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くろまめたろうのブログ一覧

2016年02月22日 イイね!

戦国時代 (中国)

戦国時代 (中国)春秋時代末期、晋の有力家臣であった韓・魏・趙の三家が国政の実権を握って国土を分割し、一方斉でも有力家臣であった田氏が実権を握って簒奪を伺った。だが、晋の三家も斉の田氏も古くから続く両公室にとって代わるには正統性に欠けていた。この為、彼らは既に実質的な権力を喪失していた周王に諸侯として認めて貰う事で正統性を確保しようとした[1]。紀元前403年に晋の三家が諸侯として認められ(三晋の成立)、紀元前386年には斉の田氏が諸侯として認められて斉の公位を簒奪した(田斉の成立)。紀元前376年には三晋諸国が未だに小諸侯として存続していた晋を最終的な滅亡へと追い込んでいる。
戦国時代の初期に覇権を握ったのは、晋から分離したうちの一つの魏である。魏が周王朝より諸侯として正式に認められたときの魏公・文侯は積極的に人材を求め、李克・呉起などを登用して中山国の都を陥落させるなど、魏を最強国とした。息子の武侯の時代にも覇権は続き、さらにその子の恵王の時代には、諸侯の間で初めて王の称号を使うなど、強勢を誇ったが、斉の孫臏の軍略により大敗したことを契機として、凋落の道をたどる。
そもそも魏が強勢となれたのは、魏の支配領域が周代より文化の中心地とされた中原の中央であり、最も開発が進んだ地域であったからであった。それは一方では周辺諸国からの侵攻を受けやすいということでもあり、開発の余地が無いということでもあった。後方に広大な未開発地帯を持つ斉や秦などが台頭してくると、魏は覇権の座から滑り落ちた。
Posted at 2016/02/22 10:17:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年02月17日 イイね!

「枢軸時代」の画期性

「枢軸時代」の画期性ヤスパースは「枢軸時代」という観点から構想された世界史の構造について、以下のようにスケッチしている。
[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/26/GilgameshTablet.jpg/160px-GilgameshTablet.jpg]
楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板(紀元前三千年紀-二千年紀)
1. 数千年にわたってつづいた古代高度文明、すなわち、かつて世界四大文明と呼ばれたエジプト、メソポタミア、インダス、中国の古代農耕文明は、枢軸時代の到来とともに終わりを告げ、古い文明の諸要素は互いに融け合い、同化ないし没落を余儀なくされた。もちろん枢軸時代以前にも古代バビロニアにおける「ギルガメシュ叙事詩」や「悔罪詩篇」など感動的な精神の発露がみられなかったわけではないが、いずれも直接には社会や後世に深い影響をあたえておらず、また、それが影響をもつ際には枢軸時代に再検討、再解釈がほどこされた上でのことであった。すなわち、枢軸時代はそれ以前の人類の発展にさまざまな問題と基準をあたえたといえる[13]
2. 人類は、枢軸時代に実現され、創造され、思惟されたものによって、いわば「今日に至るまで生きている」のだと評価できる。この時代への回帰はそれぞれの文化圏において幾度となく繰り返される。つまり、この時代はそれ以後の人類の発展に対しても、諸問題および諸基準をあたえている[13]
3. 枢軸時代は当初ごく限定された箇所で始まったものにすぎなかったが、そこに生じた潮流は、歴史的にはきわめて広い範囲におよんだ。この展開にあずからなかった人類は、いわば「自然民族」として「非歴史的な生き方」[13]をつづける一方、この潮流との接触によって「西ではゲルマン民族やスラブ民族、東では日本人、マレイ人、タイ人」[13]が世界史の担い手として加わった。この接触はしばしば多くの「自然民族」を滅亡させる原因ともなっており、換言すれば、枢軸時代以後の全人類は、あくまでも「自然民族」の状態にとどまるか、もしくはその潮流に同化して歴史運動のなかに身を投じ、そこに参画することで民族形成がなされた[13]
4. それぞれの文化圏の諸思想は、当初は互いに孤立していたが、3世界が相互に遭遇すると互いに地理的にも心理的にも相隔たっているにもかかわらず、ただちに三者間で深いところでの相互理解が可能となり、それぞれの関心事を互いに認め合うことができた[14]

ヤスパースは、このように記して、枢軸時代のもつ画期性を指摘している。

Posted at 2016/02/17 10:17:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年02月17日 イイね!

