
昨年11月から乗り始めて7か月。
その間に運転したのは僅かに350km。
しかも、車両は製造から3年が経過しているとはいえ、総走行距離は僅か550kmであり、メーカーが狙っているセッティングまで小慣れていない可能性も否定できません。
このような段階で一括りに乗り味と評するには時期尚早と言えるかもしれません。
そう考えると相応しいタイトル探しから始めなければならないことになりますが、ここでは街乗りとは明らかに違う、首都高や外環などを走ったときに感じた印象を取り上げてみたいと思います。
メーカーが公表するVanquish Sの最高速は、201mph(=323km/h) 。
トランスミッションが6速から8速に切り替わった2015年以降のモデルと同じです。
そのうち、日本の高速道路で試せるのは、120km/hまでの世界です。
体感した領域を高速域と呼ぶのは憚られ、走行性能から考えると中速域にも及びません。
そこで、サブタイトルとして低中速編と称することにします。
まず、一般道から高速道路への侵入路でパドルシフトを引いてギアを2〜3速まで落とし、アクセルペダルを床まで踏み込み、エンジンの回転数を上げます。
このとき、アストンマーティン独特のエキゾーストノートに最高出力が603PSまで引き上げられたAM27エンジン特有の中音域のエンジン音が混じります。
高性能スポーツカーと比較すると驚くような加速力はありませんが、
Vanquish Sのオフィシャルビデオに収録されている、このときに発せられるノイズに何とも言えない魅力があり、Vanquishの購入を思いとどまらせていた最後の防波堤が決壊した気がします。
さて、十分な速度域まで加速したところで昂る気持ちを落ち着かせ、アクセルペダルを戻してトランスミッションをオートマモードに入れると、それまでステアリングやブレーキペダルなどから伝わってきた舗装路を走ることで生じる細かな振動が消え、滑らかで雑味のない乗り心地に変化していることに気づきます。
また、街中では、路面の凹凸を拾うとビーンという伝達スピードの速い、いかにも硬度の高い金属を伝わってきたような振動が体に入ってきます。
ところが、高速道路になると、コトンと衝撃が柔らかくなり、車体が凹凸をスルリと乗り越えたかのような感じに変化します。
車速が上がったのだから、ゴンとさらに強い衝撃になるのかとおもいきや、意外なほどしなやかな印象です。
少し誇張した例えをするならば、プラスチック製のタイヤの付いた台車の上に直に座ってガタガタとアスファルトの上を走っていたのに、いつの間にか、タイヤをゴム製に交換したうえでサスペンションを組み込み、クッション付きの台座を取り付け、その上に座らされて綺麗な舗装道路を滑るように走っていることに気がついたとでもいうような変化でしょうか。
そして、周りの速度に合わせて流すように走っている限り、自然吸気の6ℓV12エンジンを搭載したクルマに乗っていることを忘れてしまうほど穏やかです。
しかも、車速感応式のパワーステアリングには研ぎ澄まされたような鋭さはなく、繊細な操作は不要です。
というのも、ステアリングを切ると滑らかにステアリングシャフトが回転する感触のみで巻き戻るような慣性も働かず、フロントタイヤがどちらを向いているのか伝わってきません。
何だか手元が心許なく不安になります。
とはいえ、小刻みにステアリングを切ったとしても過剰に反応することもありませんし、経験則でステアリングを切っていけば、車体はほぼ予想どおりのラインを描くので、神経質にならず、大らかな気持ちでステアリングを握っていれば良いというのが正解といえると思います。
個人的な好みでいえば、切り始めからじわりとした重みがあって舵角がイメージできるようにしたいところ。
私なりの解釈としては、アストンマーティンがUltimate GTに位置付けるからには、ステアリングフィールを出しすぎることによりドライバーに細かな情報を伝達して疲れさせないような設計を意図しているのかな、と。
また、高速域に入るとステアリングがドッシリと安定するのかもしれませんが、今のところ、経験した速度域ではそのような実感はありません。
また、トランスミッションをオートマチックモードに設定していれば、スロットルペダルの加減だけで8速もあるギアの中から適切なものを素早く選択して、ストレスなくスムーズに駆け抜けられます。
パドルシフトの操作が必要なのは、V12のエンジン音やエキゾーストノートを楽しみたいとか、瞬時に強い加速が欲しいというような特別な状況にあるときだけです。
サーキットや峠で果敢に走りたいのであれば別ですが、日常の走り方としては8速もある中から最適なギアを探りながら走るということは、ドライバーが手動でナンセンスな気がします。
となると、ダッシュ周りの美しいデザインや室内に漂う独特の革の匂いを楽むこと以外、このクルマから運転中に特別な何かを感じるわけではありません。
ある意味、普通の乗用車と何ら変わりなく、走っていても刺激を受けることもなくとても退屈です。
アストンマーティンは、フェラーリと対比されることがあります。
特に、フロントミッドシップでV12エンジンを搭載したV12 Vanquishをフラグシップモデルに据えて登場させると、同じレイアウトを持つ同世代の575マラネロと比較されるようになります。
そして、その系譜にある599フィオーラ、F12 ベルリネッタ、812 スーパーファストに対して、アストンマーティンはDBS V12、Vanquish、DBS Superleggeraで対抗しているようにもみえます。
しかし、実際に運転してみると、Vanquish SはVanquishに改良を加えて走行性能を大幅に引き上げ、ライバルを圧倒するように設計されたスポーツカーであるようには思えません。
むしろ、優雅に走らせるグランドツアラーの要素が多分に含まれているようにも思えます
モータージャーナリストがアストンマーティン評としてよく口にする、フェラーリやランボルギーニを乗り尽くした方にお勧めですというのはこのことなのかな、と。
その点、私が他のスポーツカーに靡かなかったのは、2012年にVanquishが新型モデルとして発表されたときに感じたデザインの美しさは今も褪せることはなく、所有することで誰に遠慮することなくいつまでもちかくで眺めていられるという満足感を与えてくれるからなのかもしれません。
そして、運転の楽しさは、E63 M6で十分に味わえると割り切っており、逆にいえば、それがE63 M6を手放せない大きな理由の一つに繋がっています。
今や絶滅危惧種に指定されかねない自然吸気エンジンを搭載したクルマではありますが、V10とV12に加えて、発売当時は高性能の代名詞であったDOHCエンジンを搭載した117Coupeの3台が楽しめる夢のような時間がずっと続いて欲しいと思っています。