そう、11月17日は本田宗一郎氏の誕生日です
ホンダオーナーなら誰もが知っている筈です
俺は知りませんでした
FBのニュースフィードにこんなのが出ていたので、それで初めて知りました
俺は別に本田信者ではないのですが(ホンダ車はこれで3台目だけど偶々気に入った車がホンダだっただけ)、経営者としての本田宗一郎氏を凄く尊敬しています
聞いた事ありませんか?
この方の逸話や名言の数々
本田宗一郎 エピソード
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本田宗一郎 名言
などで検索すると本当に沢山出てきます
141 :名無しさん@八周年:2007/10/01(月) 22:16:45 ID:RHpLaAjD0
友達の親父さんの話なんだけど
親父さん鈴鹿サーキットで警備員やっててある日黒塗りのハイヤーがゲートに来た
警備員の親父さん「通行証お願いします」
黒塗りの運転手 「関係者だ」
警備員の親父さん「デスから通行証を」
黒塗りの運転手 「だから関係者だといってるだろう」
警備員の親父さん「関係者でも何でも通行証を提示して頂かないとお通しできないことになっているんですよ」
黒塗りの運転手「・・・(不満そうに)」
すると黒塗りのハイヤーの高部座席から声が
「通行証を忘れてきたのは我々のミスです、今日は引き返しましょう」
こうしてハイヤーは帰っていった
数日後警備会社にあの本田宗一郎から手紙が!
「貴方のようなちゃんとした方が警備してくださってることを心強く思います」的なこと書いていたそうで警備会社は騒然
親父さんが追い返したのはあの本田宗一郎の車だったわけで警備会社も大慌て
親父さんは本田宗一郎を追い返した伝説の男となった
ただ本田宗一郎の手紙は大変好意的だったので無論処分無し
その後も親父さんはその警備会社に勤めれることになった
そしてまたその後鈴鹿サーキットにあの車がやってきた
警備員の親父さん「通行証お願いします」
黒塗りの運転手 「はい(通行証差し出す)」
警備員の親父さん「はいどうぞお通りください」
そして黒塗りの車は通過して行った、親父さんの前を通過していくその時
後部座席の窓が開き窓から本田宗一郎が親父さんに会釈したとさ
これはコピペとしても有名ですね
他には
「トイレがくさい!」といって大激怒。普通なら掃除が行き届いてない、というところだが「吸排気がなってない!」。急遽ドアに吸気口、壁には大型ファン2機装着され、夏でもビュービュー。寒いくらいになったとさ。
吸排気www
自動販売機の裏にホコリがたまっているのを見つけて大激怒!普通なら掃除が行き届いてない、というところだが「モノがあるからホコリがたまるんだ!」といって全部撤去。ところが同じ場所にATMがあり法令上勝手に撤去できない。担当者は「故障中」の貼紙で目隠ししてごまかした。
本田技研の創業者、本田宗一郎が天皇陛下から勲章を賜ることになった。
が、「技術者の正装は白いツナギ」と、工場に居るのと同じ服装で参内すると言い出した。
「オヤジさん、やはりモーニングでないと」
「じゃあ行かねぇ」
最終的には周囲の懸命の説得に折れ、周囲と同じ正装に身を包んだ。
1980年代半ば、F1でターボエンジンに対する規制が始まった。ルノーやBMW、ポルシェが勝っている間には何も言われてはいなかったのに、ホンダが勝ち始めた途端に規制が取り沙汰されるようになり、言わばなし崩し的にターボエンジンの段階的廃止(燃料・過給圧の制限を経て、1989年から自然吸気エンジンに移行)が決められていった。
こうした動きに憤慨した現場の責任者は、ホンダは抗議の撤退をすべきではないかと思いつめ、宗一郎に面談を申し入れた。いわば直談判であった。が、オヤジさんは応接室に入るなり、
「F1でターボが禁止されるらしいが、これはホンダだけが禁止なのか? ん? 違うのか。バカなやつらだ。ホンダにだけ規制するというのなら賢いけど、同じルールで一からやり直しだって言うんなら、ホンダが一番速くて最高のエンジンをつくるに決まってるのにな。で、何だ、話ってーのは?」
「あ、いや、すいません。何でもないです」
責任者たちはすっかり嬉しくなってしまったという。その後ホンダは、宗一郎が鬼籍に入る1991年まで毎年チャンピオンを獲り続けた。
副社長として本田技研を経営面から支えた藤沢武夫は風流人として知られ、着物姿で出社することも珍しくなかった。ある日、やはり着物で社内をうろついていたところ、掃除のおばさんに「関係者以外は立入禁止だよ」とたしなめられた。藤沢は笑顔で、「これでもここの社員なんですよ」と答え、おばさんがこの顛末を上司に報告すると、「バカ、それは副社長だ」ということになり翌日慌てて謝りに行くと、「いやいや、こんな格好でふらふらしてる私の方が悪いんですよ」と答えたという。そして、そのやりとりを見ていた作業服を着た老人がゲラゲラ笑いながら「俺もネクタイしめた方がいいかな」などと藤沢に語りかけていたので、誰だろうと思っていたら、そのじいさんが本田宗一郎であったと、おばさんは後で知ったという。
1990年暮れのFIA表彰式で特別功労賞の表彰を受けた本田宗一郎に『セナ君,おめでとう.来年も,ナンバーワンのエンジン,作るよ』と言われ,ホンダエンジンを崇拝していたセナは感極まって涙した.
その前のやり取りとして本田はセナに「ナンバーワン,ナンバーワン,ナンバーワン!」と英語で声をかけ,セナは本田に「ドウモアリガトウ」と日本語で返した.
その時タキシード姿で撮った写真が,両名にとって生涯最後のツーショットとなる.
1991年,第10戦ハンガリーGP直前,本田宗一郎がこの世を去った.
喪章をつけレースに挑んだセナはハンガリーGPで勝利.この年,3度目のワールドチャンピオンに輝く.
全従業員と握手
本田宗一郎は社長を辞めた後、全国700箇所以上あるホンダの事業所、販売店、工場などをすべて回り、従業員一人一人と握手して、「ありがとう、ありがとう!」と感謝の言葉を言い続けたそうです。
1年と半年かけて回ると、次は半年かけて海外の駐在員のところを飛行機で回ったといいます。
あまりの才能と個性に、社内外問わず恐れられた本田宗一郎も、社長をやめて、やっと人間らしい生き物になったと、涙したそうです。
ざっと貼りましたがこれらはほんの一部です
ほんと、語り尽くせない程あるんで興味がある方は検索してみて下さいw
俺自身も久しぶりに見ましたが、やはり偉人は違いますね
経営者ではないですけど、仕事で従業員の指導をしたりもするので本田氏のエピソードや名言は大変参考になるのですが、凡人の俺にはなかなか上手くいきませんw
まさに上に立つ者の鑑だと思います
こんな偉大な経営者は日本にはもう現れないだろうなぁ
Posted at 2013/11/18 22:36:48 | |
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