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くろまめたろうのブログ一覧

2016年08月24日 イイね!

フィリピン料理

フィリピン料理フィリピン料理は、中国やかつての宗主国であるスペインの食文化の影響を受けている[1]。他の東南アジア諸国では様々な王朝の宮廷の料理人が洗練された料理を作り出していたが、統一国家が形成されていなかったフィリピンに「宮廷料理」は存在しない[2]。スペイン統治下のフィリピンではカトリックの布教を背景とする同化政策が進行し、テーブルと椅子で食事を摂る食習慣、カトリックの行事で出される特別な食事、調理技術などがフィリピンの食文化に導入された[3]。支配階級であるスペイン人の食文化はフィリピン人のエリート層に受け入れられ、他方で交易のためにフィリピンを訪れた中国人の食文化は庶民の家庭で受け入れられていく[4]。19世紀はフィリピン人の食文化に大きな変化が起こった時期と考えられており、フィリピン化されたスペイン料理と中国料理が一般家庭に普及していった[3]。19世紀末から第二次世界大戦後までフィリピンを統治したアメリカの食文化は、スペイン、中国ほどの影響は及ぼさなかった[5]。アメリカの影響を受けて、マヨネーズで和えたジャガイモと鶏肉のサラダ、豆料理がフィリピンでも食べられるようになる[5]。また、第二次世界大戦後にはアメリカからファストフードがもたらされた[6]。アメリカからもたらされたものの一つにケチャップがあり、フィリピンではバナナを赤く着色したバナナケチャップも作られている[7]。
スペインからフィリピンにラードやオリーブオイルを使って炒める料理法がもたらされ、フィリピン料理に脂肪とコレステロールが多く含まれる一因にスペインからの影響が挙げられている[8]。複数の地域にまたがって食べられている国民食ともいえる料理にはスペイン風の名前が付けられており、ほとんどがスペイン統治時代に成立した料理である[9]。スペイン料理のコシードに酷似する牛肉、鶏肉、野菜などをニンニク入りのソースで煮込んだプチェーロはフィリピンを代表する料理の一つに数えられ、庶民の味覚として親しまれている[10]。しかし、スペイン風の名前が付いたフィリピン料理の多くは、調理方法や素材がスペイン料理と大きく異なっている[11]。「アサド」はスペイン語では「ロースト」を意味し、セゴビア名物の豚の丸焼き「コチニーリョ・アサド」などの料理が知られているが、フィリピンでの「アサド」は中国系移民が伝えた叉焼を意味している[12]。フィリピン料理の一つであるアドボは野菜、魚介類などの様々な食材を醤油と酢で煮込み、ニンニクで風味を付けた料理であるが、スペイン料理に「アドボ」という名前の料理は無く、漬け汁を意味する言葉「adobar」に由来する[12]。チョリソー・デ・ビルバオは様々なフィリピン料理に使われる油分の多いソーセージだが、スペインのビルバオで同じ種類のソーセージは作られていない[13]。
スペイン料理と同じく、フィリピン化された中国由来の料理も多い[3]。スペイン人の来航以前から中国から料理、料理法を輸入していたフィリピン料理には使用する野菜、米食の位置付けなどで中国料理と共通する点が多いが、それらのフィリピン料理が中国料理に連なるとは言い難い[14]。スペイン統治時代、レストランでは客であるスペイン人のために中国料理にスペイン風の名前が付けられ、フィリピン風のアレンジを経て現在はフィリピン料理として親しまれている[15]。フィリピン料理にはパンシット・カントンという具の多い焼きそばがあるが、広東料理にパンシット・カントンに相当する料理は無い[1]。フィリピン料理には丸い中華鍋が使われるが、中国風の短時間の炒め方はあまり行われない[8]。
外国からの影響を一切受けていない、「純粋な」フィリピン料理を挙げることは難しい[16]。16世紀の航海者フェルディナンド・マゼランの航海に同行したアントニオ・ピガフェッタはパラワン島で米を調理した料理でもてなされたことを記録し、マゼラン一行が食べた料理はスマン、カラマイ、クチンタの名前で後の時代でも親しまれている[16]。牛のテール肉(あるいは胃袋)を煮込んでピーナッツソースで味付けしたカレカレ(カリカリ)は純フィリピン料理の1つに数えられるが、欧米の食文化に憧れる一部のフィリピン人はカレカレを蔑視している[16]。伝統的にフィリピンでは手食(Kamayan)が行われていたが、スプーンとフォークを使った食事が一般的になっている[6]。フィリピンには出来立ての熱い料理をすぐに食べる習慣は無く、全ての料理は冷ました後に食べられている[11][12]。大皿に盛られた料理を各人が自分の小皿にとって食べるフィリピン料理の形式は、かつての共食儀礼の名残だと言われている[6]。皿に盛られた副菜のほとんどは一口大に切り分けられているため、皿にとった料理をナイフで切る必要はない[17]。
Posted at 2016/08/24 10:16:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年08月22日 イイね!

