2013年11月21日
先日ぶつけられた修理を依頼したのですが、何時までたってもヤナセから連絡が来ないので、変だなあと確認したら、保険会社と私のやりとりがまだ済んでいないと思っていたとのこと。
それでも、2週間も放置するか、と言いたいところでしたが、保険会社に再確認して対処するように頼んだら、火曜日に連絡すると言いつつ、火曜日中には連絡が来ませんでした。
一体どうなっているんだと思いつつ、水曜日に、またこちらから確認したら、今日代車の手配がつきましたから、車が着いたら取りに行きますとのこと。
昨日連絡はずがどうなったのか、全然何とも思っていないようで、少々不信です。
ヤナセ、以前はベテランのセールスとサービスで、大変対応も良かったのですが、その人たちが退職したら、俄然サービスが低下したような気がします。
パワーウィンドーのトラブルについても、何度も宇都宮と往来することになりましたし、CLSに乗せてもらえましたが、対応は今一つだったような気がします。
これなら、レクサスのサービスの方がよさそうですから、今度は考えるかも知れません。
で、代車で来たのは、ほぼ新車のプリウスだったのですが、笑えることに、ヤナセのサービスマンもプリウスは初めてとかで、操作を勉強して来たとのことでした。
私は何度も運転していますが、妻は初めてでしたから、操作には戸惑っていました。
こんなところも、もう少し配慮があってもよいのではないでしょうか。
妻は、マーチよりはいい車ね、と言っていましたが、小回りが利かないことにも驚いていました。
Posted at 2013/11/21 12:12:00 | |
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メルセデスベンツ | クルマ
2013年11月18日
先日は、人馬一体のお話をしましたが、今日は人車一体です。
これ、人馬一体よりははるかに楽だと思います。
何故なら、馬には感情も体調もありますが、車は管理さえしっかりすれば、どちらも無視できるからです。
でも、そんなに度々経験できることではありません。
私は、奇しくも最初に経験したのは、大学4年ですから、免許とって2年目でした。
当時乗っていたスカイラインの特別仕様車、2000GTXE-Sでのできごとで、きっかけは、妹がRX7で事故って重傷だから、できるだけ早く家に帰ってこいというものでした。
今と違って携帯電話など無いころのお話ですから、京都の大学内の公衆電話から電話をして、その事実を知ったのが午後6時半ごろでした。
起点は京都市左京区北白川で、終点は当時の船井郡和知町なのですが、まだ京都縦貫道など無い時代で、まともに国道9号線、27号線を経由して行っては、老ノ坂峠から亀岡にかけての渋滞に巻き込まれますから、迷わず嵯峨野から京北に抜ける国道162号線、通称周山街道経由を選択したのです。
行程75キロの道程を、めっちゃくちゃに飛ばして、和知町の実家に着いたのは、何と7時20分、50分で着いたわけです。
公道を平均時速90キロで走った経験は、後にも先にもこの1回限りです。
しかも、北白川から嵯峨野までの京都市内はそれなりに交通量が多くて無茶できませんから、いくら飛ばしても15分はかかったはずで、それから後の山間部が如何に速かったかがわかります。
この時の私は、人馬一体の時同様、異常に鋭敏でした。
ステアリングの感覚で路面状況をつかみつつ、通学コースにもしていましたから、ほとんどのカーブは頭に入っていて、そのカーブの限界ぎりぎりの速度を維持したわけです。
周山街道のカーブを時速80キロ以上で走るのは、それこそ気違い沙汰ですが、極めて冷静に車を操ることができたのです。
文字で表現するならば、時速60キロが限界なら59キロで、90キロが限界なら89キロでパスして行ったのです。
京北町の直線道路では、メーター読みで180キロまで達しました。
結果として、カエルを5匹、ネズミを2匹ひき殺してしまったことまで感じたのですが、F1レースを描いた漫画、「赤いペガサス」の中で、主人公が、けたたましい騒音の中で、コックピットの後ろにボルトが一つ転がっていることを言い当てた芸当は、決して不可能なことではないと実感しました。
