富士重工業 世界ラリー選手権ワークス活動の終了について
富士重工業は、本日、今シーズン2008年をもって、世界ラリー選手権(WRC)におけるワークス活動の終了を決定した。
富士重工業は、水平対向エンジンとシンメトリカルAWD(All Wheel Drive)をコア技術として、いかなる環境においても安全、快適に走ることができるスバル車の認知向上と、量販車開発への先端技術・ノウハウのフィードバックを目的に、WRCのトップカテゴリーでの競技に19年に渡って英国のモータースポーツ専門会社プロドライブ社とともに、SWRT(Subaru World Rally Team)として参加してきた。
スバルのWRCでの活動は、これまで3度のマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得、3人のドライバーズチャンピオンを輩出し、スバルのブランド価値を高め、世界でのスバルの拡販に貢献している。
富士重工業は、WRC参戦の当初の目的を達成し、今後スバルのブランディングにWRCをどう位置づけていくか検討を進めていたところ、世界的な経済情勢の急激な悪化に見舞われ、同社の経営環境も大きく変化したことから、経営資源を効率的に活用し、スバルブランドを守り、より強めるために、WRCワークス活動を終了することを決めた。
なお、スバルのラリーの取り組みについては、量産車カテゴリーであるGroup Nクラス、およびその車両を用いた世界選手権であるP-WRC活動に参加しているチーム、ドライバーへの車両供給や活動支援を続けていく。
富士重工業社長の森郁夫は、「WRCで活躍する青いインプレッサは、ファンの皆様にとってスバルの象徴であり、この決断は本当につらいものでした。」と語り、「これまでの世界中のスバルファンの熱心な応援に心より感謝します。こうしたファンの方々こそが、スバルの貴重な財産です。」とコメントしている。
富士重工業は、WRCでの挑戦や経験を糧として、これからも「お客様第一」を信念に、「快適・信頼の新しい走りと地球環境の融合」を実現したスバルならではの商品、サービス、カーライフをお客様にご提供することに務めていく。
富士重工もWRC撤退、日本メーカーの参戦なくなる
「スバル」ブランドの乗用車で知られる富士重工業は16日、F1世界選手権と並ぶモータースポーツの頂点の世界ラリー選手権(WRC)から撤退すると発表した。
世界的な販売不振の中、年間予算約70億円という関連費用の削減を優先した。復帰の予定はないという。
WRCは市販車を改造して公道や未舗装路を走る競技。スズキが15日に活動の一時休止を発表したばかりで、富士重工撤退で参戦日本メーカーはなくなる。
富士重工はスバルを使って19年間、WRCにメーカーとして出場、日本車最多の47勝を挙げ、スバル・インプレッサでドライバー、マニュファクチャラー(メーカー)の王座を各3回獲得した。しかし、2005年を最後に勝利がなく、不振にあえいでいた。
記者会見で森郁夫社長は「ラリーはスバルのイメージを最大限アピールし、技術面でも成果を上げた」としながらも、「経済情勢の急激な悪化で業績も落ち、事業の選択と集中を進める必要が生じた」と理由を説明。何度も「本当はやめたくなかった」と発言、「ラリー会場でスバルの青いウエアで観客席が埋まっているのを見ると」と話したところで感極まって絶句、「本当に勇気づけられた」と震える声で続けた。
富士重工の09年3月期の営業利益は前年同期比49・6%減の230億円に落ち込む見通しで、国内外の工場で減産や人員削減などに取り組んでいた。
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F1レース活動について
2008年12月5日
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私どもHondaは、このたび、2008年をもってF1レース活動から撤退することを決定いたしました。
サブプライム問題に端を発した金融危機と、それらに伴う信用危機、各国に広がった実体経済の急速な後退により、Hondaを取り巻くビジネス環境は急速に悪化してきています。
