
私の父は、重い神経難病を患っており、人工呼吸器を着けて早6年。
未だ治療法が確立されていない現状に、患者同士が連帯する必要を感じ、県東部では2番目となる『沼津患者家族会』を、10年前に立ち上げました。
此の度、伊豆半島の先端に在る下田にて患者家族会を立ち上げると聴き、オブザーバの端くれとして私が参加する事になりました(※父は体調が思わしくない為、お休み)。
実は下田には幼少の折、住んでいた事があります。
謂わば第2の故郷。20数年来の訪問ですので、行く前から可笑しなテンションです(^_^;)
平日ですので通勤渋滞に遭わぬ様、朝早く自宅を出ます。
新東名~伊豆縦貫道と乗り継ぎ、修善寺からはR414号線で天城越え。
替えたばかりのVRX-Ⅱの感触を測り乍ら、峠をひた走ってゆきます。
凍結を予想してのタイヤ交換でしたが、昨夜の雨は其れ程冷たくは無く、夏タイヤでも充分逝けた感触でした💧
ま、どっちにしろ今週は冷え込む筈ですので、慣らしのつもりで峠を下ります。
めっちゃ久し振りのループ橋。完成当時は結構、珍しかった筈。
~運転中なので画像は有りませんが、ドライバはかなりのハイテンションです💧リピートで流しっぱなしの『MEM 2017』が油を注ぎます(^_^;)~
……漸く下田市に入りました。先ずは故郷訪問。思い出深い地を巡ります。
蓮台寺駅。終点下田の、一つ手前の駅になります。

何れは此の近くに、下田市庁舎が移転して来る様です(※津波対策として。)が……
稲生沢川を遡上した波が氾濫する事は無いのでしょうか?
河口から2~3キロの此の辺りでも、海抜は低い筈です(^_^;)
稲生沢小。私が通っていた時点で創立百周年を越えていた、歴史在る小学校です。

旧校舎は流石に鉄筋に代わってますね。象徴でもあった巨大な椎の木も無くなってしまいました。
当時住んでいた教員住宅の近くに車を停めようとすると……第一菱形車発見!

トゥインゴ2ですね。バケットシートに四点ハーネス装着、ボンネット及びリヤゲートもカーボンで、レーシィに仕上げてあります。
西隣の県に在る○ンワさんの手に依る車両の用ですが……夜な夜な峠を攻めたりされているのでしょうか(^_^;)?
“第一”にして、下田で見掛けた唯一の菱形車でした♪ 仕方無いか……最寄りのルノー沼津でさえも、片道二時間掛かりますもんね💧
此方が5才~小5迄を過ごした教員住宅(※3才~5才の間は、ちょっと離れた大沢地区に居ました)。

30数年前と、全く変わらない姿です(^_^;)
敷地は、稲生沢川と其の支流である大沢との合流地点に在ります。

子供時代には此処で良く釣りをしました。鮎・鮒・ボッチと呼んでいた鯊の一種、似鯉にマルタ、護岸工事前には鰻も居たと思います。
大沢ではアマゴも採れましたね。手長海老も居たかな?
此の教員住宅、当初は六棟しか無かった様です。
其の後、川寄りに四棟を併設。其の一番川に近い棟が我が家でした💧
入居当時は護岸工事など全くされておらず、駐車場のフェンスの先はモロに稲生沢川。
子供会で地元の長老方に挨拶した際、(あ〜あ、やっちまったな)みたいな微妙な顔をされたのですが、其の理由は直ぐに判りました。
大沢時代も含め、住んでいた8年間で床上2回・床下1回の水害体験💧
『あんな土地、昔から誰も家を建てねェよ。』って!!!!?
高度経済成長期に建てられた物件には、往々にしてある事らしいですね💧
護岸工事後には流石に氾濫は無くなりましたが、他にも問題が。
先程の稲生沢小の脇に在る、子神社(ねじんじゃと読みます)から撮った画像。

矢印が教員住宅の並びです。通称『半日村』。
南面に聳える小山のお陰で、『10時から14時まで陽が当たらない』のです!
正しく“お陰様”って……誰が巧い事言えと!?
そんな、地域住民の暖か〜い哀れみの眼差しに支えられ乍ら、過ごした幼少期でした(^_^;)
半日村ってタイトルの絵本、ありましたね……涙無しには読めません💧
気を取り直して。此方の建物、何だか判ります?
一見、何の施設か判りませんが、此方ならどうでしょう?