ただ、もう一度やれと言われたら、できないと断言します。
恐らく、当時が私の車を操るテクニックの頂点であった以上にその頂点をぶっとばした異常に鋭敏な状態にあり、愛車の能力を知り尽くし、全面的な信頼が置けたからこそできたことで、スカイラインよりも数段進化している現在の愛車、メルセデスE300をもってしても、たとえ法規無視でぶっとばすことができたとしても、当時のタイムを上回ることは不可能です。
夜中に約10キロ短い京都縦貫道経由コースをぶっとばして、何とかタイというところでしょう。
馬の時と違って幸いだったことは、人も車も燃え尽きなかったことです。
その後園部の病院で、妹の付き添いをすることとなり、一晩中、ショック症状から同じ質問を5秒おきに繰り返されたのですから(「コンタクトレンズ外したかしら。」の質問でした。何千回繰り返したのか、覚えていません。)、燃え尽きてもいられなかったのです。
それができたのは、若さと同時に、肉体的にも精神的にもタフだったからでしょう。
その後の私の運転は、限界を知り、十分な余裕を持ち、同乗者が安心して眠れるものとなりましたから、それだけの意義はあったのでしょう。
Posted at 2013/11/18 14:53:49 | |
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車全般 | クルマ
2013年11月14日
昨日に続いて、馬がらみの話題です。
馬に乗っていると、人馬一体の妙技とか言われることがあります。
実際に経験した人は少ないと思いますが、本当にそう感じることがあるのです。
その状態を表した名言として、「鞍上人無く鞍下馬無し」という言葉がありますが、本当にその境地に至ることがあるのです。
私は、大学2年生の時に、関西の新人戦の決勝で、その境地に達しました。
準備運動の時から、今日は何かが違うことを感じました。
愛馬を自由自在に動かせると同時に、感覚的にも直結しているような感じだったのです。
その時に、落馬して放馬した馬が突っ込んできたのですが、素早く行く手を遮って気合をかけると、その馬が素直に止まったのです。
最終的にはタイムレースとなって、コンマ何秒かの差で、4位に終わったのですが、私が出場した段階では断トツのタイムでしたから、甘かったと言えば甘かったのですが、後悔はありません。
むしろ、先輩方の方が、勝たせてやれなかったのは自分たちの指示ミスだと残念がっていました。
でも、終わって実感してしまいました。
これ以上はない、それを知ってしまったのだと。
今後いくら頑張っても、それ以上はない、その境地を知ってしまったことは、悲劇です。
正直、競技に対する情熱はなくなってしまいました。
その後の2年間、私は、馬には機械的に乗っただけであり、情熱はむしろ後輩に対する指導に向けられました。
そして、愛馬も、その試合で燃え尽きてしまったのです。
故障したわけではありませんが、馬自身が競技に対する闘志を失ったような状況になったのです。
人馬一体は、馬にも大きな負担を強いてしまったのです。
2か月後、彼は大学を去っていきました。
乗りこなすことの難しい馬でしたから、大学を去る、イコール死でもあったのです。
私は、彼を犠牲にしてしまったのです。
普段鳴き声をあげることのなかった彼が、最後に大きくいななきました。
その声は、今でも私の脳裏に残っています。
私にも、彼にも、人馬一体の境地に達するのは早すぎたのです。
何事も、本当の最高の境地は、目標であっても達成できないところがよいのだと思います。
簡単に達成できる目標もいいのですが、本当に最高のものは、達成できないぎりぎりのものとすべきなのでしょう。
Posted at 2013/11/14 12:17:55 | |
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車全般 | 日記
2013年11月13日
私、実は小学生のころから馬に乗っており、職業でも、馬術のインストラクターを務めたり、深い関係があります。