当面の世界経済は不透明さを増すばかりであり、回復にはしばらく時間がかかることが予想されます。
Hondaはこの急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し、迅速かつフレキシブルに対応をしてきましたが、将来への投資も含め、さらに経営資源の効率的な再配分が必要との認識から、F1活動からの撤退を決定いたしました。今後のHonda Racing F1 Team、英国でエンジンの供給を行ってきたHonda Racing Development Ltd.については、チーム売却の可能性も含め従業員と協議にはいります。
Hondaは第3期のF1活動として、2000年よりB・A・Rとの共同開発という新しい形での参戦をいたしました。その後のF1を取り巻く環境変化により2006年よりHondaが100%出資するチームとしての運営に移行しました。最高峰のレースへの挑戦は、思いのほか厳しい道のりでしたが、多くの応援を頂き、2006年に貴重な1勝をあげることができました。頂いたご声援に十分お応えすることなく撤退の決定をすることは大変困難をともなう決断でした。
今後は、この激動の時代を生き抜き、レースで培われたチャレンジング・スピリットをもって、様々な新たな課題に引き続き挑戦し続けてまいります。
これまで、ご声援をくださった多くのファンの皆様、そして活動を支えてくださったF1界の皆様に対し、心よりお礼申し上げます。
尚、来年、鈴鹿サーキットでは予定どおりF1日本グランプリを開催いたします。来シーズンに向けての改修工事も順調に進んでおります。
ありがとうございました。
本田技研工業株式会社
代表取締役社長
福井 威夫
【ホンダF1撤退】福井社長「緊急を要している」
ホンダのF1は以前、活動の終わりには休止という言葉を使っていたが、今回の第三期の終わりは第一期、第二期と違い、「撤退」という強い言葉で活動の終わりを告げた。
福井威夫社長は「撤退という言葉をあえて使ったのは、F1に注いできた情熱、リソース、人材、それを新しい時代に振り向ける強い意志が入っていると理解してほしい。今まで100年間の自動車産業の繁栄から、次の100年に向かうための新しい時代に入ったという認識を持っている」と語る。
福井社長の言う新しい時代とは「原油が高い、原油が使えない、原材料が豊富に使えない。高い原材料を使わなければならない」という時代。今回は経済環境の悪化が、新しい時代への対応の大きなきっかけを作ったことになる。
具体的な対応は「来年登場の『インサイト』と、それに続くラインナップの強化。世界中で必要とされている『フィット』の下位にあたる小さくて、燃費がよくて、原材料を使わない、価値観の高い車の開発。ヨーロッパの燃費規制への対応。インドで必要な小型のディーゼルエンジンの開発」などをあげ、いずれも「緊急を要している」と説明、F1に携わったエンジニアたちが力を発揮するという。
また、急にこのような決断した経緯については「ビジネス環境が10月、11月に入ってから特に加速度的に減速している。われわれの想像をはるかに超えた、まったく先が見えない状況になったのが11月ごろ」と説明する。
直近まで来シーズンに向けた準備を積極的に行い、2009年へ向けたメッセージを発信し続けたことについても「10月以前、9月までの状況では、撤退の決断はなかった」と、隠していたわけではなく、急激な世の中の変化が理由と強調した。
スーパーアグリ F1撤退を発表
スーパーアグリF1チームからの声明
スーパーアグリF1チーム(SAF1)は、本日、F1世界選手権から撤退することを決定した。2006年からプライベーターチームとしてF1に参戦し、昨年はチーム結成22戦目(スペインGP)で初ポイントを獲得、2007年のランキング9位という成績を残したSAF1のF1における活動は本日、その幕を閉じることになる。
鈴木亜久里 チーム代表
「F1チームオーナーになるという私の昔からの夢を実現すべく、2005年11月にF1にエントリー申請をし、2006年よりスーパーアグリF1チームとして、2年と4ヶ月にわたりF1の世界で戦ってきたが、本日その活動に終止符をうつことになった。
