無駄に長いこと会社にいると、まとまって長い休暇をくれるという。
だが、なぜだろう?それをまともにまとめてとるのを“無責任”と捉える風潮もある。“馬鹿正直”というのか・・・
いたらいたで邪魔者扱いされるが、でも自分よりも能力が無い奴がうまいこと権利を主張することを面白くないと、思う気持ちはわからなくはないが、いうのもどうだかなと思う。
どっちにしても嫌われ者という悪党ならば、思いっきり悪に染まってやろうと、会社のカレンダーと合わせて11日間の休みを手に入れた。イギリスやドイツも考えていたが、「寒い時にいかんでもよろし。」と親父の一言もあり、タスマニア1周ドライブ旅行となった。今の自分には一番合っているように感じた。
最近の飛行機は素晴らしいもので、各シートにモニターがあって選択の余地も10や20どころではないだろう。7時間のフライトののちトランジットしてさらに7時間のフライトというのでありがたかった。
『舟を編む』というお話がある。辞書編纂に関するお話であるが、石井裕也監督、松田龍平、宮崎あおい出演と人気のある方達が出ているので、もちろんストーリーの良さも相まって、公開時から注目の作品だった。映画の前に小説を読んでみたいと思ったが、注目されたわりには、なかなか文庫化されずに、それが果たせずにいるうちに映画が終わってしまった。
鶴マークからトランジットしてカンガルーマークに変わると当然日本語サービスは消え日本映画も英語字幕となる。その中に『舟を編む』があった。映画の中に出てくる辞書名「大渡海」に由来して『The Great Passage』とかなっていて最初は気づけないでいた。
st昼行灯は英語が喋れない。第一、学生時代の英語の成績からしてterrible だった。そのくせに海外に出る機会は多く、中学時代のドイツから大学時代のオーストラリア・シドニー・メルボルン・ブリスベン、ニュージーランド・オークランド、会社員になってからのハワイ、オーストラリア・ケアンズ、オーストリア・ウィーンそして今回のオーストラリア・タスマニアへと続く。会社員になってからは全て一人旅である。しかも、ハワイの時は全て旅行会社にお任せの旅行であったのが、次のオーストラリアでは、フリープランのツアーにオプショナルツアーを自分でチョイスするものになり、オーストリアに行った時はやはりフリープランのツアーだったが、当地でのツアー、コンサートチケットはインターネットで各HPにいってbookingし移動は当地の窓口で切符等を手配した。そして今回のオーストラリアは行き帰りの飛行機からビザの手配、ホテル、レンタカー、当地でのツアーのbookingまで全て自分でHPでとってのものとなって、いい気になっているとしか言いようがないのである。きっとそのうち天罰を被ることは間違いないと思う。
『舟を編む』はとても素敵な映画だった。辞書にまつわる話なので、とても言葉を大切にしているように感じて、印象の強い台詞がたくさんあったように思う。また、とても爽やかな恋物語が展開する。
「言葉を正確に知りたいということは人と繋がりたいということの表れである。」
英語が喋れなくても一人旅のドライブ旅行は1日の大半を車の中という隔離された世界にいるので特に不便もなく、たまに喋ることといえば、「My name is st昼行灯. I have resavation.This is my reference No.」と版で押したようなものである。それでも、向こうの人は「Cool 」とか「Perfect 」とか帰ってきて、なんとかすんでしまうものである。
「言葉の海は果てしなく広い」
しかし、たまに向こうから質問をかけられてしまうと、とたんにボロボロとなる。特にオーストラリアは独得の発音が「Today is good day.」は「トゥダイ イズ グット ダイ(Die)」に聞こえるという話は有名ですが、
「ナイ(ム)ン ライト ヒア」は「name write here 」なのに「9」と書いてしまった間抜けが何処かにいたそうです。それにせっかくお金をかけて頼んだツアーの説明も3割もわかっていなかった。全くお金の無駄遣いも甚だしい。
「人は辞書を使って的確に自分の気持ちを表現する言葉を探す」
以前、秋葉の行きつけのとんかつ屋さんで外国人観光客がスマホの画面を見せながらお店の人とコミュニケーションしているのを見て、真似してやろうと思っていたのだが、色々と試してみると、英語の喋れない自分にもわかるような、もの凄く違和感のある言葉が返ってきて、このままでは使えないなぁと思った。それにしても、あの旅行者達が使っていたアプリはいったいどんなものなのだったのだろうか?教えて欲しいものである。
海外旅行用例集のような本も用意してみたが、やっぱり実用性は薄かったように思う。
