ご挨拶が今頃になってしまい大変申し訳ありません。
この度は、大変素晴らしい東北オフを企画運営して下さった、
norichan様と
碧い月様と、会場を貸与して下さった
トヨタ自動車東日本(株)の皆様にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
また、会場設置・車両誘導・撤収作業等に尽力された東北メンバーの皆様、強力にサポートして盛り上げて下さったペンウノ様とシュウ&ロト様両代表、場慣れした関東メンバーのいつもの頼もしき方々、協賛品を提供して下さったノブレッセ様をはじめとする各ショップ様、そして、私を含めた愛すべき参加者の皆様本当にありがとうございました。
心から楽しませて頂きました♪
遅れ馳せながら、私も今回の意味と意義があった
『アクアの聖地で、がんばろう東北オフ!』のレポートをアップさせて頂きます。
今から18年前の
1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分52秒
阪神淡路大震災が発生し、死者6434名、行方不明者3名、負傷者43792名もの被害を受けました。
当時の私は、大阪市鶴見区の古い市営住宅の2階に住んでいて、大きな揺れには全く気付かず、元妻に揺り起こされて目覚めました。
寝惚けながら部屋全体が過去に経験した事が無い地震の揺れに飛び起きて、娘の事は元妻に任せて、私は海水魚を飼育していた120cm水槽(水量400ℓ以上)を必死で支えていました。
程無く激しい揺れが収まり、元妻と娘の無事を確認した後に、水槽からこぼれた大量の海水をチリトリで掬って事態の収拾に追われました。
幸い、水槽も食器棚を含めた家具類も倒壊は免れ、大きな被害は無かったのですが、濾過循環が断たれた水槽の中の生体は助ける事が出来ませんでした。
ホッと一息吐いてテレビを点けると、ニュース速報で大変な出来事に遭遇した事を知り、今度は店の事が心配になったので身支度を整えて自宅を出発しました。
自宅近隣は別段何の変化も無く、日常の朝が広がっているだけで、先程の地震が嘘の様でした。
そのころの私は、大阪北部の豊中市に所在するスーパーの鮮魚部門で働いていて、いつもの通勤路を車で飛ばしていました。
そして、淀川を跨ぐ十三大橋を渡っていると、真っ直ぐに走行しているのに突然タイヤがキュキュッと大きなスキッド音を発して車が左右に揺れて、一瞬コントロールを失いましたが事無きを得て再び勤務先へ向かう事が出来ました。
後から分ったのですが、それは大きな余震のせいで十三大橋が大きく揺れて発生したものでした。
淀川を越え神崎川も越えて豊中市内に入り、勤務先のスーパーがある住宅街に近づくと、路面には瓦やブロック塀が倒壊した瓦礫が散乱して、私の行く手を阻みましたが、パンクも気にせず瓦礫を踏み越えて勤務先に到達しました。
店舗の外観には異常は認められませんでしたが、店内に入ると陳列棚の商品が散乱して大変な状態になっていて、被災したパートさんの何名かは出勤出来無い状況で店内の片付けに忙殺されました。
午後から開店した店に、非常食や日用品を買い求めるお客さんが殺到して、商品の半分くらいが売れて無くなったのを覚えています。
幸い、私の近しい方でこの震災のせいで亡くなった方はおられませんでしたが、自宅に住めなくなって親戚の家に身を寄せていたり、倒れて来たタンスの下敷きになって怪我をされた方は居ました。
私自身、お米が買えなかったりトイレットペーパーが買えなかったりする不便はありましたが、何とか日常は確保する事が出来ていました。
ただ、毎日テレビを見るにつけ、神戸市の火災の様子やいつも利用していた阪神高速神戸線が倒れていたりする光景が連日映し出されていて、死者数が毎日増えていく現実に恐怖を感じていました。
あれから20年弱の月日が流れ、大きく被災した神戸の街並みも一応の復興(まだ問題は残っているようですが)を達成してくれました。
被害が少なかった大阪人の私の中では、
阪神淡路大震災が風化しつつありました。
その後も、北海道や新潟等日本各地で震災が発生し、多大な被害が起きていましたが、私が40代最後の誕生日の翌日の
2011年(平成23年)3月11日(金)午後2時46分18.1秒にあれが発生してしまいました。
死者及び届出があった行方不明者が約1万9千人にも達する東日本大震災です。
大阪でも少しは揺れたらしいのですが、私は全く感知しておらず、夕方のテレビのニュースで驚愕の事実を知らされました。
番組中のニューステロップには、○○海岸で何百人もの水死体が発見されたと言う信じられない言葉が流れ、徐々に津波の動画が放送される様になっていき、言葉を詰まらせ思考が停止したのを覚えています。
フィクションでは無い現実の悲劇が画面の向こうに存在している。
さっきまで道路を走っていた軽四車が、そのまま津波に飲み込まれて流されて行くシーンが容赦無く放映されていました。
追い打ちを掛ける様に、福島原発が津波の影響で凶悪な放射性物質を撒き散らす最悪の事態も発生し、甚大と言う言葉では足りない被害が出てしまいました。
それから2年が過ぎ、テレビでは東北の復興が進んでいるかの様な報道をしていますが、それはほんの極一部に過ぎないのを私は知っていました。
