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くろまめたろうのブログ一覧

2016年03月04日 イイね!

黄砂

黄砂気象現象としての黄砂は、砂塵の元になる土壌の状態、砂塵を運ぶ気流など、大地や大気の条件が整うと発生すると考えられている。発生の頻度には季節性があり、春はそういった条件が整いやすいことから頻繁に発生し、比較的遠くまで運ばれる傾向にある。ただ、春に頻度が極端に多いだけであり、それ以外の季節でも発生している[4][5][6]。
黄砂は国境を跨ぐ範囲で被害を発生させ、しかもその程度や時期に地域差がある。発生地に近づくほど被害は大きくなり、田畑や人家が砂に覆われたり、周囲の見通し(視程)や日照を悪化させたり、交通に障害を与えたり、人間や家畜などが砂塵を吸い込んで健康に悪影響を与えたりするなど、多数の被害が発生する。海を隔てた日本でも、黄砂の季節になると建物や野外の洗濯物・車などが汚れるといった被害が報告されている。東アジア全体での経済的損失は、日本円に換算して毎年7000億円を超えるとされる[3][5][7][8]。
発生地に近いほど、砂塵の濃度は濃く、大きな粒が多く、飛来する頻度も高い傾向にある。モンゴル、中国、韓国などでは住民の生活や経済活動に多大な支障が出る場合があり、黄砂への対策や黄砂の防止が社会的に重要となっている。近年は東アジア各国で、黄砂による被害が顕著になってきているとされており、一部の観測データもこれを裏付けている[9][10][11][12][13]。これに加えて、環境問題への関心が高まっていることなどもあり、黄砂に対する社会的な関心も高まっている[14][15]。
一方、黄砂が自然環境の中で重要な役割を果たしていることも指摘されている。飛来する黄砂は、洪水による氾濫堆積物や火砕物と並ぶ堆積物の1種であり、土地を肥やす効果がある。また黄砂には生物の生育に必要なミネラル分も含まれており、陸域だけではなく海域でもプランクトンの生育などに寄与している[16][17][18][4][19]。
また、芸術の分野では、黄砂のもたらす独特の景観などが文化表現にも取り入れられており、黄砂のもたらす情景を詠った古代中国の漢詩が伝えられるなどその歴史は古い。黄砂が生活に深刻な被害を与えている地域もある一方で、影響が軽微であり珍しい自然現象・季節の風物詩などとされている地域もある。
「黄砂」という語でひとくくりにされているが、この語を気象学的に定義すると複数の現象が含まれている。発生地付近では黄砂の元となる「砂塵嵐」(砂嵐)、大気中を浮遊する黄砂は「エアロゾル粒子」であり、風の有無にかかわらず黄砂が空中に大量に浮遊・降下している状態は「風塵」や「煙霧」・「ちり煙霧」である。また、視程障害現象にも分類される。東アジア各国では、気象機関がそれぞれ「黄砂」の定義や強弱の基準を定めているが、いずれも少しずつ異なっている(後節参照)。
Posted at 2016/03/04 10:25:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年03月02日 イイね!

モアイ

モアイモアイという言葉の語源と意味は諸説あって特定に至っていないが、それら以上の最大の謎は建造目的だった。だが近年の調査でモアイの台座から人骨が多数発見されたことで、「モアイは墓碑であった」という説が有力になりつつある。

モアイのその独特の形状についても起源が未解明である。他の地域の似たような形状の石像から起源が求められているが、いずれの説も特定には至っていない。中には、日本の猿石に起源を求める説もある。また南米のティワナク遺跡の石像群との関連も指摘されているが、未だにどちらが先でどちらが後になるかの議論には結論を見出せずにいる。モアイの起源が完全に定説になる段階までに仮説を絞れずにいるその最大の理由は、モアイの形状があまりにも独特なためにイースター島以外では似たような形状の石像がほとんど存在せず、関連性を突き止められないためである。

モアイにはかつて目がはめ込まれていた事がわかっており、復元されたモアイには目がはめ込まれた物も存在する(ただしこの目は、写真撮影のために後から作られたレプリカである)。目の材質はサンゴ質の石灰岩であることが判明している。この入手難が問題視されることもあるが、目はわずかな数しか見つかっておらず、全てのモアイにはめ込まれていたのでも常時はめ込まれていたのでもなく、実際にはあまり製作されずに儀式の時にのみ使われていたと推測されている[1]。イースター島近海に大規模な珊瑚礁はないが、南緯27度(沖縄と同程度)に位置する亜熱帯地帯に位置しており海面近くまで珊瑚礁が形成されていないだけで、サンゴ質の石灰岩の入手は難しくない。