多くの自動車メーカーが参戦しているこの世界でプライベーターとして戦いを挑み、昨年はチーム参戦から、わずか22戦目にして初ポイントを獲得しランキング9位となる快挙を達成することができた。しかし、昨年のシーズン初頭から、パートナーとして一緒に戦っていくはずだったSS United Group Company Limitedの契約不履行によりチームは経済的なバックボーンを失い、経営は非常に厳しい状況に追い込まれた。また、カスタマーカーに関する方向性の変化などチームをとりまく環境変化もあり、チームは新たなパートナー探しを精力的に続けてきたが、その活動は難航した。
その間、ホンダから支援を受けながら、なんとか今日まで持ちこたえてきたが、現在のF1を取り巻く環境の中で、今後も安定的に活動を継続していく目処が立たず、本日、F1から撤退するという苦渋の決断をくだすこととなった。
ここまでチームを支えてくれたホンダ、ブリヂストン、そしてスポンサーの皆様、いろいろな状況の中でアドバイスを頂いたF1関係者の皆様、チームが苦しい状況の中でも、モチベーションを絶やさず働いてくれたチームスタッフ、厳しい状況の中でも頑張ってくれたアンソニー、チーム立ち上げから一緒に戦いチームを引っ張ってくれた琢磨、そして、これまでSAF1を応援してくれてきた世界中のファンの皆様に最大の感謝を表したい」
TOKYO, Japan/ LEAFIELD, UK
6 May 2008
ホンダリリース:スーパーアグリF1チームの発表を受けて
2008年5月6日
「スーパーアグリF1チームの発表を受けて」
Hondaは、2005年スーパーアグリF1チーム設立以来、その趣旨に賛同し、エンジン提供をはじめ経済的支援を行ってきました。特に2007年以降、チームの財政状況が厳しさを増した中で、スポンサー、パートナー獲得にむけてチームと共に様々な話し合いを続けてきました。
2008年シーズン開始にあたり、チームの中期的かつ安定した運営を実現する為に、有力なパートナー候補であった英国 Magma Groupとの交渉をスーパーアグリF1チームが開始する中で、Hondaとしても様々なサポートを提案し3者間で合意にいたる段階まで達していましたが、Magma Group及びその資金提供者から突然、計画を中止する通告がありました。
その後も引き続き、最善の努力を重ねてまいりましたが、この度、鈴木亜久里代表から、チームが自立した運営基盤を確立する見通しが立たずF1活動から撤退するという説明を受けました。
スーパーアグリF1チームのF1活動撤退は誠に残念な決定ではありますが、SAF1が自立し将来的にも安定した運営基盤が確保できない状況ではチームの決定はやむを得ないものと受け止めました。
2008年5月6日
本田技研工業株式会社
執行役員 広報・モータースポーツ担当
大島 裕志
スーパーアグリF1チーム 撤退声明
6日(火)、東京都内でSUPER AGURIが緊急の記者会見を行った。
チーム代表である鈴木亜久里氏が、たくさんのフラッシュがたかれる中、登場した。
まず亜久里代表はこのあと発表されるリリースのコメントを読み上げた。
「2年と4カ月、本日、活動の終止符を打ちたいと思います。苦渋の決断をすることになりました」と語った亜久里代表。2005年12月にSUPER AGURIを立ち上げてから今日までの経緯を詳細に語り、途中言葉に詰まらせ涙ぐむシーンも見受けられた。
SUPER AGURIは昨年のスペインGPにて、チームにとって22戦にして初ポイントとなる1ポイントを佐藤琢磨が獲得。さらにカナダGPではラルフ・シューマッハ(元トヨタ)、フェルナンド・アロンソ(元マクラーレン)をぬいて6位フィニッシュを果たした。
チームが財政難に陥ったのは、昨年のシーズン途中、それまでスポンサーだったSSユナイテッドとの契約が不履行となったことが発端だった。さらに、マグマ・グループとの契約締結が目前だった今シーズンのスペインGP前に、マグマ・グループから1通の手紙を受け取る。それは、「これ以上話をすることはない」という知らせで、このとき、亜久里代表はもうF1参戦を可能にするための時間がないと悟ったという。
