2013年10月20日
さて、車を買うことにして、それまでペーパードライバーだったんだが、買っていきなり車で九州の田舎に行く計画を立てた。
高校生のときに両親が離婚して、親父がばあちゃんの家に帰っていたのだ。
で、あんまり日数に余裕が無かったんだが、夏休みに間に合うように納車(8月の最初の土曜)してもらうことになった。
ナンバープレートは寮のおばちゃんが「私がとってきてあげる!」と宣言してくれたのでお願いしたら、「いい番号がとれたわよ!」とのこと。
どういう番号が“いい”番号で、どんなのが“よくない”のかは僕には判らなかったが、おばちゃんが言うのだから“いい”番号に間違いないのだろう。
当日はディーラーの人(花房さん、という名前だったと記憶している。)に寮まで迎えに来てもらうことになっていたんだが、非常に不安だった。
なにしろ高校卒業間も無く免許を取ってから、それまで車なんてほとんど運転したことがなかったのである。
「果たして無事に寮まで戻ってこれるのか?」
とりあえず、サンダルを履いて迎えに来てくれた車に乗り込み、ディーラーまで。
府中街道を通って、わりと遠かった。
はじめて見た自分の車の印象は「ピカピカ(当たり前だ)でかっこいいじゃん!」というかんじ。
花房さんに別れを告げ、車に乗るとサンダルが危険な気がした。
とりあえず、裸足で運転することにして、この時以来、くつを履かずに運転するのが習慣となるのだが、ディーラーの敷地から出た。
怖い。とにかく道路を走るのが怖い。しかも、来た道(府中街道)でなく、246号に出てしまった。
怖い!車線変更できない!!ましてや左折とか右折なんてとてもできない!!
このまま246を上って渋谷まで行っちゃったらどうしよう!そんなことを考えながら運転していたのだが、無事に寮に帰り着くことができた。
寮の駐車場まで来ると、寮の前でおばちゃんが待っていてくれて(今思うと心配して出ていてくれたのかも)、「すてき!」と声をかけてくれたんだが、そのときの僕の顔はきっとびっくりするほど青ざめていたに違いない。
Posted at 2013/10/20 14:45:08 | |
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車の思い出 | クルマ
2013年10月20日
社会人になって、川崎の登戸というところにあった会社の寮に入った。
1992年4月のことである。
寮の前には寮の建物の大家さんが所有する駐車場があって、そのときは満車だった。
で、寮母さん(以下、おばちゃん)から「車を買うんだったら、駐車場の順番待ちをしておいたほうがいいよ」と言われて、買う予定も金も無かったんだけど、とりあえず順番待ちに入れてもらった。
すると、翌年の7月くらいにおばちゃんから「駐車場空いたよ」と言われて、急遽車を買うことにした。
その頃はまだ僕も若かったし、今にも増して馬鹿だったので、「自分に似合う車はZだな」と考えて、フェアレディZの中古を買おうと思っていたのだが、寮のおばちゃんから「私がいい人紹介してあげるから!」と言われて、紹介されたディーラーのセールスマンがトヨタオート(今のネッツトヨタ)の人だった。
どうやらおばちゃんの旦那さん(寮のおじちゃん、と呼んでいた)が車を買ったときのセールスマンで、そのときおばちゃんの頭に「いい人」としてインプットされたらしい。
「おばちゃん、セールスマンなんて、みんな買ってもらおうと思ってあれこれしてくれるんだから、みんなきっと『いい人』なんだよ」と思ったんだが、結局おばちゃんには逆らえなかった(おばちゃん自身がめちゃいい人なので)。
人生初の車は“中古のZ”だったはずが“トヨタオート店の新車”から選択することになってしまったのだった。
で、若いうちにしか乗れない車を買え、寮のみんなで出かけるときのために2シーターはやめろ、ということからスプリンタートレノが選択された。
いまだに憶えているが、税込み209万円。
車なんてすぐ飽きるんだから、ローンは短いほうがいいぞ、という先輩の言うとおりに2年ローンを組んで人生最初の車と、人生最初のローン地獄を味わうことになったのだったのだった。。。
Posted at 2013/10/20 02:20:58 | |
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