そこで、今日は馬と車についてのお話をします。
感覚的には、車はステアリング、馬は手綱で前輪及び前足の感覚を感じます。
ここで勘違いする人が多いのですが、馬を右に曲げようと思ったら、右の手綱を引いてはいけないのです。
詳しく解説しますと、馬の動きは、後足の動きによって重心を前に移動させることから始まります。某国産車のCMに、馬は四輪駆動とありましたが、これは正しくありません。前足は操舵輪にはなっても、断じて駆動輪ではないのです。(ばんえい競馬で、バンクを越える時に限っては、前足で突っ張って引き上げる場面があり、その時は微妙ですが。)
ですから、まず後ろから前への重心移動があり、それを前足で受けるわけです。
車でも止まった状態でステアリングを切っても曲がりませんが、馬も同じで、動きがないと曲がりません。
しかも曲げ方ですが、私ならどちらの手綱も引きません。代わりに自分の体重を行きたい方向に少し移動することで、馬体を傾け、自転車のようにして曲げて行くわけです。
それでは右の手綱を引いたらどうなるかですが、ほとんどの場合、馬は逆方向の左に逃げます。これは、人間の動きのモーメント上も、右腕が引けると体が右に回転し、重心がむしろ左にかかってしまうことからも証明できるでしょう。
模範的には、右に曲げようと思うなら、十分な動きを作った上で、人間は重心を右前方にかけ、手綱は外側の左でしっかり馬の首を押さえ、内側の右は引かずに開いてやるのです。
一度、近所の奥さんたちが集まって、車は前輪後輪どっちがパンクした方がよくわかるかを井戸端会議の話題にしていたことがありました。
あほか、前輪に決まってるだろうと思いながら黙って聞いていましたが、前輪がパンクしたのに気づかなかったという人も何人かいたのです。
これは、その人の感覚の鈍さの問題もあると思いますが、国産車は一種の個性として、タイヤの感覚をステアリングに伝えにくくしているのです。
実際、ソアラの前輪がパンクした時、馬乗りとして40年の経験があり、車でもテストドライバーやレーサーを感心させた敏感な私ですら、最初は気持ちが悪いと思っただけだったのです。
前述のように、馬はほぼ後輪駆動ですから、馬乗りの私としては、前輪駆動の車は運転していて気持ちが悪いのです。
また、後輪駆動の中でも、最近のBMWのように、後輪でもステアするものについては気持ちがよくありません。
馬でも車でも、後足、後輪の異常は足や腰、お尻などで感じるものであるため、手で感じる前足、前輪の異常よりも騎手及びドライバーには伝わりにくいものです。
ですが、後ろ足がふらふらする馬は非常に危険であり、人間が異常を感じるようになったら大事故一歩手前であることが多いのです。
ですから、私はBMWや国産車の一部のような後輪操舵がある車はお尻がむずむずして気持ち悪くて嫌です。
4輪駆動の車ですが、この点でもベンツの4マチックは後輪中心で大変自然で優れています。
アウディクアトロは、駆動の点では大したものだと感心はしますが、感覚的には前輪の駆動力が大きく、操舵に影響しますから、個人的には好きではありません。
ジャガーも同様の四駆を採用していますが、知らずに試乗して、奇妙な感覚だったため、こう言ったことがあります。
「前輪駆動のような感触ですが、後ろからも駆動力を感じます。もしかしたら四駆で、前75%、後ろ25%ぐらいの配分なのですか。」
これは、配分率を知らなかったセールスマンが調べたらその通りだったので感心していましたが、そんな感触を感じながら運転することは大切です。
しかし、国産車はこの感覚が不十分です。運転を楽しみ、危険を避けるためにも、感覚は大切だと思います。
私が輸入車、特にドイツの後輪駆動の車に喜んで乗っているのは、その理由が大きいのです。
Posted at 2013/11/13 12:03:13 | |
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車全般 | クルマ
2013年11月01日
我が愛車、ぶっつけられたものの、修理やなんやの準備が整わないようで、そのまま使っています。