放射性物質のせいで自宅に戻れない方々がまだまだ大勢居てる事も、TOKIOがDUSH村に行けないのも、海岸部には瓦礫が山積みされているのも普通に報道されていますし、何よりも、私がアクアに乗り換えてみんカラで知り合った岩手県にお住いのnorichan様から、ご自身の辛い体験と東北の現状を教えて貰っていたからです。
そのnorichan様が一つのブログをアップされました。
そう、
『アクアの聖地で、がんばろう東北オフ!』の告知です。
被災されたnorichan様の思いがこもったブログを拝見し、涙脆い私は目と鼻から出て来る液体を止める事が出来ませんでした。
衝動的にヴィッツからアクアに乗り換え、その生産場所なんか気にもしなかったのに、norichan様のブログでアクアは全国唯一岩手の工場でしか生産されていない事を知り、東北の復興のシンボルとして位置付けられている事を知り感銘を受けました。
大量生産された車がその生れ故郷である生産工場への里帰りオフ・・・それだけでも稀有な企画なので興味津津でしたが、東北で開催されるオフ会を通じて、まさか現実に訪れる事は無いと思っていた被災地の実際を知る機会が与えられたものの、福岡から岩手はとても遠い場所です。
でも参加したい。
その場所に居たい。
何かを得たい。
日々の仕事に追われながらも、その思いは募るばかりでした。
下関オフでペンウノ師匠と再会した時に
『ほな東北オフで待ってますわ』と冗談を言われた時も、
『そんなん無理やわ~』と受け答えしました。
そして、無謀にも関東オフに参加する事が叶い、norichan様とご挨拶が出来その人柄と差し出された右手に触れた瞬間に、私の中のリミッターが緩み始めました。
エロい月様とも再会し、
『東北オフでも待ってます♪』と声を掛けて頂いた事も、日本地図の距離感を狂わす切っ掛けとなりました。
ですが、一部の人には伝えましたが、私は去年の11月に心筋梗塞の手術をしてメインの冠動脈を3本も自分の血管(動脈)を使って心臓バイパス手術(1時間の心停止での手術)を受け、仕事には復帰しない約束で12月に退院してアクアを注文し(当然退院即仕事復帰\(^o^)/)、そのまま前車のヴィッツに乗ってアクアの大分オフに参加させて頂き、新参者のご挨拶と納車前のアクアの各部採寸等をさせて頂いた経緯があります。
現在も月に1回の診察と3ヶ月に1回の心臓検査を行っており、無理・無茶な行動はご法度な状態で経過観察が続いていたんです。
まぁ、年齢の割にはアホほどタフだと自覚はしておりますが、なんせ未体験の片道1600km以上の道のりを走破するのに、どれだけの負担が掛かるのか分かりませんでしたし、両肩が五十肩になって着替えも不自由な状態なのに、長時間両手を前に出してハンドルを握れるのか不安もあったので、なかなか参加表明は出来ませんでした。
ましてや、大阪から福岡に転勤して責任のある身で、既に心筋梗塞の入退院で2ヶ月以上も会社に迷惑を掛けてしまっていましたし、何よりもこんな私に福岡まで着いて来てくれた今の奥さんには多大な心配と寂しさと迷惑を掛けてしまったので、私の身体に何かあると全ての人に会わせる顔が無くなってしまうので、大人の判断として無理はしたらあかんな~と思っていました。
でも、アクアのポテンシャルのお陰で、関東オフの際に片道1100km以上の距離がそんなに苦では無かった事もあり、東北オフへの参加者が増えていくのを見るにつけ、私の生きた証(大袈裟:笑)として東北オフへ手垢を付けに行きたくなりました。
心臓の経過も良好でしたし、うちの奥さんもnorichan様のブログを見て感動し『私も行きたい!!』と言ってくれましたので、とうとう参加表明させて頂きました。
しかし、災厄は突然に襲いかかるもので、奮起して参加表明したらしたで、東北オフまであと3週間と言う6月24日の朝の通勤途中で後続車に追突され、くれいん号の後部が痛ましい姿に・・・。
ノブレッセのフルエアロは注文から納品まで1ヶ月は掛かるので、私の東北オフへの挑戦は終わったと思いました。
ですが、
オフ会の女神は私を見捨てませんでした。
取り急ぎ、事故当日にノブレッセへ架電して事情を説明し、何とか福岡までの納品が間に合わないかと尋ねたら、何とデモ用のリヤバンパーが1個だけ在庫があるので、それを発送して頂けるとの事でした。
塗り分け塗装が必要なので、真っ先にリヤバンパーをショップに送って頂いて塗装に入ってもらえたので、オフの2日前にマフラーも到着して無事に元の姿で東北オフに参加出来ました。
ノブレッセ様 本当にありがとうございました!
東北オフ参加の目途がつき、急遽、北海道のわたシィー様に以前から欲しかったシートベルトパッドとネックパッドを発注し、お忙しい中をオフ当日までに完成して下さったので、オフ当日に直接手渡しして頂けましたのも幸運でした♪
わたシィー様 本当にありがとうございました!
ただ、残念だったのは、美味しいと評判のいつもの久留米ラーメンが注文出来ず、グレード落ちしたラーメンしかゲット出来無かったのが惜しまれます。
紆余曲折があり、直前で参加を諦め掛けた東北オフにいよいよ出発です。
東北見聞録≪歓喜編≫に続く♪
東北へ出発する前夜は仕事(報告書作成)で徹夜だったのはここだけの話です♪