会場からの質疑応答では、トルコGPにむけて出発したトランスポーターがサーキットで締め出されている件について触れられた。一部報道では、HONDAがこれを指示をしているのではないかと言われていたが、「(HONDA F1チームCEOの)ニック・フライが何を言っているのかは知らないが、本田技研は関係ないと思う」とコメントした。
SUPER AGURIのドライバーである佐藤琢磨とアンソニー・デビッドソンの今後については、これから話をしていく。
チーム撤退を琢磨とアンソニーに報告した際の2人の様子を、「これまですごくがんばっていたし、すごく残念がっていました」と亜久里代表は語った。2人からは「亜久里さんありがとうございました」という言葉があったという。
「HONDAさん、ブリヂストンさん、ファンのみなさんが支えてきてくれて、短い2年半でしたが、内容の濃いレース活動ができたと思うし、印象に残るチーム活動ができたと思います。悔いはない。2年間本当にありがとうございました」と自らの夢に一つの幕を引いた亜久里代表。相当の勇気がその言葉ににじんでいた。
もう2度と参戦しないと語った亜久里代表だが、「レースがしたい。レースができる環境だったら戻ってみたい。この2年半はお金のことばっかり考えていた。でも今は、ちょっと休みたいかなと。(F1は)魅力のある世界なので」とも語った。
F1参戦はどんな思いをもたらしたのか。亜久里代表は記者会見の終わりにこう話した。
「もちろん苦労はあったけれど、誰に言われたわけでもなく、自分で登った山だから」
「F1をやってよかった」
元WRC王者コリン・マクレーがヘリコプターで墜落死
WRC(世界ラリー選手権)の元チャンピオンであるコリン・マクレーが9月15日、スコットランドの自宅近くで、自身が所有するヘリコプターの墜落事故でなくなった。享年39歳。
マクレーは、1986年のWRCデビュー後、1993年のニュージーランドで自身とスバルにとっての初めてのWRC優勝を勝ち取り、1995年には、イギリス人初のドライバーズチャンピオンを獲得するとともに、スバルにとっても初のマニュファクチャアラータイトルをもたらしたドライバーとして日本でもお馴染み。
その後は、フォード、シトロエンなどを渡り歩き、2003年を最後にワークスチームのシートを終われたが、2005年にはシュコダから2戦にスポット参戦。さらに2006年は怪我で欠場していたセバスチャン・ローブの代役としてシトロエン・クサラでスポット参戦していたこともあった。
派手なドライビングが特徴のマクレーは、時に「マクラッシュ(壊し屋)」と呼ばれるなど、目が離せないドライバーとして人気を誇っており、今年はアメリカで人気の「Xゲームズ」のラリー競技に出場し、最終ステージの最後のコーナーで転倒しながら2位でゴールするなど、その豪快さは健在とアピールしていた矢先の訃報となった。
なお、マクレーは日産ワークスチームからダカール・ラリー(通称:パリダカ)にも出場しているほか、自らの名前を冠したラリーゲーム「コリン・マクレー・ラリー」シリーズは何作にもわたり、プレイステーションをはじめとしたあらゆるプラットフォームで発売され、日本はもとより世界中で大ヒットした。
ちなみにマクレーが残したWRC通算25勝は、セバスチャン・ローブ、カルロス・サインツに次ぐ、史上3位の記録となる。
スバルでは、マクレーの突然の訃報を聞き、リリースにて追悼の意を表している。
スバル純正 アンダーフロアパネル カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2014/11/10 20:46:48 |
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有限会社 海の種 カテゴリ:おきなわ 2010/06/10 19:06:08 |
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NPO法人 アクアプラネット カテゴリ:おきなわ 2010/06/10 18:54:40 |
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