「誰かと繋がりたいと思って広大な海を辞書という舟を使って渡りたい」
何処に行っても中国人だらけだった。彼らは大きな声で話し、国立公園の中を歩きタバコし、野生動物に餌を与えないでくれという看板の前で自分達の食べかすのバナナの皮やお菓子を撒いていた。それに顔をしかめてみても、他の旅行者から見ればst昼行灯も同じような顔をした仲間とみられていたことだろう。それに、日本人だってほんの数十年前までは同じようなことをしていたのではないだろうか。ただ、彼等が偉いなと思うのは結構小さい子供でさえも英語を話すということだった。大人しく、静かな日本人はコミュニケーションがうまくとれずに惨めな笑顔を晒すだけだった。
「他の人の気持ちがわからなくて当たり前。だから喋るのです。」
それでも、声を掛けてくれる優しい人達もいた。クレイドルマウンテン近くのホテルで部屋に戻ってくると隣の部屋のおじさんが外で煙草を吸っていた。「Hallo.」と声をかけると返事と共に何かを話しかけてきた。「何処から来たんだ?」彼はシドニーとブリスベンの間の何処からか来たらしい。彼はトラックの運転手で奥さんは高校の科学の教師だという・・・・だと思う。「彼女はスマート(賢い)なんだ。」年配者の西洋人によくいる大柄な体格の彼女をそう言い、少し呆れたような顔をした。でも少しうれしそうだった。おじさんが一方的に話すような格好で話しは進んでいった。手帳と携帯、カメラの写真を使って必死に食い下がってみた。部屋で食べようと思ってマイクロウェーブで温めたラップスはすっかり元の冷めた状態になっていた。大変だったけど、ありがたかった。
クレイドルマウンテンをwalking していた時も声を掛けてくれる人がいた。クレイドルマウンテン国立公園の遊歩道はしっかり整備されていて気楽に歩き回れるが、やっぱりしっかりと山で、少しでも高いところに行くと、あいにくの悪天候も相まって、歩くのも大変な強烈な風が吹き荒れていた。岩に掴まり登って少し広いところに出たところで目指したLook out(展望台)はもう少し高いところにあるのか、でもこの風は危険だな。と悩んでいたところにさっき追い抜いたご夫婦が登ってきた。「風が強いね(Strong wind)」と声を掛けると「ここが展望台かい?」と聞いてきたので「よくわからないけど(I don't know.)もう少し上なんじゃないかな。(more up there)でも、僕はここで諦めるよ(But l give up here)。」と言うと「 恥ずかしく思うなよ。(you don't shame ・・・)」と言ってくれた。
ダフ湖に向かって降りて行く時すれ違った中国人ご夫妻は「ダフ湖の駐車場から登っていったのかい?」と聞いてきたので「いや、ローニークリーク駐車場から登っていったよ。(No I started Ronny creak car park.)」と言うと凄い笑顔を見せ「凄い👍!」と言った。「上は風が強いから気をつけてね。(Up there ,strong wind.take care of yourself.)」と言うと「ありがとう、上にいったら傘は閉じるよ。」と言って登っていった。後で「If you open umbrella ,up there,You flyaway like Mary Poppins.」と言ったら通じただろうか?と後悔していた。
次の日、クレイドルマウンテンを発つ時に隣のご夫妻のところに行って「僕はもう発つよ(Excuse me.I reave.)」と言うと手を差し伸べてくれた。しどろもどろと謝意と感謝をしようとしていたら、「I can't speake English well.But I want speake English ,well 」何か心の叫びのような言葉が出た。ちょっとの間を空けて二人が吹き出すように笑った。それまで廊下で延々と話していた旦那さんと変な日本人を冷ややかな視線で見ていた奥さんも目が細くなっていた。きっと、スマートな彼女は僕が旦那さんの話を半分も理解できないで相槌だけを打っているのを見抜いていたに違いない。旦那さんは「オレ達はちゃんと会話していたぞ。」と言った。「何時か日本にも来てよ。(Please,someday,come Japan)」と言うと、「地震が怖いよ。」と言った。「オーストラリアには地震は滅多にないから。」「あれ?でも5年前にニュージーランドで大きな地震あったよ。」「あそこにはプレートがあるんだ。日本と同じさ」と返してきた。さすが、サイエンスの伴侶をもった旦那さんはスマートだと思った。廊下で煙草を吸っている旦那さんを尻目に黙々と荷物を車に運ぶ奥さんと並んで駐車場まで歩いた。「ストラハンではゴードンリバーのクルージングをするのかい?」と聞いてきた。なんか緊張してしまい「Yes」と言うのが精一杯だった。「Have a nice trip!」と言ってくれた。「Thank you.You too.」とやっと声が出た。後で考えると「Yes,of course.I looking forward that.」ぐらい言えばよかったと思った。
