2026年03月06日
Q1.コーティング剤で一番重要視していることを教えてください。
回答:施工性、艶、撥水性、持続性
Q2.逆に一番重視していないことを教えてください。
回答:汚れ落とし
この記事は
みんカラ:モニターキャンペーン【レインドロップ ゴールドグロス】 について書いています。
※質問項目を変更、削除した場合、応募が無効となる可能性があります。
Posted at 2026/03/06 09:49:04 | |
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2025年11月08日
この記事は、
【10名】レインモンスターリセット、インプレッション企画!について書いています。
「キイロビン」のプロスタッフさんから
頑固なウロコをも落とせる「レインモンスター」
これは使ってみたいです。
キイロビンゴールドでも軽微なウロコは落ちますけど頑固なウロコは落ちない
そこでこの商品は頑固なウロコをも落とせるとの事です。
何度目の正直になるでしょうか?
Posted at 2025/11/08 23:37:54 | |
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2025年08月11日
5月に母が旅立ち、2ヶ月少々経った
7月21日、母を追うように父が旅立ちました。
今の勤務先に入る前は家業で働いてた(と言っても無報酬)ので
行動も共にすることが多かった父ではありますが
酒好きだった父は6年程前に酔って転倒
文字通り「頭が割れる」程の重傷で外傷性クモ膜下出血、脳挫傷、頭蓋骨にヒビで自分が知る限り初めての入院
そして、入院以前より腸の不調をいつも訴えてたので
退院後、消化器内科受診をさせる事に
そこで見つかったのが「大腸癌が直腸付近にあり、腸管を塞いでいる」との事。
再び入院し、大腸を50cm程切除、人工肛門装着の手術を行った。
癌は肺と骨盤に転移していたため
「抗癌剤治療」で進行を食い止める方向へ。
何年間か続けて確かに進行は食い止めたものの、体力的に辛くなった父は抗癌剤治療を取りやめ入退院を繰り返す。途中何度も生命の危機に陥るも生還(笑)
ただ、一昨年に体力がかなり落ち起き上がれなくなりそれから寝たきりに……
同じ年に脊椎骨折で「要支援」となった母と同様に介護用のベッドを2台借りる事に。
ただ、母は立てるしトイレ等には自力で行けるが父は動けないので訪問看護を受ける。
そんなある日、父が「今まで以上の不調」を訴えて自ら救急車を呼び搬送。
最後の入院生活へ……
入院直後に容体が悪化。多臓器不全を起こしてるらしい。意識は遠のき、呂律も回らない。
ここで自分も「覚悟」を決めていた。
翌月、面会許可が下りたので面会すると
そこにいたのは痩せたものの普通に喋る父の姿だった。しかし、病状は決して良くなってるわけではない。
更に翌月、今度は母が「測定不可な程の血圧低下」を訴え救急搬送。
「肺の大動脈付近に大きな影がある」との宣告を受けて一応「肺炎」の疑いとの事で肺炎の治療薬を投与するも改善が見られず「影の正体は癌」ということが告げられた。場所が大動脈付近であることと、体力的に化学療法も困難な事から
「緩和療法」をしてもらう事に……
父と同じ病棟で隣の病室に母は入院。
母は意識はあるが予断を許さない状態
その様な事から医師と看護師さんの計らいにより寝台ごと父と母を空いてる個室で時間制限ありの再会をさせてもらう。
母の状態を知る父は泣き出すも
母は「もうなるようにしかならん」みたいな感じだったそう……(汗)
5月11日、母の容体が急変し
父に看取られ母は旅立つ……
本来父がやるはずだった「喪主」は自分がやる事に。そして喪主経験が豊富な父は病床からアドバイスをくれた。
途中、涙声になる父が指示を出し
バタバタしながらも母の葬儀を終える。
母の四十九日も父が病床から自分に指示を出したお陰で滞りなく終了
しかし、母の四十九日を終えた辺りから
「もう俺の役目は終わったな……」とでも言うかの様に父が力落とししてしまい
残ったわずかな気力もなくなってゆくのが目に見えた。
「その時」が近づいてるのが感じ取れた。
母の死後、「終末期医療」のため介護医療院に転院していた父はそこの生活には全く馴染めず常々不満を口にしていたけれど
その不満すら口に出来なくなっていた父の様子が明らかにおかしいので
看護師さんに話をしたら
