つまらない話しだけど、暫くお付き合いください世の中こんな人も居るんだな~、ってことで。一昨日のオフ会の時、あるメンバーさんからうちの親父のことを『伝説の親父さん』と言われた私は開けっぴろげな性格で、過去にメンバーさんにもあれこれ話していたし、前々日ブログにも親父のことをUpしていたしね。それに、確かにうちの親父は、普通では考えられない思考回路の持ち主だから。親父は6人兄弟(上から女:3人、男:3人)の末っ子で、かなり甘やかされて育ったらしい。祖父が染物職人だったので、職人に学校の宿題をやらせていたため、勉強は一切駄目で、一般常識も知らない。祖母が地元で有名な意地悪婆さんだったので、上の兄弟全員が結婚しても同居せず、末っ子の親父が本家を継ぐことになった。本家と言っても、親父が実家を継ぐ頃には、100坪の土地があるだけで、駅に近い土地300坪は長男が新聞販売業を始める資金にし、裏の土地300坪は、祖母が長男と喧嘩して、二束三文で売ってしまったらしい。うちのお袋に見合い話が来た際、お袋の両親が、親父のことを近所の人に聞いたらしいが、聞いた先が悪かった。なんと、うちとは遠い親戚にあたる家の人に聞いてしまったのだ聞かれた側は当然親父のことは知っていたが、悪く言う筈も無く・・・。親父の若い頃の写真を見ると、それなりに格好いい。身長も170cmくらいあり、スタイルも良く、スーツにグラサンをして、結構お洒落な写真が残っている。そして、結婚式当日、お袋は親父が嫌で、夜中に逃げ出したかったらしい。親父が”どもる”のが嫌だったし、実は好きな人も居たらしいのだ。お袋は中学(尋常小学校)を卒業後就職し、かなりの貯金をしていた。そのため、当時家に無かった三種の神器と、当時のお金で二階家が建つくらいのお金を持参した。結婚後、親父は仕事をしていなかったが、朝自宅を一旦出て、お袋が仕事に出掛けると帰宅し、自宅でゴロゴロしたり、パチンコをやって遊んでいた。要するに始めからお袋の稼ぎで暮らしていた訳だ。その後、お袋は私の出産2週間前まで働き、お袋が実家に戻ると、親父と祖母はお袋の実家まで給料を取りにきた。出産は祖母が『自宅で産まないなら、私は面倒一切見ないから!』と言い張り、私は自宅で産まれた。しかし、親父は出産にも立ち会わず遊びまわり、お構い無しだったようだ。