
ある方から、フランスのテレビ局が、ロードスターについて取材しにきていて、その番組がこの前放送されたとの話を聞きました。フランスの民放の「M6」の「turbo」という自動車番組で、同局の番組でも最も長く続いている番組のひとつのようです。ロードスター(欧州名:MX-5)に関する部分は日本(東京モーターショー)特集の一部で、わざわざ広島まで取材に来ています。内容的には目新しいものはあまりありませんでしたが、日本にありがちな性能的や技術的な側面ではなく、海外から見た「車づくり」「日本の車文化」がどう写るのか少し伺い知ることができるので、興味深かかったです。
http://www.turbo.fr/actualite-automobile/307178-emission-turbo-25-2009-peugeot-5008-gps-choisir/
内容はすべてフランス語ですが、ここ数日、ヘルニアに加え、新型インフルエンザにも罹ってしまったため完全な「自宅軟禁」になっているので、MX-5に関する部分を訳して見ました。載せておきますので、画像にあわせて読んでみるとおおよその意味がわかると思います。
(素人訳なので正確な訳ではないかもしれませんので、その点ご了承ください。なお、訳文中「ロードスター」は車種名ではなく、「オープンカー」の意味の一般名詞として使用しています。また、発言等はバックで聞こえる日本語や英語に関わらず、あくまでナレーションを訳したものです。)
ちなみにこの番組はマツダの全面協力があったようで、このほかに、東京での新CX-7の試乗、内装の一部にバイオ素材を使った試みの紹介、日本の自動車業界における女性の進出の例としてマツダにおける女性開発技術者と女性デザイナーの仕事ぶりの紹介などもありました。日本のテレビ局でもここまで時間を割いてマツダについて取り上げることが少ないので、ある意味貴重な映像かもしれません。
あと興味深かったのは、日産のゴーン社長のインタビュー。日本で見るときは英語で話をしていますが、当然フランス語で猛スピードで喋っている、という日本のテレビではめったに見られないシーンもあります。英語は流暢に話をされる方ですが、やはりこちらの方が「素が出ている」感じがします。(笑)
「MX-5、ある日本車の成功のポイント」 5分30秒頃~14分10秒頃
20年たっても、グローバルな成功を収めているMX-5。
貴島氏「MX-5プロジェクトをスタートさせたときの目標は、日本でCOTYをとることでした。COTYをとって、目標は達成しました。」
聞き手「誇りに思いますか?」
貴島氏「ええ、非常に誇りに思います。」
貴島氏は、MX-5開発の立役者。MX-5はこの20年を代表する日本車。屋根が開き、たった2人しか乗れない車だが、23300ユーロから購入できる車では比類ない運転の喜びを提供する。それ以上に、信じられないサクセスストーリーでもある。MX-5は、20年前に、トライアンフやオースィンヒーレーなどの60年代の英国車を彷彿させる小さなロードスターの流行を再び巻き起こし、もっとも売れたロードスターになった。この型破りな車がどのように、ロードスターの市場を作り出すことができたのか?今週のturboの特集だ。
ここは広島、東京から900キロのところ。この街は、悲しいことに、第二次世界戦下の1945年8月6日に史上初の原子爆弾で破壊されたことで有名になった。ここには、日本で第5位の自動車メーカー、マツダの本社と工場がある。貴島氏は、その工場の数キロのところに住んでいる。
貴島氏「おはようございます。」
日本では、家に入るときに靴を脱ぐ。彼は、自宅にいても、職業人生のほとんどをすごした会社をみつめている。
貴島氏「この向こう、橋を渡ったら、工場です。右側にはマツダの本社ビルです。」
貴島氏はマツダの偉大なエンジニア。ご家族と愛犬とともに、おしゃれであるが、贅沢ではないマンションで暮らしている。
ほとんど友人を自宅に招くことのない国で、当番組はご招待をいただく栄誉を得た。
日本のどの住宅と同様に広さは限られているが、貴島氏は自分の小さな「博物館」をつくる場所をなんとか確保していた。そこには、自動車開発者としての第一歩を記すものもあった。