後期のモアイの頭上には、プカオと呼ばれる帽子をかぶったような形の石も発見されている。ただし、現在知られているプカオは100に満たず、最も大きく贅をこらしたアフ専用であると考えられる。これから当初地位をあらわす帽子か女性の髪形を復元した物とされていたが、その後プカオは男性の結髪を再現した物である事が明らかにされた。プカオはポリネシア全体で珍重される赤い鳥の羽根飾りと同じく赤い岩滓で円柱状に作られている。材料となる赤い岩滓は全て「ブナ・パウ」と呼ばれる採石場から切り出されており、製作途中のプカオも残されている[1]
[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/Moai_Rano_raraku.jpg/800px-Moai_Rano_raraku.jpg]
Posted at 2016/03/02 10:26:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年02月29日 イイね!

禅譲

禅譲歴史上の禅譲の手順はおおむね下のようにまとめられる。禅譲の手順は、魏の曹操(武帝)・曹丕(文帝)のものが先例となったことから、「魏武輔漢の故事」と称される。

#王朝の衰退[2]
1. 王朝内部での新たな有力者の登場[3]
2. 幼帝など、実権のない皇帝が即位する(有力者が禅譲させるために即位させることが多い)[4]
3. 有力者が、公位を与えられる[5]
4. 有力者が、王位を与えられる[6]
5. 有力者が、九錫を与えられる[7]
公・王位と同時や、前後することもある。
6. 各方面から吉兆が報告されるなど、王朝交代への雰囲気作りがなされる。
7. 現皇帝が、有力者に皇帝となるように要請するが、有力者はこれを固辞する。
固辞することで自らの徳の深さを誇示する演技である。
8. 有力者が、渋々現皇帝から皇帝の位を譲り受ける。
周囲の懇請を容れて仕方なく、という形を演出して自らの徳を示す。
9. 有力者(新皇帝)は王朝名を自らの封国のものに変更し、新しい王朝となったことを宣布する[8]
10. 前皇帝は、新皇帝によって領地を与えられ、王侯となる[9]。[要出典]

禅譲した前王朝の君主は、後漢の献帝などは殺害されず山陽公として余生を送ることが出来た。魏から晋への王朝交替も同様である。

しかし南北朝時代以降になるとすぐに殺されたり自殺を強制されることが多くなった。前王朝の君主を最初に殺したのは[10]、南朝・宋の高祖武帝である。そのため宋の最後の皇帝である順帝は殺される前に、「生まれ変わるなら帝王の家にだけは生まれたくない(願後身世世、再不生帝王家)」とまで残している。しかしこれは王朝交替を正当化する根拠にもなり、南北朝時代の南朝はたびたび王朝交替を繰り返す事となった。五代十国時代も同様であり、その名の通り中央の王朝は5回の王朝交替を経た。

五代十国の最後の王朝交替である、後周の恭帝から北宋の太祖への禅譲の際は、太祖は恭帝を殺さず、また柴氏の保護を子孫に厳守させている(石刻遺訓)。これ以降の中華王朝においては、漢民族どうしでの凄惨な争いによる王朝交替は起こらず[11]、異民族の侵入と漢民族の政権奪還によって王朝交替がなされた。

なお、過去の王朝の子孫を礼遇する思想は、zh:二王三恪と呼ばれている。「二王」は前王朝及び前々王朝を意味する。「三恪」はさらに3代前の王朝(合わせて5王朝)か、あるいは単に前々王朝の前とされた。
[http://www.4gamer.net/weekly/sangoku_report/008/img/11.jpg]
Posted at 2016/02/29 10:44:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年02月29日 イイね!