「恋
ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態
成就すれば、天にものぼる気持ちになる。」
いっつもそうだ。後で後悔する。間抜けだなっと思う。シンガポールまでの飛行機で隣だった金髪の女の子は(I ❤️Tokyo)のTシャツを着ていた。You wear Nice T-shirt👍と声を掛けてやればよかった。クレイドルマウンテンで「ニッポン人ですか?」と声を掛けてきた若いお兄ちゃんは「日本語を少し勉強している」という。無理に英語で話そうとして黙ってしまうのではなく、簡単な日本語で「名前は何と言うのですか?」とか「何処に住んでいるのですか?」「学生さんですか?」とか話してみればよかった。シェフィールドのBarに入ってBEERのlarge saizを頼んだ僕に「Japが、大丈夫かよ。」と囃す奴らに「Don't worry.easy!」と言ってやればよかった。そのBarでフィッシングと乗馬のガイドをしているという大柄の男の人が「wiskyeにしろよ。俺みたいになれるぞ。」というのに「I love Beer.」と答えたが、「お前、釣りや乗馬はしないのか?」と聞いてきた時「In Japan ,say,fool Pearson can't fishing and horse riding.because fish and horse are clever animals. surely,you are clever man.I am a fool fellow.」とぐらい世辞を言ってやればよかった。
そんながっかりがいっぱいでストレスだった。旅の恥はかき捨て・・・そうありたかった。小心者の自分が恨めしい。最後のホバートのホテルの部屋でそんな自分に悪態をついていた。
不思議なことに日本に帰ってきた時の方が抵抗なく声が出る。まさに、羽田で飛行機が駐機場に停止しシートベルトサインが消えた時、後ろの列に座っていた初老のご夫妻が、st昼行灯の被っていたタスマニアデビルの絵柄の帽子を指して、「タスマニアに行っていたのかい?」と聞いてきた。「Yes.I drive around Tasmania,9days.」と答えた。「良かったか?」「Of course!」笑顔のご主人に「Where come from?」と聞くと「ロンセストンだ。」と言う。タスマニアの第2の都市である。「I went there. And go to beer factory.“Jamesbog&・・・」「sun!」2人の声が重なった。ご夫妻は北海道に3週間の休暇でスキーをしに行くのだそうだ。「Hokkaido is very cold.Take care of your self.Please enjoy your trip.」笑顔で別れた。文法もへったくれもないめちゃくちゃな英語でも気持ちが伝わる嬉しさが、日本で味わえるとは皮肉なことだ。
コミュニケーションは難しい。同じ言葉を使う間でも気持ちを交わせることは難いものである。それが、違う言葉で、文化も習慣も違う間ではもっと難しいのは当たり前だ。それが、旅行という特別な空間では、時々奇跡のように、叶うことがあるのはなぜだろう?それはお互いがお互いに相手の言葉に真摯に向き合えるからだろう。むしろ、面識も印象もない時は、相手の言葉だけが、相手を知る知らせる唯一のアイテムだからなのではないからではないだろうか?だから、必死で言葉を発し、耳を傾けることができるのではないだろうか。上手く言葉を発せられるようになりたいと何時も思わせられるのが、海外旅行の醍醐味なのかもしれない。でも・・・
会社にかえって
「タスマニアだけですかっ?タスマニアだけっ⁈」と笑顔を被った彼らの舟には答えを載せるスペースはないようでした。「はい・・・」st昼行灯もそれ以上は舟をしまってしまいます。やっぱり、難しいです。
羽田から西への帰路は兄ちゃんが、たまたま、でもないのかな、東にいたので、車に乗せてもらった。さすがに疲れがでたのか助手席でst昼行灯は居眠りをしている。車は新しくできた高速道を快調に走る。今度、Rーコとここを走ってみよう、そう思っていた。
道は毎年新しく延びていく。また、違う場所に向かって。新しい世界がその先にある。Rーコはそんな川を渡る、st昼行灯にとっての、まさしく“舟”なのかもしれない。今年もRーコに手伝ってもらって繋がりが広がるといいな。夢の中のst昼行灯は饒舌であった。