2013年10月22日
たぶん、おばちゃんとお祓いに行った翌日だと思うんだが、九州に向けて出発した。
が、川崎の登戸からまずは千葉の稲毛に向かったのだった。
そこには親父が勤めていた会社があり、会社の独身寮に住んでいる「M野のあんちゃん(←免許無し)」という親父の同僚と一緒に九州に行くことになっていたのだ。
とにかく、M野のあんちゃんを助手席に乗せて、九州を目指したが、(たぶん)箱根あたりまでは下道で行った。
なぜか?憶えてない。ただ、標識をみながら適当に走れば九州に着くと思っていたんだと思う。我ながら相当な馬鹿だ。
山道でトロトロ走っているオイラを走り屋らしい車がブチ抜いていったりして、山の上で星が綺麗で流れ星とか見えて。。。道もわからんし、高速乗るか、みたいなかんじで高速に乗った。
で、80km/hくらいで走っている長距離トラックの後ろについて走ったりしたんじゃなかったかな。
そうして力尽きて、どこかのパーキングエリアで寝たんだが、朝起きてエンジンをかけるとかからない。
ワイパーを動かしてみたら、ちょぴっとだけ動いて止まった。バッテリーがあがっていたのだ。
どうやら、ライトをつけっ放しだったらしい。
エンジン止めてライトつけっ放しでドアを開ければ警告音が鳴るんだが、車を止めてそのまま寝たっぽい。
びっくりして車の外に出たが、どうしたらいいかわからない。
たまたま歩いていた人(なんかツナギを着ていたので「この人!」と思った)に「バッテリーがあがっちゃったんですけど。。。」と話しかけると、「そうなの!」と言って軽トラをトレ吉の前に付けてくれて、手際よくケーブルつないでエンジンかけさせてくれた。(「新車じゃないの!」とかも言われたような気もする)
「ちょっと走ればもう大丈夫だよ!」と、さっさと行ってしまったんだが、この旅で唯一憶えている出来事だ。
あとは、何を食べたとか全然憶えていない。九州に着いて、親父のとこに行って、オイル交換したことは確かだ。
そして、帰りは九州から有明までカーフェリーを使った(M野のあんちゃんとは別行動)。
さすがに帰りも運転する元気は無かったのだと思われる。
こうして僕とトレ吉の長い付き合いが始まった訳だが、なんか書いているうちに薄れてきていた車への愛情が蘇ってきた気がする。いろんなことを思い出した。いろいろ忘れてしまっていることもあるけど。
そして、今でも俺はトレ吉が好きだなぁ、と。
Posted at 2013/10/22 23:35:58 | |
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車の思い出 | クルマ
2013年10月21日
今住んでるマンションは、2年に1度駐車場の場所替えの抽選がある。
その抽選のために車検証のコピーが必要で、たまたま今手元にコピーがあるんだが、それを見ると交付年月日は、平成5年8月6日とあって、その日を調べてみると金曜日だった。
だから、前のブログに書いた、「8月の最初の土曜日に納車」というのは記憶違いで、実際には最初の金曜日だったようだ。
さらに、トレ吉は3日で慣らし運転を終えている。九州に行ったからだ。
九州に行く途中、高速のパーキングで一泊した。
しかし、九州に行く前、寮のおばちゃんから「○○さん(←僕のこと)、遠く(九州)に行くんだったら、お祓いしなきゃダメだよ!」と言って、一緒に車のお祓いに行っているのだ。
つまり、納車の日にやっとのことで寮に帰ってきたとき、おばちゃんが寮の前に居たのは、お祓いに行くために待っていたからだったのだった。(あぁ、ぴったりと合わさる記憶の欠片。。)
そして、翌日九州に出発し、パーキングで一泊してその日に九州に着いたということになる。
なんという過密スケジュール!俺、若かった!!