すいとん

すいとんすいとんの歴史は長く、室町時代の書物に「水団」の字が見られる[2]。「水飩」ともいう[3]。資料上のすいとんの調理法は変遷が激しく、今日のような手びねりした小麦粉の形式が出現したのは江戸時代後期のことである[4]。江戸時代から戦前は、すいとん専門の屋台や料理店が存在しており、当時の庶民の味として親しまれていた。大正の半ばには一旦かなり減少したが、関東大震災直後には食糧事情の悪化に合わせて焼け野原のいたるところに出現した。

ダンプリングの一種であり、調理方法としてはグルテンを含む穀類や木の実などを粉末にして水練りしたものを湯や汁類に落としたものが「すいとん」となる。食べさせかたは調理者の手間のかけ具合と工夫次第、あるいは地方の風習次第である。

水練りしたものを湯に落としたシンプルな団子のようなもの、味噌汁や澄まし汁での雑煮のようなもの、など多くのバリエーションがある。塩をいれ固練りにして団子様にしたものを数時間寝かせて汁などに落とすとうどんに近い食味になる。逆に、匙ですくうと滴るほど水分が多く柔らかい生地を使うものもある。

強力粉を使い、何度も練ってグルテンによる強いコシを出したものは容易に煮崩れしない。この場合の途中までの工程は手打ちうどんに似ており、シマダヤなどの麺メーカーからも商品として真空パック詰めで販売されている。

「すいとん」の呼称は全国的であるが、地方によって「ひっつみ」「はっと」「つめり」「とってなげ」「おだんす」の料理名で呼ばれる。これらのすいとんに似た料理は中に入れる具材、出汁が地域ごとに特色があり、料理法も地域ごとに異なるため、厳密に言うならば個々に異なる郷土料理である。同じ地方であっても地域や家庭ごとに調理法と料理名が異なる。

例えば宮城県から岩手県にかけての旧・仙台藩北部地域の「はっと」は、水で練った小麦粉の生地を小さな塊に分け、それを指で引き伸ばしながら薄い麺のように加工する[5]。青森県・岩手県などの、小麦粉の生地の塊から千切る作り方は異なっている。手延べうどんの古形と捉えられるほうとうや、その他の小麦食である岩手県のかっけなどの料理とも関連があると言われている
[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/Suiton_by_Rubyran.jpg]
Posted at 2016/08/22 10:11:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年08月22日 イイね!

日の丸弁当

日の丸弁当栄養学の観点から見ると、米と梅干しだけという構成はタンパク質やビタミンを欠いており、一見するとカロリーも不足しているが[4]、この米と梅干しは様々な面で有用であると考えられている。
まず酸性食品とアルカリ性食品の考えにおいては、米は酸性食品に分類されており、梅干しは体内に入るとアルカリ性に変わることから、米の酸と梅干しのアルカリにより、体内で酸とアルカリのバランスを保つことのできるとの意見がある[5][6]。また、梅干しのアルカリが米の酸性を中和することで、米のカロリーのほとんどを吸収させる役割を果たすとして、食べてすぐにエネルギーに変わる、労働のための理想的な食事との評価もある[4][7]。
また梅干しの酸味成分は、ウメの実に豊富に含まれているクエン酸によるものだが、食べ物のカロリーがエネルギーとして消費される際にクエン酸が必須であるとして、米が無駄なくエネルギーとして消費されるとの分析もある[5]。
このほか、梅干しが強力な殺菌効果や解毒効果を持つことから、飯の腐敗や食中毒の防止にも繋がる合理的な食事だともいい[6][8]、疲労回復の効果を持つことからも労働食にふさわしいともいわれる[7]。こうした梅干しの効果から、海で漂流しても日の丸弁当の梅干しの種を捨てなければ飢えや渇きを凌げるとの意味で、「梅干しの種を捨てるな時化になる」ということわざもある[9]。
もっとも殺菌・解毒効果については、普通の日の丸弁当では梅干しの周囲の飯にしかそうした効果が得られないことから、梅干しを細かくちぎって飯全体に混ぜ込むべきとも意見されている[10][11]。
Posted at 2016/08/22 10:09:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年08月18日 イイね!

チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)

チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(英語: Charles Grey, 2nd Earl Grey, KG, PC、1764年3月13日 - 1845年7月17日)は、イギリスの政治家、貴族。

ホイッグ党フォックス派の議員として頭角を現し、1806年のフォックスの死後にホイッグ党の指導者となった。長きにわたって野党だったホイッグ党が1830年に政権獲得した際に首相(在職1830年 - 1834年)に就任した。第一次選挙法改正をはじめとする多くの自由主義的政治改革を成し遂げたが、政権内部の亀裂で1834年に辞職し、メルバーン子爵に首相・ホイッグ党党首の座を譲った。

父が叙爵された1806年から自身が爵位を継承する1807年まで、ホーウィック子爵(Viscount Howick)の儀礼称号を使用した。
[Charles Grey, 2nd Earl Grey by Sir Thomas Lawrence copy.jpg]
Posted at 2016/08/18 10:19:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年08月18日 イイね!

信玄公旗掛松事件

信玄公旗掛松事件信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年(大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の清水倫茂(しみずりんも)[† 1]が1917年(大正6年)に国を相手取り起こした損害賠償請求事件である。この松樹は武田信玄が軍旗を立て掛けたという伝承・由来のある「信玄公旗掛松」と呼ばれていた老松で、国鉄(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。
国家賠償法成立以前の、大正年間(1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」に当たると司法によって判断され[1]、第一審の甲府地方裁判所、第二審の東京控訴院に続いて、上告審の大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった[2](大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。
これは近代日本の民事裁判判決において、権利の濫用の法理が実質的に初めて採用された民事訴訟案件であり、加害者の権利行使の不法性(違法性)について重要な判断が示されるなど[3]、その後の末川博、我妻栄、青山道夫ら、日本の法学者による「権利濫用論」研究の契機となった、日本国内の法曹界では著名な判例である[4][5][6]。
Posted at 2016/08/18 10:12:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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