貴島氏「これをつくったときはまだ14歳でした。でも、変速機とサスペンションはついています。これがはじまりです。」
コレクションの多くは、人生を変えたMX-5に捧げられている。
貴島氏「いまでは、いろんな車種に使える同じ標準部品によって、どの車もコンピュータを作るよう作られています。この車では逆に、(走る)楽しさを提供するため、どの部品もオリジナルです。エンジン、外板、シャシー、すべてがFunのために創られています。」
日本では、何千ものユーザーが虜になっている。この小さな日本車の20周年を祝うために(多くのファンが)集まったくらいである。クキシさん(原語まま)もこれに参加しており、自宅では前の車のビデオを見ることがあるものの、その(MX-5の)ファンの一人。
クキシ氏「前はマツダRX-7(原語まま)を所有していて、サーキットで走らせるのが好きでした。でも、いまの愛車はMX-5です。お見せしましょう。」
クキシ氏「前の世代のMX-5です。ご覧のように、完全にカスタマイズしています。チューニング専門店のニーレックスでやってもらっています。よければ、ご案内します。」
ニーレックスは、広島の昔ながらの地区にある。そこにたどり着くには非常に狭い道を通らなければならず、車から壁までわずか数センチしかない。
ここには、熱心な愛好家の小さなコミュニティーがある。それぞれのMX-5をチューニングしてもらうために訪れており、そこには女性もいる。チューニングを担当するのは、店主(匠?)のニイミ・マコト氏。
ニイミ氏「スポーツカーとして開発されましたが、もう少しスポーティーにするにはまだ少し変更できる箇所があります。そこに、我々のような会社にパーソナライゼーションとカスタマイズをする余地が残っています。例えば、この車では、タイヤの回りでシャシーを補強しています。前面にクロムめっき部品をつけ、マフラーを変えています。こちらはアストン・マーチンが大好きなお客様のために、MX-5をアストン・マーチン風にしました。」
この工房では、日本式で働いている。
ニイミ氏「彼がメカニックの小林です。」
聞き手「つなぎは着ないのですか?」
小林氏「いいえ、こんな感じで働いています。」
MX-5の成功は、この身近でフレンドリーな感覚によるものだが、高い品質によるものでもある。
ここ十数年、日本のメーカーはアメリカのJDパワーなどの信頼性に関する調査の上位を占めている。それでは、どうして他社より信頼性の高い車が作れるのか?
貴島氏にMX-5やマツダのほかの車種をつくっている工場を見せてもらった。
工場の入口にあるミュージアムですでに最初の答えが。
広島の児童が、若年のときから将来の進路を探しに来ている。
でも、目的地は工場!
ここでは1日3000台の車を生産している。1台あたり、16時間。
最初の驚きは、ここハイテクの国ながら、ロボットが非常に少ないこと。さらに驚くことに、同じラインで異なる車種が続けて流れる。
貴島氏「同じ組立ラインで違う車は、従業員にとってもいいのです。いろんな車のことを考えなければならず、(同じ作業の)繰り返しが少なく、注意深くなり、品質がこれに伴います。」
様々な作業をすることより集中力を高められている従業員、というは論理的に思えるが、わが国のメーカーではこれは採用されていない。
でも貴島さんによれば、本当の秘密は違うところにあるとのこと。
貴島氏「日本のどのメーカーも、車を創り出すのに、チームで仕事しています。それは設計者から、デザイナー、作業者、品質管理員までです。違う職種の人がグループをつくって、一緒に働きます。これが非常に大事で、みんな一緒に仕事します。」
最後の仕上げは、ラインの終端で待っている他の国より厳しい品質検査。
貴島氏「締め具合の確認は、最後の検査項目です。全部がきちんと締まっている、変な音がしない、このようなことを全部検査します。」
60歳になる貴島孝雄氏にとっては定年が到来するが、MX-5はまだ継続する。いまでは、後継者を育ている。(この車の)フィロソフィーを損なうことなく、この小さなロードスターの4代目を準備することがその後継者たちの任務。
これが日本の「方程式」でないのか: 「継続」
聞き手「違う車の仕事をしてみたいですか?」
貴島氏「思いもしないですね。MX-5だけ。いつまでも。」