…パート1から続くその1か月後から抗がん剤もスタートし、余命の3か月はこえました。なんとか自宅にて療養ができ、1年後には一緒に旅行に出掛けれるまでの軌跡の回復っぷりを見せられました。いつの日か、前と同じような笑顔ですごしていたのですが、がん発覚の4年弱の秋に肺炎を起こしてしまいました。即入院でした。意識が朦朧としている日が1週間ほどありました。完治はしなかったのですが、退院許可が出て、お正月をまた迎えれることができました。この時は、覚悟もけっこう決めていて、今年で母のおせちを食べるのも最後かなと思い、味を噛み締めてました。そしてホワイトデーの日、いつもの通院で病院へ行った母。肺炎が悪化でまた入院。その時は、また治るかなと感じてたけれども2日後に大量の血痰で、起き上がることすらできなくなりました。あちこち身体も痛かったのでしょう。モルヒネを打ってもらったら、譫妄で変な事は言い続けてくるし、毎日ケンカになりました。そして亡くなる数日前にはモルヒネを入れてなくても、痛いとも言わなかった。最後はいっぱい息を吸って母の生涯は閉じました。一番最後に入院する日まで、私にお弁当を作ってくれて、仕事に行くのに見送ってくれた母。4年半前は完全に諦めていたのに、向き合ったことによって最高の母との思いでができました。ここには4年半を簡潔に記入しましたが、看病も楽しく、看病される側も、いつもと同じようなせいかつができました。余命を言われても全力で生き抜くことを選択してもらって良かったです。