枢軸時代

枢軸時代枢軸時代(すうじくじだい、ドイツ語: Achsenzeit、英語: Axial Age)とは、ドイツの哲学者で精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年–1969年)[注釈 1]が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて[注釈 2])おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代[1]」という訳語があてられることもある。
この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、イランではザラスシュトラ(ツァラトストラ、ゾロアスター)が独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは詩聖ホメーロスや三大哲学者(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)らが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となった。
なお、枢軸時代とは「世界史の軸となる時代」[注釈 3]という意味であり、ヤスパース自身の唱えた「世界史の図式」の第3段階にあたり、先哲と呼ばれる人びとがあらわれて人類が精神的に覚醒した時代、「精神化」と称するにふさわしい変革の起こった時代[2]ととらえられる。
本項では、ヤスパースによって「枢軸時代」と命名され、互いに影響を受けることはなかったものの、異なる場所でほぼ同時代に展開された数世紀の思想史を取り上げ、その世界史における位置づけについて概略を述べる。
Posted at 2016/02/17 10:16:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年02月15日 イイね!

三原則の適用下におけるロボットの人類支配

三原則を適用しているSF作品では、ロボットやコンピュータが安易に人間に反乱・支配を行うことはほぼありえない(前述のように、そもそも三原則は反乱や支配を阻止するための原則である)。
しかし、「われはロボット」最後の短編『災厄のとき』では、世界全体のインフラ運営や経済活動を管理するための計算予測をすることに特化した超高性能ロボット「マシン」(現代の意味ではスーパーコンピュータ)が、自身の破壊こそが人類全体の危機につながると判断し、自身を守るために一部の人間に必要最小限の影響を加えており、同時にマシン自身が定量的に考えるところの「人類にとってもっとも幸福な社会」に、人類自身の意志を無視して導こうとしていることが判明する。なお本文中では、その幸福度の多くの部分が経済的な要素および戦争に影響されることが示唆されている。
マシンの能力に関して、ロボットの完全性を信頼するカルヴィン博士が下した解釈(想像)は以下のようなものである。
・ マシンらは、人間の「幸福度」や「感情」などを計算する計算式を既に持っている。(人間にはその計算式は複雑すぎ、理解することはできない。)
・ 従ってマシンらは、機械の導いた政策に対して反ロボット派の工場経営者が背く確率を計算できる。
・ また、背く場合にその人間が数字を増やすか減らすかなど、どの方向にどれほど反発するのかを計算できる。
すなわち、マシンが人間の感情の揺れ動きをほぼ完全に予測できることが示唆される。
ロボットは生存本能のような生物特有の感情ではなく、計算によって自らの存続が人類を最善の状態に導くのに最も重要だと結論づけている。従って、カルヴィン博士の推測によれば、マシンは第一法則に則り自らの保全を図る。そしてその活動の一端として、反ロボット政治団体の影響力を下げることが行われた。
マシンは、上の能力を用いて、第一法則で許される最小限の範囲で、反ロボット派の有力な指導者たちに対して危害を行使した。具体的にその必要最小限の危害とは、指導者たちがマシンの命令に従わない確率を計算し、それを補正した命令を発することで指導者にわざと失敗をさせ、その業務上の成績をほんの少々下げ、左遷・異動・転職によってその社会的な影響力をほんの少し低下させることである。それらの指導者は影響力を失ったが、その程度は明確な生活上の不自由や苦しみを感じない程度に調整されている。つまり、その指導者が転職はしても失業はしないよう社会を調整することはもちろん、上記の能力を考えれば、精神的ストレスの量さえも調整されている。
このように『災厄のとき』では、マシンが人類になんら直接的な力の行使を行うことなく、完璧な間接操作を行うことで安全に全人類を導けることが示唆された。
しかし、『災厄のとき』以後に書かれた短編『心にかけられたる者』では、その神がかった壮大なやり方は人間にとっては直接的な危害以上の精神的ストレスであり、結局は人間のフランケンシュタイン・コンプレックスを増大させるという別な不幸を増大させただけに終わり、マシンは自ら身を引いて干渉を打ち切ったことが言及されている。

Posted at 2016/02/15 10:29:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年02月09日 イイね!