で、寮に帰ってきておばちゃんを助手席に乗せ、寮の前の道を通って向ヶ丘遊園の山を登って下って、246号の少し手前にある「身代わり不動尊」というのに2人で行ったのだ。
そうそう、僕が一番最初に助手席に乗せた女性は、寮のおばちゃんだったのである。
身代わり不動尊では、神主さんがぴらぴらした紙の付いた棒をトレ吉の上で振ったあと、「身代わり不動尊」と書かれたステッカーをくれた。
僕は、ピカピカの新車にそんなの貼りたくなかったんだが、「こういうのは貼らないとご利益が無いから」とおばちゃんに言われて、仕方なく後ろのバンパーに貼った。
ちょっとしょんぼりして、寮まで帰ってきたら、おばちゃんが「隣に乗っていて、○○さん(←僕のこと)は安全運転だから(九州まで行っても)大丈夫だって、思ったよ!」と言ってくれた。
おばちゃん、僕は安全運転じゃなくて単にビビリまくっていたんだよ、と思ったが、寮生を自分の子供のように大切にしてくれるおばちゃんにただ感謝していた(と綺麗にまとめておく)。
ちなみにこのときのステッカーはまだトレ吉のリアバンパーに貼ってある。
Posted at 2013/10/21 23:07:46 | |
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車の思い出 | クルマ
2013年10月20日
さて、車を買うことにして、それまでペーパードライバーだったんだが、買っていきなり車で九州の田舎に行く計画を立てた。
高校生のときに両親が離婚して、親父がばあちゃんの家に帰っていたのだ。
で、あんまり日数に余裕が無かったんだが、夏休みに間に合うように納車(8月の最初の土曜)してもらうことになった。
ナンバープレートは寮のおばちゃんが「私がとってきてあげる!」と宣言してくれたのでお願いしたら、「いい番号がとれたわよ!」とのこと。
どういう番号が“いい”番号で、どんなのが“よくない”のかは僕には判らなかったが、おばちゃんが言うのだから“いい”番号に間違いないのだろう。
当日はディーラーの人(花房さん、という名前だったと記憶している。)に寮まで迎えに来てもらうことになっていたんだが、非常に不安だった。
なにしろ高校卒業間も無く免許を取ってから、それまで車なんてほとんど運転したことがなかったのである。
「果たして無事に寮まで戻ってこれるのか?」
とりあえず、サンダルを履いて迎えに来てくれた車に乗り込み、ディーラーまで。
府中街道を通って、わりと遠かった。
はじめて見た自分の車の印象は「ピカピカ(当たり前だ)でかっこいいじゃん!」というかんじ。
花房さんに別れを告げ、車に乗るとサンダルが危険な気がした。
とりあえず、裸足で運転することにして、この時以来、くつを履かずに運転するのが習慣となるのだが、ディーラーの敷地から出た。
怖い。とにかく道路を走るのが怖い。しかも、来た道(府中街道)でなく、246号に出てしまった。
怖い!車線変更できない!!ましてや左折とか右折なんてとてもできない!!
このまま246を上って渋谷まで行っちゃったらどうしよう!そんなことを考えながら運転していたのだが、無事に寮に帰り着くことができた。
寮の駐車場まで来ると、寮の前でおばちゃんが待っていてくれて(今思うと心配して出ていてくれたのかも)、「すてき!」と声をかけてくれたんだが、そのときの僕の顔はきっとびっくりするほど青ざめていたに違いない。
Posted at 2013/10/20 14:45:08 | |
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車の思い出 | クルマ
2013年10月20日
社会人になって、川崎の登戸というところにあった会社の寮に入った。
1992年4月のことである。
寮の前には寮の建物の大家さんが所有する駐車場があって、そのときは満車だった。
で、寮母さん(以下、おばちゃん)から「車を買うんだったら、駐車場の順番待ちをしておいたほうがいいよ」と言われて、買う予定も金も無かったんだけど、とりあえず順番待ちに入れてもらった。
すると、翌年の7月くらいにおばちゃんから「駐車場空いたよ」と言われて、急遽車を買うことにした。
その頃はまだ僕も若かったし、今にも増して馬鹿だったので、「自分に似合う車はZだな」と考えて、フェアレディZの中古を買おうと思っていたのだが、寮のおばちゃんから「私がいい人紹介してあげるから!」と言われて、紹介されたディーラーのセールスマンがトヨタオート(今のネッツトヨタ)の人だった。
どうやらおばちゃんの旦那さん(寮のおじちゃん、と呼んでいた)が車を買ったときのセールスマンで、そのときおばちゃんの頭に「いい人」としてインプットされたらしい。
「おばちゃん、セールスマンなんて、みんな買ってもらおうと思ってあれこれしてくれるんだから、みんなきっと『いい人』なんだよ」と思ったんだが、結局おばちゃんには逆らえなかった(おばちゃん自身がめちゃいい人なので)。
人生初の車は“中古のZ”だったはずが“トヨタオート店の新車”から選択することになってしまったのだった。
で、若いうちにしか乗れない車を買え、寮のみんなで出かけるときのために2シーターはやめろ、ということからスプリンタートレノが選択された。
いまだに憶えているが、税込み209万円。
車なんてすぐ飽きるんだから、ローンは短いほうがいいぞ、という先輩の言うとおりに2年ローンを組んで人生最初の車と、人生最初のローン地獄を味わうことになったのだったのだった。。。
Posted at 2013/10/20 02:20:58 | |
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車の思い出 | クルマ