
念願だった自動車模型をオークションで落札入しました。
自分が乗っている車と色違いですが、同じモデルです。
ご存知ない方もいらしゃると思うので、117クーペを簡単に紹介したいと思います。
モデルは大きく分けると次の3つになります。
初期型(PA90):丸目ハンドメイド
中期型(PA95):丸目量産
後期型(PA96):角目
丸目と角目はフロントライトの4灯の形を表しており、表記からすると後期型が初期型と中期型と異なるようにも見えますが、実際は初期型と中期型以降かで性能や構造が大きく異なります。
私が乗っているのは中期型の丸目量産です。
実は、ミニカーやプラモデルで存在するのは大半が前期型のハンドメイドです。
後期型の角目をモデルにしたものも見かけるので、恐らく、丸目量産の商品が最も少ないと思います。
そのなかにあって、このミニカーの出来映えはかなり良いです。
実際に車を所有しているオトナがなぜミニカーもと囁くもう一人の自分がいますが、実車を所有した場合はミニカー購入可として収集することにしております。
唯一の例外はアストンマーティンヴァンキッシュですが、将来所有することを見越して購入したことにしています・・・
ちなみに、その他は現在メインの先代M6だけなので、購入したのは数台に留まっております。
話が脱線しましたが、折角なので117クーペのことをもう少し紹介します。
デザインは、カロッツェリア・ギア社のチーフデザイナーであったジョルジェット・ジュウジアーロが担当しており、1966年のジュネーブモーターショーにギア社といすゞ自動車でプロトタイプを出展します。
その後、いすゞ自動車が117クーペとして1968年から販売を開始しますが、市販は困難と思われていたデザインに忠実に製造したことから、さすがにジュウジアーロも驚いたといわれています。
当時の技術レベルからすると、ボディーラインが複雑で機械プレスだけではラインが出せないため、職人の手作業に頼って製造しており、俗にハンドメイドと呼ばれ、一台ごとに表情が違うそうです。
パーツ類も、メーターパネルに台湾の楠の木をくり抜いて使うなど、高価な材料も惜しみなく使い手間暇もかけたことから、初任給15,000円といわれていた時代に172万円と高価な価格で売り出されています。
単純に考えても現在価値にして10倍以上になります。
手作業が多く月産50台が限界という状況のなか、ボディーカラーのバリエーションも多かったことから実質的にはオーダーを受けてから作製していたそうです。
117クーペは高価で羨望の的であり、発売当初から廃車が出るまでの期間の長さで記録があるそうです。
いかに貴重で大切に扱われてきたかを象徴する逸話だと思います。
このような117クーペの人気にあやかり、いすゞ自動車は廉価版のラインアップ化や量産化を図りはじめます。
その流れのなかで、丸目量産型が登場します。
ハンドメイドと比べるとコストを意識したつくりになっており、例えばハンドメイドでは1本もののバンパーは3分割されています。
また、新たに排ガス規制が開始されることを受け、出力低下を補う狙いもあり、DOHC1,600ccエンジンは姿を消し、排気量は1,800ccに統一されました。
グレードは6つあり、うち上位2つがDOHCエンジンを搭載し、内装にコストを掛けた最高級のAT車をXE、内装はやや簡素にしたスポーツ仕様のMT車をXGといいます。
写真のプレートに記されたISUZU 117COUPE 1800 XEは、丸目量産型の中でもっともラグジュアリーなモデルを差しています。
その後、世の中の流れに乗って、117クーペも角目にデザインを変更しますが、オリジナルの良さが失われたと賛否両論あります。
角目量産型には当時としては珍しいパワーステアリング機能が追加され、さらに内装もコストダウンする方向で見直されています。
また、徐々に厳しくなる排ガス規制によるパワーダウンに対応するため、排気量も途中から2,000ccへと大型化されます。
そして、1981年に同じくジュウジアーロが設計したピアッツァを発売するまでの15年間、いすゞのフラッグシップモデルとしてその基本設計を大きく変えることなく販売が続きました。
当時は117クーペより手頃だった箱スカGT-Rや432フェアレディーZの提示価格を考えると、117クーペはただ同然のようです。
とても残念ですが、デザインの美しさは時代は変れど不変です。
日本の名車を語るうえで外すことができない車だと思います。
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117クーペ | 日記
Posted at
2013/12/05 22:16:43