
食器の歴史は新しいようで古い。
食器が、デザインや使い勝手などの価値をもってこそ意味をなすようになったのは、シルクロードでの東西交流が盛んだったころに端を発するかも知れない。
食器のコレクターなら、歴史的価値を込めて、景徳鎮だのなんだかんだで中国4千年の歴史に話がすり替わってしまう。
ボクの場合、食器の鑑賞コレクティングはしないし、先立つ資金や保管場所なんて全く無い。
要は使って意味がある、と思っている。
かつてフランスリモージュのレイノー社を訪問したことがある。仕事ではなく、全くのプライヴェートだ。ただ、知り合いに口利きをしてもらったので、随分手厚いもてなしを受けたのも事実だが・・・。
当時、レイノー社でも一番古い食器を焼く釜が取り壊される直前だったのも幸い、多分、最後の見学者になった思う。それはそれは、歴史の重みと、世界のフランス料理を支えてきた重みがずっしりと伝わってくる気がした。
レイノー社を始めとするリモージュ地方の食器は、実用とデザインのバランスを考えれば、世界一と思う。エルメスなどの食器もレイノーが制作していることは有名だ。
リモージュ焼きの特徴は、食器を窯で焼く温度が1000度を超えることだ。まずこの温度で焼く釜造りが大変だ。特別な製法が必要だ。また、1000度を超える高温で焼くため、薄いのにちょっとやそっとで割れないこと。この異常な丈夫さが、フレンチレストランで多く利用される実用メリットの所以。デザインは言うに及ばず、世界トップレベル。
日本ではあまりお馴染みでないが、ヨーロッパではお馴染みのブランドだ。けれど、値段はその分高い。ボクの家にはようやく買い揃えたレイノーの食器類があるが、結構、乱雑な普段使いをしている。この前は、子供が皿に土を盛って遊んでいて、叱りとばした(笑)。
食器もコレクターでなく、その都度買い揃えていけば結構な数になるが、この昔ながらの金をふんだんに使った、成金ポットはほとんど使わない、使えない。酔った勢いで買ってしまったが、やけに高価だ。やはり、貧乏性のボクには使いこなせる器量はない。悲しい話だが、食器棚の飾りだ。
Posted at 2007/06/06 08:25:38 | |
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