で、ぶつけられた時、妻が相手のドライバーにこう聞いたのです。
「どうしてぶつけたんですか。」
愚問だと思いましたが、相手は、
「ガラスが曇っていたのか、見えなかったんです。」
と答えました。
私のE300、白の割とごっつい車ですから、見えやすいはずなのだがと思ったのですが、かがんでべっこり凹んだホンダCR-Zの左後ろの角のバンパーを見ながらそのまま顔を上げて運転席の方を見ようとすると、側後方のピラーが太すぎてまったく運転席が見えないのです。
つまり、この角度は完全な死角になっていたわけです。
こりゃ、ガラスが曇っていたのではなく、元々まったく見えなかったのだと気付きました。
プリウスやインサイトも後方の視界が悪いなと思ったものですが、CR-Zの場合、両側の側後方は元々見えないと考えた方がよさそうです。
ソアラからベンツの190に乗り換えた時、一番感激したのはボディー剛性の差でしたが、他にもいくつか感心したことがありました。
まず、サスペンションの良さで、路面状況を的確に伝えながらも、いわゆるハンドルが取られるような状況にならず、本当に自然に、思うように曲がってくれるという感覚にもつながったのです。
それまで、ステアリングと実際の車の挙動の関係はこんなものだと思っていたのが、190に乗って目からうろこが落ちる思いがしたほどだったのです。
それから、高めの着座位置から来る視界の良さにも驚きました。
ソアラはデザインの問題もあって、決して視界の良い車ではありませんでしたから、本当に運転が楽になったと思ったものです。
CR-Z、そのソアラよりも、格段に視界が悪いと思いますからユーザーの方は、車線変更やバックの際、くれぐれも気を付けてください。
最新のベンツの高級グレードは、レーダーセーフティーパッケージとか360度カメラシステム(日産が宣伝しているものと同じようなシステムです。)を装備していますから、衝突しそうなものがあれば警告し、それをドライバーに見せてくれるのです。
私のベンツも、元々は駐車の際の補助システムなのですが、超音波センサーで、バンパーの近くに何かがあれば、ランプが点灯し、接触しそうになったら警告音が鳴ります。
デザイン優先で、視界を犠牲にした車ほど、このようなシステムを取り入れてもらいたいと思いました。
それから、ベンツに乗り換えた時、彼らが面白い研究をしていたことも知りました。
ドライバーの視界の確保とともに、他の車のドライバーからの視認性についても研究していたのです。
ボディーの形状とともに、色も大きな要素であり、一番視認性がよかったのは、蛍光色だったそうです。
ただ、蛍光色、昔高崎駅近くのビックカメラが、壁に赤系統の蛍光色のペンキを塗って物議をかもしたように、いくら良く見えても、見る側が目がちかちかしますし、運転するドライバーの視界の妨げにもなりますから、実際に採用した例はなく、市販の車で一番見えやすいのは、黄色、その次が白という結果でした。
逆に一番見えにくい色はというと、これは意外な結果だったのです。
黒かと思っていたらそうではなく、濃い紺色や濃いワインレッドの方が他車のドライバーの視認性は悪かったのです。
皮肉なもので、私が初めて乗ったベンツは、この最も視認性の悪い色の一つである濃いワインレッド、バロロレッドと呼ばれる色で、次に乗った190が、これまた3番目ぐらいに視認性の悪いブルーブラックメタリックだったのです。
これ、実際に覚えがあります。
この2台、ライトを点灯するぎりぎりぐらいの暗さの時に運転していると、よく側道から前に飛び出されたのです。
慌ててブレーキ踏んでクラクションを鳴らすと、相手はえっという顔をしましたから、向こうはこちらが見えていなかったのだということに気づき、それからは薄暗くなったらすぐに点灯するようにしました。
自分でぶつけないことも大切ですが、ぶつけられないための工夫もすべきです。
積極的に回避する自衛運転も心がけましょう。
Posted at 2013/11/01 14:39:43 | |
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車全般 | クルマ