを時速80キロ以上で走るのは、それこそ気違い沙汰ですが、極めて冷静に車を操ることができたのです。
文字で表現するならば、時速60キロが限界なら59キロで、90キロが限界なら89キロでパスして行ったのです。
京北町の直線道路では、メーター読みで180キロまで達しました。
結果として、カエルを5匹、ネズミを2匹ひき殺してしまったことまで感じたのですが、F1レースを描いた漫画、「赤いペガサス」の中で、主人公が、けたたましい騒音の中で、コックピットの後ろにボルトが一つ転がっていることを言い当てた芸当は、決して不可能なことではないと実感しました。
ただ、もう一度やれと言われたら、できないと断言します。
恐らく、当時が私の車を操るテクニックの頂点であった以上にその頂点をぶっとばした異常に鋭敏な状態にあり、愛車の能力を知り尽くし、全面的な信頼が置けたからこそできたことで、スカイラインよりも数段進化している現在の愛車、メルセデスE300をもってしても、たとえ法規無視でぶっとばすことができたとしても、当時のタイムを上回ることは不可能です。
夜中に約10キロ短い京都縦貫道経由コースをぶっとばして、何とかタイというところでしょう。
馬の時と違って幸いだったことは、人も車も燃え尽きなかったことです。
その後園部の病院で、妹の付き添いをすることとなり、一晩中、ショック症状から同じ質問を5秒おきに繰り返されたのですから(「コンタクトレンズ外したかしら。」の質問でした。何千回繰り返したのか、覚えていません。)、燃え尽きてもいられなかったのです。
それができたのは、若さと同時に、肉体的にも精神的にもタフだったからでしょう。
その後の私の運転は、限界を知り、十分な余裕を持ち、同乗者が安心して眠れるものとなりましたから、それだけの意義はあったのでしょう。
Posted at 2013/11/18 14:53:49 | |
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車全般 | クルマ
2013年11月14日
昨日に続いて、馬がらみの話題です。
馬に乗っていると、人馬一体の妙技とか言われることがあります。
実際に経験した人は少ないと思いますが、本当にそう感じることがあるのです。
その状態を表した名言として、「鞍上人無く鞍下馬無し」という言葉がありますが、本当にその境地に至ることがあるのです。
私は、大学2年生の時に、関西の新人戦の決勝で、その境地に達しました。
準備運動の時から、今日は何かが違うことを感じました。
愛馬を自由自在に動かせると同時に、感覚的にも直結しているような感じだったのです。
その時に、落馬して放馬した馬が突っ込んできたのですが、素早く行く手を遮って気合をかけると、その馬が素直に止まったのです。
最終的にはタイムレースとなって、コンマ何秒かの差で、4位に終わったのですが、私が出場した段階では断トツのタイムでしたから、甘かったと言えば甘かったのですが、後悔はありません。
むしろ、先輩方の方が、勝たせてやれなかったのは自分たちの指示ミスだと残念がっていました。
でも、終わって実感してしまいました。
これ以上はない、それを知ってしまったのだと。
今後いくら頑張っても、それ以上はない、その境地を知ってしまったことは、悲劇です。
正直、競技に対する情熱はなくなってしまいました。
その後の2年間、私は、馬には機械的に乗っただけであり、情熱はむしろ後輩に対する指導に向けられました。
そして、愛馬も、その試合で燃え尽きてしまったのです。
故障したわけではありませんが、馬自身が競技に対する闘志を失ったような状況になったのです。
人馬一体は、馬にも大きな負担を強いてしまったのです。
2か月後、彼は大学を去っていきました。
乗りこなすことの難しい馬でしたから、大学を去る、イコール死でもあったのです。
私は、彼を犠牲にしてしまったのです。
普段鳴き声をあげることのなかった彼が、最後に大きくいななきました。
その声は、今でも私の脳裏に残っています。
私にも、彼にも、人馬一体の境地に達するのは早すぎたのです。
何事も、本当の最高の境地は、目標であっても達成できないところがよいのだと思います。
簡単に達成できる目標もいいのですが、本当に最高のものは、達成できないぎりぎりのものとすべきなのでしょう。
