兄弟のようだった愛犬『ジャンボ』
投稿日 : 2006年11月11日
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昔ホームページを持っていた頃にアップしていたものです。文章は一部修正をしただけで、当時書いたそのままですので、微妙におかしいところがありますが、ご了承ください。
~ジャンボという名前~
ジャンボが我が家の来たのは、僕が小学生にあがる年の3月。
ジャンボは4ヶ月でした。なぜジャンボかと言うと、ものすごく大食で、家に来たときにはすでに、両親と同じくらいの大きさだったんです。今考えてみると、彼は4ヶ月にして、体重が2キロくらいあったんです。食事命!と言う感じでした。
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~覚えた芸~
とにかくえさへの執着はすごかったです。もともと僕が小さいころからいたため、僕はかなり彼に、なめられていたのですが、食べ物を前にすると、すぐうなるんです。かなり性格の激しい犬でした。
左の写真は、えさにつられてジャンプしている写真です。かなりジャンプ力がありました。
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~覚えた芸~
えさへの執着が強かった分、結構いろいろな芸を覚えました。ブログの方に掲載した写真は、「ちょうだい」をしている写真で、左の写真は、「ずるずる」(ほふく前進)をしている写真です。このほかにも、お座りや、待ては当然として、握手やジャンプといったことも理解していました。賢かったですよ。
4
~若いころ~
彼は、前にも書きましたが、僕のことは完全になめていました。性格がきつくなってしまったのも恐らくは僕の所為ではないかと思います。小さいころは、ジャンボに触りたくて触りたくて仕方がなかったんだと思います。それがジャンボにとっては嫌だったんでしょうね。彼が嫌がることで、余計に意地悪したくなるというのが子供心で、いっつも彼とはけんかしていたような気がします。
でも、一人っ子の僕には、とても良い兄弟を、彼は演じてくれていたんだなと、今更ながらにあのころを思い出してはブルーになっています。
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~一番好きなのは~
彼が一番心を許していたのが、家の父だと思います。それもそのはずで、父は、会社から帰るたびにちょこっとずつでも、何か食べるものを彼にあげていたんです。そんなこんなで、彼の体重は、最盛期で5キロもありました。それでも、特に太りすぎていたと言うことはなかったんです。体全体が大きかったので。人間で例えれば、さながら故ジャイアント馬場氏のような感じでしょうか。
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~嫌いなもの~
そんな彼にも、恐いものがありました。それは何かというと、まず一つ目は掃除機。そして、二つ目がお風呂でした。両方とも母に恐怖心を植え付けられたんですが。つまり、毛の生え変わる季節には、掃除機で追い回され、お風呂では顔から思いっきりお湯をかけられるわで(笑)、彼は大変だったようです。
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~歳をとって~
彼が徐々に歳をとってきたと感じ始めたのは、死ぬ3年から4年くらい前からでしょうか。だんだんと足腰が弱くなり、目や耳も利かなくなってきたんです。最後のほうは、立つのも精一杯の状態でした。
目が見えなくなってくると、ほんの少しの影の動きにも驚いたりして、非常にかわいそうでした。大好きな食事もままならなくなってきたのは、死ぬ1年前くらいでした。足腰が弱くてふんばれないのはもちろんでしたが、えさが喉を通らないんです。それでも彼が一生懸命勢いをつけては喉にえさを押し込んでいたのを、今でも鮮明に覚えています。
死ぬ間際はもっとかわいそうでした。病院からもらってきた栄養剤をほんのわずかばかり、もう出なくなった力を振り絞ってなめていました。そして、体が大きいせいでしょうか、心臓がとても強かったんでしょう、何度も何度も痙攣しては落ち着いて…その繰り返しでした。死ぬ3日前に沢山水を飲みました。いつになく沢山飲みました。それが最後の力だったんでしょう。その直後に飲んだ水を全部吐いて彼は意識不明になりました。痙攣する間隔がだんだんと短くなり、彼は生と死の狭間で格闘していました。ごめんなさい。これを書きながら泣いています。いくらけんかばかりしていたとはいえ、僕が6歳のときからいたんです。僕の大切な兄弟なんです。思い出すと悲しくなってしまいます。本当はこんなこと書くまいと思ったのですが、どうしても僕の大切な兄弟としてのジャンボを皆さんに知っていただきたかったんです。この写真は、死ぬ1年ほど前の写真です。もうだいぶ年取ってるでしょう?ジャンボ。
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~最後に~
1998年9月1日午後3時30分。ついに彼は力尽きました。母のひざの上で、母に見守られながら。
彼は幸せだったでしょうか。彼は彼なりの人生を全うできたでしょうか…。彼は今、府中の、慈恵院と言うお寺の動物供養塔に、沢山のお友達と一緒にいます。
享年17歳と9ヶ月。
ジャンボ、安らかに…。
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