
こんばんわ。
秋風を感じ始める頃にやってくるシルバーウィーク。
ドライブするには夏休みより断然この季節ですよね。
みなさんもいろいろ楽しんだのではないでしょうか^^
私も日頃の休日出勤の代休をこの週にはめ込み、
思う存分楽しんできました。
そんなシルバーウィークの旅を、今回は「3部構成」
でブログアップしようと思います。
第一部 「ホンダF1と鈴鹿サーキットの歴史を学びたおす」編
まぁ、私にとっては
まず・・・
奥様マイルがしっかり貯まっているかどうかで、ドライブ行程に大きな影響が出ます(爆)
なのでしっかりと、
「Arashi Blast in Miyagi」へ奥様&娘が21日から行くと言うので
朝5時(!!)に起きて、2人を伊丹空港へお送りさせて頂きました(^_^;)

詳しくは聞いてなかったんですが2〜3回コンサートを見てきたそーです(アイカワラズスゲーゼッ!キミタチw)
これでしばらく独身になったので、今回の旅の準備を始めます(笑)
今回は行くアテのないドライブではなく、ある程度行程は決めているので、その計画通りに楽しんで来ようと思います。
出発は22日早朝6:00、絶好の晴天の中、スタートです!
目指す場所は"三重県津市"
やってきたのはココ、
「三重県総合博物館(MieMu)」です
三重県総合博物館(MieMu)では現在、
企画展「SUZUKA 夢と挑戦のステージ ~ホンダのF1と鈴鹿サーキット~」
を開催しているんです。

日本初の本格的なレーシングコースであり、現在、日本で唯一のF1グランプリの舞台である鈴鹿サーキットと、1964年以降世界最高峰のレースに挑み続けてきたホンダのF1への歴史を中心に紹介。さらに、その背景にある技術革新への取り組みや、世界中のモータースポーツファンだけでなく、子どもたちの夢を育み続ける鈴鹿サーキットの姿を通じて、夢の持つ力、挑戦することの素晴らしさなどを発信します(文章は引用)
今週はF1日本グランプリウィークなので、F1ファンなら盛り上がらない訳はないですよね!^^
1,000円支払って中に入ると現れたのが、1959年HONDAがロードレース世界選手権(WGP)初めて参戦(マン島TTレース)した時のワークスマシンRC142。
このレース参戦からHONDAはさまざまなモータースポーツに"挑戦"する事になります。
これは、1961年ロードレース世界選手権(マン島T.T.)で250ccクラスで初優勝した時のトロフィーです。この時に平均時速は98.38マイル(約158.3Km)だそうです。
昭和35年に計画された、鈴鹿サーキットのコースレイアウト原案って知っていましたか?当時はこのようなレイアウト案だったそうです。
それからいくつものレイアウトが協議され・・・、今の鈴鹿が出来上がりました。
そして1964年、HONDAはついにF1に挑戦します
シャシーとも自社開発で挑戦した"HONDA F1"
DOHC4バルブ・V型12気筒 1,495ccのその出力は220PS以上。この高度なメカニズムは当時のF1界を震撼させたそうです。
翌年の'95年、初優勝!
ここからは歴代F1マシンの登場
'80年〜'90年にかけて、エンジンサプライヤーとしてF1に参戦したHONDA。ターボやNAもあったが、ターボ全盛の’80年代にV型6気筒で圧倒的な速さでF1界を圧巻する。'87年にはF1鈴鹿GPが初開催され、ここから日本のF1ブームが起こる事となる。特にアイルトン・セナと日本人初のフルタイムドライバー中嶋悟の存在はブームを加速させた。
まずはこのカラーリング!
ウィリアムズ ホンダ FW10(1985年)

エンジンはRA165E 水平4ストローク 80度V型6気筒DOHC 4バルブ 1,498cc 最高出力は600ps以上でマシン重量(フォーミュラウェイト)は540kg
そして、カーナンバー"5"と言えばもちろん、、、
ナイジェル・マンセル!

歴代選手の中でも最も陽気でチャレンジングなドライブをする、とても人気があったマンセル。この車でもブイブイ言わしてました^^
そして、HONDA全盛期の象徴的なカラーリング
マクラーレン ホンダ MP4/5B(1990年)

エンジンはRA100E、水冷4ストローク 72度V型10気筒DOHC 4バルブ 3,493cc 最高出力650ps以上、車量は500kg
1989年、エンジン規則変更でターボが禁止となり、全車3.5リッターNAとなる。前年ホンダは16戦15勝の大記録を作り上げたが、この年も圧倒し16戦10勝。ドライバーとコンストラクターズチャンピオンに輝いた。
そしてマクラーレン・ホンダのカーNO"27"
アイルトン・セナ!
F1に詳しくない人でもセナの名前は知っている人が多いですよね^^
F1ファンなら生唾ものデス(^^)
次に、この革新的ハイノーズは、
ティレル・ホンダ 020(1991年)

