CCVMANこと前田さんと出会ったのは15年程前だろうか。
学生時代にヨンマルでクロカンにのめり込んで居た私は、それなりにヨンマルを操れるようになって有頂天になっていた。
要するに井の中の蛙という奴です。
当時はインターネットも普及しておらず、パソコン通信のPC-VANに参加して前田さんと出会い、身の程を知ったものでした。
同時にクロカンの極意からネットワーク四駆乗りのイロハまで教えて貰ったのもです。
その後、開設されたCCVMANのクロカン道場に入り浸るようになり、前田さんの推奨する個人商店的四駆乗りとして全国各地の仲間と知り合う事が出来ました。
クロカンに対する芯の通った信念と情熱が強烈な個性を持つ四駆乗り達を惹きつけて中心的人物となっていました。
そんなこんなで出会ってから10年近く、クロカンを通して一緒に遊んでいました。
ある時、前田さんの愛機のフロントドライブシャフトが折れた際には土砂降りの中、私が路上修理を行って復活。
直後に雨が避けれる場所が近くに有った事が判明して皆で大笑い。
後日、御礼としてお寿司をご馳走になりました。
ある時は、私が重大なミスを犯して転倒(ヘッダー画像)した際に、真っ先に運転席へ飛び込んで来てくれたのは前田さんでした。
文字通り目の前が真っ暗(フロントガラスからは地面しか見えない)になった状態のハイラックスにガラスの割れた助手席から体を突っ込んで
「おう、いけるかぁ~?ベルト外すで。」
と助けに来てくれました。
私も大抵の事は笑って済ますのですが、この時ばかりはへこみました(笑)
が、翌日、私を心配してくれた前田さんはわざわざ電話してきてくれました。
(これはこれで別に笑い話があったのだが)
飄々としているように見えて、実に人情味に溢れる優しさを持っていました。
その後、私がディーゼル規制やら結婚やらで愛機を手放してしまい、一緒に野山を駆ける事は無くなってしまいました。
前田さん自身も愛機のBJ42を封印して、二輪の方へのめり込んで行きました。
そうそう、前田さんが二輪に興味を持たれた頃、非常に怪しいマシンを入手されたもののエンジンがかからないって事でヘルプに行った事が有りました。
滋賀のT氏が作成し、兵庫県のO氏の元からやってきたらしい怪しいマシン。
一応、ホンダのカブらしいけれどフロントはテレスコピックでディスクブレーキ(恐らくNS50のもの)でスタイリングは異様。
エンジンにも手が入っていて爆音仕様でした。
前田さんの相方TWOさんの練習用に仕入れたらしいけれど始動出来ず。
で元単車部で元単車乗りだった私にヘルプが来たのでした。
平日の夜にキャブクリ片手に爆廃号(ハイラックスシングルキャブ)に乗ってケダモノハウス(前田邸)に駆けつけ、キャブを洗浄したところ、あっさり始動。
そのまま爆廃号に積み込んで海岸で試運転。
異様なマシンでしたが意外に出来が良くて面白かった。
でもってクラッチの付いたマニュアルミッションのバイクに初めて乗る筈のTWOさんでしたが自在に乗り回すので驚かされたのを思い出します。
その後、XJR400を経て前田さんはBUELL X1(赤)を、TWOさんはBUELL XB9Sを入手された。
この2台とは、私がパジェロイオで帰省している道すがら中国道上で偶然遭遇してブチ抜かれた逸話があったり(笑)
「ごっつ格好エエBUELLのカップルと遭遇」って話やったんやろけど、残念ながら中身は夫婦漫才コンビやったんやでぇとは前田さん談。
で、すっかり二輪に嵌った前田さんは、私にもバイク乗りとして復活するように薦めて下さいました。
前田さん「おう、ワレ。仮にも総長やねんから、若い衆に言うてバイクの一台くらい用意させんかい!」
という調子。
ちなみに私のもうひとつのHNである「爆廃総長」って名前をつけたのは前田さん自身なんやけど(笑)
実は私自身はバイクの持つリスクに耐えかねて二輪を降りた経験が有るので中々踏ん切りがつかなかった。(その割には自宅にバイク用ガレージを造ったりしてるんやけど)
ある日、私が実家近くのスーパーで買い物をして帰宅した際に突然前田さんから電話がかかってきました。
「おう、さっき○○○(スーパーの名前)で買い物しとったやろ?」
