2013年10月02日
1978年でしたか、私がスカイライン2000GTXESに乗っていた頃、母はマツダのコスモ(スポーツではなくクーペ)に乗っていました。
積んでいたロータリーエンジン(13B型)は、大変スムーズに回ることが特徴で、高回転まで吹け上がり、その分馬力が出る、現代のトルク重視ではない、昔の味付けのエンジンでした。
確か130馬力だったと思いますが、回せば意外な速さを発揮する反面、室内は割と豪華な、決してスポーツカーではない中途半端な車でした。
運転した感触は、全てに柔らかく、スカイラインと違って導入初期のパワーステアリングは、感触が希薄で飛ばす気になる車ではありませんでしたが、決して悪い車ではありませんでした。
ロータリーエンジンは燃費が悪いといいますが、このコスモはリッター7~8キロでしたから、取り立てて悪いとの印象はありません。
当時既に50を過ぎていた母は熟年暴走族で、今思えばよくまあ事故を起こさなかったものだと呆れるような運転をしていましたが、笑ってしまったのは高速で張り合ってきた車がいたので、180キロで走ったら、相手の車が白煙を上げて止まってしまったとのこと。
私は、免許取って1年半ぐらいこそ無茶しましたが、その後はテクニックの裏付けのある余裕を持った運転を心がけており、母の暴走運転を知っている人たちからは、「あの人の息子とは思えない。」とほめられました。(それがほめ言葉になるのですから、母が如何に嫌われていたかわかります。)
で、その母からは、運転していたらあることないこと文句をつけられて辟易としていましたが、目的地に着いてみると母の無茶な運転と時間的には変わらないことが多かったので、その内余り言わなくなりました。
このコスモで、私は一度事故を起こしました。
この車のパワーステアリング、特に軽くて、朝出発早々に窓が曇ったので、拭こうと思ったら、小指が軽く接触しただけで、ステアリングがくるっと回ってしまい、道路わきの柵に突っ込んだのです。
スカイラインが2台とも重くて路面状況をしっかり伝えるステアリングでしたから、まさかその程度でステアリングが回るとは思わず、一瞬何が起こったのか理解できませんでした。
この時このコスモ、わりとごつい感じのする見かけと違って、大変やわであることがわかりました。
20キロも出ていないぐらいの低速でビニール金網の柵に突っ込んだだけで、左のヘッドライトからフェンダーにかけて驚くほどつぶれたのです。
私はこの1回だけでしたが、母は2~3度同じような事故を起こし(懲りない奴だったのです。)、最後は彼女の責任ではなく派手に追突されてトランクが半分になるぐらいつぶれて、同じコスモのランドゥートップなる変な車に乗り換えました。
この2台目のコスモに関するマツダの対応は、三菱自動車ではありませんが、ひどいものでした。
前のコスモは、全てに軽い車でしたが、ブレーキは大変よく効いたのです。
ところが、新しいコスモ、ブレーキが効かなかったのです。
私はメカに詳しかったので、バキュームブースターに問題があるとまで指摘し、実際その警告灯が点灯したことまであったのに、マツダのサービスは、異常はないの一点張りでした。
マツダが善処してくれませんから、私は、母に散々注意したのです。
「ブレーキの効きが悪いから、車間距離を十分取るように。」と。
しかし、私の言うことは素直に聞かない母、案の定追突事故を起こしました。
これで見限ればよかったのに、暴走母が食指を動かすような車が発売されたのです。
それがRX7でした。
RX7、これこそスポーツカーで、内装はちゃちでしたが、小さい車体で軽量であり、コスモより少し排気量の少ない12A型ロータリーエンジンによるハイパワーと、フロントミッドシップによる操縦性を誇る、スカイラインとは違った方向に素晴らしい車だったのです。
どう違っていたかですが、スカイラインは、走らせてまず安全な車であり、限界を超えた場合の車の動きも急ではなくそのような状況に陥っても、テクニックがあれば楽にコントロールできる車だったのです。
ところがこのRX7、ピュアスポーツをうたっていただけあって、スロットルとステアリングの連携により、自由自在に操ることができる車でしたが、そのためには相応のドライビングテクニックが必要だったのです。
私は、初めて運転した時に癖を手っ取り早くつかもうと周山街道の峠を攻めてみたのですが、スカイラインならスロットルべた踏みでも加速しない登り坂のコーナーで、思い切り踏んだところ、エンジン回転の上昇とともに加速し続けるではないですか。
流石ロータリーエンジン、凄いなあと思いながらコーナーでスロットルを戻した途端、見事にタックイン(車が内側に切れ込むこと)し、無意識のうちに逆ハンを切ってドリフトさせながらコーナーをクリアしたのですが、この1回で、下手が乗ったらカー・オブ・ザ・ジコであることを悟りました。
実話ですが、RX7で万博記念公園周回路を試乗し、コーナーでガードレールに激突した客がいたのです。
そして、腕に覚えがある私ですら、ウェット路面では手に余る車でした。
2万キロで、全てのタイヤにスリップサインが出るような車でしたから、サスペンションの容量も十分ではなく、タイヤに対する負担自体が大きな車だったのです。
熟年暴走族の母と、その弟子である妹にこの車を乗せたことが間違いでした。
私が丁寧に、こうなるから飛ばすなと警告したにもかかわらず、母はコーナーでスピンし、妹に至ってはウェット路面で飛ばして反対車線に突っ込んで対向車と衝突し、重傷を負いました。
余談ですが、この時何か所か骨折しただけで済んだものの入院した妹に一晩付き添ったところ、ショック症状の一つというのですが、「コンタクトレンズ、外したかしら。」を10秒置きに一晩中、それこそ何百回となく繰り返されて、こちらの方が気が狂いそうになりました。
それから、重傷を負って、手足は傷だらけ、腰の骨にもひびが入っていたにもかかわらず、妹の顔には全く傷がなかったので、私は不思議に思ってコンタクトレンズと聞かれる前に何故顔が無事だったか聞いてみたのです。
すると妹、けろっとしてこう答えました。
「うん。ぶつかると思ったから両手で顔を隠したの。」
つまり、ぶつかる前にステアリングから手を放しているわけで、その時点でコントロールを放棄したのです。
別れた彼女に運転を教えた時、ぶつかりそうになると両手で顔を覆ったこともありましたから、女性は、命よりも顔が大切なのかもしれません。(そんな人には運転して欲しくはないのですが…。)
哀れなRX7、運転席側のドアーに衝突し、知らない人が見たら、ドライバーは死んだに違いないと思うほど車はつぶれており、これを幸い、全損にしてお払い箱と思いきや、保険会社が車両保険の限度内なら修理しろと言ってきたため修理することになりました。
この修理、2か月もかかったにもかかわらず、帰ってきたらメーターを始めとしていろいろなところがずれていて、これでも修理したのかと疑いたくなるような状況でした。
しかし、大変敏感な私が運転しても、車の動き自体には全く問題がなく、使う上での不都合はありませんでしたから、意外と骨格はしっかりしていたのかも知れません。
妹の尻ぬぐいでその後しばらくはスカイラインを母に預け、私がRX7に乗っていました。
このRX7、事故が多くて社会的に叩かれたこともあり、その後のモデルではかなりマイルドに改良されていました。
外見はどんどんアグレッシブになりましたが、運転してみると、初代のような軽さはなくなっていましたから、私は今でも、初代の危険な香りを伴った軽さが一番面白かったと思います。
Posted at 2013/10/02 14:17:59 | |
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