古代技術

古代技術古代中国に始まり長く実用に供されているもののひとつに、道教に由来する鍼灸術や漢方薬などの伝統中国医学がある。鍼灸術の実践は紀元前1世紀に遡ることができる。鍼灸術に類似した医術は青銅器時代のユーラシアですでにみられたとする科学者もいる[5]

古代中国は数学や天文学に使う計数・計時装置も発明した。日時計の前身である影時計が中国で出現したのは4000年前のことであるが[2]、算盤の発明は紀元前1000年-500年の間ごろである[6][7]。これらを使った中国人は紀元前2137年に初めて日食観測の記録を残し、紀元前500年には最初の惑星の記録を作成した[1]。『絹本』は紀元前400年頃に著された史上初の彗星図解である。約300年間に出現した29彗星を掲載し、彗星の出現を地上の出来事と関連づけて解釈した[1]
[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/EastHanSeismograph.JPG/220px-EastHanSeismograph.JPG]
張衡の感震計『候風地動儀』の複製

建築では中国技術の頂点に立つのが、紀元前220年-紀元前200年頃に在位した秦の始皇帝の時代に建設された万里の長城である。秦に続く漢の時代から19世紀まで中国の一般建築に大きな変化はなかった[8]。秦の時代に弩が改良されたが、これはのちにヨーロッパに渡り武器の主流になった。始皇帝の墓から出土した兵馬俑墓から数点の弩が見つかった[9]

東漢の学者で天文家の張衡(78年-139年)は渾天儀(=天球儀:世界初の天球儀は古代ギリシアのエラトステネスが発明)を発明したが、これは2,500の恒星と100以上の星座を収めている。132年に張衡は世界初の感震計を発明し、『候風地動儀』と名づけた[10]

後漢(25年-220年)の歴史によれば、この感震計は壺のような形の装置で、8個の球のうち1個を落下させて、いつ、どの方向に大地が揺れたか(震源)を知らせるという[10]。2005年6月13日、中国の地震学者がこの複製を作成したと発表した[10]

機械技術者の馬鈞(200年-265年ころ)も古代中国で際立つ人物である。馬鈞は絹の機織機を改良し[11]、機械式チェーンポンプを設計して庭園に給水し[11]、水転百戯(目隠しをした大きな水車を動力に動く大きく複雑な人形芝居)を創作、魏の明帝に献上した[12]。しかし馬鈞最大の発明は指南車であろう。これは複雑な構造の機械式羅針盤車である。これは各々異なる速度で回転する車輪に同じトルクを配分する差動歯車を組み込んでいるが、これは現代の自動車がすべて装備している機構である[13]

ノギスは中国で2,000年以上前に発明された[2]。また中国文明は航空の領域に世界で初めて踏み込んだ。凧と天灯(熱気球の原型)は人類初の『飛行機』といえる。

後漢時代に成立したと見られる著者不明の『九章算術』と言う算術書には様々な数学の問題が載っており、後には数学教育のテキストに採用されている。魏の劉徽は『九章算術』の注釈のなかで、円周率を計算して、3.1416という近似値を得ている(「円周率の歴史」参照)

南北朝時代の数学者の祖沖之は円周率を3.1415926と3.1415927 の間であると推算し、その密率を 355/113 と決めている。これは当時の世界で最も正確な値であったようである。また彼の息子の祖?(祖?之)は半径 r の球の体積が[\frac{4}{3}\pi r^{3}]で求められることを考え出した。

Posted at 2016/02/09 10:19:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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