
昨日の自動車博物館でSVXの隣の車の話が出たもんで
そうです キァピスタでございます。
では どこぞでパクった説明を。笑
ジオット・キャスピタ
日本自動車博物館の展示車両
JIOTTO CASPITA.JPG
デザイン
伊藤邦久
乗車定員
2人
ボディタイプ
2ドアクーペ
エンジン
スバル-モトーリ・モデルニ1235:3.5L F12
ジャッドGV:3.5L V10
変速機
6速MT
駆動方式
MR
サスペンション
前後ダブルウィッシュボーン
全長
4,534mm
全幅
1,996mm
全高
1,076 - 1,136mm(可変式)
ホイールベース
2,700mm
車両重量
1,240kg
ジオット・キャスピタ(JIOTTO CASPITA )とは、1988年に服飾メーカーのワコールの出資で設立された会社「ジオット」が企画し、レーシングコンストラクターの童夢が開発・製作を行なったスポーツカー(スーパーカー)である。
「公道を走るF1マシン (F1 ON THE ROAD) 」を謳い、斬新な空気力学と美しいデザインは当時のスーパーカーのデザインをリードしたが、1990年代初頭のバブル景気崩壊の影響を受けて量産にはいたらなかった
開発開始
1986年、童夢社長の林みのる、ワコール社長の塚本能交、富士重工業(スバル)ラリーチーム監督の高岡祥郎という3人が銀座で酒を酌み交わした際、林がコースターの裏に書いたスポーツカーの絵が計画の発端となる[1]。林は塚本に資金提供、高岡にエンジン供給を依頼。当時、ワコールと童夢はレース活動おけるスポンサーとチームという形で深いつながり[2]があり、「ジオット」ブランドによるイメージリーダーカーとしてプロジェクトが立ち上げられ、開発が開始された。
メカニズム
車体はカーボン製モノコック。車高は油圧可変式で、最低地上高はレース時が70mm、一般路速行時が130mm[3]。ブレーキはブレンボ製のレーシングタイプ。
スタイリングとデザインはジオットデザインが担当し、チーフデザイナーの伊藤邦久がエクステリアデザインとインテリアデザインを担当した。ドアは跳ね上げ式(ガルウイング)で、昇降式ドアミラーがドア内部に格納される。車体は童夢のノウハウをつぎ込み、空力を徹底的に追求した設計が施された。アンダーフロアにまで配慮し、可変式のリアスポイラーとともに車体全体でダウンフォースを発生させる構造となっていた。
エンジンはスバルが開発中だった3,300ccの水平対向6気筒 (F6) ユニット[4]をチューンする予定だったが[5]、スバルはイタリアのモトーリ・モデルニと提携し、F1参戦にむけて3,497cc水平対向12気筒 (F12) エンジン(DOHC60バルブ)を共同開発する方針に転換。これを公道走行用にデチューンし、ミッドシップに搭載することになった。スペックは最高出力585PS/10,750rpm、最大トルク39.2kgm/10,500rpm[3]。
計画変更
1989年の第28回東京モーターショーで参考出品という形で発表され、1991年の市販開始を予定して更なる開発が続けられた。当時の運輸省への認可申請も、イギリスからの輸入車という形でクリアした。同時期に開発されていたヤマハ発動機のOX99-11とともに、日本初の量産スーパーカーとして期待された。
しかし、エンジン供給元のスバルは、1990年からコローニチームと組んでへF1へ参戦したものの、予備予選を1度も通過できないまま半年で撤退し、モトーリ・モデルニとの提携を解消した。その結果、搭載を予定していたF12エンジンの製造が中止され、新たなパワーユニット捜しを行わなければならなくなった。
日産製のV6ターボやホンダ製のF1エンジンなど、様々な検討が行われた。結局はエンジンデベロップメントのジャッドエンジンV10が選ばれたが、元々水平対向エンジンを搭載するよう開発されていた車体にV型エンジンを搭載することになったため大幅な設計の変更を余儀なくされた。
結局1993年に2台だけ完成し、ナンバープレートの取得もできたものの、すでにバブル景気は崩壊していた。仮に1台1億円で販売したとしても赤字になるほどの開発費がかさんでいたため、同車が一般消費者に販売されることはなかった。
その後
1989年に公開されたスバル-モトーリ・モデルニ製F12エンジン搭載車は、石川県小松市にある日本自動車博物館内で保存・展示されている[3]。また滋賀県米原市にある童夢の風洞施設「風流舎」内の倉庫にも1台が保管されている[6]。
んーSVX並みに悲運か?笑
Posted at 2013/07/12 23:36:23 | |
トラックバック(0) |
車 | 日記