当時、この車をハチロクと呼んでいた人はあまりいなかったような気がします。
ヤマハチャンプCXとホンダDJ1-RRという
スクーター2台持ち(なぜ2台?)の生活に終止符をうち
クルマ乗りの仲間入りをしたときの初マイカー
昭和58年式スプリンタートレノGTAPEX 3DHB 赤黒
最初は山に走りに行くとか全然考えてなく、海や山に街に
フル乗車でいろいろ行ってました。
そんな時ある人が、ガオンガオン勇ましい音でやってきました。
私 「なんすか?その音?かっこいいっすね。」
ある人「エアクリーナー、フォルザにすっとこんなぐなるんだ。
おめえも4号線名取のほうにアクセルっていう店
あっから、買ってきてつけてみろ。」
私 「うん、おれも付ける。」
っていう具合にクルマいじり生活が始まりました。
そして、夜な夜な山に走りに行くようになりました。
当時は車高を低くすると違反だったのでダンパーだけ
ポテンザジムカーナ入れて、もらいもののLSD入れて、
その当日に自爆、それにもめげず修理して走りに行きました。
ワタナベのホイールに世の中ヨコハマM3とかポテンザ
だらけでしたが、諸事情で私はトーヨータイヤオムニセント
毎日楽しかった。
そのころの、話はいろいろ豊富なので、
折を見て書いていきますね。
Posted at 2013/06/17 15:40:46 | |
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