「近日中に担当医師から説明してもらう」との回答を得るも
「それより先にもしかするともしかするので、夜中とか明け方でも電話する場合があります」とも言われ、自分もそう思っていたので「もちろん、一向に構いません」と「その時」への覚悟は決めていた。
その日の深夜に電話……ついに……
「◯◯さんの様子が変わったのですぐ来られますか?」
通話しながら着替え
「すぐ行きます」と短く答え、予め姉にも「夜中電話するかもしれない」とは伝えておいたので姉に電話し
「俺は先に行ってるから準備出来たらお願いします」そして父のもとへ
そこにいた父は意識はないものの呼吸と微弱ながら脈拍もあるし少し動いていた。
「来たぞ!」と大部屋なので他の人の迷惑にならない程度の声で父に話しかける
程なく姉夫婦が到着し
姉が声をかけたら僅かに反応があった。
その間ずっと父の手を握ってた自分は
脈がなくなってゆくのと冷たくなってゆくのが感じ取れた
「もう苦しまなくていいよ」と口には出さず念だけ父に送った
それからもう父が動くことはなかった。
74年の生涯が終わりました。
「父ちゃん、今までありがとう!そしてお疲れ様でした!」
Posted at 2025/08/11 17:40:26 | |
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2025年08月03日
Q1.S.E.Cの存在を知っていましたか?
回答:はい、ラバーさんの動画で知りました。
Q2.TAKUMIモーターオイルに期待していることは?
回答:品質、エンジン保護、寿命向上、サーキットでの信頼性
この記事は
みんカラ:モニターキャンペーン【エンジン内部洗浄添加剤 SEC】 について書いています。
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Posted at 2025/08/03 23:14:41 | |
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2025年06月08日
5月11日、世間は「母の日」でした。
「母の日」に母を失くしました。
実を言うと2月に母が体調の異変を訴え
救急搬送で病院へ
そのまま入院となりました。
その後、検査で
「肺の大動脈付近に大きな影があり肺炎か肺癌かの判断は出来かねるので一旦肺炎の薬を投与してみる」との治療方針を説明を受け
その後「薬の効果が見られない」とのことで「肺癌」と宣告されました。
吐血や激痩せも見られず、意識もあったものの「病状は深刻でもはや手術や科学療法出来る状態ではない」との事でした。
既に父が癌の術後不良なのか寝たきりの上、腎不全を起こし先に入院していたのですが、同じ病棟に母も入院
看護士さんの計らいで父と母を何度か会わせていただき感謝しかありません。
ある日、母が看護士さんに暴言を吐き
自分の所にもいきなり電話をよこしてしつこく文句を言ってきたのです。
自分はそれに怒り怒鳴りつけてしまいました……
結果的にまともに母と会話したのはそれが最後になってしまいました。
その直後から母の口数がなくなり、意識はあるものの反応が薄くなってきました。
隣の病室にいる父(実は先に何回か逝きかけてその都度意識が回復する)も気にしており
「どーなってる?」と聞かれたので
「正直言いにくいけど……長くないかも」と告げると「そうか……」と何度も逝きかけながらも口数の多い父も言葉少なくなりました。
仕事中、病院から電話が来て
「今朝は普通だったのですが息をしていない」との一報が入り
仕事中だったものの事情を仕事仲間の面々に告げ
休みだった家内に「すぐは行けないから先に病院へ!」緊急退勤し職場の制服のまま病院へ直行
担当の看護士さんに声をかけて母の所まで案内してもらい
まだ血圧が残り、点滴を入れてはいるものの、もう動かなくなった母のもとへ
家内と子どもたちが先に到着しており
父は「息子が来るまでは行かない」との事で看護士さんに自分が到着した旨を伝えて父を寝台ごと連れてきてもらう。
父と母最後に対面
担当の医者から「臨終宣告」を受け
母は逝きました。
苦しまない最期と聞いて少し安心しました。
ただ「母がもういない」という実感がまだありません。
Posted at 2025/06/09 00:00:03 | |
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