「え?見かけたんやったら声かけて下さいよ~」
「いや、今情けない格好やから出ていかれへんかってん」
「????」
後日、判った事でしたが、X1(黄色)で橋の欄干と喧嘩して左腕を複雑骨折した直後だったらしい。
(我がX1のアンダーカウルについた引っかき傷はその際に出来たものと推定。本人は「猫が引っ掻いた」と言い張ったが・・・笑)
意外にシャイな性格である(笑)
一緒に走る事は無くなったけれど、年に何回か行われる新年会やら某中華料理屋での宴会にちょくちょく顔を出させて貰って居りました。
2年程前、その某中華料理屋での宴会へ電車で行っていた私は、前田さんの車で自宅まで送って貰う事になりました。
運転するのは前田さんの古い盟友(?)のM氏。
助手席に前田さん、後部座席に私とTWOさんという組み合わせ。
阪神高速道路の上で妙な話になった。
前田さん「Mちゃん、もしも俺になんか有ったらTWOの事はおまえに任せるからな」
Mさん「ん?????おっけ~。任しとって。」
前田さん「頼むでぇ」
突然沸いた話に理解不能の後部座席。
後で思えば、この頃既に御自身でもある程度の自覚は有ったのかもしれない。
(突然の発言に一瞬で理解を示された(?)M氏は凄い)
そしてそれから半年後の2007年の9月、突然の
「肝臓癌で余命1年」の報告。
最初は何が書いてあるのか理解出来なかった。
いきなり顔面に右ストレートを叩き込まれたかのような衝撃。
あまりにも無慈悲な状況に自宅のモニターを前にして号泣した。
どうにかならないものかと必死に考えるが、どうにかなる訳もない。
3時間程モニターの前で涙を流していたが、ふと普段お世話になっているS氏が不思議な癒しの力を持った人を知っている事に気が付いた。
現代の医学で太刀打ち出来ないならば神通力でもなんでも頼りたい。
とにかく助かりさえすれば過程なんてどうでも良いと思った。
時計を見ると午前零時を少し回ったところ。
今考えるととんでもない事だが、その時間にS氏に電話をかけた。
で、いろいろと相談に乗ってもらい、和歌山のT氏のところへ相談に行った。
T氏も癒しの力を持った方の所で重病を治療中との事で、同行させてもらえる事になった。
その間にも前田さんの病状は進んで行き、ブログでの報告の中で前田さんの覚悟を知った。
所詮人間の死亡率は100%。それが30年後に来るか3年後にくるかというだけの差。
とにかく相方のTWOさんと出来る限り長く一緒に居たいけれども、治療に当たっては医者との信頼関係が一番大事だと。
手品すら大嫌いな前田さんの事。
荒唐無稽とも思える治療を受けてもらうには本人の理解が不可欠である。
もしも理解が得られたとしても治るという保証は無い。
T氏と治療に同行したけれども、結局その話は出来ず仕舞いだった。
前田さんの心意気やTWOさんの心情を考えれば、とてもでは無いがそんな話は切り出せなかった。
結局、見守る事しか出来なかった。
当初は3年から5年だった余命も、年齢が若かったからなのか加速度的に進行して年を越せるかどうかという状況になり10月18日に永眠された。
その遊病(敢えて闘病とは呼ばなかった)と生き様は「
BuellとTrickerとBJ42と懲りないヤツ」にて語られている。
クロカンに対する情熱と、人間性がもたらす求心力、いつでも笑いを忘れず、厳しくもあり優しくもある男の中の男。
とにかく最後の最後まで格好エエ人でした。
私達がいつまでも悲しんだり悔やんだりしているのは本望では無いでしょう。
恐らく
「おまえらいつまでシケたツラしとんねん。精一杯生きて笑って愉しんで、ほんでもって次に会う時に土産話聞かせてや。ただし笑えん話は無しやでぇ」
と思ってらっしゃる事でしょう。
今の自分に大きな影響を与えてくれた人物。
その見事なまでの生き様を自分の人生に反映させて行こうと思います。
ありがとう、CCVMAN。
ありがとう、前田さん。
精一杯生きるでぇ~
(異様なまでの長文ですんません)
追伸:昨日発売の
CCV誌最終号に「CCVMANのクロカン道場」最終話が掲載されております。
(何故かおいらの名前だけ実名やなくて「K君」やった・・・。ま、変な苗字なんで気を遣ってくれたんやろけど・・・笑)