エンジンは前年マクラーレンが使用したチャンピオンエンジンを搭載(RA101E) 最高出力は690ps以上
中嶋悟が最後にドライブしたマシンとして知られています。この年はティレルの斬新なシャシー、高性能ホンダエンジン、ドライバー中嶋悟と言う事もあり、注目を集めたが、成績は振るわなかった。V8からV10へ変更され重量バランスが崩れたのが主な原因とされ、この年、中嶋悟は5年間のF1ドライバー生活に終止符を打つ事になった。
中嶋悟のヘルメットと言えばコレですよね^^
そして、ラッキーストライクカラーに包まれた、このマシン
B・A・R ホンダ 006(2004年)

エンジンはRA004E、水冷90度V型10気筒NA 2,998cc 車量は600kg 最高出力は900ps以上
当時最強のフェラーリに次ぐコンストラクター2位になったマシン。日本で人気の高いジェンソン・バトンが3位にランクした。
そして、私のお気に入りでファンでもある佐藤琢磨がドライバーでした。アメリカGPの3位表彰台は感動ものだったな^^
最後に奇抜な発想で話題となったこのマシン
Honda RA107(2007年)

エンジンはRA807E、水冷90度V型NA 2,400cc 最高出力は700ps以上 エンジン回転数は19000回転
このマシンの最大の特徴はなんといってもこのカラーリングでした。車体に地球が浮かび上がるもので、スポンサーロゴなどを廃した大胆なデザインで注目された。
この頃からステアリングもボタンや計器類で複雑に・・・
F1に関するいろんな資料もたくさん展示してあり、とても楽しめた日でした^^
9/29(火)からは2015年最新マシン、マクラーレン・ホンダMP4/30も展示されます
展示会場フロアではミニカーが置いてあったり、F1やHONDA、鈴鹿に関する書籍も置いてあるので子供も楽しめそうだし、ファンなら一日過ごせるくらいの勢いでした(^^)
そんなこんなで過ごしていると、みん友さんの
ai♪さんからメッセージが・・・
「きさまを発見したぞ、覚悟しやがれ!」と・・・
これは絶対拉致されると思って、すぐさま東へ逃走しました(^_^;)
夕方にaiさんが先ほどまでいた博物館へ行っているではないか・・・きっと「この辺は私の縄張りだから誰にも渡さないわよ」と、私の匂いを消しに行ったのだろう・・・さすが「奈良の女傑」だ(汗爆)
5分違いでハイタッチできなくて残念でした、次回はぜひハイタッチしましょうm(__)m
車は新東名を東に向け、今日はここでドライブ終了〜

〜
NEOPASA駿河湾沼津〜
今日はここで車中泊でーす(笑)
A5に乗り始めて、本格的な車中泊は今回が初めて(^_^;) 前車のランクル・プラドでは結構やっていたんですけどね。

シルバーウィークなんで車も多く、臨時駐車場に誘導されました。まぁ寝るからどこでもイイんです(笑)
お決まりの毛布もしっかり持参してますww
そー言えば、"車中泊"ってどういう定義なのだろう?ちょっと
wiki先生に聞いてみよう。
-wiki引用-
車中泊(しゃちゅうはく)とは、自動車または鉄道列車の車内で宿泊することをいう。車内泊(しゃないはく)とも。行程の中途でとる車内での仮眠をさす場合もあるが、一般ドライバーが何らかの理由でこの宿泊形態を選択した場合をさして、特にこのように呼ぶことが多い。ただしオートキャンプとは別に定義される。一般には、自動車専用道路のサービスエリアや道の駅の駐車場などでよく見受けられる。行程上の都合のほか、トイレが整備されていることや治安が保たれているように見える場合が多いことなどが主な理由とみられる。
なるほど・・・
車中泊の理由
・行程上の都合
例えば翌日に登山口から夜明け前に出発したいなどのケース
・経済的理由
宿泊代の節約のため
・自由さの優先
できるだけ自由な行程で旅行したいために、あえてホテルを取らずに車中泊を選択する場合
・それ自体が目的
趣味的意義を見いだしている人たち
・災害のため
上述新潟県中越地震の時のような場合
ん!?
"それ自体が目的" って・・・誰か
知り合いにいるよーな、いないよーな(笑)
夜中の12時頃に周りを見渡すと15-6台くらい止まっていたので、みんな車中泊なのかなー?と思いながら眠りについて・・・
朝起きると誰もいなかった・・・
"そして僕は途方に暮れる"
(爆)
一日目の走行データ
訳が分からないバッジをゲット!w
第二部はまた後日・・・(^^)