良く観ると、厩舎脇からポニィちゃんが此方を観ています(^^) ポニィの居る施設??
……此の画像で判りますね(^_^;)

3才~6才迄の間、通った保育園です♪
ポニィを飼ってるのも凄いですが、私が居た時分には“孔雀を飼ってました”(^_^;)
孔雀ってどう鳴くのか、皆さん解ります!? 凄い情操教育ですよね💧
此方はミッション系の保育園で、園長先生は牧師さんでした。
当時子供の目にも美人に映った保育士さん(※義務教育前教育を行なえない保育園でも、保婦さんの呼び方は『○○せんせ〜』でしたね💧)がいらしたのですが、卒園を迎える年に『牧師先生と結婚されました』(^_^;)
今から思えば、二十歳そこそこだよな? 子供心に、(“長”の付く地位に立つ者は、若くて美人な奥さんが貰えるんだ!)と確信したのは言うまでもありません(*´∀`)♪⬅間違った知識です。
……何時までも懐かしんでいては、一向に下田には着きません(※此の辺りも下田市ではありますが、『蓮台寺地区』と謂う、温泉街として有名な地域です)。
一先ず伊豆急下田駅に向かい、早目の昼食を取ります。
駅前。

どこぞの南国でしょうか(^_^;)?
サスケハナ号の模型。

外輪船の形をした遊覧船も、港に行けば乗る事が出来ます。
肝心のお昼ですが……月曜休みが多い💧
昔懐かしい『若竹』も『兎月』も無いゾ😢
開店準備中の料理屋を見付け、お願いして早目に入れて貰いました(^_^;)

新田食堂さんの『K定食』。Kは金目鯛だと思われます(^_^;)
お味噌汁に『ふのり』が入っているのが嬉しい♪ 下田時代には当たり前でした。
腹ごなし後は、ささっとお土産を買って、本来の目的地である賀茂保健所へ。
大変熱心な保健師さんで、私の父がもう一人の患者さん(当時唯一認可されていた薬が上手くマッチした様で、現在でも自力で歩け、話す事が出来ます)と二人で10年前に立ち上げた沼津の患者家族会の噂を聴き、『是非賀茂郡(※伊豆半島の南半分を指す名称です)にも!』と働き懸けて下さり、本日の栄え在る第一回・下田患者家族会と相成りました。
会の詳細は控えますが、患者さんも3名の方が参加して下さり、抱えていらっしゃる不安や悩みを吐露して下さいました。
賀茂郡には脳神経内科を持つ大きな病院が無く、自治体のサポートも遅れがちです。
必要なケアの多くが、“県内で最後”に廻って来ます。
幼少期を過ごした者として、ずうっと気に懸かっておりました。
実質的な成果が上がったかどうかは判りませんが、第一回の開催に立ち会えて良かったと思います。
保健師さんとも色々お話させて戴き、後ろ髪を引かれる思いで“第2の故郷”を去りました。
今後も会が続いてゆけそうなら、何時かは父を連れてお邪魔したいものです。
どの位の時間で行けるか調べる為、帰りは同じ道をノンストップで。
早く縦貫道が完成しないかなァ┐('~`;)┌
峠道でのVRX2(⬅今後は此の表記で逝きます)ですが、流石に“夏タイヤと同じ”って訳には行きませんな(^_^;)
まぁ、当たり前の事です。只、スタッドレスである事を頭に入れておけば、18inch化の効果は絶大です♪
安心感が違いますね(^^) 踏み切って良かったと思います。
しかし、純正ホイルは重いナ💧
脚が路面のアンジュレイションに追従し切れてないのが良く判ります。
そう云えば、ダンパもお亡くなりつつあるんだった(^_^;)
純正品で交換し、バネだけ換えるか、はた又車高長を入れるか……
悩ましい処ですね(^_^;)
実家に着き(※大体二時間弱でした)、様子を報告した後、夜の新東名を流します。
行きは18inch時の指定空気圧(※市街地走行時)であるF2.3R2.1でしたが、帰りは同・高速走行時の其れであるF2.4R2.2に。
矢張り高速では此方がいいなぁ〜。
F2.5R2.3でもいい様な気もしますが(^_^;)
以前はタイヤに窒素を入れてましたが、結構頻繁に圧を変える為、最近では此方にて“静岡の美味しい空気”を充填。

手軽なので非常に便利。リヤゲィトに入れっぱなしです(^_^;)
エンジン懸けた後、何気にリヤに廻ってみたらアリ?

ちゃんとティルランプ(※リヤハッチ側)が点いとる💧
実は左側が切れていたティルランプ。
どの球を入れるか悩んで、漸く昨日交換したのですが、其の時点では点灯せず┐('~`;)┌
原因を調べる時間が無く、後回しにしていたのですが……
球交換後、一日置けば点く様です(^_^;)
何の球を入れたかは後程、パーツレビュウにて。
久々の“故郷”は、とても小さく、しかして懐かしく、胸を満たしてくれました。
子供の世界って、やっぱり狭いのね(^_^;)
長々と、しかもダラダラとした文章を綴ってしまいました💧
週末には残りの“玉”交換を片付けないと(^_^;)