2014年03月12日
早いもので、あの日から3年が経過しました。最近は大きめの地震もなく穏やかなのであの日の事を忘れかけているように感じます。
3年前のあの日、自分は仕事が休みでした。午前中に前の愛車クラウンを車検に出して、用足しを
済ませ帰宅したその直後に大きな揺れに襲われました。
最初は少しカタカタときたので、おっ地震か?と思っていたら揺れが長く、段々に強くなってくる
こりゃーやばいぞって家から出ようとしましたが、なにしろ激しいゆれでした。
正直、家がぶっ壊れるとおもいましたね。幸い損傷はありませんでしたが・・
後で、分かったのですが当地は震度6以上の揺れだったとのことでした。
地震後、すぐにライフラインがストップ・そのため何が起こったのか分からず・震源が東北だとか、
津波注意報が出てるとかラジオで言ってるが、まさかあのような大惨事になってるとは後日、新聞や
テレビで見るまでは思いもしませんでした。
その日の夜はひどく真っ暗闇だったのをおぼえています。
次の日仕事に行ったのですが、行く途中損壊した家を多く見ました。道路も亀裂や陥没しているところがかなりありました。
そして職場に着き建物を見ると・・・なんじゃこりゃ・・外壁は崩れて、窓も割れて、建物内に入ると
足の踏み場もないほどにガレキや事務用品が散乱・・壁も崩れ・水も噴き出して・・
全壊まではいかないまでも半壊に近い状態でした・・
これじゃ、仕事できねーだろって思いましたね。しばらくは片づけと、できる範囲での修復を行い
ました。
現在は、キレイに修復されて何もなかったような感じですが・・
あれから3年経ちますが、被災された方の生活はあまり変わっていないように思いますし、
復興もそれほど進んでいないように感じます。
去年、愛車カローラでいわき市へ行ってきました。途中、海沿いの薄磯地区という被害の大きかった
場所を通りました。震災前にクラウンで行ったときは住宅がいっぱいあったはずなのに・・
今は家の基礎だけしかありませんでした。あまりの光景に絶句しました・・
薄磯地区を南方に行くと有名な塩谷埼灯台があるのですが、やはり震災でダメージをうけて
立ち入り禁止になっていまして、悲しかったですね。
その灯台も、2014年2月に修復が完了し入れるようになったとのこと。
これをきっかけに一人でも多くの人が訪れてくれることを願っています。
自分も夏頃になったら行く予定です。
それと、その灯台の前には奇跡的に助かったお土産屋さんがあります。震災前は観光バスが
何台もきて、食事を提供していたらしいのですが現在はお土産のみの営業とのこと。
その店内には、震災当日の様子を収めた写真が展示されています。(お店の方が撮影)
最初はその写真を現像することができなかったみたいですが、気持ちを落ち着かせて
公開する事に決めたようです。
写真を見させていただいたので、お土産を買って帰りました。(これくらいしかできないが・)
そのお店は、塩谷埼灯台(山の上にある)の特殊な地形によって津波の力が分散して
海水はかぶったが流されずに済んだそうです。
このような大災害は二度と経験したくはないが、忘れた頃に起きるのが災害です。
この先も、あの日の事を忘れずに生きていこうとおもいます。
Posted at 2014/03/12 21:53:42 | |
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大震災 | 日記