Posted at 2013/11/14 12:17:55 | |
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車全般 | 日記
2013年11月13日
私、実は小学生のころから馬に乗っており、職業でも、馬術のインストラクターを務めたり、深い関係があります。
そこで、今日は馬と車についてのお話をします。
感覚的には、車はステアリング、馬は手綱で前輪及び前足の感覚を感じます。
ここで勘違いする人が多いのですが、馬を右に曲げようと思ったら、右の手綱を引いてはいけないのです。
詳しく解説しますと、馬の動きは、後足の動きによって重心を前に移動させることから始まります。某国産車のCMに、馬は四輪駆動とありましたが、これは正しくありません。前足は操舵輪にはなっても、断じて駆動輪ではないのです。(ばんえい競馬で、バンクを越える時に限っては、前足で突っ張って引き上げる場面があり、その時は微妙ですが。)
ですから、まず後ろから前への重心移動があり、それを前足で受けるわけです。
車でも止まった状態でステアリングを切っても曲がりませんが、馬も同じで、動きがないと曲がりません。
しかも曲げ方ですが、私ならどちらの手綱も引きません。代わりに自分の体重を行きたい方向に少し移動することで、馬体を傾け、自転車のようにして曲げて行くわけです。
それでは右の手綱を引いたらどうなるかですが、ほとんどの場合、馬は逆方向の左に逃げます。これは、人間の動きのモーメント上も、右腕が引けると体が右に回転し、重心がむしろ左にかかってしまうことからも証明できるでしょう。
模範的には、右に曲げようと思うなら、十分な動きを作った上で、人間は重心を右前方にかけ、手綱は外側の左でしっかり馬の首を押さえ、内側の右は引かずに開いてやるのです。
一度、近所の奥さんたちが集まって、車は前輪後輪どっちがパンクした方がよくわかるかを井戸端会議の話題にしていたことがありました。
あほか、前輪に決まってるだろうと思いながら黙って聞いていましたが、前輪がパンクしたのに気づかなかったという人も何人かいたのです。
これは、その人の感覚の鈍さの問題もあると思いますが、国産車は一種の個性として、タイヤの感覚をステアリングに伝えにくくしているのです。
実際、ソアラの前輪がパンクした時、馬乗りとして40年の経験があり、車でもテストドライバーやレーサーを感心させた敏感な私ですら、最初は気持ちが悪いと思っただけだったのです。
前述のように、馬はほぼ後輪駆動ですから、馬乗りの私としては、前輪駆動の車は運転していて気持ちが悪いのです。
また、後輪駆動の中でも、最近のBMWのように、後輪でもステアするものについては気持ちがよくありません。
馬でも車でも、後足、後輪の異常は足や腰、お尻などで感じるものであるため、手で感じる前足、前輪の異常よりも騎手及びドライバーには伝わりにくいものです。
ですが、後ろ足がふらふらする馬は非常に危険であり、人間が異常を感じるようになったら大事故一歩手前であることが多いのです。
ですから、私はBMWや国産車の一部のような後輪操舵がある車はお尻がむずむずして気持ち悪くて嫌です。
4輪駆動の車ですが、この点でもベンツの4マチックは後輪中心で大変自然で優れています。
アウディクアトロは、駆動の点では大したものだと感心はしますが、感覚的には前輪の駆動力が大きく、操舵に影響しますから、個人的には好きではありません。
ジャガーも同様の四駆を採用していますが、知らずに試乗して、奇妙な感覚だったため、こう言ったことがあります。
「前輪駆動のような感触ですが、後ろからも駆動力を感じます。もしかしたら四駆で、前75%、後ろ25%ぐらいの配分なのですか。」
これは、配分率を知らなかったセールスマンが調べたらその通りだったので感心していましたが、そんな感触を感じながら運転することは大切です。
しかし、国産車はこの感覚が不十分です。運転を楽しみ、危険を避けるためにも、感覚は大切だと思います。
私が輸入車、特にドイツの後輪駆動の車に喜んで乗っているのは、その理由が大きいのです。
Posted at 2013/11/13 12:03:13 | |
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車全般 | クルマ