
二日目の朝。思い立って、蔵王のお釜を見に行くことに。
国道4号はカットし、広域農道蔵王コスモスライン(農業農村整備事業仙南広域農道 蔵王コスモスライン)へ

受益地域 白石市 蔵王町 川崎町 七ヶ宿町
事業量 23.84km(農村 15.78km 建設8.06km)
事業主体 宮城県大河原土地改良事務所
この事業は農林水産省の補助で施工しています。仙南広域営農団地農道整備事業推進協議会

途中には、
2016北海道ツーリングの帰り道に通った、旧羽前街道石碑前に到着。

旧羽前街道保存地区
羽前街道の歴史『古来、東北地方は、中央を走る奥羽山脈によって、東の陸奥・西の出羽に分けられてきました。それゆえ、古Vから両地域を往来する峠道がいくつも開かれました。そのひとつが笹谷峠越えの道です。
現在の蔵王町宮から、永野~四方峠~川崎~笹谷峠へと続く道は、笹谷峠越えの道の中でもとりわけ古く、平安時代にはすでに使われていました。道筋の周辺には数々の城館跡が残されていることから、鎌倉~戦国時代に戦略的に重要な道であったことがうかがえます。
戸時代になると、この道は仙台を中心とした藩内の街道網のひとつとして整備されました。宮宿から四方峠の間に永野宿・猿鼻宿が作られたのもこの頃で、主に、商荷や出羽三山参りの人々が往来しました。「現在でも沿線に多くの文化財や伝説が残る、わが町の歴史を形作ってきた古道です。
旧羽前街道保存地区について
現在でも、羽前街道はほぼ昔のままの道ていますが、ほとんどの部分で舗装や拡幅とがなされています。しかし、四方峠に至る約1mの山道は、隣接して新道が作られたために昔ながらの峠道が残されています。旧道は幅5mほどの溝状で、蛇行しつつ峠へと続いています。頂上の四方峠は、「四方すべてが見渡せる」ことから名付けられたとおり、円田盆地が一望できます。
この旧道部分は、地元住民の手によって歴史散策路として保存活用が図られています。
平成8年10月10日蔵王町教育委員会
宮城県道・山形県道12号白石上山線へ入り

蔵王国定公園 不動滝展望台から

蔵王ハイラインへ

頂上到着

お釜♪

例によって、写真集は
こちら
下山します。

お昼が遅くなりそうなので、大規模林道走行前に昼食。

いわはなや食堂様、ごちそうさまでした。
この後は、「大規模林道 飯豊・桧枝岐線」へ
その前に、少し寄り道し、大日杉小屋へ

到着

特にこれといって…
本線に戻ります。今回は飯豊トンネルにスポットを当てる

飯豊トンネル 1998年12月 森林開発公団
全長87 8.1m 幅 6.5m 高 4.5m 施工 飯豊建設共同公業体
林道 一の木線 終点表示もあるな

さて、走行。橋は平成16年11月竣工らしい。

何度来ても、いい道でした。
福島県道43号会津坂下山都線から

みちくさ広場で休憩

で、この後は緑資源幹線林道を走行してみる。まずは「飯豊・桧枝岐線 会津坂下・新鶴区間」からスタート

両脇の草がすごい

終点

もはや、維持管理を行う気がないのではないか?と思わせる状態でした。
新鶴・柳津区間も入り口まで走行

この先には行きませんでしたが、やはり同様の放置状態が予想されます。
福島県道330号大内会津高田線から、

イザベラ・バードの道へ

市野峠 標高八百七十m
この峠は、古代から、会津盆地と南山地方を結ぶ大切な接点であった。ここから南への道をたどると、大内、田島、今市に向かい、北への道をたどると、高田、坂下、野沢に至る。近世には、新発田藩や村上藩などが大名行列を組んで峠を越えたし、また高田の麻、坂下の煙草も江戸へ運ばれた。
当時、御蔵入の人々は、薪炭や木地、木羽板などを展の背に積み、峠を越えて盆地に運び、戻り荷に米や塩、酒、醤油などの生活必需品を南山地方に持ち帰った。
明治十一年六月、北に向かって旅行中の英国女性イザベラバードは、著書「日本奥地紀行」で「雄大な市川峠を登った・・・平野は深い藍色に包まれ・・・遠くそびえる山々は深雪を頂いている」と峠からの美しい眺望を嘆賞している。「イザベラバードと歴史探訪」実行委員会
林道 市野大内線開通記念碑 もありました。

晩秋を感じました。大内ダムを通り過ぎ

国道118号へ

ここから、道の駅看板に従い分岐。
ふるさと林道 道木沢線を通り

帰路、白河インターチェンジへ

東北道を南下、終了。

本日のルート

Posted at 2021/10/29 21:07:35 | |
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東北ツーリング(NC700X) | 日記