九品官人法

九品官人法この法は尚書・陳羣の建議により、曹丕が曹操から魏を継承したすぐ後に施行されたものである。同じ年に後漢から禅譲が為され、曹丕が皇帝位に上っている。
この法は官僚を最高一品官から最低九品官までの9等に分類する(これを官品と呼ぶ)。同時に郡ごとに中正官(ちゅうせいかん)と呼ばれる役職を任命し、管内の人物を見極めさせて一品から九品までに評価する(この人物への評価を郷品と呼ぶ)。後に中正官は司馬懿により郡の一つ上の行政区分である州にも置かれるようになり(州大中正)、これが後に述べる貴族層による支配を更に強固なものとしていく。この制度では中正が非常に大きな役割を占める事から、この制度を九品中正法(きゅうひんちゅうせいほう)とも呼ぶ。
この郷品を元に官僚への推薦が行われ、最初は郷品の四段階下から始まる。例えば郷品が二品ならば六品官が官僚としての出発点(起家官と呼ばれる)となる。その後、順調に出世していけば最終的には郷品と同じ所まで出世し、それ以上は上れないようになっている。
この制度の目的は、後漢から魏へと移行するに際し、後漢に仕えた官僚たちの能力と魏に対する忠誠度を見極めて人材を吸収する事。漢代の郷挙里選制では地方の有力者の主導で官僚の推薦が行われていたがこれを政府主導に引き寄せること、漢代の徳行主体の人事基準から能力主体の基準へと移行することなどがあると言われている。
後漢代から既に地方には豪族勢力が強い力を持つようになり、郷挙里選制により官僚を政府へ送り出していた。九品官人法は名目上はこのような状態を打破するために中正官により人物・能力を見極めさせると言うことであったが、実際には地方の力関係がそのまま郷品に反映されることになる。魏代には能力重視の理念は保たれていたが、夏侯玄は司馬懿の質問に対し、早くも弊害を指摘した。中正官の権限が強すぎ、実力よりも名声や賄賂を利用して中正官に近づける人間が優遇されているといい、中正官の権限を縮小するよう主張した。
249年、司馬懿が魏の実権を握ると、中正官の上に、逆により権限の強い州大中正を導入した。これにより力のある者がより介入しやすくなった。魏から司馬氏の西晋へ移行したころから、郷品は才能ではなく、親の郷品と、本人の性格が重視されるようになった。しかも、時代が下がるにつれ親の郷品が特に重視されるようになった。こうして郷品の世襲が始まり、豪族層が変化して貴族層を形作ることになる。
郷品の内、一品はほとんど選ばれることが無く、二品が最高である。この郷品二品に就いている家柄は門地二品・甲種などと呼ばれ、最高の家格とされた。この郷品二品以上になると中正の選任に意見を言うことが出来るようになり、事実上官僚の任命権は彼ら貴族の手にゆだねられる事になった。この状態を批判した有名な言葉として、西晋の劉毅(りゅうき)の「上品に寒門(低い家格)無く、下品に勢族無し」と言う言葉がある。もっとも、郷品は起家職の決定やその後の昇進経路を決定する重要な要素であったが、吏部などの人事関係官庁の権限(特に人事評価による昇進の遅速など)までは否定されなかったし、何よりも政情不安が官吏の立場を不安定なものとしており、円滑な昇進までを保証したものではなかった。
六朝時代にはこの傾向は更に進み、清官と濁官(せいかん・だくかん)と言うものが生まれる。例えばいずれ上へと上る郷品二品の起家官の六品官と郷品六品の最終的な官位である六品官では同じ官位であってもその内容に差がつけられる。郷品が上の者が就く役職を清官と呼び、郷品が下の者が就く役職を濁官と呼ぶ。この区分には権力の有無と同時に当時の貴族たちの好みが反映されており、例えば監察官や地方王国の官などは嫌われていた。このため清官はおのずと任期が短くなり腰掛け的様相を呈するようになった。
九品官人法は主に南朝で採用された制度であるが、北魏の孝文帝は部分的にこの制度を取り入れて貴族層の形成を図っている。一方、南朝の梁の武帝も503年と508年に2度の改革を行った。その結果、従来の七品官から九品官は流外官(「位不登二品」)として郷品三品以下の官職とされ、残された上位六品を十八班に再編した。再編された十八班は新たな九品とみなされ、最高位の十八班を正一品、最下位の一班を従九品とも呼称された。また、切り捨てられた旧の七品官以下は後世の胥吏制度の源流となった。陳になると任子制が導入され、子の郷品が低くても父親の官職が高ければその地位に応じた起家官が与えられ、後世の恩蔭の源流となった。北魏滅亡後の北斉になると試験制度が部分的に取り入れられるようになり、隋代に入ると科挙制度が成立して九品官人法は完全に廃止された。
なお、九品に官僚を分ける制度はその後も受け継がれ、日本にも影響を及ぼしている。
関連項目[編集]
Posted at 2016/02/29 10:34:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年02月25日 イイね!

てヴィラ

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Posted at 2016/02/25 16:03:03 | コメント(0) | トラックバック(0)

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